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2008/10/31

「風の谷のナウシカ」

風の谷のナウシカのコミック版と映画版の違い2

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前回の続き
アニメージュの連載1年ほどで、アニメ化の話が持ち上がります。

 但し、「アニメグランプリ」というイベントでの5分くらいのパイロット・フィルムとしてのお話でした。
しかし、宮崎監督の「5分じゃ何も描けませんよ」という言葉で、10分案に変わります。
当初は、70分のバージョンで、コミック版の前史にあたるナウシカの幼年時代やユパとの出会いなどが考えられていました。

 ナウシカの、幼少時代を描いたもの。風の谷の後継者たるナウシカは、5歳のときからタコを使い一人前の”風使い”になるべく訓練を受けはじめる。”風使い”とは、訓練により空気の流れを読み取る能力を身につけ、ふかいからくる胞子の危険を事前に察知したり蟲に襲われる小動物や任下を助けるものたちをいう。・・・そして幼いナウシカが学問と剣の師・ユパや小さい王蟲との出会いを通じて成長していく姿を描く。

 本当に見てみたい作品ですが、この頃のイメージが数点、ナウシカ水彩画集に収録されています。

 さて、徳間書店と取引関係のある博報堂に、たまたま宮崎駿監督の弟さんが、在職していた偶然もあり、、70分の番組は、共同での映画製作の話にまで発展します。
こうして、もともとは映画やアニメーションでは表現できない世界を描いていたはずだった「ナウシカ」は、映画化の道を歩みます。

 映画の主題は、コミック版とほぼ同じで、以下のものでした。

・自然と人間の関わり。
・バイオテクノロジーへの警鐘。
・クシャナの権力闘争。
・ペジテの権力闘争。
・ナウシカとクシャナの確執。
・緑の奇跡-風の谷の心なごむ生活。

 しかし、どう縮めても、時間的制約のある映画でこれらの要素を詰め込むのは不可能との判断がなされ、土鬼の存在やクシャナの兄弟達との権力闘争をはじめとし、多くの要素が削除されました。

 映画は1984年に公開され、大ヒットします。
アニメーションの仕事を干されていた宮崎監督にとって、絶対に失敗は許されない環境での大成功でした。
『キネマ旬報』の読者選出日本映画ベスト1にもなりました。
「宮崎駿」という名前が、アニメファンの枠をこえて、一般に認識されたのはこのタイミングだったと思います。

 しかし、実際にはこの時点では、まだコミック版も2巻まで出た段階であり、物語の多くの要素は未展開でした。
映画公開後、またコミック版の連載が再開されます。

 しかし、その後も、「ラピュタ」や「トトロ」をはじめとした多くの映画が製作されるタイミングになると連載は中断され、映画製作がひと段落すると連載が再開されるということが続きます。

 結局、最終的に完結を見たのは1994年、実に、最初のアニメージュ連載から13年たっていました。

 そこには、2時間枠に縛られた映画では表現できない、豊かで深い様々なイメージが、見事に構築されていたのでした。
宮崎駿監督の嫌がる言い方ですが、間違いなく「ライフワーク」と呼べるものでしょう。

 映画は映画でとても魅力的な作品ですが、もしコミック版を未読の方が居られるなら、是非読んでください。
いわゆる「宮崎アニメ」では描かれることの無い、魅力的で深い凄みのある「ナウシカ」の世界が描かれています。

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2008/10/30

「風の谷のナウシカ」

風の谷のナウシカのコミック版と映画版の違い

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風の谷のナウシカは、映画版と原作コミック版では、大幅に話が違います。

 違いは可也有るのですが、特に大きな違いを3つあげるとすると、映画の時間的制約から変更された以下の点でしょうか。

・コミック版では、物語の展開上その多くを占める土鬼の国が、映画版では完全に削除された。
・兄弟達との権力闘争を初めとする、クシャナ関連の様々な話が映画では削除された。
・映画は、話を完結させるため、独自のエンディングがつけられた。

 原作ではトルメキアと土鬼という2大国家の抗争を基本軸とし、それに巻き込まれる風の谷やペジテの物語なのですが、映画では、腐海を焼きはらおうとするトルメキアと、それに巻き込まれる風の谷やペジテの物語に変わっています。

 つまり、もともとは人間同士(国家間)の戦いが基本になっていたのですが、戦争の当事者の一方である土鬼が、映画の時間的制約により削除された為、人間と自然(腐海)との関係に話の焦点が変わりました。
其の為に、映画のテーマは人と自然との関わりが中心となり、このテーマに沿った形で、独自のエンディングが作られました。

 この様な違いが生じた理由は、映画の時間的制約の他にも2つ程あります。
第一に、原作がまだ第二巻(全七巻)の段階で映画が作られた為、原作全体からみると映画はごく初めの部分だけの物語だという点。
第二に、原作がテーマ性をとことん追求しているのに対し、映画は、2時間の枠で起承転結つけて完結させるために、物語の構成や展開を変えているという点です。

 以下、如何なる経緯で、映画版とコミック版を製作することに成ったのか、経緯を考察して見ようと思います。
宮崎駿監督はもともとマンガ家を目指しいた時期もあり、断念してアニメを選んだという経緯がありました。
しかし、アニメの世界で「未来少年コナン」「カリオストロの城」などの名作を作ったにも関わらず、1982年当時、宮崎監督は仕事を与えられず、ヒマを持て余していました。

 そのため、雑誌アニメージュの依頼により、一度は捨てたはずの漫画を描き始めることになります。

以後 次回

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2008/10/29

「太陽の子 エステバン」について少々

太陽の子エステバンのご紹介

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 「太陽の子エステバン」は1982年にNHK総合テレビで放映された冒険アニメ。
原作はスコット・オディール(Scott O'Dell) の「黄金の七つの都市 (The King's Fifth)」(1966)で、この物語を元に現代に合った子ども向けの物語に変えて、かつ年齢も低く設定してアニメ化しています。
制作はぴえろ、音楽を越部信義 が担当、全39話。

 物語の始めの舞台は、大航海時代のスペイン、バルセロナ。
少年エステバンは、12年前に自分を海で助けた男メンドーサに出会い、自分の故郷が新大陸にある黄金の都市であることを知る。
そしてメンドーサと共に、故郷黄金の都市を捜し求める旅に出る。
航海の途中でエステバンは、神官パパカマヨの娘シア、ガラパゴスの島に住む、太平洋の失われたムー文明の子孫タオに出会います。

 新大陸では、黄金に目のくらんだスペイン人が黄金都市を捜そうと血眼になっていた。
エステバンを助けたメンドーサも人情に厚いところを見せつつ、エステバンと共に行けば黄金都市へたどり着けるという目論見を持っている。

 さて、お話は、スペイン、インカ、マヤ、オルメカと進んで行きます。
このお話の中で、登場する「ラ・ムーの巨船」「大コンドル」「ラ・ムー辞典」等、オーパーツに興味のある私には、良い設定だったと思います。

 最終回、エステバン達は、太陽の沈む方向、西に海を越えて「太陽の沈む国」(日本・ジパング?)を目指して旅をづづけるのです。

 この太陽の子 エステバンは、当時フランスでも放映され、なかなかの人気番組だったそうです。
現在でも、フランスでは、エステバン、シア、タオのキャラクター人形が、結構なお値段で販売されているとか。
一時は、続編の制作も検討されていたそうですが、資金等の問題で、実現しませんでした。
只、この続編、キャラクターデザインもフランスで行われ、我々の見慣れた、エステバン達とは全く違う者と言っておきましょう。

 キャストは主人公エステバンに野沢雅子、神官の娘シアに小山茉美、ムーの子孫タオに堀絢子、タオの飼っているオウム・グィンに植竹真子、エステバンを助けて旅する男・メンドーサに佐々木功、メンドーサの部下・ペドロに肝付兼太、同じくサンチョに青野武。ゴメス司令官に納谷悟郎、ガスパル副官に内海賢二、他。(あくまでも、TV放映時、DVD版は全く異なります)

 オープニングは「冒険者たち」で阿久悠作詞、大野克夫作曲、佐藤準編曲、歌は4人のユニット・パル。
  エンディングは「いつかどこかであなたに会った」でオープニングと同様阿久悠作詞、大野克夫作曲、佐藤準編曲、歌はパル。
このエンディングはNHK「みんなのうた」でも放送されたためオープニング以上に知名度が高く、また人気の曲でした。

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2008/10/28

「太陽の子 エステバン」

「太陽の子 エステバン」

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 このアニメーションを覚えている方、特にNHK-TVで放映を見た方は、多分30才代から50才代と思います。
私も、放送を一生懸命見たのは、大学生の頃、それもたった一度きりなのです。(DVDは見せてもらいましたが)
たまたま、当時本屋さんで、「ザ・セレクト」シリーズを買っているので、物語や登場人物は、覚えています。

「先頃、アメリカ航空宇宙局の衛星写真に、南米大陸のジャングル奥深く、不思議な文様が発見された。幻の黄金都市エル・ドラードではないかと世界中の人々の注目を浴びた。

エル・ドラード────
それは、アンデスの天険とアマゾンのジャングルに阻まれ、大勢の探検家の何世紀にも渡る必死の捜索を拒み続けてきた、インカ・幻の都である・・・・。」


 初めてこのセリフを聞いた時、「アンデス少年ペペロの冒険」第1回放送と同じ位のインパクトがありましたね!

