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2008/08/31

「アンデス少年ペペロの冒険」粗筋シリーズNo5

8月も今日でお仕舞!粗筋も半分を過ぎました!
ペペロの冒険9

◆第13話「さようならチチカカ」 
 ペペロ達の目前に洞窟があった。その洞窟を抜けて帰った者は居ないと、ペペロ達に宿を貸した村長ウーゴは話す。その夜ケーナは、黄金のコンドルが洞窟の中を飛んでいる夢を見た。ケーナの話しが本当ならば、洞窟の向こうにエルドラドがある。そう思ったペペロ達は、洞窟の中で出会ったこうもり使いの男からこうもりを貰い、中を進んでいく。しかし中がまるで迷路のように複雑だったため、ペペロ達はケーナが道すがり蒔いていた花びらを辿り、外に出る。そこで、チチカカを見失ってしまう。 

 チチカカは、ウーゴが昔山賊だったことを知り、一足先に戻っていたのだ。そして洞窟の出口を教えろ、とウーゴに問い出す。こうもり使いを捕まえたペペロ達と一緒に出口を目指す。ところがそこは、ウーゴが集めていた宝物の隠し場所だったのだ。ウーゴの罠に掛かったペペロ達とチチカカは、崩れ落ちた岩を挟んで別れわかれになってしまう。そしてウーゴも、谷底に転落してしまう。

 「ペペロ、これからはおまえがリーダーだ…」岩越しに話すチチカカ。自分が居なくなっても子供達だけでやっていける。チチカカはそう思っていたのだ。洞窟を抜けるペペロ達。ペペロは、これから全てを自分の判断で行わなければ成らない事を実感する。

この話、自分だったら果して、仲間を引き連れて「エルドラド」迄行けるだろうか?と考えさせられたお話です。

◆第14話「対決!黒わし団」 
 ペペロ達の前を盗賊の一味が通り過ぎていった。盗賊の名は「黒わし団」。アンデスの村に出没する盗賊だ。黒わし団は村長の娘リーナを拉致し、村長に食料を要求する。ペペロはジュピターに乗って後を追うものの、多勢に無勢で失敗。村に向かったペペロは、逆に首領カルロスの子供と誤解を受け囚われる。「黒わし団」首領カルロスは、ペペロの父とは全くの別人。しかし、その首にはペペロと同じコンドルの爪のペンダントが。

 ペペロ達は、村人と協力して「黒わし団」を捕まえることになった。ケーナとチュッチュがリーナを救出し、ペペロとアステコは大きな網を使って盗賊たちを一網打尽にした。その時カルロスがペペロに銃を向ける。

 捕らえれた首領カルロスは、パンチョスという名前で、数年前砂漠で倒れていた処をペペロの父に助けられ、ペンダントを貰ったのだ。そして、父はオオカミ谷と呼ばれる谷へ向かった、と言う情報をペペロ達は得るのだった。

◆第15話「急げペペロ!オオカミ谷へ」  
 リャマのドンキーの様子がおかしい。ドンキーから降ろした荷物を持っていたペペロ達は、二人の商人に出会う。使い物にならないリャマなんかすぐ毛皮にしろと商人達は、ペペロ達を嘲笑う。そんな時ケーナは怪我をした小猿を見つけ、手当をするが、それも束の間、ドンキーが倒れてしまう。ドンキーを救うには雪割り草が必要だ。

 ペペロはジュピターに乗って雪割り草を取りに出かける。しかし、激しい吹雪に見舞われ、ペペロは前に進むことができない。やっとの思いで雪割り草を見つけた時、既に吹雪は止んでいた。遠くから狼の遠吠えが聞こえてくる。雪割り草を手に、ペペロは帰路を進む。そしてドンキーに雪割り草を食べさせるのだった。

 やがて、狼の群れがペペロ達の居る場所に近づいてきた。ペペロ達は薪に火を点け、狼を遠ざけようと奮戦するが、その薪も少なくなってしまい、大ピンチに陥った。その時、上から大きな岩が落ちてきて、狼を一撃にしたのだ。それは、ケーナに助けられた小猿の、ペペロ達に対する恩返しであった。

先に出会った商人が、狼の群れに襲われるシーン、実際には其の直前で、画面が変わりますが、襲われた事はハッキリ解ります。何か映画のワンシーン様で、印象的でしたね。


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2008/08/30

「アンデス少年ペペロの冒険」粗筋シリーズNo4

がんばれ!第10話から第12話
黄金のコンドルの歌

◆第10話「幻の白馬ジュピター」
 旅の途中で、ペペロ達は一頭の白馬を見た。仲間の居ないその白馬は、何か寂しそう。その白馬を狙っていたのは、村長とその息子で、彼等は何度も白馬を捕まえようとしたものの失敗してしまう。村長はペペロ達に「白馬を捕まえたら黄金のコンドルの居場所を教える」と話し、ペペロ達は白馬捕獲に参加する事に。

 やっとの思いで白馬を捕まえたペペロ達。川に落ちた白馬を助けたぺぺロ。白馬は、ペペロに心を開く。さて、黄金のコンドルの話しは全くの嘘で、村長は、ただ白馬を手に入れようとしたのだった。
だが村長は馬に乗ったことがなく、乗っても白馬を乗りこなせず振り落とされる始末…。

 一方ペペロ達は、川を越えるために筏を作っていた。ところが白馬の友達の駿馬が川にひそんでいた鰐に襲われ、殺されてしまう。ペペロたちも鰐に襲われ、絶体絶命…と思ったその時、白馬が現われ、鰐を倒すのだった。

 白馬の友達の駿馬の墓の前で、白馬に「ジュピター」と名付けるペペロ。その眼下に写ったのは、アンデスの空を翔る黄金のコンドルだった。

この話、良いですよ(^0^)/

◆第11話「謎のナルーアの宝」  
 突然大雨に見舞われたペペロ達。ケーナとチュッチュは皆から逸れてしまい、洞窟の中で一夜を過ごす。気がつくと其処は、聖なる所・ワカで、二人は「聖なる所を汚した」という理由で捕えられた。その中心人物は、呪術者ナルーアだった。

 チラからケーナ達が危険な目に遭っていることを知ったペペロ達は、ジュピターに乗ってワカへ向かい、柱に縛りつけられていたケーナ達を助け、ナルーアを問いだした。ナルーアは洞窟から出る怪物のうなり声のような自然現象を神の怒りの声と偽り、村人たちから黄金を騙し取っていたのだ。奪った黄金を隠していた洞窟は、大地の神パチャママの崇拝地だ。

 しかし彼には病気の子供が居るが、医者に見せるにはどうしてもお金が必要なのだ。「私は良い父親になりたかった…」と嘆くナルーア。その時洪水がワカを襲う。ナルーアは初めて人のために、大地を救うために祈る。ナルーアの祈りが通じたか、洪水は奇蹟のように治まるのだった。

この話で、「ワカ」「大地の神パチャママ」と言った、インカ文化(信仰)に纏わる言葉が登場します。
森羅万象に対する、信仰心が、インカにも同様にある事をはじめて知った、お話でした。


◆第12話「黄金のコンドルの歌」
 リト村へ帰るというセルジオという男と一緒になったペペロ達。セルジオは30年ぶりに故郷の村に帰るという。セルジオはケーナと同じ笛を持っていて、道すがりそれを吹いて歩いていた。それは、ケーナが吹いているメロディーと全く同じだった。その夜、そのメロディーを聞いたペペロたちは、その音の場所へ行く。それは、かつての恋人マルガリータの墓の前で、笛を吹いていたセルジオだった。

 その曲は、エルドラドの入り口である「ルバンの谷」で教えてもらったものだ、と話すセルジオ。彼は若いころ、マルガリータとの結婚を彼女の親に許して貰うためエルドラドへと旅立ったが、途中のルバンの谷で挫折し、30年間もそこで暮らしたのだ。セルジオはペペロ達がエルドラドへ行く、と言うことを知り「エルドラドへ行くのは止めて村へ帰れ」と告げる。

 数日後、村を竜巻が襲った。セルジオがマルガリータの墓の前に居るのを知ったペペロは、ジュピターを呼んでセルジオ救出に向かう。そしてやっとの思いで、セルジオを救出するのだった。「おまえはアンデスの神に選ばれた者」セルジオはペペロにそう言って、一同のエルドラド行きを許すのだった。

若きセルジオとマルガリータの回想シーンなかなか良いですよ!


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2008/08/29

「アンデス少年ペペロの冒険」粗筋シリーズNo3

今日も行きます!第7話から!
ペペロの冒険7

◆第7話「コンドルのいる白い峰」 
 村人から「翼のある蛇の峰」で黄金のコンドルを見た、という話を聞いたペペロ達は、その場所へ向かう。途中立ち寄った村で大きな雹に見舞われる。ペペロ達は近くの家に逃げ込んだのも束の間、その家も雹の重みに耐え切れずつ、今にも潰れそう。偶然その場にあった毛皮を被って、ペペロ達は危機を切り抜け、洞窟に避難する。

 翌日、「翼のある蛇の峰」を目指すペペロ達。ところが山の斜面に大事な食料を落としてしまう。自然の恐ろしさを知っているチチカカは、食料を拾おうとするペペロに警告するが、突然起きた雪崩に巻き込まれてしまう。足を負傷したアステコがペペロの救出に向かうが、チチカカ達のいる場所に帰る途中、目前に黄金のコンドルが…。

 実はこれは、雪山に太陽の光が反射して、普通のコンドルを黄金のコンドルに見せかけていたのだった。ペペロは、自然の恐ろしさを改めて知った。

◆第8話「ピューマの子守唄」 
 ペペロ達は獲物を咥えて飛ぶ鳥を見つけた。その鳥から助けてのは、ピューマの子供であった。 チュッチュは傷ついた子ピューマを不憫に思い、傷の手当をする。ところが子供に逸れた親ピューマが子供を捜している事を知ったペペロとアステコは、チュッチュにピューマを捨てろ、と言うが、チュッチュは傷が治るまで、と命ごいをする。

 やがてペペロ達の洞窟の周りを親ピューマが、徘徊し、外に出たアステコが怪我をしてしまう。子ピューマは次第に回復するが、その時チュッチュの前に親ピューマが。
 チュッチュは親ピューマに語りかける。「おまえの子供は怪我をしているんだよ。元気になったら帰してあげるから」―

 そして数日後、チュッチュは子ピューマを親ピューマに帰した。旅立つペペロ達を見送っていたのは、あのピューマの親子だった。

◆第9話「消えたカピタ神殿」 
 ペペロ達は火山の近くで、倒れている男を助けた。その男は火山の奥にあるカピタ神殿を守っていて、時折捧げものをしたり、お祈りをしていたのだ。自分の記憶が戻らない故に皆に迷惑をかけている、と責任を感じていたケーナは、その男に記憶を掘り起こす術をかけてほしいと頼む。術によって呼びさまされたケーナの記憶の断片は、何者かに担がれて渦の中に放りこまれ、流されたあげく石像の立つ川岸に打ち上げられた、という恐怖の記憶で、ケーナはその記憶にショックを受ける。

 翌日、ペペロはケーナが居ない事に気づき、一同でケーナを捜す。ケーナは、皆に内緒で火山の奥のカピタ神殿へ向かったのだ。そしてカピタ神殿にたどりついたケーナは、小さな石像を見つける。

 その時、地鳴りと共に神殿が崩れ、ケーナは自分を捜していたペペロ達と一緒に火山を脱出する。噴火によるマグマの中に消えるカピタ神殿。その一件で、ケーナが見つけた小さな石像が、自分が流されていた川岸にあった石像と同じであることを、ケーナは思い出すのだった。

 さて、ここ数日改めて「ペペロの冒険」を見直しております。やはり、記憶と言うか、長年の刷り込みと言うのか、記憶と違う箇所がポロポロと・・・・・。年を感じる今日この頃です(汗)。本放送の頃は、見終わったら、ほぼ話の筋や場面を覚えていましたけどね。

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2008/08/28

「アンデス少年ペペロの冒険」粗筋シリーズNo2

さて、第4話から!
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◆第4話「魔の湖を越えて」 
砂嵐の中を進むペペロ達は、遺跡で一夜を過ごし、暑い中大きな湖に辿り着いた。だがそこは悪魔がいるという「魔の湖」で、村人はペペロたちに「この湖を渡ってはならぬ」と警告する。この湖を渡らないと、ペペロ達はエルドラドへ行けない。

