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2012/11/09

人類の軌跡その509:第一次世界大戦後のヨーロッパ・アメリカ

<第一次世界大戦の終焉>

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T型フォード(最初期型1911年以前)

◎ドイツとの講和と対ソ干渉戦争

 ソヴィエト政府の休戦よびかけを無視した連合国は、自国民に戦争継続の意義を説明する必要に迫られ、アメリカ合衆国のウィルソン大統領は「平和に関する布告」に対抗して「14カ条の平和原則」を発表しました。
ドイツは、1918年3月、ソヴィエト政府とブレスト=リトフスク条約を結び単独講和を行います。
この条約はドイツへの領土割譲を含み、ソヴィエト政府にとって不利なものでしたが、レーニンはドイツでも社会主義革命が起きることを期待して条約締結に踏みきりました。
ボリシェヴィキの公約でもある平和はようやく実現されたかにみえました。

 しかし、1918年には、連合国の支援を受けた旧ロシア軍人など反革命勢力との内戦がはじまり、4月以降には、英・仏・日・米などの連合国軍が対ソ干渉戦争を起こしてロシアに侵入しましたが、是等一連の行動は、資本主義国にとって、社会主義政権の存在と革命の波及は脅威だったのです。

 一時は崩壊寸前迄追いつめられた、ソヴィエト政府ですが、軍事人民委員トロツキーによって組織された赤軍(=革命軍)の反撃や、民衆の抵抗等により反革命軍は鎮圧され、列国の軍隊も1920年には撤退し(日本のシベリア出兵だけは1922年まで継続)、ソヴィエト政府は危機を乗り越えたのです。しかし、その間実施された、農村からの食糧の強制徴発や全工場の国有化、労働義務制など「戦時共産主義」に対する不満は強く、1921年にはクロンシュタット軍港で水兵の反乱が起きる程でした。

◎第一次大戦後の欧米諸国

 戦後、アメリカ合衆国はイギリスに変わり世界経済の中心として繁栄しました。
一方、敗戦国ドイツでは政情不安と経済混乱が続きます。
イタリアでは、テロで勢力を拡大したファシスト党のムッソリーニの独裁政治が誕生し、ソ連では、社会主義建設の模索がつづくなか、レーニン死後スターリンの独裁が確立しました。

◎アメリカ合衆国

 大戦中の貿易で利益をあげ、戦争の被害も少なかった合衆国は、大戦後、「黄金の20年代」と呼ばれる空前の経済繁栄を謳歌しました。
世界の工業生産の4割を占め、世界の金の44%を保有し、大戦中からの英仏などへの融資で世界最大の債権国に成ります。

 経済の繁栄は、国民の生活水準を引き上げ、大衆社会が出現しました。金持ちの贅沢品だった自動車の普及がそれを象徴し、フォード社は組立ラインによる大量生産を考案し価格を引き下げ、3世帯に2台の割合で自家用自動車が普及しましたが、この数字は、日本では1970年代末の水準に相当します。
電気冷蔵庫やラジオも普及し、プロ野球や映画が大衆の娯楽として登場し、ミッキーマウスが生まれたのもこの時代で、大量生産、大量消費、大衆文化と云う現代生活が出現したのでした。

 一方で、豊かな生活を求めて、南部の農村地帯から北部工業都市への黒人の移住や、東欧・アジアからの新移民が増加したことは、それまでのアメリカ社会の主流を占めていた「WASP」の反発を生み、保守的・排外的風潮を生みました。
1919年の禁酒法や1924年の移民割当法による移民制限、人種差別集団KKK団の復活は、そのあらわれでした。
国際政治では、孤立主義を主張する議会の反対により、ウィルソン大統領の提唱した国際連盟に加入しませんでした。
注:WASPとは、W=ホワイト(白人)、AS=アングロサクソン(イングランド系)、P=プロテスタントを意味します。

続く・・・

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こんばんは。
10日のご挨拶です♪
お天気下り坂で気温もグッと下がってきましたね。明日は朝の散歩も大変そうです。せっかくのお休みですが、暖かくしてお過ごし下さいね。