 原作が、スコット・オディール(ネイティブアメリカンをモチーフにした作品も有ります)で、TVを見てから原作を読みました。

 原作は、1541年9月23日。
正に、大航海時代の真っ只中、新スペイン(今のメキシコ)ベラ・クルス要塞。
「キント・レアル(王の五分の一税)」の罪により囚われていた主人公「エステバン」は、「黄金都市シボラ」についての冒険記を独房の中で著しはじめる。

…1539年。アラルコン提督率いる一隊は、「新スペイン(今のメキシコ)」探険中のコロナード軍に補給物資を届けるため、カリフォルニア湾を北に航行していた。
エステバンは、「新大陸の地図」を完成させるために、アラルコン提督のガレオン船「サン・ペドロ号に乗船していたが、メンドーサ一味の姦計に巻き込まれ、彼らともども船から追放されてしまう。
命からがら新大陸に上陸した一行は、無事コロナード軍と合流することに成功する。
そこでエステバンは、黒い瞳の少女「シア」と出会ったのだった……。

 もう25年も前、夢中になって見たNHKのTVアニメ「太陽の子エステバン」。
TV作品は、原作の時代背景と登場人物を流用してはいるものの、オリジナルに近いものです。
幻の黄金都市と主人公の行方不明の父親を捜すために、スペインから南米大陸へ旅立ち、数々の冒険を繰り広げる壮大な物語。(父親を探す処は、なんとなく「ペペロ」に似ていますが・・・)

 アンデスを舞台にした、前編部分は、スペインに征服されて間もない、インカが舞台。
プーナ、老いたる峰の町(マチュピチュ)、インカ時代のつり橋、征服者ピサロの登場等、本当に楽しめました。
後編は、中米、マヤ、オルメカの設定ですが、この後編どうも、前編のリアルさを壊している様に感じるのは私だけ?
とは言え大航海の映像や遺跡の数々、道中の難所など、「次はどんなシーンが、待ち構えているのかな」という移動展開のワクワク感が最高。

 もう一度見たいと思いつつ、DVDが発売されたので、早速と思いきや、声優さんがほとんど違う。
そして何よりもひっかかるのが、オリジナルと結構違う点。(++)

■オープニングのナレーション(冒頭参照↑)が、オリジナルは、アナウンサー風でその方が本物感があった。
■そのナレーションとオープニング曲の間の音がない。
■オープニング曲に効果音が追加されている。
■前回までのあらすじと次回予告がない。
■エンディング曲が少し短縮版。
■番組後のドクトル順平の解説がない。
     
 特にメンドーサ役をしていた、佐々木功さんは、味方なのか敵なのか謎めいた雰囲気と男っぽさが、すごくはまっていた印象を持っているので、ちょっと残念。
っていうか何でこんなことに・・・・・・?(汗)

 ネットでいろいろ調べてみたところ、どうやらNHKがフィルムの保管をミスった可能性が高い(怒)!

 でも私の大好きなアニメーション作品のひとつです!

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2008/10/27

「クレオパトラ」

<アニメラマ・第二作 クレオパトラとは>

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 アニメラマ第2弾は「世界三大美女」の一人、クレオパトラが主人公。 
当時の新聞広告には、彼女のセクシーさが売りという意味で「とうとう…脱がしてしまいました」のコピーが添えられていました。
キャラクターデザインは「ヒゲとボイン」や「仙人部落」等で知られる大人漫画の代表的作家、小島功が担当。
彼の手によるクレオパトラのプロボーションは、実に素晴らしいものです。

 物語的には史実をベースに、数奇な運命をたどったクレオパトラの半生を描いたものですが、全編に渡って手塚治虫らしいユーモアやお遊びが次々と繰り出される、バラエティショウ仕立ての楽しい作品となっています。
主人公のクレオパトラからして、元々は醜い女であったが整形手術で美女に生まれ変わったというとんでもない設定ですし、何と「サザエさん」「カムイ外伝」「ハレンチ学園」と、当時の人気漫画キャラクターが友情出演!ローマ凱旋シーンではピカソやゴッホといった古今東西の名画が次々と登場し、シーザー暗殺シーンは「忠臣蔵」の松の廊下のパロディです。
TV番組「ゲバゲバ90分」で人気を博していたハナ肇が出演しており、当時の流行語の「あっと驚くタメゴロー」を披露するという悪ノリぶり。
実はSF仕立ての筋立てにもなっており、映画の最初と最後に未来世界が出てくるのですが、そこで、前代未聞の変わった手法が使われています。
まあ、それがどんなものなのかは本編を観てからのお楽しみという事で。 (へへ)

<物語>

 人間が宇宙に乗り出している21世紀、パサトリネ星の住人達が地球に対して「クレオパトラ計画」を企んでいる事が判明。
その計画の真相を探るため、3人の未来人の精神が、クレオパトラが生きていた紀元前50年のエジプトに転送された。 当時、エジプトは、ローマ軍の侵略を受けており、醜い女であったクレオパトラは、シーザーを陥落させるために整形手術を受けて、絶世の美女となった。
シーザーの死後、次のローマの司令官アントニウスがエジプトを襲い、クレオパトラは彼も虜にする。だが、1人の女としての幸せを望むようになった彼女は……。

<制作スタッフ・出演者>

原案構成/手塚治虫 
製作/米山安彦 
監督/手塚治虫、山本暎一 
脚本/里吉しげみ 
考証/カセム アリ 
キャラクターデザイン/小島功 
作画/中村和子、波多正美、赤堀幹治、上口照人、杉井ギサブロー、島村達雄、古沢日出夫、木下蓮三 
美術/伊藤主計 
音響/田代敦巳 
音楽/冨田勲 

声の出演/中山千夏、ハナ肇、なべおさみ、吉村実子、加藤芳郎、阿部進、柳家つばめ、初井言栄、野沢那智、塚本信夫、入江洋佑、今井和子

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2008/10/26

「千夜一夜物語」

<アニメラマ・第一作 千夜一夜物語とは>

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 手塚治虫と虫プロダクションが挑んだ「世界初の大人のためのアニメーション」の第1弾です。 世界四大奇書のひとつ「千夜一夜物語」(アラビアン・ナイト)を、現代的な解釈と、実写との合成等の最新技術を駆使して映像化したものです。
そのかつてない斬新なスタイルは「アニメラマ」と名付けられました。
キャラクターデザインは、今では『それいけ! アンパンマン』の作者として知られるやなせ・たかし。

 バイタリティ溢れる主人公像と、アニメーションならではのソフトさで、だけど大胆に描かれるエロス(艶めかしい裸の美女達が登場する女護ヶ島のシーンは、手塚自身が原画を描いています)。
そして、2時間を越える大ボリュームと、波瀾万丈の物語。
やや素朴ではありますが、それだけにエネルギッシュな魅力に溢れています。また、題材の面白さと大胆な画面構成が相俟って、今の目で見るとちょっとお洒落な作品です。

 声の出演は主人公のアルディンに青島幸男、他にも芥川比呂志、岸田今日子、小池朝雄と実に豪華。
遠藤周作、大橋巨泉、北杜夫、小松左京、筒井康隆といった著名人が特別に「一言出演」をしているのも話題のひとつ。

<物語>

 バグダットの街にやってきた水売りの青年アルディンは、奴隷市場で売られている美女ミリアムを見初め、大竜巻が街を襲ったどさくさに紛れて彼女を連れ去る。
それが彼の波瀾万丈の人生の始まりだった。
ミリアムの死、40人の盗賊、女護ヶ島、巨人のいる島、魔王の船等等。
そして、国王の座をかけた宝物合戦、ミリアムに似た少女との出逢い。
アルディンの冒険は続く!

<制作スタッフ・出演者>

総指揮/手塚治虫 
製作/富岡厚司 
監督/山本暎一 
構成脚本/手塚治虫、深沢一夫、熊井宏之 
美術/やなせ・たかし 
原画/宮本貞雄、中村和子 
背景/伊藤信治 
音響/田代敦巳 
音楽/冨田勲 

声の出演/青島幸男、芥川比呂志、岸田今日子、伊藤幸子、小池朝雄、加藤治子、三谷昇、高木均、文野朋子、名古屋章、有馬昌彦、渥美国泰、内田稔、新村礼子
 
友情出演/安藤孝子、遠藤周作、大橋巨泉、大森実、大宅壮一、木崎国嘉、北杜夫、小松左京、佐賀潜、立川談志、筒井康隆、野末陳平、前田武彦、吉行淳之介

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2008/10/25

「ある街角の物語」

「ある街角の物語」(虫プロダクションの実験作品)

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 この作品は、僅か39分の小品ですが、之こそ、手塚治虫の永年のアニメへの夢の実現第一号です。
私がこの作品を見る事が出来たのは、学生時代、映画研究会の合同サークルの時のたった一度ののみです。
 作品の存在は、文献等で知っていましたが、なかなか実写を見る機会に恵まれませんでした。
当時の記憶を辿ると、他に見た作品の事は、曖昧ですが「ある街角の物語」は、強烈なインパクトを持って、記憶されました。

<製作スタッフ>

原案、構成、製作:手塚治虫

演出:山本暎一、坂本雄作

音楽:高井達雄

美術:新井亮

原画:山本暎一、坂本雄作、紺野修司、杉井儀三郎、石井元明、中村和子

動画:林重行、山本繁、桜井百合緒、野木行雄、沼本清海、三浦津菜子、光山勝治

仕上:白川成子、松本和子、渡辺千津子、進藤八枝子、大野静子、鶴田淑子、松本節子、松本双葉、大内充子

背景:半藤克美、大脇章子

撮影:広川和行、佐倉紀行

編集:山本暎一

録音:太田千里、宮本隆

進行:川畑栄一

事務:今井義章、秋山記久恵

演奏:虫プロシンフォニック・オーケストラ

効果:泉司郎

<物語>

 何処かの国の街角、その壁に貼られた無数のポスター。
ポスターの青年バイオリニストとピアニストの少女との清らかな恋。
平和な街にやがて、戦火が迫り、愛し合う2枚のポスターは、爆撃の火災の中に、共に燃え尽きながら結ばれる。

 彼等を巡って、ネズミの一家、老いたプラタナス、消えかかりの街灯、ひねくれ者の蛾、街角の屋根裏に住む少女とぬいぐるみの熊、そして、街を覆いつくす独裁者のポスター等が、入り乱れ巧みにかみ合いながら、物語の大きなクライマックスに進んで行く。

 この物語に登場する人物等は、いわゆる見慣れた手塚キャラクターでこそ無いが、作品は本質的に手塚治虫のタッチで、完成していました。

 あの軽快な「アトム」のテーマソングを作曲した、高井達雄は、ここではポスターの主題、ひいては、自由と平和と愛の主題と言えるシャンソン風の覚えやすい、楽しいメロディーを創って、演出を盛り上げています。

 この作品は、この高井メロディー抜きには批評できない程、これ程、音楽が重要な役割を果たしたアニメーション作品も日本最初と言えると思います。
そして、この「ある街角の物語」は、やがて、手塚治虫と虫プロダクションが作り上げる「千夜一夜物語」や「クレオパトラ」等、大きな話題を呼んだ、2時間前後の超大作よりも、遥かに手塚治虫その人の作品らしさを備えていた、と私は今でも、思っています。