 二つのバルサで「魔の湖」に挑むペペロ達。しかし湖は霧に包まれ、ペペロ達とケーナ達のバルサは離れ離れになってしまい、舵に絡み付いた藻をとっていたアステコも湖に落ちてしまう。そんなペペロ達の危機を救ったのは、チラだった。

 島に上陸するペペロ達。その島でアステコは、食料のとうもろこしを見つけた。そして力を合わせて、魔の湖を越える。

 このお話、湖の設定は、「チチカカ湖」と思います。「バルサ」の船も登場しますからね。因みに現在の「チチカカ湖」は、ペルーとボリビアの国境に面し、大型の汽船が定期就航し、ボリビア海軍(!)の基地も有ります。


◆第5話「霧の中のケーナ」
 花畑で休んでいたケーナが、まだら蛇に咬まれてしまう。高熱を出したケーナは生死の境を彷徨う。ペペロとアステコは水を汲みに出かけるが、アステコは自分達だけでエルドラドへ行こう、と言う。しかしペペロはケーナ達を残して行く訳にはいかなかった。その会話を、チュッチュに聞かれてしまう。

 ケーナの様態は悪く、チレイ草という薬草を見つけて飲ませないと命にかかわる。ペペロとアステコは薬草捜しに出る。酒場のモンテはペペロ達が信用出来ず、薬草の有りかを教えてくれなかったが、ペペロたちの熱心さに負け、その有りかを教えた。しかし帰り道、濃い霧にさえぎられ、帰る道を見失ってしまう。その時、満身の力を込めたケーナの笛の音が聞こえ、ペペロ達はケーナ達の下に辿り着く。ケーナは薬草によって回復するのだった。

 酒飲みモンテに、「薬草の在り処を知りたかったら3回、まわって「カー」と鳴け!」、ペペロは、其の通りに!その仕草が何かかわいそうで・・・・。

◆第6話「命のつり橋」
 ユパンキじいさんの家に一夜の宿を求めたペペロ達。ユパンキじいさんは若い頃、滝の裏の抜け道を通って行った、と話す。アステコは滝の裏の抜け道を通って行こうというが、ペペロは皆の為、安全な道を通って行こう、と言う。しかしそれがきっかけで、二人は対立し、アステコはチュッチュを連れて川へ行ってしまう。しかしアステコが信用した滝の裏の抜け道の話は、実はユパンキじいさんのホラ話(!)。

 イカダで川を下るアステコ達に、ペペロ達は本当の事を告げる。川の前には大きな滝がある。危機に曝されたアステコ達は、ペペロ達の言葉を思い出し、赤い大つり橋を目指す。そして大つり橋で、失意にかられるペペロ達とアステコ達は再会する。

 今思い出してみると、午後7時の放送開始は、辛かったな~。ホント、部室に顔を出そうものなら、帰れなくなるし(汗)、着替えもせずに、制服のまま必死にチャンネルを合わせ、画面に見入った事が、何度あったことか!

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2008/08/27

「アンデス少年ペペロの冒険」粗筋シリーズNo1

「アンデス少年ペペロの冒険」粗筋シリーズNo1(各放送の予告編を基礎に作文してます。)
何処まで続くか?!奈津子も頑張ります!(しっかりDVD見るぞ!)
エルドラドへの旅立ち

◆第1話「エルドラドへの旅立ち」 
 10歳の誕生日を迎えたペペロは、誕生日の翌日、水汲み場でアンデスの空を翔る「黄金のコンドル」を見た。母アニータにその事を話すが、母は、顔色を変え、話題を逸らそうとする。ペペロは、「黄金のコンドル」の事を村の長老に話すと、彼は7年前に村を出た、ペペロの父カルロスの話しをする。

 カルロスも「黄金のコンドル」を見て、貧しいインディオを救う為、村を豊かにする何かを求めて、エルドラドへと向かったのだ。長老の家からの帰り道、ペペロは、旅の途中らしいケーナという少女と、チチカカという老人に会う。

 エルドラドへ行くことを望んでいたペペロだったが、母は許してくれなかった。その話しを聞いたチチカカは、ケーナが「黄金のコンドル」のいる所に居たと云う事、そして彼女が記憶を無くしていることを話す。「黄金のコンドル」はエルドラドにいる。母もペペロの旅を許し、ペペロはケーナ、チチカカと共に旅立つ。

◆第2話「さらばインディオの村」 
 ペペロ達はある村で、アステコという少年に出会う。アステコは川に水を汲みに出かけたペペロに喧嘩を仕掛け、桶を流した上にリャマのドンキーを連れ出してしまう。彼はペペロの父は黄金目当てでエルドラドへ行ったのだ、と思い込んでいたのだ。しかしアステコは、旅をしているペペロたちが羨ましかったのだ。

 ペペロ達と旅をしたいアステコだったが、兄弟達を置いて行く訳にはいかなかった。そんな彼の気持ちを知った家族たちは、アステコを旅に出すのだった。こうしてアステコは、貧しい家を救う為ペペロ達とエルドラドへの旅に加わる。

◆第3話「サーカスの少年チュッチュ」
 サーカスをやっている村にやってきたペペロ達。その村で、サーカス一座の一員であるチュッチュという少年からチラシをもらったペペロたちは、荷車の修理を手伝ったユッカロ家の住人の勧めでサーカスに行く。チュッチュは母親との約束で、親方が行方知らずの姉を捜してくれる、と信じていたが、サーカスでは失敗ばかりで、ドリゴー親方から虐待を受けていた。しかもドリゴー親方は、母親との約束である「姉捜し」をせず、サーカスで金儲けをしていたのだ。

 チュッチュをなんとか救おうとするペペロたちは、サーカスに出演し、観客に「チュッチュを旅に出したい」と問いかける。観客の答えに、ドリゴー親方はチュッチュをペペロたちとの旅に出すのだった。


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2008/08/26

「アンデス少年ペペロの冒険」にもう少しお付き合いを

「アンデス少年ペペロの冒険」をもう少し。

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 オープニングは、フォルクローレの旋律を伴って始まります。
 正に南アメリカ!アンデス山脈のイメージ。(^0^)/

 少年の勇気と冒険心を力強く歌う、堀江 美都子さんの澄み渡った声が本当に素晴らしいですね。
「黄金のコンドルよ 大きな羽根を広げて この僕をエルドラードへ・・・・・・」。この謡い出しで、思わず座りなおした10代半ばの私。堀江さんの歌はどれも大好きですが、この曲が私はナンバーワンですね。
 このアニメは昭和50年の作品で、私は、本放送第1回目から全部見ました。週明けの月曜日なので、部活やら委員会やら、ビシバシ跳ね飛ばして帰宅。午後7時より午後7時30分迄は、テレビの前から絶対不動状態!(当時、ビデオデッキやDVDは無いからね!)

 10歳の誕生日に、黄金のコンドルを見た、少年ペペロが、生き別れとなった(貧しいインディオを助ける為エルドラドの秘密の宝を探しに行った)父親を探す為、インディオの少年アステコ、お姉さんを探す少年チュッチュッ、老ガウチョのチチカカ、過去の記憶を失った少女ケーナ、更には謎の白馬ジュピターと共に、伝説の黄金のコンドルを追って、アンデスの山々や、秘境を巡り、ついには秘密の黄金都市、エルドラドに辿り着く物語です。

 最終回直前、いざエルドラドについてみると、当の父親が陰謀による冤罪で、死刑に処せられる直前だったり、エルドラド王家がクーデターによって倒されるところだったりと、子供向けでありながら非常にワクワクさせられました。冒頭のエルドラドの秘密の宝も、それが何か解ります。

 一緒に旅をする記憶喪失のヒロイン(ケーナ)が実はエルドラドの王女だったと最終回に明かされ、その王女とペペロは、結婚の約束をして最後別れたりと、ロマンスのドキドキを10代半ばながら最初に意識した、物語で有ったかもしれません。
(ケーナは、大きくなったら、神馬ジュピターに乗って、ペペロの故郷タルサに向かうのです。)

 インカ帝国やフォルクローレを趣味とする奈津子の原点的作品だと思います。

 奈津子は、26話の中で、第1話「エルドラドへの旅立ち」、第9話「消えたカピタ神殿」、第19話「よみがえれ太陽の都」がお気に入りです。(^^)

Drモルツの12週間で自分を変えるイメージプログラミング

2008/08/25

ジブリ作品で、私のお気に入り作品から。

このブロクを開設して、40日と少々に成ります。
この間、訪問して下さる、方々も本当に増えました。
私の文書に、賛同や、懐かしい等のコメントを頂き本当に有難うございます。
訪問された皆さんには、何らかの形で、返信しているのですが、どうも全て方々を網羅す事ができません。
ここで、改めて、お礼を申し上げると共に、今後とも、叱咤激励宜しくお願い申し上げます。

「おもいでぽろぽろ」
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副題:~私はワタシと旅に出る~
英題:Only Yesterday

原作:岡本螢、刀根夕子
監督・脚本:高畑勲
プロデューサー:鈴木敏夫
音楽:星勝 
主題歌:「愛は花、君はその種子」都はるみ

 物語は、主人公のタエコ、そして相手役のトシオ。
東京で、OL生活を送りながら、暮らすタエコが、山形に嫁いだ姉の家に向かう、夜行列車の中で、小学生5年生だった頃の自分を思い出す。

 回想シーンに現れる、時代背景を見事に描写した箇所唸ります。「ひょっこりひょうたん島」、タエコが、手に持っている雑誌が「マーガレット」だったり、小学校のホームルームの時間(私の頃は、学級反省会)のシーンは、私も思い出ぽろぽろです。

 現在のシーン、トシオがタエコを迎える山形駅に到着する、「あけぼの3号」、シルエットで描かれた、ED78型,EF71型といった、板屋峠の主力機関車の姿、トシオの愛車「スバルR2」等等、大変行き届いた考証が、なされていると思います。
又、物語の中で語られる、有機農業、農業政策、紅花の話は、大変参考になりますね。特に「田舎の風景は、皆、人間が創ったもの」言うトシオの言葉に「えっ!」と思ったのは、私だけでないはず。

 高畑監督ならではのリアルでデリケートな人物描写が印象的ですが、タエコ役の今井美樹とトシオ役の柳葉敏郎が、あまりにアニメの二人と似ているという点でも微妙な評価を得ています。

 そもそも映像化が難しかったのではないか?ジブリらしくない作品、という評価もあるようですが、ジブリを代表する作画監督、近藤喜文の力量が存分に発揮されていることについては、誰も反論することは出来ないでしょう。

ドクターモルツ | 成功するための思考法
2008/08/24

この作品も忘れてはいけない。

ブロクを通じて、お知り合いになった方の、「アンデス少年ペペロの冒険」の記事を拝見して・・・・。
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 私は、音楽ジャンルで、フォルクローレが大好きなのです。このキッカケに成ったのが、サイモン&ガーファンクルの「コンドルは飛んでゆく」でありまして、これに拍車をかけてくれたのが、「アンデス少年ペペロの冒険」何ですね!
更に、インカ、アステカ、マヤと言った、南アメリカの歴史に興味を持った原点でもあります。

 高校時代から今迄、「何でフォルクローレやラテンアメリカが好きなの?、興味を持ったの?」と聞かれた時、説明にあたって、上記のタイトル+「母をたずねて3千里」が登場するのです。

 「アンデス少年ペペロの冒険」、内容もアンデス山脈を舞台にした、インディオの少年、少女の冒険物語で大好きだったけど、最初の放映時、オープニングが、「コンドルは飛んでゆく」に余にもそっくりで、テレビの前で座りなおしましたね!

 因みに「母をたずねて三千里」のオープニング「草原のマルコ」も歌詞が、見事に南アメリカですものね。
あの歌詞で、「山も無く、谷も無く、なにも見えはしない」の部分は、現地を訪れた制作スタッフの直接の感想でそうです。

アンデス少年ペペロの冒険(1975~76放送。毎週月曜日:19時より放映)
オープニング:「ペペロの冒険」歌:堀江美都子
エンディング:「風よつたえて」歌:堀江美都子・ムーンドロップス
作詞:楳図かずお
作曲:山下毅雄
編曲:筒井広志
制作会社:ワコープロ(だったかな:汗)

 堀江 美都子さんの歌声は、今も素晴しい!このオープニングもテンポ良く、伸びやかに歌われています。作詞はあの漫画家の梅図かずお氏(!)ご本人、お兄様が番組構成に携わっていらっしゃったのがご縁との事。
 黄金郷エルドラド目指して、ペペロ、アステコ、チュチュ、チチカカと一緒に旅する、過去の記憶を失ったヒロインの名前が「ケーナ」で、サンポーニャを奏でたりします。

 DVDも発売されました。私は、ヤ○オクで安価に8巻購入しました!(^^)/(今でも時々見てます)

母をたずねて三千里(あえて何も言いません)
原作:エドモンド・デ・アミーチス「クオーレ」(Cuore)より「Dagli Appennini alle Ande」(アペニン山脈からアンデス山脈まで)
オープニング「草原のマルコ」歌:大杉久美子
作詞:深沢一夫、
作曲編曲:坂田晃一

エンディング「かあさんおはよう」歌:大杉久美子
作詞:高畑勲(!)
作曲:坂田晃一
編曲:小六禮次郎(!)

挿入曲にもフォルクローレ、ラテン、タンゴ調有り。

内容は、私があれこれ書くより、ファンサイトを見て下さい。
只、原作は、短い作品なので、物語の大部分は、制作スタッフの相当の努力が有ったと聞いています。
PS:私が、カラオケで、「草原のマルコ」を歌うと、お開きの合図となります。(何で?)

稼げる123アフィリエイト
2008/08/23

今日、ジロくんを連れて、フェラリアのお薬を貰いに行きました。

以外と誤解の多い、フェラリア予防薬の知識。

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先生からのパンフレットを要約。

 予防薬は、月に1回飲ませていますよね?(多少忘れたりすることもあるでしょうけど。)
この薬は、1回飲ませるとその時だけ1回効きます。
あれ?、1カ月間ずーっと効いてるんじゃないの?とお思いの方は考えを改めてくださいね。
 
 改めて、その時1回だけですよ、効くのは。

 しかも、蚊に接触しやすい、屋外に居るワンくんは、毎日吸血されているはずです。
蚊に刺されない為の薬ではありません。

 では、フィラリア予防薬の効果は如何にと言えば、1カ月間自由に蚊に吸血させておくわけです!
ワンくんには悪いけど...。そして吸血される時に、蚊から、ワンくんの体の中に入ってくるフィラリアの幼虫を1カ月間貯めておいて、最後に薬を飲ませて一挙に幼虫を殺すわけです。
ですから、薬は1カ月間、薬効が持続する訳ではなく、、蚊にも刺される訳ですから、お間違えの無い様に。

◎予防薬は感染幼虫の駆虫薬

 以上の理由で、ワンくんは1カ月に1度駆虫薬を飲んでいる訳ですね。
体のどこかで死んだ感染幼虫は、体が処理してくれます。
しかし、薬を飲まなかったために死を免れた幼虫は心臓に到達して成虫となります。この状態では、フィラリア予防薬は効いてくれません。
心臓へ到達する前の感染幼虫に、予防薬は効くわけで、心臓へ行くのを防ぐと言う事で、予防薬と言っている訳です。

◎地域によって予防薬投与時期は様々

 蚊の体内に居る、フィラリアの子虫が発育して、感染幼虫という状態になる迄には、ある程度の平均気温が必要となります。その平均気温に達すると、蚊の体の中にいるフィラリアの子虫は、感染幼虫となってワンくんの体の中に入る事ができるのです。

 この平均気温は、地域によって異なります。現在HDU(Heartworm Development heat Unit)という概念のもとで、この平均気温を割り当て、感染開始と終了時期を知ることができます。
1989年と1998年では、約1カ月間もHDUが伸びて、地球の温暖化傾向も、はっきりと現れています。

 さて、感染開始時期は5月上旬になってますから、薬を飲ませ始める時期は、5月末からで良い訳です。そして感染終了時期は11月中旬ですから、最後のお薬は11月の末に飲ませて、終わりとなります。ですから九州の様に暑い期間の長い地域の例では、毎月の30日に飲ませた場合7カ月間続ける事が絶対必要なんですね。

「究極の法則」 by ダン・ケネディ
2008/08/22

久しぶりに「十二国記」のお話です!

以前、たらたら書いた「十二国記」
もう他にないの?と言うお言葉に甘えて(調子に乗って)書きます!

雁国
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延王・小松尚隆

500年の治世を誇る大国・雁の国王。元は瀬戸内の小国・小松氏の三代目。破天荒で大胆な性格。剣の達人。

「麒麟が選んだのだから、文句があれば麒麟に言え、と思うことだな」 (月の影 影の海)
王としての自信がもてないと悩む陽子へのアドバイス(笑)。さすが延王!

「任せておけ、と言ったろう」 (東の海神 西の滄海)
建国まもない国に内乱はつきもの。麒麟の延麒には負担をかけず、自らの力を頼んで突き進もうという気概がかっこいい!

「・・・・・あまり心配をかけるな」 (東の海神 西の滄海)
延麒を背負ってかすかな声で。くく~っ。泣かせますな~。

「民のいない王に何の意味がある。国を頼むと民から託されているからこそ俺は王でいられるのだぞ!」
「俺はお前に豊かな国を渡すためだけにいるのだ、・・・・更夜」 (東の海神 西の滄海)
いつもちゃらんぽらんに見える延王だけど、心の底に潜む想いは誠実そのもの。まさに王としての気概があふれています。

「・・・・・うるわしき同族愛だな」 (風の海 迷宮の岸)
もう、延王さまったら・・・。

「迷っているときは、吟味している、と言え」 (風の万里 黎明の空)
なかなか良いアドバイスですな~。よーし、私もそうしよっと。この文句最高!会社で使える!

「――そうなればきっと、俺は雁を滅ぼしてみたくなる・・・」 (風の万里 黎明の空)
ううっ。危険発言なり。ちょっとロイエンタールちっくである。危ないじょ・・。この発言でかなりの数の乙女の心を惑わせたらしい(笑)・・・。

Drモルツの12週間で自分を変えるイメージプログラミング

2008/08/21

「天空の城 ラピュタ」ジブリのファンになった作品。

天空の城 ラピュタ
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副題:~ある日少女が空から降ってきた~
英題:Castle in the Sky
原作・監督・脚本:宮崎駿
プロデューサー:高畑勲
音楽:久石譲
主題歌:「君をのせて」井上杏美

●物語について
 空を飛ぶことに憧れる、宮崎監督の思いが、見事に映像化された、軽快な冒険活劇アニメーションです。スタジオジブリとしての第一作目であり、舞台設定、人物設定、メカ設定等、音楽、カットの一枚一枚、私のお気に入りの作品です。

 19世紀終わりから、20世紀初頭のイギリスの炭坑をモデルとした谷間の街(我が谷は緑なりき:見ましたか?)を舞台に、古代の超文明ラピュタの末裔である、ヒロインの少女(シータ)を救い出す、ヒーローの少年(パズー)の活躍と成長を主軸に、味方の空賊、敵役の軍人などの、特徴ある(個性豊かな)キャラクターが、テンポのある舞台を作り上げています。

 又、スイフトのガリバー旅行記や、古代インドの叙事詩ラーマヤナ、更には、アトランティス大陸伝説をベースにした幻想的な世界観が物語に悠久の奥行きを与え、宮崎監督お得意の摩訶不思議な飛行メカやロボット兵が、作品のリアル感を盛り上げています。

 ジブリで最高のアニメーションを選ぶのはとても難しいのですが、天空の城ラピュタを一番にあげるファンが多いのも十分に納得できるところです。

 余談ですが、NHKアニメ「不思議の海のナディア」と微妙に重なるストーリーの裏事情として、元々天空の城のラピュタの企画はNHKの連続アニメ向け(未来少年コナンの後番組)に宮崎駿が提案したものであり、その企画を元に制作したのが、実は「不思議の海のナディア」だった、と言う事実が有ったりします。(以外でしょ!)

Drモルツの12週間で自分を変えるイメージプログラミング
2008/08/20

今日は涼しいですね。虫の音に誘われたて・・・・

やぎ座の神話
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やぎ座の神話 ~あわてた牧神~

 古代ギリシアの人々は実にさまざまな動物を想像しました。山野には「サテュロス」といって、山羊の手足と角を持った髭だらけの動物が棲んでいると考えていました。その仲間に牧神パンが含まれていました。
 パンは昼寝が大好きで、騒がしい物音などで安眠が乱されるのをひどく嫌っていました。彼は何かに驚くと、どうしていいら分からなくなり、自分を抑えることが出来なくなることが多かったのです。このことから「パニック」と言う言葉が生まれたといわれています。
 
 ある時パンは、山を降りてきたニンフ(妖精)、シュリンクスにばったり出会いました。彼女は狩の女神アルテミスの従者です。その可愛い姿に、パンは一目ぼれしてしまいました。しかし粗野なパンの姿を見たシュリンクスはビックリして逃げ出しました。
 
 森に住むニンフの足は思ったより速い。羊の足で走るパンもなかなか追いつけないほどです。2人は追いつ追われつして、とうとう川の堤みまで来ましたた。追い詰められたシュリンクスが、父の川の神に救いを求めました。
 
 パンはついにシュリンクスの腕を捕らえたと思いましたが、彼の手には川辺の葦があるだけでした。辺りを見回してもシュリンクスの姿は消えていしまいました。パンがしばらく呆然としていて、やがて思いついて、葦の茎を切、何本か合わせて笛を作りました。この笛にシュリンクスの名をつけ、パンは心を込めて吹いた。
 
 この葦笛は今日では「パンの笛(パンズ・フルート)」と呼ばれる。葦の茎を長短さまざまの管に切手、音程の順に並べて物で、パイプオルガンの原型とも言われています。
 
 パンはこの笛をいつも持って歩き、美しい調べを奏でていました。神々の集まりがナイル川のほとりであった時、パンはいつものように葦笛を吹いていました。そこへ百の頭を振り上げる怪物テュフォンが現れたのです。そのすさまじいほえ声に驚いた神々は、それぞれ動物に姿を変えて逃げました。パニックに陥ったパンは、そのままの姿で川の浅瀬に飛び込みました。そのため、水に浸った部分は魚の姿に変わったが、水から出ていたところは元の姿のままででした。その姿を大神ゼウスは星座にしたと伝えられています。 

 実はやぎ座の起源はもっと古く、紀元前7~6世紀までさかのぼります。その頃の冬至点(冬至の太陽が位置する点)はやぎ座にあったそうです。北半球では、太陽は冬至の時に南に最も低くなり、その後少しずつ北に向かってあがってくる。これを岩山によじ登る羊にたとえたと言われています。

やぎ座を探そう!
 
 やぎ座はいて座の東(左)にあります。3等星以下の暗い星からなるさびしい星座にも関らず、黄道上に位置するので、古くから注目されてきました。その面積はかなり広く、探すのがなかなか難しいです。そこで、他の星座からやぎ座を探すことにしましょう。
 
 頭上を仰ぐと、天の川を挟んで、七夕の夫婦星である、こと座のベガとわし座のアルタイルが輝いています。天の川の東(左)岸に位置するアルタイルは、左右にそれぞれ1個ずつ、3~4等星の星を伴っています。これらの星は一直線に並んでいいます。この線を地平線方向(左下)5倍ほど延長すると4等星にいたります。これが、やぎ座のゼータ星です。
 
 ゼータ星から左へ10度ほどのところには3等のデルタ星がある。ゼータ星を挟んで、デルタ星と対照の位置には4等と3等の星が並んでいます。上がアルファ星で、下がベータ星です。やぎ座で最も明るいのはアルファ星ではなく、ベータ星のほうです。
 
 デルタ星とベータ星からは、ゼータ星の真下に向かって暗い星の列が流れてきて、4等のオメガ星で合流します。これらの星は樹立した二等辺三角形を形作っています。ベガとアルタイルを結ぶ線をアルタイルからほぼ同じ距離だけ南東に伸ばすと、この二等辺三角形の中央部に達します。
 
 やぎ座の二等辺三角形から上半身が山羊、下半身が魚の姿を想像するのは容易ではありません。アルファ星とベータ星が山羊の角にあたり、デルタ星が魚の尾に位置しています。

 参考文献:星座の四季 藤井 旭


Dr.モルツで自己啓発


2008/08/19

東映漫画でどうしても忘れられない作品

『太陽の王子 ホルスの冒険』(1968年)
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高畑勲監督、宮崎駿・大塚康雄製作

 主人公の少年ホルスが、同じ孤独を分かち合う少女ヒルダ(実は悪魔グルンワルドの魔法によってその妹にされてしまっている)が、人間としての人格を取り戻す迄を描いています。

 脚本も単純な勧善懲悪ではなく、悪魔の妹であるヒルダが、悪魔としての人格と、人間としての善良な人格をあわせ持つことで葛藤し、少年ホルスが村人達と協力してその善良な側面をヒルダの命と共に救い出すという物語で、ホルスがヒルダと剣を交える場面もあります。

 秀逸なのはヒルダとの戦いによって、少年ホルスが「迷いの森」という、一種の精神世界のようなところへ突き落されたあとの抽象度の高い一連の描写。「迷いの森」の中でホルスは、悪魔としての孤独なヒルダをどうすれば、人間世界に連れ戻す事ができるのか、その苦悩が心象風景として描かれているのです。

 「太陽の王子 ホルスの冒険」は、高畑勲、宮崎駿の二人がその後生み出していく「ナウシカ」や「もののけ姫」の原型の様に思えるのです。心の中に深い孤独と葛藤を抱き、ホルスに向かって剣をふりおろす残酷さをもちながら、表情に乏しい少女ヒルダは、容易にナウシカやサンを思い出させます。特に、異性に対する恋愛感情を全く表情に表さない演出は、一貫していると思います。

 又、村人たちが協力して鞴(ふいご)を動かし「太陽の剣」を鍛える場面は、容易に『もののけ姫』のたたら場の場面を連想させるのです。この様な、群集が一致団結した力強さを描く場面の、演出法も、今に至るまで殆ど変わっていないと思います。

 尚、ホルスの冒険の舞台は、原作段階で蝦夷地の予定でしたが、東映側の意向から、北欧に変更されました。後年の「もののけ姫」との共通点を感じるのは、私だけでしょうか?