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2008/10/24

「アドルフに告ぐ」より印象に残る言葉5

アドルフに告ぐ 五回目

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「民族や人種どうしが にくみあうから、戦争がおこるんだわ。親子が引き裂かれてしまうんだわ」

「どの人種が劣等だとか、どの民族が高級だとか…あおりたてるのは ほんのわずかな、ひとにぎりのオエライさんさ…」

 民族と戦争について、とても的を得た言葉だと思います。
 
 以前、アメリカのブッシュ大統領が、いくつかの国を“悪の枢軸”と表現しましたが、これにしても、あおりたてたのは彼一人です。

 そして、そのおかげで、戦争が起こりました。
戦争という重要な問題が、トップダウンで、決まるのは、どうも良くない気がします…。

「由季江 死ぬなッ やっと戦争が終わったんじゃないか!!」

 終戦して間もなく、主人公である峠草平の妻・由季江が亡くなります。

  私事ながら、母方の祖母は、終戦の翌年、台湾からの引き上げ船の中で、亡くなりました。
激しい空襲を生き延び、やっと日本に帰るその途上でした。
その、哀れさは、如何なるものか、当時を経験した者でないと解らないかも知れません。

「日本中の人間が、戦争で大事なものを失った……それでもなにかを期待して、せい一杯生きてる人間てのは すばらしい」

 戦争と人間の、醜い部分。
それを描いてきたにもかかわらず、「人間てのは すばらしい」。

 このような言葉を吐かせられるところが、手塚作品の真骨頂だと、私は思います(^^)。

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2008/10/23

「アドルフに告ぐ」より印象に残る言葉4

アドルフに告ぐ 四回目

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「わ…わしは…あのうすぎたない害虫のユダヤ人の家系だ」

 自ら苦しむ、アドルフ・ヒトラー総統の言葉です。

 ヒトラーが、本当にユダヤ人の家系だったかどうか、現実として、ハッキリした結論はないようです。
でも、もしユダヤの血を引いていたとしたら、最も苦しんでいたのは、ヒトラーその人だったでしょうね…。

この言葉に良く似たセリフに、「十戒」の中で、チャールトン・ヘストン演じる、モーゼがエジプト王家の血を引かず、ユダヤ人奴隷の子供であると、妹のネフレテリに告げる、メムネットのセリフが有ります。

「われわれ全員 実は狂人の群なんだ」

 アドルフ・カウフマンは、味方を誰一人信じないヒトラーのことを、「総統は完全に狂ってる!!」と、上官に叫んでしまいます。

 上に引用した言葉は、その時の上官の返事です。

 でも、平気でタバコをポイ捨てできる人間が沢山居たり、現代文明によって環境を破壊している私たちも、実は狂人かもしれないな、と思ったりします…。

「ドイツ人だとか日本人だとか、なぜそう こだわるんだね。どっちだっていいじゃないか。好きあっていれば」

 アドルフ・カウフマンは、自分の母親が日本人と再婚して、ドイツ国籍でなくなったことを、再婚相手の峠草平に責め続けます。

 上に引用した言葉は、その時の峠草平の言葉です。

 好きであれば、どっちだっていい。真実は、単純ですよね(^^)。

「ユダヤ人や日本人を見下すことは許しません。それができないならば、ママを捨てるか…ドイツを捨てるか お決め!!」
   
 帰国後、まるで人が変わったように、ユダヤ人の親友、アドルフ・カミルを傷つけ、日本人の父も認めないアドルフ・カウフマンに、彼の母が叫んだ言葉です。

 人種や民族の差別というものは、それを生み出した側の人間も、いつの日か、その思想の間違いによって、自ら苦しんでいく気がします。

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2008/10/22

「アドルフに告ぐ」より印象に残る言葉3

アドルフに告ぐ三回目

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「だれが…だれがこんな戦争 始めたんだろ…にくらしい!!」

 銃に打たれた峠草平を看病した、居酒屋のおかみの言葉です。
おかみは、恋人が赤紙で召集され、戦死した経験を持っています。

 本当に、なんで戦争を始めるんでしょうね・・・・

「神につかえる者は、たとえ拷問や死をむかえようと恐れません!」

 (旧)ソ連在住、マゲン神父のセリフです。
ユダヤ人である、アドルフ・カミルの父は、ミール神学校のユダヤ人500人を亡命させるため、ソ連に渡り、マゲン神父を訪ねます。

 ところが、神学生は拷問や死を恐れないから、代わりに一般市民を亡命させてやってほしい、とマゲン神父は言います。

 作品の世界だけでなく、戦争中、現実に交わされた言葉のような気がします。

「ユダヤに同情なんかするもんか!!ただ 君が好きなだけだッ」

 アドルフ・カウフマンは、筋金入りのナチス党員へと成長していきます。
しかし、彼が愛してしまったのは、皮肉にもユダヤ女性でした。
上に引用した言葉は、彼がつい、その女性に告白してしまったセリフです。

 人を愛する本能は、人種や民族を絶対に差別できない。私はそう感じます。

「あなた ナチスのくせにユダヤ人の友達が居るの!? 偽善者ね」

 ナチス党員のアドルフ・カウフマンは、愛するユダヤ女性のため、日本にいるユダヤ人の親友、アドルフ・カミルの元へ彼女を亡命させる計画を持ちかけます。

 上の言葉は、驚いた彼女のセリフです。

かつて、哲学者の西田幾多郎は“絶対的自己同一矛盾”という言葉を吐きましたが、アドルフ・カウフマンは、まさにそういうコトかもしれません(^^;)。

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2008/10/21

「アドルフに告ぐ」より印象に残る言葉2

アドルフに告ぐ 二回目

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「だれにも しあわせに生きる権利はあるわ」

 ユダヤ人であるアドルフ・カミルへ、彼の担任教師・小城先生が かけた言葉です。
有史以来、差別のない時代は、なかったかもしれません。

 それでも、手塚治虫が小城先生に語らせた、この言葉こそ、私は真実だと思います。

「ママは別だ ママは日本人でもドイツ人でもない」

 アドルフ・カウフマンは、ヒトラーが『我が闘争』の中で、「日本人は二流民族」と語っていることを
鵜のみにします。

 しかし、アドルフ・カウフマンの母は、日本人です。そこで彼は、「日本人は二流民族」であるが、自分の母だけは二流でない、そう信じるのです。

 それが人情なんだろうな…と思います・・・・

「君は親友さ しかしなぜなぜ君は、ユダヤ人なんだ!?」

 アドルフ・ヒトラー・シューレ(AHS)に進学させられ、次第にナチスに染まっていく、アドルフ・カウフマンの言葉です。

 自分の母は、ドイツ人でも日本人でもない。
でも、親友については、ユダヤ人であることに葛藤する・・・・

 大人になるにつれて、子どもの頃の純粋な見方が失われていく・・・・
 どうしてなのでしょうね。

「人が人を裁く場合、ただ一つ 真実!それを探すほか あらへんのや」

 主人公・峠草平を取り調べる、仁川刑事の言葉です。

 戦争の時ほど、思想も裁きも偏ります。
しかし、キャラクターを通して、真実を語らせる。

 この、“真実を語る”ということが、手塚治虫作品の大きな魅力です(^^)。

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2008/10/20

「アドルフに告ぐ」より印象に残る台詞

「アドルフに告ぐ」より印象に残る台詞

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「君がユダヤ人だろうと、ぼくがドイツ人だろうと…関係ないだろ」

 『アドルフに告ぐ』には、

      ・アドルフ・カウフマン (ドイツ人と日本人のハーフ)       
      ・アドルフ・カミル    (ユダヤ人)
      ・アドルフ・ヒトラー総統 (直系の祖父がユダヤ人 ※この物語のなかで)

 という3人のアドルフをモチーフに、暗雲たなびくヨーロッパ。
1936年のベルリン・オリンピック以降、独逸による、ポーランド進行に端を発した、第2次世界大戦でのナチスによる、ユダヤ人虐待を描いた、悲惨な物語です。

 間違いなく、手塚治虫さんの代表作の一つと言えます(^^)。

「ぼくにはユダヤの友達がいます。あの子は害虫じゃありません!!」

 アドルフ・カウフマンの言葉です。
彼の周囲の人たちは、ドイツ人ばかりです。そのため、ユダヤ人のアドルフ・カミルを平気で軽蔑します。
それでもアドルフ・カウフマンは、アドルフ・カミルを庇い続けるのです。

ただ、子どもの頃は純粋だった、アドルフ・カウフマンも、大人になるつれ、ナチスに迎合して行きます・・・・・。

「ユダヤ人をほうむることは神の啓示なのだ」
   
 アドルフ・ヒトラー総統のセリフです。
同じ人間をほうむることが、神さまの啓示とは、全く思えません。

 私にとって、それ以上に不可思議なのは、当時のドイツ国民の殆んどが、ヒトラーを支持したという事実です。

このアドルフ・ヒトラーの言葉は、大問題を包括した、言葉としてあえて上げました。

「たしかに人気はいい……だがおれは だまされんぞ」

 この物語の主人公、峠草平のセリフです。
もちろん、ナチスに対する言葉です。
なんでもそうですが、流されないことは大事です(^^)。

 彼の弟は、ドイツに留学している最中に、“ヒトラーがユダヤ人”という証拠の出生文書を手に入れたため、ナチスに暗殺されます。
峠草平は、亡き弟の遺志を果たすため、その出生文書を探し、ナチスと戦う人生に突入します。

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2008/10/19

「火の鳥・復活編」より名台詞

「火の鳥・復活編」より

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「問題は永遠の生命を手に入れて……なぜ生きるのかということですよ」 

 『火の鳥(5)復活・羽衣編』は、医療・科学の進歩により、完全な死の後、手術によって復活し、死ねなくなった、レオナ・宮津の物語です。
レオナは、火の鳥の生血(不老不死の血)を手に入れようとする、身内に銃で撃たれ、エアカーから墜落死します。
この言葉は、火の鳥の生血(不老不死の血)の隠し場所で、身内達に対して、向けられた言葉です。

「なぜ生きるのか」 

 これは、永遠の生命を手に入れていなくても、大きな問題です(^^;)。

「あんまり科学のちからってやつを信用すんな!」

「人間の生命ってもんは…………人間のちからじゃしょせん どうにもならねえのさ」
   
 レオナは、OLロボット(原文BGロボット)チヒロと中国大陸へ、逃亡します。しかし、悪天候の為山奥で、エアカーが遭難。
それを臓器を密輸する密輸団に発見されます。レオナを人目見た、密輸団の女ボスは、病に侵された自分の為に、レオナの体を手に入れようと画策するのです。
やがて、レオナは計画通り、女ボスの罠に繋り・・・・・・

 レオナ・宮津は、科学的な手術により、死ねなくなりました。
しかし、確実に副作用が残るのです。

 ここで引用した2つの言葉は、かつて医学部に学び、『火の鳥』で、宇宙の生命をテーマにした手塚治虫さんらしい言葉だと私は思います。

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2008/10/18

「火の鳥・鳳凰編」より名台詞

火の鳥・鳳凰編より

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「人間も虫も生命の重さについてはおなじ……」

 『火の鳥・鳳凰編』は、奈良時代に仏教が政治に利用され、そこに茜丸、我王という2人の仏師が巻き込まれていくストーリーです。
茜丸のライバル・我王は、生れたその日に崖から落ちて片目片腕になり、心がすさみ、人殺しを繰り返します。
しかし、愛する女性(本当は、虫の精)を殺したことをキッカケに、命の重さに気づいていきます。

「生きものは、などんなちっぽけなものでも、生をうけたからには、なにか生きる役目をもっているはずじゃ」

 殺人を繰り返した我王は、狂い病にとりつかれた村に迷い込みます。
その時、村びとから懇願されて魔よけの像を彫り、我王は生まれて初めて、お礼を言われます。
そして、その事実を目撃した良弁僧正が、仏師こそ、我王の使命だと認めるのです。
ここで引用した言葉は、その時の良弁僧正の言葉です。

「苦しい試練にたえぬいたとき、きっと おまえの心の中に、ほんとうの仏がつくられるだろう」

 再び、良弁僧正が我王にかけた言葉です。
苦しい試練に出会っても、本当にそれを乗り越えたとき、心はまっすぐ、明るくなるものです。
それを知っていれば、苦しい試練も、なんのその、と言いたいトコロですが……(^^;)。

「虫魚禽獣死ねば…どれもみんなおなじ!人が仏になるなら…生きとし生けるものはみんな仏だ!」
 良弁僧正が亡くなられたとき、我王は悟りを得ます。その時の言葉です。
私は悟っていないので、わかりませんが、「生きとし生けるものはみんな仏だ!」という言葉は、おこがましいかもしれませんが、自分自身も含めてそうあってほしい、と思います(^^)。

「生きる?死ぬ?それがなんだというんだ。宇宙のなかに人生などいっさい無だ!ちっぽけなごみなのだ!」
   
 悟った瞬間、我王は宇宙と一体になります。
そして、宇宙と一体になったとき、すべてが宇宙生命に満ちあふれていることを深く知るのです。
これぞ、『火の鳥』の真骨頂です(^o^)。

「おれは生きるだけ生きて……世の中の人間どもを生き返らせてみたい気もするのです」

 我王の師・良弁僧正は、仏教が政治に利用され、自分もまた、その道具として使われたことで、すべてに愛想をつかし、自ら即身仏となる道を選びます。
しかし、“生きているから美しい”と気づいた我王は、上の言葉を残します。

『鳳凰編』は、火の鳥シリーズでも特に、私が好きなストーリーの一つです(^o^)。

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2008/10/17

「火の鳥・ヤマト編」 名台詞

火の鳥・ヤマト編より

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「歴史とは あらゆる角度から、あらゆる人間の側から調べなければ、ほんとのことはわからないものなのである」
   
 『火の鳥・ヤマト編』は、日本武尊(やまとたけるのみこと)をモデルにした、ストーリーです。
古事記や日本書紀は、ヤマト王朝の側から、書かれたものであって、九州地方に住んでいた、クマソの側から書かれたものではない、と手塚治虫さんは言います。
そして、弱者の側から真実を描いていくのが、手塚治虫さんの素晴らしいところだと思います(^^)。

「殉死という名で、何十人ものひとをいけにえにする…そんなことが王の権威なんですかっ」

 ヤマト編の主人公、ヤマトタケルの言葉です。
これは、古墳の周囲に人間を“いけにえ”とすることへ反対した言葉です。
ストーリーの中で、ヤマトタケルは父王の墓の建設を命じられます。
しかし途中から、古墳を遊園地に作り替えてしまいます(^o^)。→ヤマトの歴史に残るものとして!
自分なりのアレンジを混ぜつつ、おかしなコトへの問題提起をしてしまう。
それもまた、手塚治虫さんの魅力の一つです(^^)。

「死なないことが しあわせではないぞ。生きているあいだに…自分の生きがいを見つけることが、大事なんじゃ」

 “なぜ火の鳥をつかまえて血を飲まないんだい?”という質問に対する、クマソのおじいの言葉です。
死なないことではなく、生きがいを見つけること…。
たしかに、それが大事な気がします(^^)。

火の鳥・ヤマト編は、火の鳥とヤマト・オグナとの音楽を通じた、心の交流シーンや物語の中に随所に登場するギャグ等、賛否両論有りますが、私個人は、黎明編の後を受けてのストーリー展開は素晴しいと思います。

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2008/10/16

「火の鳥・未来編」の名台詞

出典:『火の鳥・未来編』

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「なぜ機械のいうことなど聞いたのだ!なぜ人間が自分の頭で判断しなかった」

 『火の鳥(2)未来編』は、西暦3404年から始まるストーリーです。
この時代、汚染された地上に住めなくなった人類は、地下に都市(永遠の都)を作り、コンピューターの計算を絶対意見として、生活しています。しかし、コンピューターが戦争を決断した為、3人の人間(山之辺、ロック、猿田博士)を残して、人類は滅亡してしまいます。

これは、生き残った3人のうちの1人、猿田博士の言葉です。

「地球が存在するかぎり……生きものは………りっぱにこの地球の上で生きつづけなければならないんじゃ!!」
            
 地下都市での生活を拒否していた、猿田博士の言葉です。
著者である、手塚治虫さんの願いが、込められた言葉のように感じます。

「きみは地球を見はなす気かっ、ぼくにはできない」  
           
 地球で生き残った3人の人間のうち、ロックは宇宙への脱出を提案します。
この言葉は、ロックの提案に対して、山之辺マサトが 吐いた言葉です。
この後、山之辺マサトは、火の鳥から永遠の命を与えられます。
そして、新たな人類の誕生を見守る為に、生き続けていくのです。

「宇宙生命(コスモゾーン)は 形も大きさも色も重さもなにもないのです。でも、ただとびまわっているだけではありません。この宇宙生命たちは物質に飛び込みます。するとその物質は はじめて生きてくるんです。銀河系宇宙のような大きなものから、惑星たち 地球も! 動物や植物、その細胞も……分子も原子も素粒子もみんな宇宙生命が入り込んで、生きているのですよ」                                             
 火の鳥が、山之辺マサトに語った言葉です。
手塚治虫さんの宇宙観・生命観と言えると思います。
神や仏、生命の神秘について、本当のところは、あの世に行かない限りは分からない、と私は思います。
でも、手塚治虫さんは、それを誰にも分かるカタチで描ききりました。
本当に、本当に、凄いことだと思います……(^^;)。

「今度の人類こそ、きっとどこかで間違いに気がついて…生命を正しく使ってくれるようになるだろう」

『火の鳥(2)未来編』を締めくくる、火の鳥の言葉です。
この未来編は、『火の鳥』シリーズの中でも、手塚治虫さんの願いが色濃く表現された一冊で、私個人としては、特にお気に入りの一冊です(^^)。

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2008/10/15

「火の鳥・黎明編」より名台詞

多分、幾度も読み返している本の中でも、特に多いのが「火の鳥」です。(初めて読んだ年齢が13歳ですから・・・・)
今回、「黎明編」から印象に残る言葉をご紹介します。

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「人間は虫よりも魚よりも犬や猫や猿よりも長生きだわ
 その一生のあいだに……生きている喜びを見つけられれば、それが幸福じゃないの?」
 

火の鳥に矢を向けるナギと火の鳥との会話。出典:『火の鳥(1)黎明編』
            
 火の鳥の血を飲めば、不老不死になれる。
その伝説を信じ、火の鳥を追ってきたナギに、火の鳥が語りかけた言葉です。
    
     虫たちは、人間より短い一生の中で、
     満足して死んでいく。にもかかわらず、
     人間は…というわけです(^^;)。

「殺して なんになる……」

 ナギを殺せと命じる卑弥呼に、猿田彦は、剣をぬくが・・・・出典:『火の鳥(1)黎明編』
            
 『火の鳥(1)黎明編』は、卑弥呼が、不老長寿を求める物語を中心に、展開します。
この言葉は、猿田彦の言葉です。猿田彦は、彼が育てた若者・ナギを殺せと、女王・卑弥呼から命令されます。
その絶対命令に対し、なんと猿田彦は拒否します。     
    
     「殺して なんになる……」。
     人間の歴史を通じて、現代に至るまで、通用してしまう名言だと思います。

「みにくくなれば
 男は見むきもしないわ」


 高天原族に捕らえられた、猿田彦とナギは、ヨマ国の女性、ウズメに助けられます。
 出典:『火の鳥(1)黎明編』
            
 戦争で滅ぼされた国の美しい女性、ウズメが、態と醜い化粧をして男たちを騙し、難を逃れました。
そのウズメの言葉です。

     皮肉ですが、真実を含んだ言葉だと思います(^^;)。

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2008/10/14

「アドルフに告ぐ」 作品内容を少々。

「アドルフに告ぐ」を掲載した処、多くの方から、知らない、内容を知りたいとのお言葉を頂きましたので、少々荒削りですが、内容を少々。

<物語>
 1981年、イスラエル。初老の日本人男性が、ひっそりと墓地の一角に佇み、其処にある墓に花を供えた。 彼の名は、峠草平。40年前、3人の「アドルフ」に出会い、そしてその数奇な運命に立ち会うことになった彼は、全ての終わりを見届けた今、その記録を一冊の本として綴ろうとしていた。
時は、1936年、ベルリン・オリンピックに湧くドイツへと、遡る……。