「究極の法則」 by ダン・ケネディ
2008/08/18

ジブリも良いけど、貴方は、東映作品を覚えてますか?

「白蛇伝」
1958年(昭和33年)、日本初の長篇カラーアニメ、東映動画第一号作品。
東宝の「白夫人の妖恋」(1956年)のリメイク企画

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 東映で製作された、総天然色で80分の長編漫画映画(注:アニメーションなる単語は存在しない)としては記念すべき本邦第1作目の映画です。
原作は、京劇でもおなじみの、中国の民話「白蛇伝」を題材とした恋の物語になっています。

 時は宋の時代、中国の西湖のほとりに住む許仙は、ある時、美しい娘・白娘を見かけて恋に落ちます。白娘の正体は、許仙が子供の頃にかわいがっていたのに周りの大人の反対で泣く泣く放した蛇の化身・白蛇の精でした。

 僧侶の法海は白娘の正体が妖怪変化である白蛇の精だと知って、許仙を救うつもりで白蛇と法力で対決します。白娘は法海との戦いに敗れて白蛇に戻りますが、許仙に正体を知られまいと幻を崖から身投げさせたところ、なんと彼女を追いかけて許仙は、崖から落ちて亡くなってしまいます。白娘は、愛する許仙を生き返らせるために、宇宙のかなたの龍王星の龍王の元へ飛ぶと、妖術を捨てて人間になる事を条件に命の花を貰おうとします・・・・・・。

 50年近く前の漫画映画、更に本邦第1作ですから、現在の技術水準で、云々する作品ではありません。
 しかし、実に細部至るまで、丁寧に作られたスタッフの情熱が充分に伝わってくる名作だと思います。動きや表情がとても魅力的な映画ですね。もちろんディズニー作品等も参考にしているのでしょうが、最初に手がける作品として「白蛇伝」という素材を採り上げたのは、充分成功であると思います。

 ここで驚くべき事に、声を当てているのが森繁久彌と宮城まり子のおふたりで、ナレーションも含めてすべての配役をこなしています。芸達者なおふたりだけあって、余りそんなことを意識しないで見ることが出来ます。また、全編通してフル・オーケストラの音楽が流れる構造にしていることも、かなりの力の入れ方が判ります。却って今の日本ではこういった工程で作品を作ることは難しくなっているのではないでしょうか。今でも人に見てほしい、漫画映画の1本だと思います。

 私が「白蛇伝」を見たのは、昭和44年頃、ストーリーもアニメと京劇が、少々交じり合ってますので、上記の粗筋は、ちょと心配です。(汗) たしかパンダが、登場したと思いますが・・・・。

Drモルツの12週間で自分を変えるイメージプログラミング
2008/08/17

「となりのトトロ」は如何でしょう?

今日は、腹立たしい事1件。
奈津子は、帰宅して一番最初に自室で行うのは、パソコンの起動です。
ブロクを通して、お知り合いになった皆さんのご意見やご感想をいただく事が、大変嬉しいのです。
けれど、ついに今日、「荒らし」に遭遇致しました。
内容は、最低、最悪極まるものとコメントしておきます。

最近、どうも悲しい話ばかりなので、話題の方向を変えましょう!
「となりのトトロ」
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英題:My Neighbor Totoro
副題:~このへんないきものはまだ日本にいるのです。たぶん
原作・監督・脚本:宮崎駿
プロデューサー:原徹
音楽:久石譲
主題歌:「さんぽ」「となりのトトロ」井上あずみ

●物語について
 トトロはへんないきものですが、今や国民的アイドル?で、スタジオジブリのイメージキャラクターにも抜擢されました。
 ラピュタの冒険活劇路線がいきなり童話の世界に変わり、最初、驚くやらがっかりしたジブリファンも多かったことでしょうが、昭和30年前半頃の埼玉県所沢「松郷」を舞台とした、郷愁溢れる叙情詩は、発表から20年たった今でも多くのファンを惹きつけ、大人から子供へと語り継がれる童話あるいは民話、もしかすると伝説に近い状態となっています。
 また、久石譲の名曲の数々、中でも「さんぽ」は、日本中おそらく知らない子供はいないと思われるくらい、あらゆる幼稚園、小学校で、今もなお繰り返し唄われ続けています。

 作品の終盤、「さつき」が「めい」を探して走る、松郷への道。
あの夕焼けをバックにした風景は、私が幼い頃、僅かな期間生活した、粕屋郡古賀町(現古賀市)の花見地区を思い出します。
其れ位、見る人達に、何か郷愁を思い出させる作品ではないでしょうか?

ドクターモルツ | 成功するための思考法
2008/08/16

少し気分を変えて、星座に因んだギリシャの神話

なぜ、北極星は沈まないのか?(ギリシア神話的解法)
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    オリンポス山

 万人の王たる神の王ゼウスは、好色として知られています。(神様が好色とは・・・)ゼウスの妻ヘラは、非常に嫉妬心の強い女神でゼウスが、他の女性に目を移すと、相手の女性やゼウスとの間にできた子供に、様々な酷い仕打ちを加えるのでした。(まあ、解らん事もないが・・・)

 あるとき、ゼウスはカリストという女猟師を好きになりました。カリストは月の女神アルテミスの侍女でありながら、活発で男勝りの女性だったそうです。ゼウスはヘラに見つからぬように彼女にアプローチし続け、アルテミスの姿に変身して(!)とうとうカリストと交わります。
 その結果、カリストは1人の男の子を産み落とします。これに怒ったヘラは、カリストを1頭の大きな熊に変えてしまいました。自分が熊に変えられたと知ったカリストは嘆き驚きました。

 時は流れて、カリストは猟をしていた1人の若者に出会います。その若者が、自分の息子アルカスの成長した姿だとわかると、カリストは自分が熊に変えられているのも忘れて、息子のもとへと走り寄って行きました。若い狩人は近寄ってくる大きな熊に驚き、手にした長い槍で、その熊を突き刺そうとしました。
 正に其の時、ゼウスが2人の姿を認め2人を星座にして天上に置きました。この2人の親子がおおぐま座とこぐま座です。このようにして神の戯れに、人生を弄ばれた哀れな親子は、星座になって人々に崇められるようになりました。

 自分の夫の浮気相手が、人々に崇められていると知ったヘラは、猛烈に怒りましたが、もはやどうする事もできません。ヘラはポセイドンの前の海の支配者であるテテュスとオケアノスという2人の年老いた神の所に出向き、自分の置かれている境遇を訴えました。このヘラの憤怒に負けたのか、2人の神はヘラの要望を聞き入れ、星になった親子を海に沈ませないようにしました。(神様の世界でも無理が通るのね)

 この為、おおぐま座とこぐま座は、他の星座と異なり地平線の下に沈むこと無く、何時も、天の上側のみを動くようになったのです。現在はこぐま座α星に北極星が位置しているため、何時でも、こぐま座を見ることができるのです。因みにこの2つの星座とも、熊にしてはしっぽが長すぎます。これは、ゼウスが2人を天に上げる時に、しっぽを持って投げた為と言われています。(おいおい)

Dr.モルツで自己啓発



2008/08/15

「銀河鉄道の夜」

星を眺めて、思い出すもうひとつの銀河鉄道
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「銀河鉄道の夜」猛烈省略粗筋!!(イラストに惑わされない様、ご注意999では有りません)

初めて、「銀河鉄道の夜」を読んだのは、小学2年生か3年生の頃。

 ジョバンニとカムパネルラは、幻の列車に乗って旅をする。列車の中では、様々な人達と出会う。その列車は何処へ向かうのか? 列車に乗る乗客達とは何者か?そしてジョバンニとカムパネルラの2人を待っていたものとは・・・・・!?

 ジョバンニのお父さんは北へ漁に行き、お母さんは病気。ジョバンニは学校に行きながら、活版所で働く。ザネリなど友達にからかわれるが、心の優しいカムパネルラはいつも気の毒そうにしている。ジョバンニは丘に登り、草の上で寝てしまう。そして、いつの間にか、銀河鉄道に乗っていた。列車の中には、カムパネルラが居た。
 でも、カムパネルラは少し顔色が青ざめていた。そして、「皆はね随分走ったけれども遅れてしまったよ。ザネリもね、随分走ったけれども、追いつかなかった。」と言った。ここで、私は、疑問に思った。 
 この文章の意味は、最後まで読んでやっと解る。カムパネルラはこの列車に乗ったときから死んでいたのだ。皆が遅れたというのは、助けようとしたけど助けられなかった事を意味している。

 しばらく列車が進むと、カムパネルラが、「おかあさんは、僕をゆるしてくださるだろうか。」と言う。
カムパネルラのお母さんはもうとっくに死んでいる。だから、カムパネルラが死んだ事をお母さんが許してくれるか心配だった。カムパネルラの死は、人を助けたことだからお母さんはきっと許してくれると思ったのか。

 やがて列車は、どんどん進んでいろいろな人と出会い、別れていく。北の海の事故で死んだ、姉弟と家庭教師が天上に向かうための銀河鉄道を降りカムパネルラとジョバンニの2人だけになる

 ジョバンニは、「きっと皆の本当の幸いを探しに行く。何処までも僕達は、いっしょに進んで行こう。」と言うと、カムパネルラも、「ああきっと逝くよ。」と答える。
でも、しばらくすると、カムパネルラの姿が見えなくなってしまう。激しい悲しみと共に、目が覚めた。

 銀河鉄道の旅の途中でジョバンニとカムパネルラと別れなければならなかったのは、カムパネルラが、死の世界に向かう途中だったからと言うのが最後に解る。

作品の背景(独断感想文)
妹(トシ)の死 

 賢治は、妹のトシをとても大切にしていました。それは、トシが賢治の執筆活動を手伝い、作品に強い理解を示したいたからです。そのトシと26歳で、死別したことは、賢治にとって衝撃的な出来事だったのです。「永訣の朝」「松の針」「無声慟哭」を読めば良く解ります。そのトシが死んでから2年後に、銀河鉄道の夜の初稿が起草されました。

 話が前後しますが、賢治は、日記をつけず、短歌や詩がその代わりでした。トシの死から1年、賢治は「風林」と言う詩を残しています。その年の7月、賢治は樺太鉄道に乗って北へ旅をする。なぜ北へ向かうのか?北は、天に最も近い所と彼が信じたからでしょう。この北への旅が、「銀河鉄道の夜」の原点なのです。

 例えば、樺太鉄道の終点は、オホーツク海に面した浜栄であり、これは、「銀河鉄道の夜」の白鳥の停車場と思えるのです。浜栄駅から浜栄海岸はすぐ近く、白鳥の停車場からブリシオン海岸もすぐ近くです。この様に北への旅は、「銀河鉄道の夜」とオーバーラップする場面も多い事に気づきます。