 第二次世界大戦当時の日本とドイツを舞台に、アドルフという名前をもつ3人の男がたどった運命を描く長編マンガです。
1936年、ベルリンオリンピックの取材でドイツにきていた峠草平は、そこで留学中の弟が殺されていることを知ります。
やがて弟が殺された理由が、彼がアドルフ・ヒトラーの重大な秘密を文書にして日本へ送ったためであることが明らかになってきます。
その文書とは、ヒトラーにユダヤ人の血がまじっているという出生の秘密を明かすものでした。

一方、神戸に住むドイツ総領事館員のヴォルフガング・カウフマンも、本国からの指令を受けて、その文書の行方を追っていました。
そのカウフマンにはアドルフという息子がいました。
カウフマンはアドルフを国粋主義者として育てようとしていましたが、アドルフは、自分と同名のユダヤ人アドルフ・カミルと親友だったため、ユダヤ人を殺してもいいと教えるナチスドイツの考え方には反発を感じていました。
しかし、アドルフ・ヒトラーという独裁者が支配する恐怖の時代に、ふたりのアドルフの運命は大きくねじ曲げられていくのでした。

<主な登場人物>
峠草平
 協合通信のドイツ特派記者。W大陸上の元花形選手。ドイツに留学する弟をもつ。ベルリンオリンピックに湧くドイツで、弟から掛かってきた一本の電話が、彼の人生を大きく変える事になる。

アドルフ・カウフマン
 熱心なナチス信奉者のドイツ外交官を父に、日本人の由季江を母にもつハーフの少年。神戸に住み、ユダヤ人のアドルフ・カミルとも仲良く暮らしていた。しかし、父の強い要望で、ナチスの幹部養成所AHS(アドルフ・ヒトラー・シューレ)へと送られることとなった彼は、必死の抵抗もむなしくドイツへと送られてしまう。カミルとの強い友情と、再会を胸に発った彼であったが、狂気の影は少年の魂を貪ろうとしていた。

アドルフ・カミル
 神戸へと亡命したユダヤ人の少年。実家はパン屋である。長い日本暮らしで、流暢な関西弁を話す日本人として成長していくが、ユダヤを弾圧するナチスに抵抗を試み、恩師である小島先生とともに、水面下での活動を開始する。いつかユダヤ人が弾圧されずに暮らせる世界を夢見つつ……。

アドルフ・ヒトラー
 あえて説明する、必要はありませんね。

登場人物は、多数に及びゾルゲ事件で、有名なリヒャルト・ゾルゲも登場します。当時の歴史に興味を持たれている方なら、登場人物を見ただけで、引き込まれる作品ではないでしょうか?

<付記>
この作品の掲載誌はマンガ雑誌ではなく、1983年 1月6日から1985年5月30日まで、週刊文春(文藝春秋)に連載されました。
更に、編集長からの「徹底的にシリアスな大河ドラマを」という求めに応じて描かれたという事もあって、手塚治虫の青年マンガ作品の中でも、ひときわシリアスでハードな社会派ドラマとなっています。
日本での舞台は、手塚治虫が少年期を過ごした戦前・戦中の神戸を中心に描かれていて、手塚治虫が過ごした当時の神戸の雰囲気がよく描かれているところも注目すべき部分です。
連載中に体調をこわして入院するなどした為に、後半はエピソードが大幅にカットされ、単行本化のときに描き加えられました。
2008/10/13

「アドルフに告ぐ」 手塚治虫作品を貴方は知ってますか?

アドルフに告ぐ 
 手塚治虫氏は、数多くの漫画を世に残されました。
しかし、その代表作に挙げられる「アドルフに告ぐ」は、その内容の質の高さに比べ、かなり知名度が低いように思われます。

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 ノンフィクション、第二次世界大戦、ヒトラーがユダヤ人の血統であったならという設定
歴史ものであるため、少し取っ付き難い感はあります。ですが、その程度の理由で、この漫画史上最高傑作の一つを読んでいないというのは、あまりに寂しい。

 他の漫画にもそうあったように、手塚氏の永遠のテーマとは「命」ではなかったか。
そして、その尊いながらも、はかなく散って行く「命」が、際限なく失われていく「戦争」。
この手塚氏の反戦の願いを込めた「アドルフに告ぐ」を読まずして、「手塚治虫氏」を語る事は、氏を敬愛するものにとって不明と言わざるを得ません。

 また数度しか読まずして、「戦争はいけないなぁ」程度の考えしか浮かばないようであれば、それは再々熟読の必要があり、一字一句に全神経を集中して読んで欲しい、と切に願うのであります。

 私も胸をはって威張るほどの考えはありませんが、少なくとも、単に「戦争は悲惨なもの」とだけ捉えるのではなく、もう少し客観的に深く突っ込み、戦争がなぜおきてしまうのか、どういった状況でおきるものなのか。といった様に、根本的な部分を考えてみましょう。

「正義ってものの正体をすこしばかり考えてくれりゃいいと思いましてね・・・つまんない望みですが」

 峠草平の最後のセリフ。戦争はいつもお互いが正しいと信じ、その結果、実力行使により始まってしまう事が多い。例えそれが侵略行為であったとしても、何かに理由をつけ、そして必ず「正義」という言葉を使い、正当性を主張するのです。
勿論こうった場合は、言葉そのものに問題があるわけではなく、その使われ方、そしてその言葉に煽動される人たちにも原因がある様に思われます。

 ここで具体例というか、史実を交えて考えてみましょう。

 戦争がおきる原因の一つに、ある特定的な社会的状況があります。今までの歴史を振り返ると、要は食えない世の中になっていると、起こりうる可能性が高いようです。
大失業、不景気、株価の暴落、古くは疫病の流行、大災害といったような生きるのに困難な状況で、戦争はよく起きてきました。
そのような時に先導者の登場です。彼らは自分達を「救世主」とでもいうのでしょうか。

 第二次大戦前夜のナチス(国家社会主義独逸労働者党)です。
当時のドイツは、第一次大戦で敗北し、巨額の負債(賠償金)を支払うため、マルク紙幣を大量に発行しました。そのため貨幣価値がさがり、破壊的なインフレにより、経済がマヒ状態になってしまい、国内は混乱の極みとなったのです。 
 そのインフレの度合いはというと、朝と夕方での貨幣価値が半分程になるのは当たり前。
最悪の時には、100億マルクでパン一個しか買えないというもの。なんとも凄まじい。

 こうなると国民は、生活をなんとかしてくれる救世主を求めるようになり、その願いと、ヤクザのような集団であったナチスの野望が一致してしまいます。アウトバーン等の国内政策では自ずと限界がきてしまいます。国内に物がなければ他から奪うしかありません。

 こうしてついに、1939年隣国ポーランドへの侵攻をきっかけに第二次大戦が始まりました。(実際は前年、オーストリア、チェコスロバキアを強引に併合していますが、戦いらしい戦いは余りなかった為、ここではこう解釈します。)

 以上の事から解ります様に、決してアドルフ・ヒトラー一人が独善的に戦争を始めた訳ではない
のです(勿論、弁護する気はありませんが)。混沌とした社会への不満から生み出された民意、そして一握りの先導者。両者の思惑が合致した時、戦争が起こってしまうのも必然であったかもしれません。
理由は他にも山程あり、これに民族、宗教、人種を加えると分厚い本になりますので、また別の機会に。

<ちょっとここまでのまとめ>
 要するに「正義」というのは、利用する側にとって都合のいい言葉という事です。
支配する者とされる者。世の中の仕組みを知れば、おのずとその姿は理解できます。
以上が私の考える「正義の正体」です。

 もう一言付け加えるならば、正義とは「自分の信じる道」、といえます。
そこにある価値観は主観的で、ともすれば独善的ともいえるでしょう。
どんな理由があるにせよ、私には「正義」という言葉に何の普遍性はないと考えるのです。

 人が一つの事に没頭し、打ち込む姿というものは美しく、尊いものです。ですが、いつまでも一つのことに捉われ、他者の考えを理解しようとせず、それらを攻撃し、もしくは無視していては、永久に「戦争」をなくす事は出来ないでしょう。もっというならば、そんな了見の狭さが「戦争」を起こすきっかけになるでしょう。「正義」という言葉に、盲目的にならないようにしたいものです。

 さて、先程までは「正義」と「戦争」について考えてみましたが、冒頭で『「戦争はいけないなぁ」
程度の考え』と述べてしまいましたので、その責任をば。いま少しのお付き合いを。

 戦争を「悲惨なもの」、「繰り返してはならないもの」とだけ捉えるのではないのなら、どう捉えるのか。あくまで私の考えですが、感情に訴えるのではなく、論理的に、客観的に捉えることだと思います。

 ほとんどの戦争についてのテレビ番組は、ホロコースト(大量殺戮)の写真や、特攻、原爆の悲劇的な話しかしません(日本国内の話ですので、アジア圏はあまりないんですよねぇ・・・)。
私には、どう見ても感情にしか訴える方法にしか思えないのです。

 常に、被害者側の立場としてからしか物事を見ず、自分達がやられたことばかり強調し、結果として、こんな悲劇は繰り返してはならない、皆さん平和を大切にしましょうとでもいいたげ
です。

 これで反戦の意思は伝わるのでしょうか。私自身、戦争を知らない世代ですので、実際そういった戦時中の話を聴いても、正直実感できません。というより、「わかる」といっても信じる人はいないでしょう。単刀直入に言えば、感情的になっても、人はすぐ忘れてしまうのです。

 ではどうするのか。
もうお分かりでしょうが、被害者としてではなく、加害者、また一番肝心なのは中立の立場で見ていくことです。論理的に捉えていくとはそういうことだと思います。
日本では被爆国として、アメリカではパールハーバー、中国、北朝鮮、韓国では日本の侵略行為を挙げ、反戦を訴えますので、永遠に平行線といった感じです。

 なぜ、どうして戦争に至ってしまったのか。それぞれの国の視点で見て、考えなければ事の真理は見えてこないでしょう。正確な歴史というものを先入観なく、学んでほしいものです。

 以上が私の考察なのですが、ここで大事なことは、正しいのかどうかということではありません。早急に結論をだし、それにこだわり過ぎないこともそうなのですが、峠草平の言葉、「すこしばかり考えてくれりゃいい」というのを実践したにすぎません。十人十色、他にも様々な考えがあるでしょう。

 「アドルフに告ぐ」は時間とともに、そして自らの成長とともに読み返すと、異なる発見と解釈があるはずです。常に本作品を頭の隅に置き、偶さかに広げ、考えを巡らせては如何でしょうか。それが手塚氏のこの作品に込めた想いの様に考えるのです。