 さらに、主人公のジョバンニが、生きている賢治本人。カムパネルラは、死んだトシの反映になのです。トシの死をきっかけに北へ旅した賢治。「銀河鉄道の夜」の原点は、ここでしょう。
一度「銀河鉄道の夜」を読んだ方々もジョバンニと賢治、カムパネルラとトシの関係を踏まえて、再読すれば、きっとこの作品がもっと理解できるのでは。

「究極の法則」 by ダン・ケネディ

2008/08/14

明日は、8月15日

この季節になると、思い出されるアニメ作品
「火垂るの墓」
原作:野坂昭如
監督・脚本:高畑勲
プロデューサー:原徹
音楽:間宮芳生

英題:The Grave of the Fireflies
副題:~4歳と14歳で生きようと思った~
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●物語について
 内容、極めて重いです。
 大東亜戦争という大きな禍の中、自分一人でさえ生き抜くのがやっとという状況で、どうやって幼い妹を救うことができるのでしょう。

 原作者、野坂昭如さんの実体験に基づいた、たぶんに、亡くされた妹さんへの贖罪という意味を含んだ「火垂るの墓」は、平和なこの時代にこそ、その悲しみと悲惨さを伝えておきたいという野坂昭如さんやジブリ(高畑監督)の意図とは裏腹(?)に、極限状況における人間のモラルや、かつての軍国主義時代の反省といった、議論の俎上にあげられ、韓国では、上映の無期限延長といった事態に発展してしまいました。

 しかし、一番の問題は、この時の同時上映作品が「となりのトトロ」であり、何も知らないで、トトロで幸福感に包まれた家族連れが、引き続き「火垂るの墓」で悲しみのどん底に突き落とされ、苦情が続出したということかも知れません。

 なお、「火垂るの墓」は国内はもちろん、海外でも高い評価を受け、日本カトリック映画大賞、ブルーリボン特別賞、文化庁優秀映画、 国際児童青少年映画センター賞、国際児童映画祭・最優秀アニメーション映画賞など、数多くの賞を受けています。

 蛇足ながら、奈津子は、「火垂るの墓」のDVD等、所有してません。やはり、内容が重過ぎて涙なしに、見ることができないからでしょうか?(私の亡き母は、涙なしに「火垂るの墓」を見ることができませんでした。)

Drモルツの12週間で自分を変えるイメージプログラミング
2008/08/13

今日から「お盆」

お盆のお話(請売りです)
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お盆は正式には「盂蘭盆会」と言います。これはインドの言葉の一つ、サンスクリット語のウラバンナ(逆さ吊り)を漢字で音写したものです。

 お盆のはじまりについて「盂蘭盆経」の中の親孝行の大切さを説いた教えが昔から知られています。それは、「お釈迦様の弟子の中で、神通力一番とされている目連尊者が、ある時神通力によって亡き母が飢餓道に落ち逆さ吊りにされ苦しんでいると知りました。そこで、どうしたら母親を救えるのか、お釈迦様に相談にいきました。するとお釈迦様は、おまえが多くの人に施しをすれば母親は救われると言われました。そこで目連尊者はお釈迦様の教えに従い、夏の修行期間のあける7月15日に多くの層たちに飲食物をささげて供養したのです。すると、その功徳によって母親は、極楽往生がとげられました。」という話です。

 それ以来(旧暦)7月15日は、父母や先祖に報恩感謝をささげ、供養をつむ重要な日となったのです。わが国では、推古天皇の14年(606)に、はじめてお盆の行事が行われたと伝えられています。日本各地で行われるお盆の行事は、各地の風習などが加わったり、宗派による違いなどによって様々ですが、一般的に先祖の霊が帰ってくると考えられています(浄土真宗では霊魂が帰ってくるとは考えない。)日本のお盆は祖先の霊と一緒に過ごす期間なのです。

(資料提供:出版社名-鎌倉新書 出典名-2分でわかる仏事の知識)

さて、この時期、もう一つ思い出される行事。

「精霊流し」 8月15日に行われます。

 1974年(S.49)、コーラスグループ“グレープ”が歌ったさだまさしさんの名曲でも有ります。
 精霊流しは、長崎県の旧盆の伝統行事で、最近の一年間に亡くなった人の御霊を船に乗せて西方浄土に送るものです。
 長崎の精霊流しを一度でも見た人は、爆竹が雨あられのように舞う喧騒(けんそう)の中で、歌詞にあるような「華やか」さを感じることがあるかも知れません。
 しかし、どんなに華やかで騒がしい中にあっても、これが新しく仏になった、精霊様を送る儀礼であることを思うとき、喧騒は消えてしまいます。そこには、誰にも知られない、一人ひとりの深い思いがこめられており、他の人を近づけない静寂さえが感じられます。

PS:ご質問にお答えします。
(1) 「ハウルの動く城」の第2話「アブダラと空飛ぶ絨毯」は、私の知る限りアニメ・映画化されていません。

(2)奈津子が、本当にトラウマになった怪獣映画とは、東宝「サンダ対ガイラ」。
 私は、怪獣映画とは、「ゴジラ」や「ガメラ」と一緒だと勝手に思って(昭和29年の第1作ゴジラ以外、怖い印象ないし)、この作品を見ました。
 しかしながら、この映画の幾つかのショッキングな映像が頭に残り、約1週間同じ夢を繰り返し見てしまい、不眠症になり、夜には、暗い窓の外を見る事が、出来なくなりました。
 今は、DVDも持ってますので、時々見ますが、やっぱり怖いです。(後日、当時トラウマになった子供が多数存在した事を知りました。)

Drモルツの12週間で自分を変えるイメージプログラミング

 
2008/08/12

「ナルニア国物語」「指輪物語」とくれば「はてしない物語」はいかが。

はてしない物語
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著者:ミヒャエル・エンデ
出版社:岩波書店


ミヒャエル・エンデの名を高からしめたファンタジーの傑作。
映画『ネバーエンディング・ストーリー』の原作でもあります。
本をこよなく愛する少年バスチャン・バルタザール・ブックス(凄い名前!)が、とある古書店から盗み出した『はてしない物語』をめぐるお話です。

作品中の『はてしない物語』はバスチャンの言葉によってのみ語られるものではなく、独立した話としてきちんと書かれています。不思議な異世界ファンタージェンの荒廃と、それに立ち向かう勇者アトレーユの苦闘を描くもので、途中に挿入されているバスチャンの感想に成る程と共感してしまうほど面白い。

アトレーユが立ち向かう敵は、魔王とか悪魔といった、確固たる悪の存在ではありません。広大なファンタージェンの各地に発生し、すべてを無に変えていく、『虚無』と呼ばれる不可思議な現象です。そして、誰もがそれに抗う術を持ちません。それでも彼は女王幼心の君のため、愛馬と共に探索の旅に出ます。

同年代の少年アトレーユの冒険に一喜一憂しつつ、物語にのめり込んでいくバスチャン。いつしか夜も更け、周囲から人の気配が消えた頃……異変は起こりました。作中に、あたかもバスチャンの現実と『はてしない物語』の世界が連動しているかのような文章が無数に出てくるのです。

決定的な一文を目にしても、バスチャンは読み続けることをやめることができませんでした。恐怖より先を知りたいという欲求の方が勝ったのも確かですが、絶望とともに終わりを告げようとしていたアトレーユの旅から目を背けることは、彼を見捨てるのと同じだと考えたからでもありました。そして、物語は佳境に入り――。

というのが前半のあらすじ。映画の1作目は、この前半部分だけをぶった切って、最後にロクでもないオチを付けた作品です。ミヒャエル・エンデは、大抗議!(訴訟事件まで発生!)
最初は、ワーナー映画ではなく、ウオルト・ディズニー資本の予定だった!
それでも好きですけどね……とにかく画像が綺麗だったので。
しかし、2作目、3作目は、どうもどうも・・・・・

後半については敢えて語りません。抽象的な言い方をすれば、前半が『不思議の国のアリス』、後半が『鏡の国のアリス』といったところでしょうか。前半では案内役に近かったバスチャンが、後半では目一杯主役になり、さらに作者エンデの哲学が全面に押し出されてきます。『鏡~』ほど説教臭くはないけど。

虚無に飲み込まれていく者の描写、バスチャンが物語に浸食されていく過程、シュールかつ少し不気味な挿絵などなど、そこかしこにホラーの手法が使われています。同作者の『鏡の中の鏡』ほどどぎつくはないけど、恐がりのお子様にちょっとしたトラウマを植え付けるには充分。(笑)

ファンタジー好きなら必読。
一応、児童文学のカテゴリーに入りますが、大人も読むべしです。

PS:子供の頃、本当にトラウマになった、怪獣映画があったのよね。(こっちは余り笑えませんが)今は、DVD持ってます。

Dr.モルツで自己啓発

2008/08/11

「ハウルの動く城」の第2話が有るのですか?

有るんですよ~!
此処で、アニメ映画に成った、「ハウルの動く城」。

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この原作タイトルは、第1巻「魔法使いハウルと火の悪魔」(HOWL'S MOVING CASTLE)
ご質問の第2巻は、「アブダラと空飛ぶ絨毯」(CASTLE IN THE AIR)

さてその内容は、
「アブダラと空飛ぶ絨毯」

主人公は、インガリーの南の国・ラシュプートの若き絨毯商人・アブダラ。
ある日、本物の魔法の絨毯を手に入れたアブダラは、王女<夜咲花>と出会い恋に落ちます。
二人が駆け落ちしようとした矢先、強大な魔人(ジン)に彼女は連れ去られてしまい、アブダラは何があっても彼女を取り戻そうと決意するのですが・・・。

今回は一転、アラビアンナイト風の世界。
前巻以上に奇想天外・波乱万丈のストーリー展開で、一気に読ませてくれます。
どんな時にも美辞麗句を忘れない、生粋のラシュプート人の好青年・アブダラ。
世間知らずだけど、頭が良くてキレ者の美しいヒロイン・<夜咲花>。
旅の途中でアブダラがゲットした、一日一つ願いをかなえてくれる、何故か不機嫌でワガママな小瓶の中の精霊(ジンニー)。
お世辞が大好きで、アブダラの美辞麗句に気をよくする、お調子者の空飛ぶ絨毯。
一筋縄でいかない食わせ者、だけど猫にはデレデレの、謎多き屈強の兵士。
時々巨大化する黒猫<真夜中>と、その子猫<はねっかえり>。

またしても、超個性的で魅力的なキャラクターたちがゾロゾロ・・・。
怒涛の大団円を迎えるラストは、爽快かつ嬉しいサプライズに満ちていて、もう一回読み直したくなることウケアイです♪

読んだ後に、幸せな気分に浸れるステキな本です。

Drモルツの12週間で自分を変えるイメージプログラミング
2008/08/10

「ゲド戦記」名言前々回の続きです。

オジオン・カラスノエンドウ・アルハ
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オジオン(アイハル)
ハイタカの師。アチュアンから脱出したテナーの後見人にもなる。

「聞こうというなら、黙っていなくてはな。」(影との戦い)
オジオンの最初の教え(笑)。普遍的な真理であり、この先何度も出てきます。ゲドにとっても印象深かったのか(笑)?

「人は自分の行きつくところをできるものなら知りたいと思う。だが、一度は振り返り、向きなおって、源までさかのぼり、そこを自分の中にとりこまなくては、人は自分の行きつくところを知ることはできんのじゃ。川にもてあそばれ、その流れにたゆとう棒切れになりたくなかったら、人は自ら川にならねばならぬ。」(影との戦い)
うーん。賢人の言葉は深いですねー。

「いとしいハヤブサめ。うまく飛んでいくんだぞ。」(影との戦い)
オジオンの暖かい愛情が心に染みる印象深い台詞です。

カラスノエンドウ(エスタリオル)
ハイタカの親友。ロークの学院を卒業したのち、イフィッシュ島の魔法使いとなる。

「もしも東海域に来るようなことがあったら、おれんとこに必ず寄ってくれ。もし用があったら、いつでも呼びによこしてくれ。おれの名を言ってな。おれの名はエスタリオルだ。」(影との戦い)
感動しました~。危険人物(?)とみなされているゲドに「真の名」を明かしてくれたんです!これ以上の贈り物があるでしょうか。

「おれはきみの旅のはじめに居合わせた。だったら、最後まで付き合うのが当然じゃないか。」(影との戦い)
この友情が嬉しいんですよね。まっすぐで誠実なエスタリオルの性格がにじみ出てくるようです。

「その話ストップ!」(影との戦い)
好きですね~。この台詞。暗い気持ちのゲドを思わず笑わせてしまったんですから。こういう無邪気な子供っぽいところ、大好きです。

アルハ、ゴハ(テナー)

「闇と静寂と、人が知るのは結局これだけさ。おまえはたしかになんでも知ってる。このアルハはひとつのことしか知らない。だけど、それは、まぎれもない、たったひとつの真実なんだ!」(こわれた腕輪)
15年間のアルハの人生のたったひとつの真実。それが揺るごうとしている時のアルハの叫びは胸に響きます。
この言葉を聞いてうなだれたゲドはその時何を思っていたのでしょうか・・・。

「食べ物のほうは、しばらく足りなくても我慢してほしい。わたしのほうがだいぶまいってきているのです。(中略)すぐにはもどってこられないが、約束はかならずはたします。」(こわれた腕輪)
初めて接する外界からの男。おそれ、おののきながらもゲドの中に何をみたのか、信頼をよせていくテナー。自分の食べるものをけずってもゲドに食料を調達していた気持ちが切ないですね。

「わたしは名まえをとりもどした。わたしはテナーなんだ!」(こわれた腕輪)
大巫女アルハではなく、真実の自分テナーに気づいた喜び。テナーの歓喜が伝わってくるような一言です。

「わたしの知ってることで役にたつことは、今はもう、なんにもないわね。ほかのことは何ひとつ習ってこなかったんですもの。でも、これから、やってみるわ。」(こわれた腕輪)
新しい世界に踏み出すことにおびえるテナー。その中でも毅然と決意を表明するテナーが凛々しい。
この台詞を聞いて「つらそうに顔をそむける」ゲド。 この台詞の前、ずっと山の中にいたいと駄々をこねるテナーに、「よし、テナー、じゃあ、いることにしよう」と答えるゲド。そんなゲドの優しさ、切なさに胸が震えました・・・。

ドクターモルツ | 成功するための思考法
2008/08/10

今日は久しぶりに星座の話

今日は、ジロくんと深夜の散歩に行きました。
いて座の方向に綺麗な流れ星一つ。
はくちょう座の神話 ~恋する大神の化身~

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もう立秋、白鳥座は秋の星座です。
ギリシャ神話の最高神ゼウスは、いつも天上から地上の世界を見下ろしていました。
ゼウスには、女神ヘラという妻がありながら、美しい女性を見るとその虜になってしまうことが、よくありました。ヘラは夫のこうした行状に目を光らせていいました。しかしゼウスは改めるどころか、女性の処へ通う時、ヘラの目をごまかす為、色々な動物に変身していました。

ギリシア北部のスパルタの王チュンダレオスの妃レダは、絶世の美女として知られていました。
ある時ゼウスは、天上から水浴びをしているレダの姿を見て、たちまち魅せられてしまったのです。大神は愛の女神アフロディーテ(ヴィーナス)に手伝ってもらい、白鳥に姿を変えて地上へ、降りていきました。
 
アフロディーテは鷲に変身し、ゼウスの白鳥を追った。白鳥は助けを求めるかのようにレダの膝元へ逃げ込んみました。ふるえる白鳥が哀れで、レダは抱き寄せて愛撫してやったのです。やがてゼウスは、思いを遂げることが出来ました。
 
後にレダは大きな卵を2個産みました。一方の卵からは、双子のカストルとポルックスが生まれました。兄のカストルは戦術の達人となり、弟のポルックスは格闘技の達人でした。兄弟は大変仲が良、一緒に多くの冒険に立ち向かうことになります。
 
カストルはチュンダレオスの子であったので、死ぬべき運命にありました。ポルックスは、ゼウスの子だった為、不死身でした。カストルは仲間の裏切りにあい、命を落としてしまいました。あとに残ったポルックスは、自分も一緒に死にたいとゼウスに願い出た。こうして2人は、「ふたご座」になったといいます。
 
もう一つの卵から孵ったのは、ヘレネとクリュタイメストラの姉妹です。
ヘレネはゼウスの子であったので女神のような美しさを備えていましたた。成人したヘレネに求婚が殺到したの言うまでもありません。そのために争いが起こるのを恐れたスパルタ王は、ヘレネに相手を選ばせました。彼女の心を射止めたのはメネラオスでありました。
 
メネラオスとヘレネの平和な生活は、長くは続きませんでした。スパルタを訪れたトロイの王子パリスは、一目見てヘレネに夢中になり、彼女をトロイへ連れ去ってしまったのです。
これを知ったメネラオスは怒り、ミュケーナイの王アガメムノンに相談しました。
アガメムノンの妻はヘレネの姉クリュタイメストラです。彼らはギリシア中から援軍を募り、トロイへ向かい、こうしてトロイ(トロヤ)戦争が始まったと伝えられています。

はくちょう座を見つけましょう!
 
はくちょう座は9月の宵にほぼ天頂に来ているので、見付けやすいでしょう。まず頭上を見上げると一際明るい星がすぐ目に入ると思います。七夕の織女星である、こと座ベガです。その光はやや青みを帯びています。
 
次に南に向かって立ち、地平線から高度約60度のあたりを見ると、ベガよりも少しくらい1等星が輝く。七夕の牽牛星である、わし座のアルタイルです。ベガとは対照的にアルタイルが白い光を放っています。アルタイルからやや左上の方向に視線を上げていくと、頭上の過ぎたあたりに、もう少し暗い白い論の1等星にいたります。これが白鳥座の主星デネブです。デネブの西(右)方には、ベガが見えています。これらの三つの1等星が作る三角形は「夏の第三角形」と呼ばれています。
 
デネブはアラビア語の「尾」という意味で、白鳥の尾に近いところに位置してます。デネブからベガとアルタイルを結ぶ線の中間へ目を転じていくと、デネブから数度のところに2等星が見えます。これがガンマ星のサドルで、アラビア語の「胸」を意味しています。デネブの左右に続く星たちが大きく広げた翼を形作っています。
 
3等のベータ星は、デネブとガンマ星を結ぶ線のさらに先にあります。その名はアルビレオといい、白鳥の「くちばし」に位置しています。これらの星たちをたどっていくと、長い首を天の川に伸ばして羽ばたく白鳥の姿が、自然に想像できることでしょう。

リー・ミルティア「内面から成功しなさい」
2008/08/08

「ゲド戦記」こだわりの名言

ハイタカ(ゲド) 魔法の才能にあふれた青年。のちにロークの大賢人となる。
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「はい、出ていった時と同じ、愚か者のままで。」(影との戦い)
印象に残る台詞です。こう言えるようになったところがゲドの成長なんですよね・・・。

「わたしは賢人の島で、多くのすぐれた魔法使いとともに歩き、ともに暮らしてきました。けれど、オジオンさま、あなたこそ真にわたしの師と仰ぐ方です。」(影との戦い)
「だけど、おれ、まだなんにも教わってねえ。」と言っていた少年がここまで成長したんですねえ・・。

「オジオンさま、わたしは狩りに出かけます。」(影との戦い)
書置きですから、厳密には台詞じゃないんですが(笑)。ゲドの決意をひしひしと感じます。

「均衡とは、こうして保たれるんだな。」(影との戦い)
ゲドのジョークですよ!ジョーク。いや、珍しいですね。パンをつまみ食いしちゃうゲドもイカしてましたが、兄のエスタリオルのパンの数と合わせるためにおつきあいしてつまみ食いしたノコギリソウへのこの一言。かなりツボでした。

「見る値打ちのある物を、と言ったろうに。わたしはあんたにあんた自身の姿を見せてやったのさ」(こわれた腕輪)
テナーに魔法を見せてほしいと言われて、テナーの服を美しいドレスに変えるゲド。このへん、ちょっと女殺しっぽい(笑)?
そういうゲドさまも好きです♪

「気をつけてな、テナー。」(こわれた腕輪)
墓所の大宝庫から出ていくテナーにかけた言葉。与えられた信頼をそのまま返す言葉であると同時に、アルハからテナーへと彼女を導いた言葉。印象的です。

「テナー、いいかい、生まれ変わるためには、人は死ななきゃならないんだ。しかし、それは、別の見方をもってすれば、さほど、むずかしいことではない。」(こわれた腕輪)
ゲド戦記の中の数ある「真理」の中の一つだと思います。深いです。

「暗がりに浮かぶあんたは、美しかった。あんたはその後もずっとわたしを信じてなにかと手を尽くしてきてくれた。それなのに、わたしは何のお返しもしていない。だが、今はすべてのものをあんたにあげよう。わたしの本名はゲドだ。そして、この名はもう、あんたのものだ。」(こわれた腕輪)
「真の名前」が特別な意味を持つ世界での、この言葉には真摯な思いを抱かずにはいられません。本当の「信頼の証」なんですよね、名を明かすということは・・。しかし「テナーが美しかった」っていうのは、前後の文章とはあまり関係がないように思えるのですが・・・。ゲド、テナーに一目惚れか(笑)??

「とうとう、わたしたちふたりを自由にしてくれたね。ひとりでは、誰も自由になれないんだ。」(こわれた腕輪)
ひとりでは自由になれない。人は一人では生きていけない。他人がいて、自分がいる。その関わりの中で自由が生まれる・・。
ハっと胸を突かれた台詞です。

「そのあとだって、またわたしが必要になったら、呼んでくれ。きっと行くから。呼んでくれさえしたら、墓の中からだって出て、あんたのところへとんでくよ、テナー。しかしね、いま言ったように、いつまでもあんたとだけいるわけにはいかないんだ。」(こわれた腕輪)
・・・・。なんだか熱烈な愛の告白に聞こえるんですけど・・。でも、ゲドは「自分がしなければならないことをして生きている」魔法使い。魔法使いとして生きるゲドは、その一生をテナーと片時も離れずに生きることはできなかったのですよね。
なんだか切なくなってしまう台詞です。

「よし、ちょっと、あかりをつけて、調べてみよう。呪文でなおせるかもしれないし。いい子だ、心配はいらないよ。」(こわれた腕輪)
岩棚がくずれて身をひくテナーを抱き止めてのこの台詞。なぜに父親モード全開(笑)? そんな、パパンなゲドさまもツボ♪

「さあ!」(こわれた腕輪)
ハブナーの港に着いて、桟橋におりたち、振り返って、にっこりとテナーに手をさしのべるゲド。
名シーンだと思います~。いつまでも心に焼き付いて離れないシーンとなりました。

「過去を否定することは、未来も否定することだ。人は自分で自分の運命を決めるわけにはいかない。受け入れるか、拒否するかのどちらかだ。ナナカマドは根のはり方が浅いと、実を結ばないものさ。」(さいはての島へ)
過去を受け入れ、しっかり根を生やすことで、人は自分の未来を築いていくのですね。印象的な忘れられない台詞です。

「しかし、ただ生きたいと思うだけではなくて、そらにその上に別の力、たとえば、限りない富とか、絶対の安全とか、不死とか、そういうものを求めるようになったら、その時、人間の願望は欲望に変わるのだ。そして、もしも知識がその欲望と手を結んだら、その時こそ、邪なるものが立ちあがる。そうなると、この世の均衡はゆるぎ、破滅へと大きく傾いていくのだよ。」(さいはての島へ)
現代の世界の様々な紛争や諍い。原因はすべてこの言葉で現されているような気がします・・。名言。

「いや、世界にただひとつ、この邪な心を持つ人間に対抗できるものがいる。それは、別のいまひとりの人間だ。恥を知る者にこそ、栄光はある。悪を為しうるわしらだけが、また、それに打ち勝つこともできるのだよ。」(さいはての島へ)
ここにこそ、我々の希望があるのですよね。悪を為しうる自分自身の心を知ってこそ、悪に打ち勝つすべが見つかるのでしょう、
きっと。とても難しいことだとは思いますが。

「知性があるのなら、あるように行動しなければ。選択が許されているのなら、それなりの責任を持って行動しなければ。」(さいはての島へ)
この当然のことを、いったいどれだけの人が実行できているのだろう。自戒を含めて、そう思います。

「アレン、よい人間とはどんな人間かな? 悪を働かず、闇への扉を開かず、己れの中にも闇を持たない人間かな? 見つめてごらん、アレン、もういっぺん、よく見つめてごらん。」(さいはての島へ)
心に闇を持たない人間なんているでしょうか? 心の闇を見つめ、それを認め、それに打ち勝つことで、人は自分自身を確立するものなのかもしれません。
自分の心に闇があるのを見つめるのは、つらいことです。でも、ゲドの言葉を聞くと勇気が出てきますよね。

「ここにいたって、わしにはわかるのだ。本当に力といえるもので、持つに値するものは、たったひとつしかないことが。それは、何かを獲得する力ではなくて、受け容れる力だ。」(さいはての島へ)
うーーん。受け容れるためには、それだけのキャパシティを自分の中に持っていなければならない、ってことですよね。
深いです・・・。

「レバンネン、杖にかまうな。わしは死の川のあの源で、魔法はすべて使い果たした。だから、もう、魔法使いではないんだ。」
使命の達成と魔力の喪失。厳然たる事実を粛然と受け止める大賢人の姿が感動的です

明日は、誰にしましょうか?