以上、あくまでも、私個人の意見です。

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2008/10/13

深夜の帰宅、東の空にオリオン座が鮮やかに

オリオン座の神話
この季節、夜も深まると一段と寒さを感じます。今回は、少々志向を変えて星座のお話です。

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 ~命をかけた恋~

 オリオン座は全天で最も美しい星座だといえます。その名はギリシア神話の狩人オリオンに由来している。
 オリオンは海神ポセイドンと女神エウリュアレの子として生まれ、たぐいまれな美しさを備えて逞しい若者に成長しました。航海に優れていた古代ギリシアの人々は、荒れ狂う冬の海上に輝くオリオンの星々をみて、改心の子を想像したのでしょう。オリオンは父から水の上を歩く力を与えられていまた。そこで海をこえてギリシア本土と島々の間を自由に渡り歩きました。
 やがてクレタ島で、オリオンは月の女神アルテミスに恋をしました。アルテミスは狩の女神でもあります。2人は一緒に狩を楽しんで過しました。しかしあるとき、オリオンは自分の腕前を自慢するあまり、地上のあらゆる生物を射止めてやると言い放ってしまいました。これを聞いた大地の女神は怒り、一匹の大サソリを送ったのです。その猛毒の為にさすがのオリオンも命を落としたと言います。
 
 これはオリオン座とさそり座が天球上の反対方向にあり、同時に見えないことから考えられた物語だと言われています。さそり座が西の地平線に沈んでから、オリオン座は東の地平線を昇ってくる。そして、さそり座が東の地平線に現れる前に、オリオン座は西の地平線に隠れ、サソリを恐れているように見えるからです。
 
 オリオンの最後については、色々な説があります。オリオンは美男子ではあったが粗野だった為、アルテミスは彼を嫌っていた。それでもオリオンは女神の歓心をかおうとしたので、アルテミスは密かにサソリを送って殺させたとも言われています。
 
 星になったオリオンは見事に射止めた大ライオン(獅子)の毛皮を掲げ、雄々しい姿を見せていいます。その周りには、彼に纏わる神話の動物達が星となって輝く。東のおおいぬ座とこいぬ座はオリオンに従う猟犬です。彼の足元には獲物のうさぎ座がはね、前方(西)を小鳥たち(プレアデス星団)が逃げていく。
 
オリオン座探索 

 オリオン座には、1等星が2個、2等星が5個と、際立って明るい星が集まっています。これほど大粒の星からなる星座は他には無く「星座の王」といわれています。
 
 オリオン座の冬が見頃です。元旦の午後9時ごろに南東の方向に向かい、空高く仰いで見ましょう。地平線から高さ40~60度辺りにオリオン座が見えます。明るい星が縦長に四角形を作り、その中に三つの星が斜め左下がりに並んでいる。この四角形はずいぶんと大きく見えますが、腕をいっぱい伸ばしてみると、ちょうど葉書ぐらいの大きさがあります。
 
 2個の1等星は四角形の左上の角と右下の角に輝いています。左上の星はベテルギウス、右下の星はリゲルと名づけられています。一つの星座の中の星は、普通明るい星から順にギリシア語のアルファベットでアルファ星、ベータ星、ガンマ星と呼ばれます。しかしオリオン座のアルファ星ベテルギウス、ベータ星はリゲルで、明るい星にはこのような固有名がつけられています。
 
 四角形の中の三つの星は「アリオンの三ツ星」といわれ、オリオンが腰に締めたベルトにあたります。この三ツ星を挟んで、ベテルギウスのオレンジ色とリゲルの青白色の光が対照的な美しさを見せています。
 
 オリオン座の中心の星の配列が分かったら、3等星や4等星も探してみましょう。これらの星をたどっていくと、右手に棍棒を振り上げ、左手に獅子の毛皮を持つ、雄々しい狩人の姿が夜空に浮かび上がってきます。

参考文献:星座の四季 藤井 旭著より

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2008/10/11

ハリー・ポッターと炎のゴブレット

ハリー・ポッターと炎のゴブレット

<物語>
 ハリー・ポッターのホグワーツ4年目の新学期初日はダンブルドア校長の重大発表から始まった。世界の三大魔法学校が一堂に集まり、選りすぐりの精鋭たちが魔法の力を競い合う、[三大魔法学校対抗試合]が、100年の封印を破り、再開されることになったのだ。参加資格は17歳以上。立候補した生徒から“炎のゴブレット”が各校の代表選手1名を選び出すことになり、フラー・デラクール、ビクトール・クラム、セドリック・ディゴリーが選出される。
 
 ところが、引き続いて4人目の選手としてハリーの名前が告げられた。資格もなく、立候補もしていないハリーだが、ゴブレットに選ばれた以上、4人目として出場することになる。立ちふさがるドラゴン、水中で待ち受ける水中人/マーピープル、生きている巨大迷路と、競う種目は一筋縄ではいかない難題ばかり。しかし、本当の恐怖はゴールの向こう側に待ち構えていた…。

<本>
 ハリーはずいぶん自分の感情に素直になってきていてイイ感じです。かなりイイ(笑)性格になってきているような気が・・。
お父さんのジェイムズはこんな感じだったんでしょうか。
ロンがハリーに嫉妬する気持ち。すごく良くわかるな~・・。それを乗り越えたんだから、また3人の友情の絆は一段と深くなったことでしょう。これからの3人の活躍に期待♪

 ネビル君の過去には鼻の奥がツンとなりました。彼も辛い過去を背負っているのですね・・。
ジニーと上手くいってくれるといいんですが。

 最後に、この方に触れないわけにはいかないでしょう・・。セドリック・ディゴリー。
「いい人は長生きしない」という言葉の典型的な人生のような・・。
善良で親切で正直で。彼の死は本当にズシンと来ました。泣けました・・・・・・・・。

 なんだかとりとめがなくなってきましたが、ハリー・ポッターのシリーズは、やっぱり文句なく面白いです。
ウィーズリー家の上の2人のお兄さま方も最高ですし、登場する色々な魔法の描写も最高ですね♪
この巻も色々と伏線が張ってあるんでしょうね~。

<映画>
 イイですね~。
なんといっても、一作ごとに成長していくハリー、ロン、ハーマイオニー、ネビル、ドラコ、その他ホグワーツの生徒の面々をビジュアルで見られるのが、楽しくって仕方ありません。
願わくば、最終作までこのキャストで撮影してくれると最高なんですけどね・・・。

舞踏会のシーンのハーマイオニーは本当にキレイでしたね~・・・・。ホレボレしてしまいました。
ぎこちない三人組の恋愛模様もニマニマでした・・・。
いつまでも何度でも観ていたい、ステキなシリーズです。

※今回のハリーポッターの各記事は、版権等の問題が発生する可能性があるので、イラスト、映画映像の掲載を控えてます。

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2008/10/10

ハリー・ポッターとアズカバンの囚人

ハリー・ポッターとアズカバンの囚人

<物語>
 ボグワーツ3年目。義実家で魔法を使ってしまったハリーは夜行魔法バスで戻ることに→逃亡中の凶悪犯シリウスのことを聞く。ロックハートの代わりに来たルーピン先生は実力もあり面白い授業をする。義実家の許可が出なかったため外出できないハリーは、ルーピンから両親の話を聞いて慰められる。次の外出日、忍びの地図と透明マントで外出したハリーは、シリウスと父が友人で、シリウスが名付け親だったことを知りショックを受ける。

<本>
 ハリーは13歳。前2作より成長しているのは明らかなんだけど、情動面では今までよりも怒ったり喜んだりの感情の起伏が激しくなっているような気が・・・。

 これはダーズリー家での生活によって、抑圧され続けた感情が、ホグワーツという自分の居場所を見つけたことで、素直に感情を表せるようになったということなんでしょうか。
ハリー、ロン、ハーマイオニーの3人は、前作のように息もぴったり、というわけにもいかず、ちょっとギスギスした関係になっちゃった期間が多くて残念。だけど13歳頃ってそうだよね~、とも思ったりして。ま、最終的には3人の友情はより強まってるわけなんですけど。

 この巻のハーマイオニーはロンとケンカしてばっかりだったけど、どーもロンが気になって仕方ないみたいなんだよなー。ロンはまったく気づいてないみたいだけど。ハーマイオニーがロンに泣きながら抱きついたシーンは名場面のひとつかしら。

 一方、私の独断と偏見によると、ハリーとチョウ・チャンにもロマンスの予感??
そして、この巻で私がメロメロになってしまったお方、リーマス・ルーピン先生。もうたまりません~♪
大人で、穏やかで、優しくって、ちょっとのんびりしてて、いつもチョコレート持ってて・・。
「セブルス、呼んだかい?」と暖炉から出てくるシーンは、もう最高っすね!

<映画>
 ハリー・ポッターシリーズの既刊本の中では、一番好きな第3巻ですので思い入れが強すぎたのか、一回目を観終えた後には、何か物足りなさを覚えたんですよね・・。
「感動させろ!」とまでは言いませんが、なんとなく「アッサリ」しすぎていたような・・・(^^;
でも、2回目を観たら、そんな想いも消えて、映画の世界を楽しむことができました。

 ただ・・・。私の大のお気に入りのルーピン先生が、どうにも私のイメージと違っていて・・・。
いえ、デビット・シューリスさんが悪いというワケではないのですが・・。人狼のビジュアルもちょっとイメージが違ったかも(^^;
でも、いっぱいチョコレート出してくれたのは嬉しかったです!
「セブルス、呼んだかい?」のシーンと、別れのシーンの「先生、行かないで!」がなかったのは、ちょっと残念でしたが・・。
ハリーとのほのぼのシーンは良かったですよね!
リリーをアツク語るルーピン先生は、ちょっと新鮮でした。「秘めた恋?」などと思ってしまいましたよ。(←深読みしすぎ?)

 三人の成長する姿を見るのは、本当に楽しいものですね。

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2008/10/09

ハリー・ポッターと秘密の部屋

ハリー・ポッターと秘密の部屋

<物語>
ハリー・ポッターが親友のロンやハーマイオニーたちと、ボグワーツ魔法学校の2年生になって戻ってきました。ところが、かつてサラザル・スリザリンによって作られたという''秘密の部屋''が再び開かれたらしく、つぎつぎと起こる事件にボグワーツ存続の危機が迫ります。

 ハリーの耳に聞こえる怪しい声、もしやハリーこそスリザリンの継承者では?と思いつつ、次々と躍動感のある展開にハラハラドキドキ。それにしても、みんなに「あぁ君がハリー・ポッター」と言われるのがどうしてなのかそれが未だに謎です。ダンブルドア校長の理解に支えられて大活躍のハリーだけど、50年前にダンブルドア先生が同じように見守っていたトム・リドルの正体が鍵。ついに''秘密の部屋''にたどり着いたハリーが、ひとまわり大きく成長し随分たくましくなった姿を見せてくれました。

<本> 面白いっ! 1作めより更にハマりました。1作目は良作と評したけど、これは名作! 世代を超えて読み継がれる本になること間違いなしでしょう。
ハリー、ロン、ハーマイオニーの3人組は、ますます息もぴったり。いきいきとホグワーツで活躍し、その世界にぐんぐんと惹き込まれていってしまいます。

 「ハリー、自分がほんとうに何者かを示すのは、持っている能力ではなく、自分がどのような選択をするかということなんじゃよ」
ダンブルドア校長のこの言葉で、ちょっとグっときちゃいました。ハリーはまた大きく成長したことでしょう。
 逆に見かけだおしだったのがロックハート。
絶対何かあるぞ~、こいつがもしかしたら闇の手先か~、と最後まで身構えて読んでたのにアレなんだもんな~。どういうキャラなんだ~っ!!
「残念だ。せっかくあいつに馴染んできたところだったのに」
というロンのセリフには大爆笑!

<映画>
 映画館に観に行けなかったので、友人からDVDを借りて、ようやく観る事のできた今は、満足感でいっぱいです。

 前作同様、原作に忠実に作られているところが、何とも嬉しいです。
少し成長したハリーとロンとハーマイオニー。ステキすぎです。映像の雰囲気も素晴らしく、あっという間に「ハリーの世界」に浸れるのがいいです♪

 ハリーはさらに格好良くなりました!
ロンは背も伸びてちょっとお兄ちゃんぽくなりました。でも、変わらない「情けない表情」が最高にツボです!
ハーマイオニーも美しく理知的に成長して・・・。本当にこの3人を見てるだけでシアワセに浸れます。

 そしてそして、今回のこの映画の名場面と言えばっ!!
最後の晩餐会でのハーマイオニーとハリー・ロンの再会シーンでしょうっ!!
一心に駆け寄ってハリーに抱きつくハーマイオニー!それを万感の思いで受けとめるハリー!
ここもイイのですが、その後のシーンが秀逸。
ハリーと同じくロンに抱きつこうとするハーマイオニーが、一瞬躊躇うんですよね。一方、ロンの方も何と声をかけて良いか躊躇って・・・。その後、二人は照れくさそうに笑って握手するんですよっ!!

 この、二人のぎこちなく相手を意識するシーン。「秘密の部屋」の時点での二人の関係を的確に表現していると思います。
原作にはないシーンですけど、「まさに」と言った感じ。演出に盛大な拍手を送りたいです。
ロンハー好きの私にとっては、たまらないシーンでございました。

 なんだかかなり脇道にそれたような感想になってしまいましたが、2時間半、至福の時間を味合わせていただきました。

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2008/10/08

久しぶりにファンタジーの世界は如何?「ハリーポッターと賢者の石」

ハリー・ポッターと賢者の石

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ベストセラーのハリポタ。
久しぶりに読み終えて・・。
改めておもしろ~い! このストーリーには惹き込まれること間違いなし!
ハリー、ロン、ハーマイオニーの3人組の冒険はハラハラドキドキだし、なによりホグワーツ魔法学校の様子がいきいきとしていて素晴らしいです。良作。ベストセラーにも納得です。

ハリー。
ダブダブの服。やせっぽち。めがね。ボサボサの黒髪。・・・・とくれば、「西の善き魔女」のルーンにイメージどんぴしゃ。
でも、性格はかなり違うのね~(爆)。

ロン。
主人公の親友。燃えるような赤毛でのっぽ。・・・・とくれば「銀河英雄伝説」のジークフリード・キルヒアイス様にイメージどんぴしゃ。でも、性格はかなり違うのね~(爆)。
お気に入りのキャラはロンの愉快な双子のお兄さんだったりします。いいキャラだ・・。

ハーマイオニーも、昔の自分を見るようで(←ほんとか、おい)好きです♪

<ハリー・ポッターと賢者の石・映画版>

いや~、最高です。素晴らしいです。ぜひ観ましょう!
とにかく原作のイメージがすごく大切にされているのが嬉しいっ。スタッフの熱意が伝わってくるようです。
キャスティングも最高だし、ホグワーツやダイアゴン横丁、クィディッチの描写も「まさに」といったところ。
クィディッチの躍動感、スピード感は映画ならではの素晴らしさです。

キャスティング。
 ハリー。最高です。笑顔のキュートさ、ふっとみせる寂しげな表情、毅然とした時の凛々しさ・・。
もうたまりません。「みぞの鏡」のシーンでは涙がじわっと・・・・。
 ロン。最初はね、「もうちょっと美形の子はいなかったのだろうか」などと、失礼なコトを考えたりしちゃいました。ごめん!
でも、チェスのシーン、めっちゃかっこ良かったです。もうロン役は彼以外には考えられません。
 ハーマイオニー。かわいすぎです。あのちょっと高慢そうな表情。くく~。たまりません。最高ですね!
 パーシーも双子もかっこよくってナイス。ウッドももう少しマッチョな感じかと思ったら好青年でポイント高し。
ドラコもその子分ズもハマってます。ダーズリー一家もハマってました~。
ダンブルドア先生もハグリットもイメージどおり。
マクゴナガル先生は私のイメージでは、もうちょっと若かったんだけど、映画版でもあまり違和感ありませんでした。
ちらっとでてきたジニーも可愛かった♪ 

とてもステキな映画なんですが、原作に忠実であろうとするあまり、話の展開が急だったり(いきなり無人島は、原作知らなきゃビックリですよね)、登場人物の行動もはしょられていて、その人物の行動の背景にあるものが理解しにくく、原作を知らない人にとっては、物語の深みが感じられにくいんじゃないか、という気はしました。
でも、映画を観た後で原作を読んで補完してくれれば、それはそれでいいのかな~、とも思います。

私が一番気になったのは、ネビル君の扱いでしょうか。
どうしても時間の限られた映画では主役3人に焦点があたるから、脇役の出番は奪われちゃうんですよね・・・。
禁じられた森に行くのもロンにとって代わられちゃったし(笑)。
だから、あんなに必死になって3人を止めようとしたネビル君の気持ち、それを最後の最後に賞賛してグリフィンドールを逆転させたダンブルドアの計らい、そういったものが、映画だけを見た人にとっては理解しにくかったんじゃないかと思います。

だから、この映画を楽しみ、感動に浸るには、先に原作を読んだ方がいいんじゃないかな~、というのが私の考えです。
よくお気に入りの作品が映画化されてがっかりした、なんてコトがありますが、ハリーに関してはそんな心配ご無用。
映像の力で、より一層ハリーのトリコになってしまうことウケアイです。

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2008/10/07

「火の鳥・望郷編」その異なる作品群

「望郷編」には4種類のバージョンが存在し、それぞれが大きく内容が異なっています。
第1のバージョンは雑誌「COM」に発表され未完となった物、第2は雑誌「マンガ少年」に改めて連載された時のバージョン、第3はこのマンガ少年版を元にした単行本のバージョン、第4は角川書店から発売されているバージョンです。COM版に関しては、「COM版望郷編」の項で既に触れていますので、この項では後の3つのバージョンの差異についてふれたいと思います。
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<マンガ少年掲載版>
 
このバージョンでは単行本の第1ページ目の火の鳥の飛翔をロミが宇宙船の中から目撃するシーンから始まります。
 
ロミが眠り、カインが息子にロミが地球から持って来ていたテープを聴かせて教育をする部分では、カインと息子はロミとジョージが地球から逃亡したいきさつを知ることになりますが、ここでジョージのフルネームが間丈二で、彼は東大の研究所の研究員、ロミのフルネームは一宮ロミで植民当時高校2年生であることが判ります。
 
残された男達が飢えに苦しむ時、カインが自ら犠牲となりますが、その時皆は火の鳥を目撃します。この時、火の鳥はロミに他の星の生物との混血を提案し、ムーピーを連れて来ることになりますが、連載バージョンでは男達の前にムーピーは原型のまま姿を表します。
 
コムが女王ロミの望郷の願いを叶えたいと考えた時、母親のムーピーはコムに火の鳥とコンタクトを取れば願いがかなう事を告げます。コムは念波を送り、その呼びかけに応じた火の鳥がコムの前に姿を表します。
火の鳥は火山の火口に行けば、願いは叶うと言い、また、もし地球に行っても7日しかいられないとコムに告げます。
 
地球に着いたロミ達を殺すことを牧村は命じられますが、連載バージョンでは牧村がロミを撃ち殺す事になります、
 
結末はエデン17の崩壊の後、ノルヴァの子供達の操縦する牧村艇が進んで行くシーンで終わります。
 
<単行本版>
 
単行本バージョンでは連載の原稿の殆どのページが手直しされています。
全体的にはロミの顔が連載時より若く修正され、ナレーションがですます調にあらためられています。
 
単行本化に際しての追加シーンとしては、まず冒頭の火の鳥のシーンが付け加えられ、火の鳥の一人称で物語が始まるようになっています。
またカインの7番目の息子セブがムーピーと出逢うエピソードが追加され、連載時セブであったキャラクターはロトの息子シドという設定に変更されています。
ロミが故郷の森に向かうさい、手助けをする暴走族のシークエンスも単行本でのオリジナルです。
 
連載時ではロミは牧村に殺されますが、単行本では殺されようとしている時にロミの寿命がつきるように変更されました。
また結末はエデン17の崩壊後、牧村がエデンにロミの遺体を埋葬しに寄るエンディングが書き加えられ、余韻のあるエンディングとなりました。
 
このバージョンは朝日ソノラマと講談社から発売された単行本で読むことができます。
 
<角川版>
 
角川書店のバージョンでは単行本のページ数の関係からか、主要登場人物の一人、雌雄同体生命のノルヴァの存在が抹消され、関連するシーンが削除されており、約100ページ程本編が短くなっています。
また章分けがされています。