稼げる123アフィリエイト
2008/08/07

昨日の続きだ!入れ込み「ナルニア国物語」

感謝!感謝!
本題に突入する前に!
奈津子のブロクを読んで下さる皆様、本当にありがとうございます。
お褒めの言葉や、意見本当にありがとう!
立ち上げて、1ヶ月にもならない、ブロクですが今後とも、叱咤激励宜しくお願い致します。
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「ナルニア国物語」最高!
ナルニア全7冊はどれもステキな冒険物語ですが、私にとって一番印象的なのはやはり「ライオンと魔女」。
少年エドマンドは物語の中で、兄妹を裏切り、重大な罪をおかしてしまいます。
子供とは、本来、自己中心的で、わがままで、残酷な一面を持っているもの。
成長過程において、事の大小の差はあれ、一度も間違ったこと、悪いこと、卑怯なことをせずに大きくなるなんて、ありえないことだと思います。
「ナルニア国ものがたり」でも、エドマンドだけでなく、ユースチスもジルもピーターも、何度も間違ったことをしているのです。

子供が間違ったこと、悪いこと、卑怯なことをしてしまった時、親はどう対応すれば良いのでしょう・・・。
その答えを私はアスランに見ていた気がします。
アスランは、子供たちに優しく寄り添い、温もりと勇気を与えるだけでなく、時には厳しく罰や試練を与え、時にはつきはなして子供たちに考えさせ、そしていざという時には我が身を犠牲にしても子供たちを教え導こうとしている、そう私は感じたのです。

「ナルニア国ものがたり」は、キリスト教的色彩を帯びた物語であると言われています。
たしかに「ライオンと魔女」でアスランが罪をその身に引け受け、石舞台で殺され、復活をとげるシーンは、イエス・キリストを連想させますし、「魔術師のおい」で語られるナルニアの創世は「創世記」、「さいごの戦い」で語られるナルニアの終末・再生のくだりは「最後の審判」と呼応しているのではないかと思われます。
キリスト教に詳しい方なら、さらに多くのキリスト教的エピソードを物語の中に見出すことでしょう。
しかしこの作品を読むにあたって、キリスト教の知識の有無は特に重要なことではないと感じます。

私は、アスランをイエス・キリストとして、というよりは「理想の親」像として重ねて読んでいました。
読む人によっていろいろな捉え方、感じ方があっていいのだと思います。
子供たちは多分、この物語を胸をわくわくさせる冒険物語として読むことでしょう。
この物語から道徳心を学ぶ人もあるかもしれないし、生き方やものの善悪の判断基準を読み取る人もいるかもしれません。
失敗したってきっと挽回できる、という勇気をもらう人だっているでしょう。
すぐれた書物は幅広い読者を持ち、それぞれの人にそれぞれの価値を与えるものなのではないでしょうか。
「ナルニア国ものがたり」は、やはり名作と呼ばれるにふさわしいファンタジーであると思います。
ぜひ、ご一読くださいませ。

「究極の法則」 by ダン・ケネディ
2008/08/06

「十二国記」をお休みして・・・・「ナルニア国ものがたり」

ナルニア国ものがたりは、ナルニアという国が、この地上ではないどこかに生まれ、数々の世代を重ね、様々な王たちに治められた後に、最後の戦いを迎えるという、一つの世界の創世から終末・再生までを描いた壮大なファンタジーで、20世紀の名作ファンタジーとして必ずその名を挙げられる作品です。
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一冊一冊が独立したお話になっていますので、どれから読んでも、また、どれかひとつだけを読んでも楽しめる構成になっていますが、全7冊を読めば、より感動が深くなることは間違いありません。
年代順に言えば「魔術師のおい」→「ライオンと魔女」→「馬と少年」→「カスピアン王子のつのぶえ」→「朝びらき丸東の海へ」→「銀のいす」→「さいごの戦い」となりますが、できれば刊行順に読んだ方がより楽しめるのではないかと思います。

岩波少年文庫に記された対象年齢は小学校4・5年生以上。
比較的平易な文で書かれています。
大人でももちろん楽しめますが、主人公の子供たちと一緒にハラハラドキドキの冒険を楽しむには、やはり子供たちにこそ読んでほしいファンタジーだと思います。

題名: ナルニア国ものがたり The Chronicles of Narnia
著者: C.S.ルイス  瀬田貞二 訳
出版: 岩波少年文庫

第1巻  ライオンと魔女 The Lion, the Witch and the Wordrobe
第2巻  カスピアン王子のつのぶえ Prince Caspian
第3巻  朝びらき丸 東の海へ The Voyage of the "Dawn Treader"
第4巻  銀のいす The Silver Chair
第5巻  馬と少年 The Horse and his boy
第6巻  魔術師のおい The Magician's Nephew
第7巻  さいごの戦い The Last Battle

感想については、明日又ね(^0^)

Dr.モルツで自己啓発
2008/08/05

どうも、「ゲド戦記」誤解している人が、多いのよね。

最近、TVで放送されたせいか・・・・・「ゲド戦記」内容を誤解してる人、多いのよね!
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其処で、原作「ゲド戦記」の名文を紹介します。
影との戦い
ゲドは杖をとりおとして、両手をさしのべ、自分に向かってのびてきた己の影を、その黒い分身をしかと抱きしめた。光と闇は出会い、溶けあって、ひとつになった。
美しく、厳しく、感動的で、忘れられないクライマックスです。心に残る名文だと思います。

怒りと絶望に駆られて、彼は友人を救おうと、いや、それが無理ならせめて友人と死をともにしようと、砂浜に飛び出し、闇の中に薄れていくあかりに向かって、一目散に駆け出した。
闇に浮かぶかすかな光。友を思って駆け出すエスタリオル。情景が鮮やかに浮かんできて、その真摯な心に泣けてきます。

「な、終わったんだ。終わったんだよ。」彼は声をあげて笑った。 「傷は癒えたんだ。おれはひとつになった。もう、自由だ。」それから彼はうつむいて両腕に顔をうずめると、子どものように泣きだした。(影との戦い)
ここの部分もめっちゃ好きです。「終わった」と笑って、その後、泣くんですよ、子どものように! 私もゲドと一緒に泣いてしまいました・・・。

こわれた腕輪

「あんたには知識がある。わたしには術がある。そしてわたしたちふたりの間には・・・・。」男は口ごもった。
「エレス・アクベの環がある。」
「そうだな。しかし、わたしはもうひとつ別のことを考えていた。信頼と呼ぼう。・・・・・そう、たしかにそう呼んでいい。
これはすばらしいものだ。おたがい、ひとりでは弱いけれど、信頼があれば、わたしたちは大丈夫だ。」
静かな感動を呼ぶ会話ですよね。「信頼」という言葉の重みと暖かさを感じます。

水に落ちた石から波紋がひろがっていくように、静寂が彼のまわりにひろがっていく。この男の沈黙は単なる無言に終わらない。砂漠の沈黙のように、まさに、ものそのものとなる。
ゲドの雰囲気が心にしみこんでくるかのような文章。静寂を心で感じ取れる文章。とても好きな一文です。

テナーは両腕を顔にうずめて泣き出した。その頬が塩辛くぬれた。彼女は悪の奴隷となっていたずらに費やした歳月を悔やんで泣き、自由ゆえの苦しみに泣いた。
「影との戦い」を終えて泣き出したゲドと重なって、胸がしめつけられました。でも、この瞬間にこそ、彼女は新しい自分になったのだと思います。

自由は、それを担おうとする者にとって、実に重い荷物である。勝手のわからない大きな荷物である。それは、決して気楽なものではない。自由は与えられるものではなくて、選択すべきものであり、しかもその選択は、かならずしも容易なものではないのだ。
名文じゃありません? 「自由」ってそういうものですよね・・。まさに真理。

間もなく、ゲドの手にしっかりとつかまって、ハブナーの雪の通りを一歩一歩ゆっくりとのぼっていくテナーの姿が見られた。家に帰ってきた子どものようだった。
最後の一文を読んで涙があふれてきました。ああ、テナーは連れ去られた時の5歳にもどったんだな、そして今は信頼で結ばれたゲドと人生をやりなおすんだな、って・・・。余韻の残るすばらしいラストだと思います。

さいはての島へ

くる日もくる日も、太陽は大きく開けた水平線のかなたからのぼり、あかあかと燃える西の海に沈んでいった。そして、日輪が黄金のアーチを空に描くときも、星が銀の輪を描いて夜空はめぐる時も、舟は果てしない海をただ一艘、ひたすらに北に向かって帆走を続けた。
情景が目の前に浮かんでくるような、詩的で美しい文章ですよね。こういう文章を読めるのは幸せです。

最初の頃の、あのほとばしるような、熱烈で、甘美な敬愛の情ではなかった。それよりももっと深いところにひそんでいた両者の結びつきが、今しも引き出されて、ゆるぎない、強靭なきずなに鍛え直されようとしているかのようだった。アレンはそれにじっと耐えていた。ゲドの痛みをともに分かちあっていた。それなしには、どんな愛ももろく、不完全で、長続きはしない。
アレンとゲドの関係の変化、一方的な崇拝から対等な人間としての情愛への変化をあらわした名文だと思います。
「共感」がなければどんな愛ももろいもの。これは普遍的な真実ではないでしょうか。

これが苦しみの石か。アレンは石をしっかりと握りしめた。その顔に微笑が浮かんだ。ぱっとしない、だが、それでもいかにもうれしそうな微笑だった。彼は今、生まれてはじめて、勝利というものを知ったのだった。この遠い地の果てで、誰にも祝福されず、たったひとりで・・・。
石を握りしめて微笑するという、ただそれだけの静かな描写の中に、レバンネンの人としての成長を感動的にあらわしているように思います。ステキな文章ですよね。

帰還 奈津子のおすすめ名文!
「ねえ、ゲド、わたしはどっちのベッドに寝たらいいかしら。」テナーはきいた。ゲドは深呼吸をひとつして、低い声で答えた。「よかったら、わたしのほうに。」
なんかジーンときてしまいました。25年の年月を経て、ようやく二人は結ばれたのですね。
深呼吸をして低い声で、っていうのが大人の雰囲気で良いです~。大人の恋愛はしっとりとして落ちつきがありますよね・・・。

因みに宮崎監督「ゲド戦記」は、原作の第1巻、物語の主要部分は第3巻、第4巻の合計3巻分が1本の映画に、纏められているので、原作を読んだ事の無い方々は、話の展開が解りずらいと思います。

ドクターモルツ | 成功するための思考法
2008/08/04

話は、「十二国記」に戻ります!

本題の前に、訃報です。
モスクワ──旧ソ連時代のスターリン体制を批判した著作で1970年にノーベル文学賞を受賞した、ロシアの小説家で歴史研究者のアレクサンドル・ソルジェニーツィン氏が3日夜、急性心不全のため死去した。89歳だった。ロシアの各通信社が4日伝えた。

奈津子が、アレクサンドル・ソルジェニーツィン氏の名前を聞いたのは、中学2年の頃でした。
「収容所群島」の名前に、何か底知れぬ恐怖を感じたものです。

ここでもう一度、「収容所群島」「煉獄」でも読み返して見るべきなのか?
20代で読んだ感覚と現在は、きっと違うはず。
ソビエト連邦も崩壊し、CISと名前を変えた今、新たな視点から再読したい。
ソ連の崩壊と共に消えて行く程度の作家ではないので、語調のしっかりした文章で、スターリン統治下の真実を語る作品として、読み続けられるだろう。

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さて、前回は、慶国だったので、今回は、戴国から!
泰王・乍驍宗

戴国の王。元戴国禁軍将軍。傑物として他国にまでその存在を知られていた。
泰麒の選定を受け飄風の王として即位し、類を見ないスピードで朝を整えていくも、わずか半年後、内乱・裏切りにあい現在行方不明。ああ、驍宗さま。何処におわすのか・・・。

「無礼を承知で申しあげれば、わたしに五百年の寿命があれば、延王に後れはとりません」 (風の海 迷宮の岸)
この覇気。さすが驍宗さまです。かっこいい~♪

「公はよいお子だな。 誠実でお優しい方だ。戴国はよい国になろう」 (風の海 迷宮の岸)
そうなの。さすが驍宗さま。泰麒のこと、よ~くわかってるのね♪

「・・・・・嘘を申しあげて失礼をした」 (風の海 迷宮の岸)
饕餮を前に自分は動けないと泰麒に嘘を言って、泰麒にすべてをまかせた驍宗さま。その胆力・判断力。すごいです!

「おまえは小さいのに見る目がある」 (風の海 迷宮の岸)
自信たっぷりの驍宗さま。かっこいい~!

「死気はやがて生気に転じる。死者もやがて生者に還ろう。――蒿里、おまえが戴にとってもそのように、再生を約束するものであるように」 (風の海 迷宮の岸)
泰麒の将来を暗示しているかのようなこの台詞。再生した泰麒が見たい。驍宗さまの隣に並ぶ泰麒が見たい。
がんばれ泰麒!

「それでも自分は王だろうか」 (風の海 迷宮の岸)
泰麒の「天啓がなかった」という告白を景麒から伝えられても、狼狽も落胆もせず発した一言。なんたる器量でしょう。

「なにもお前のためばかりというわけでもない。私が、傍に来て欲しかったのだからな」 (冬栄)
おお~っ!驍宗さまのらぶらぶ発言! 泰麒、良かったね~、うんうん。

泰麒・蒿里 (高里要)

戴国宰輔。黒麒麟。10歳まで「人」として蓬莱ですごしたのち、延麒に見出され十二国の世界へもどり、大変な苦労をして麒麟としての自分を見つけ、王を選定する。
しかしわずか半年後、内乱・裏切りにより襲われ、角を傷つけられ、鳴蝕によって蓬莱へ逃れ十二国での記憶を失う。
蓬莱では、暴走した使令のためにとんでもないめに会っていたが、陽子の指揮した各国の麒麟による泰麒捜索隊によって見出され、記憶を取り戻し、天網の網の目をかいくぐるような方法で延王に連れられて十二国へ戻る。
書いてて涙が出るほどハードな人生をおくる泰麒。しかも、これからさらに大きな試練が立ちはだかっているのだっ!
負けるな、泰麒! がんばれ、泰麒!

「かなしいことがあったの?」 (風の海 迷宮の岸)
ううっ。かわいい~♪ この一言で私はらぶりぃ泰麒にメロメロ・・・。

「景台輔は最初からお優しかったです」 (風の海 迷宮の岸)
ううっ。なんていい子なの~。

「いいえ。ぼくが早とちりしないで、ちゃんとお聞きしてればよかったんです。」 (風の海 迷宮の岸)
おーおー。泰麒は良い子じゃの~。誰が見たって、ちゃんと説明しなかった景麒が悪いのに決まってるのにねえ。うーん。らぶりぃな泰麒!

「確かに僕には何の力もありません。けれども李斎、僕らは戴の民です。戴は神々ですら見放した国です。・・・・・そうなのでしょう?主上はおられず、諸国の善意は届かず、天も戴のために奇蹟を施してはくれません。麒麟ももういないに等しい。それでも戴にはまだ民がいます。李斎と僕と」 (黄昏の岸 暁の天)
泰麒の悲壮な決意が胸に痛い。痛々しすぎる。天のばかやろー。

「人の手には余ることというものがあると、僕も思います。そして、いまの戴の現状は、もはや角のない麒麟や隻腕の将軍の手には余るのかもしれません。けれども――李斎、そもそも自らの手で支えることのできるものを、我と呼ぶのではないんでしょうか。ここで戴を支えることができなければ、そのために具体的に何ひとつできず、しないのであれば、僕たちは永遠に戴を我が国と呼ぶ資格を失います」 (黄昏の岸 暁の天)
うううう~。泰麒~。よく言ったわ~。私もまさに「こんなに・・大きくおなりなのですね・・・」と泣く李斎の心境なり。泣けました!

今日はここまで!

リー・ミルティア「内面から成功しなさい」
2008/08/03

今夜も星座の話にお付合いください。

奈津子は、子供のころから、星を眺めるのが大好きです。
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ヘルクレス座の神話
ヘルクレス座の神話 ~英雄の中の英雄~

ギリシャ神話の英雄の中で最もはなやかな活躍をしたのはヘルクレスでしょう。
ギリシャ語読みではヘラクレスですが、ここではラテン語の星座名ヘルクレスに、合わせることにします。

ヘルクレスは英雄ペルセウスのひ孫にあたります。ペルセウスの孫のアルクメネは美女の誉れが高かった。
アルクメネの美しさに目をつけた大神ゼウスは、彼女の夫に変身して近づき思いをとげた。
やがてアルクメネがゼウスの子ヘルクレスを産みました。
 
ゼウスの妻ヘラは夫の浮気に気づき、毒蛇を送ってヘルクレスを殺そうとしました。
しかし、人並み以上に優れた力を持っていた赤ん坊のヘルクレスは、逆に蛇を握り殺してしまった。
成長するにしたがってヘルクレスの力は、ますます強くなり、たくましい青年になりました。
しかし女神ヘラののろいを受け、自分の子供を次々と殺してしまうことになります。その償いに叔父のミュケナイ王エウリュステウスから12の困難な仕事を命令を受けました。
 
その一つがレルネ沼に棲むヒュドラ退治です。
このヒュドラは九つの頭を持つ巨大な水蛇で、家畜を襲ったり畑を荒らしまわったりして、人々を困らせていました。
ヘルクレスは甥のイオラオスに手伝ってもらい、火の矢を放ってヒュドラを沼から追い出すことに成功します。
ヒュドラは九つの首を振りたてて派へしく向かってきた。
その上巨大な蟹が現れ、ヘルクレスの足に噛み付いてくるのです。
彼はまずこのカニを踏み潰した。 
 
ヘルクレスが剣を振るってヒュドラの首を次々に切り落としましたが、驚いたことに一つの首の切り口から二つずつ新しい首が生えてくるのです。
ヘルクレスはイオラオスに命じて、首の切り口を一つずつ焼いて、やっと退治しました。
しかし一つだけどうしても死なない首がありましたが、この首は切り落として多きな岩の下に埋めて退治に成功しました。
 
ヘルクレスはこのほかネメアのライオン退治などの難題を見事にやりとげましたが、彼は最後まで呪われたままでした。
敵から送られた毒を塗った服を着てしまったのです。
死を覚悟したヘルクレスは、蒔きを積んで火を放ち、その中で自ら命をたったのです。
これを見た大神ゼウスは感動し、ヘルクレスと彼が退治したヒュドラ(うみへび座)、蟹(かに座)、ライオン(しし座)を共に星空に上げました。
 
ヘルクレス座探索
 
ヘルクレス座を初夏の星空の中で探すのは容易ではありません。
明るい星が少ない上に、星の配列にもあまり特徴がありません。
そこで明るい星を頼りに探すことにします。
6月の宵には、天頂よりやや南にの所にはオレンジ色の1等星アルクトゥスが輝きます。
東北東の中天では青白い1等星ベガが目を引きます。
この2つの1等星の中間あたり、高度60度ぐらいにヘルクレス座の星々が散らばっています。
 
まずアルクトゥルスからベガに向かってゆっくりと視線を移していきます。アルクトゥルスから3分の1ほどのところには、かんむり座の2等星アルフェッカがあります。
アルファッカとベガの中間をよく見ると、3~4等星4個が不規則な四辺形を作っています。
四辺形の大きさは、対角線が約8度で、腕をいっぱいに伸ばして親指と中指で作った輪とほぼ同じぐらいです。
  
この四辺形は「ヘルクレスのキートン(要石)」とよばれています。上辺の左側がエータ星、右側がゼータ星、下辺の左側がピー星、右側がエプシロン星となっています。
次にエプシロン星から右下の方向に約8度のところにある3等せいを探します。
これがデルタ星です。ゼータ星から右に約10度のところには3等星が見つかるはずです。
これがベータ星である。この六つの星が作るゆがんだH字型または鼓形がヘルクレスの胴体にあたっています。
 
星座のヘルクレスは右手で棍棒を振り上げて、左手にヒュドラの首を握り締めている。
H字形のデルタ星、ベータ星に続く星の列をたどっていくと、その姿が自然と浮かび上がってくることでしょう。

ドクターモルツ | 成功するための思考法

2008/08/02

いて座のお話

ジロくんと散歩していたら、いて座が、とても綺麗だったのです。
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いて座の神話 ~アンタレスを狙え~

ギリシャ北部のテッサリアの山地にはケンタロウロスと呼ばれる一族は住んでいました。
ケンタウロス族は上半身が人の姿で、下半身は馬の姿をしていた。彼らは山野を走り回り粗野で乱暴なふるまいが多かった部族でした。しかしケイローン(キロン)は例外でした。
礼儀正しく、賢明で、音楽や医術に秀でて、狩の名人でもあったのです。ケイローンは太陽と音楽の神アポロンと月と狩の女神アルテミスからこれらの才能を授けられたと言われる。

ケイローンが洞穴に住み、薬草を栽培して多くの病人を助けていました。また母親を失った子を預かって育てていました。
その中には、アルゴ船遠征隊を指揮したヤーソンや、ギリシャ一の名医となったアスクレピウス、トロイ戦争の勇将アキレウスなどの有名な人物も居たのです。
 
アスクレピウスはアポロンの子として生まれました。母はテッサリアの王女コロニス。
アポロンはコロニスを心から愛していましたが、彼女には他の恋人がいたと、使い鳥の烏(からす座)からこのことを聞いたアポロンは怒りに震え、弓を取りました。そして天上から、コロニスめがけて矢を放ってしまいます。
 
コロニスは自らの罪を認め息を引き取り、そして彼女は最後にアポロンの子を宿していることを告げました。アポロンはすぐに自分の仕打ちを悔やみ、彼女の亡骸から胎児を取り出しました。
そしてケイローンの下へ運び、子供を救ってくれるように頼んだのです。ケイローンの医術は功を奏して、その子は一命を取り留めましたた。これが後にアスクレピウスに成長していきます。
 
後にケンタウロス族の多くは、英雄ヘルクレスが誤って射た毒矢で次々に倒れることになります。
ケイローンもこの矢を受けた一人です。大神ゼウスがその死を惜しみ、弓をつがえた射手の姿で、星座に加えました。
古代テッサリアの人々は乗馬と狩猟に優れていたことから、このような神話が、生まれたと言われています。
  
ケンタウロス族はもうひとつの星座になっていまする。初夏の宵の南の地平線上に見える、ケンタウルス座です。
ギリシャ語ではケンタウロスですが、星座名はラテン語読みで表すので、ケンタウルスとなります。ケンタウルス座のケンタウロスは槍を持ち、左隣の狼(おおかみ座)をついている姿がみえます。。

いて座の見つけ方
 
いて座は夏から秋にかけて宵の南の地平線上に見える大きな星座です。しかし、際立って明るい星が無いので、見付けにくいかもしれませんので、西隣のさそり座からたどっていくと分かりやすいでしょう。
 
南に向かって立つと南南西よりの高度約40度のところに赤い星が明るく輝いています。
さそり座の1等星アンタレルです。アンタレスから左下に伸びる星の列がさそり座の中心で、「S」の字を描いています。Sの字の左端には2個の2等星が並んでいます。これが蠍の尾に辺り、この付近が、射手座との境界になります。
 
さそり座の尾の左上には多数の星が散らばっています。それらの星をじっくり見ていると、6個の星が北斗七星に似た形を作っていることがわかります。
この星の並びは「南斗六星」と呼ばれています。
「斗」とは柄のついた四角い入れ物(升)で、南斗六星の升は口を下に向けた形になっています。
 
南斗六星の柄の真ん中の星(ラムダ星)からは、「y」の字を逆さにした形に星が下(南)に続いています。
南斗六星とこの星の列が、矢を持った射手の右手と、矢をつがえた大弓、それを持った左手にあたります。その矢はさそり座のアンタレスを狙っています。
 
升の上方に伸びる星が射手の顔にあたります。明るい星が無いので、その形をたどるのは難しいでしょう。
升の下方に続く星が馬の姿の下半身にあたります。

見つけられましたか?いて座の方向には、銀河系の中心があると言われています。
空気の澄んだ処なら、銀河の流れの中にいて座を見ることが出来ますよ!

Drモルツの12週間で自分を変えるイメージプログラミング