個人的には「望郷編」は、中断、復活、再度中断を重ねる内に「火の鳥」自体が持つ、壮大さを失ってしまった様に感じます。牧村の存在も、「宇宙編」に繋がる訳でもなく、猿田をなんらかの形で、登場させた方が、より説得力が有る様な気がします。

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2008/10/06

COM版「火の鳥・望郷編」未完の問題作品

COM版「火の鳥・望郷編」未完作品

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現在入手できる「望郷編」とは構想の全く違うオリジナル版です。

<物語>
 目覚まし時計のベルに、一人の老人がベッドから起きあがった。
シャワーを浴びて、木々に囲まれた庭園に出ると、動物たちに餌をやり、絵画を描き始める。
そこに進入警報が鳴る。
モニターには武器を持つ、顔の焼けただれたクローン人間の姿が映るが、自動警備装置がクローン人間達を意図もたやすく始末する。
老人は部屋へと戻ってピアノに興じる。
ピラミッド型をしたその”神殿”の外の風景は殺伐とした瓦礫の荒野であった。
その荒廃した地に一機の宇宙船が着陸した。
降り立った人物はジョシュア・オーヴァードという宇宙土木開発業者で、近くの星にやって来たついでに、10年ぶりに訪れてみたのだった。
すっかり荒れ果てた光景に驚きつつも、オーヴァードはピラミッドの”神殿”に入り、老人・城之内博士と再会をする。

 オーヴァードは30年前に、城之内博士が買い取ったこの惑星の開発を任された人物だった。
1年掛かりの惑星開発の後、城之内博士はクローン植物を惑星全土に植え付け、クローンの人間、クローンの動物で、”機械”という文明の利器の一切ない、原始共産制の町を作り、新しい地球を生み出そうとしたのだった。
10年前の事、久しぶりにこの惑星に立ち寄ったオーヴァードは、博士の一人娘、城之内時子に案内されて、繁栄しているクローン人達の町を訪れた際、些細なミスから、城之内博士の怒りを買い、出入り禁止の身になっていた。
オーヴァードが去った後しばらくして、この惑星のクローン人の社会で核戦争が起きた事は近隣の宇宙港で噂になっていた。
一人ぼっちで友だちのいない時子は、寂しさを紛らわす為、宇宙交信機で何時もオーヴァードと話していた。

 父の城之内博士が極秘裏に開発した超空間移動機「スワープ」の事、核戦争が起きた事、そして城之内博士も、時子も放射能に被爆したこと、、。
放射能を浴びた時子はパニックに陥り、交信機の向こうでオーヴァードが止めるのも聞かず、「スワープ」を動かすとどこへとも知れぬ空間に消え、それ以来行方不明になっていた。
それから10年経って、放射能も消えたろうとオーヴァードは立ち寄ってみたのだった。
オーヴァードは城之内博士に時子の墓へと案内されるが、オーヴァードは一笑に付し、真実を全て知っている事を城之内に告げる。
「スワープ」の秘密をオーヴァードが知っている事を悟った城之内はカッとなり、オーヴァードを撃ち殺そうそするが、その時、彼方から微かに時子の声が聞こえてくる。
やがて空間が歪み、「スワープ」が姿を現し、ハッチが開くと時子が外に倒れ込んでくる。
時子は時空移動の衝撃からか、記憶喪失になっていた。
「スワープを知った者は殺す」と詰め寄る城之内博士とオーヴァードはもみ合いになるが、城之内の銃が暴発し城之内自らの頭を焼く。
時子を介抱するジョシュアの耳に赤ん坊の声が聞こえて来る。
「スワープ」の中で泣き叫ぶ赤ん坊をジョシュアは発見するが、赤ん坊は時子の放射能被爆の影響を受けた奇形児だった。
ジョシュアは「かわいそうだが、、」と赤ん坊を池の中に放り込むと、スワープをロケットに積み込み、時子を連れて地球へと飛び立つのだった。
 
 池で溺れかけていた赤ん坊を助けたのは城之内博士に飼われていたクローンのペット達だった。
ビーバー達が赤ん坊を岸に押し上げてやると、熊が赤ん坊の飲み込んだ水を吐き出させ、泣き叫ぶ赤ん坊に牝鹿が乳を飲ませてやるのだった。
 
 歳月が流れていき、ある時、宇宙を飛翔していた火の鳥がこの星にやってきた。
火の鳥は人間が作り上げた星を快く思っていなかったが、クローンの動物達には愛情を持ち、暖かく見守っていた。
クローン動物達に助けられたミュータントの赤ん坊は成長し、コムと名付けられていた。
コムは目は見えなかったが、頭にある触覚で周りを知覚し、テレパシーで動物と会話する事が出来た。
動物と戯れていたコムは火の鳥に出会い、はじめは驚くが、火の鳥が危害を加える事がない事を知るとすぐに打ち解ける。
火の鳥がコムの知らない事を沢山知っていると知ったコムは知識欲が噴出し、火の鳥に様々な質問を浴びせる。
この世界の事、空の事、空の向こうの事、自分の同じ姿をした者が他にいるかという事、、。
そして、昔からコムの心に残っていた言葉を火の鳥に聞き、火の鳥を驚かせる。
「オトキってなーに?」
 
<注記>
COM誌上で連載が開始されたものの、連載2回目にして雑誌が休刊になったため中断したオリジナル版です。
後に月刊マンガ少年誌にて連載が再開されましたが、被爆者を主人公に据えたという事の問題点の大きさから、ストーリーは一新され、全く別の物となりました。
ここではコム(後の「望郷編」に登場するコムと同じ姿をしています)はムーピーとの混血ではなく、「羽衣編」に登場するおとき(城之内時子)の子供であり、時子の放射線障害から生まれたミュータントという設定になっています。
城之内博士の住む”神殿”は新版ではロミが冷凍睡眠で眠る”神殿”として登場します。
「宇宙編」にも城之内という人物が出てきますが、恐らくはこのCOM版「望郷編」の城之内博士と血縁であると見ていいでしょう。
しかし、このCOM版「望郷編」で城之内博士は死んでしまいますので、地球に帰って結婚したオーヴァードと時子の間に生まれた子の子孫か、或いは城之内博士の兄弟(が、いたとして)の子孫ということになりますね。
 
この中断したCOM版「望郷編」のその後の展開はどうなる予定だったのでしょう?
これは、あくまでも私個人の推察で言っている事をお断りしておきますが、恐らく、火の鳥に母親の事を聞かされたコムが、昔のかすかな母親の記憶を取り戻し、母親に会いたいという想いがつのって行き、母のいる地球へと旅立つ事になるのは想像に難くないですね。
そこで、あの岩石宇宙船や牧村が登場してくるのかは判りませんが、地球にたどり着いて母親と巡り会い、幸福な結末を迎える事になるかはなんとも言えないものの、ミュータント故の迫害などを受けて、地球で命を終える事になるのでは、と私は想像します。
或いは、何故「宇宙編」の城之内の祖先をこの物語の主人公に据えたのかと理由を考えると、ラストでコムを追いつめるのは牧村ではなく、宇宙連絡員の若き「宇宙編」の城之内であり、(「宇宙編」の城之内が時子の子であると仮定すれば)実の兄弟同士の対決がラストに用意されていたのかもしれません。
いずれにせよ、被爆者の問題の事もありこのCOM版「望郷編」は完結する事はありませんでしたが、もし当初の構想通り完結していたのであれば、被爆者でもあり、障害者でもあるコムを主人公に据えた事によって、コム生きる姿を通して、障害者である人達の人権についても手塚治虫はきっと描ききっていたのではないかと私は感じます。

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2008/10/05

「火の鳥・望郷編」

火の鳥・望郷編

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一人の女性の地球への望郷の旅を描く作品です。

<物語>
 銀河の辺境の惑星エデン17を買い入れた若い夫婦、ロミとジョージ、だがこの星は過酷な環境の星だった。
夫のジョージを事故で失い、男の子の赤ん坊と取り残されたロミはその子との間に子を作り、子孫を残す道を選ぶ。
だが、ロミの生む子は全て男の子だった。

 ある時、眠るロミの前に火の鳥が姿を現すと、ロミにこのまま彼女の子供との間に子をもうけても女の子が生まれる事はないと告げ、ロミに他の星の人との混血を作るように提案する。
火の鳥が岩石の宇宙船に乗せて連れて来たのはムーピーという不定形生物で、どんな環境でも生き延び、またどんな種族とでも子供を作る事が出来る生物だった。
こうしてロミの子等とムーピーのとの間に出来た子は新しい種族として増えて行き、町が出来、栄ていった。

 ロミはその星の女王として街を統治し、年をとっていった。
だが、ロミの胸に去来する物は亡き夫のジョージへの想いと遥かなる地球への望郷の念だった。
街の少年、コムは女王ロミが地球への望郷の念に駆られている事を知り、彼の母であるムーピーにこの事を話した。
母は昔自分が岩石で出来た船に乗ってこの星にやってきたこと、そしてムーピー一族にはその船を操る力があることをコムに話す。
ある夜コムはこっそりとロミを連れ出すと、その宇宙船の場所へとロミを誘った。

 コムの念波により飛び立つ宇宙船。岩石の宇宙船はエデン17を後にして地球へと向かった。
途中、様々な星にたどり着き様々な体験をする二人、そして旅の途中で出会い仲間となる人々。雌雄同体生命のノルヴァ、宇宙飛行士牧村、宇宙商人ズダーバン。
彼らを乗せた宇宙船はやがて地球へと近づく。
だが、地球は他の星の移民者の地球への入国を禁止していることをロミとコムは知らされるのだった。
 
<注記>
一度はCOM誌に連載されたものの、雑誌の休刊により中断した物を新たな構想のもとにマンガ少年誌上で発表されたエピソードです。
「望郷編」には4つのバージョンが存在しますが、それについては別に紹介したいと思います。
前作の「羽衣編」より発表年が空いた事もあってか、私には火の鳥のカラーがかなり変わった様に感じられた作品でした。
同じマンガ少年に同時期に連載されていた竹宮恵子の傑作「地球へ…」がやはり地球への望郷の旅を描く内容であった事もあり、そちらにくわれていたようにも感じました。
雑誌連載では結末も唐突な結末を見せ、あっけない終わりかたになっていましたが、単行本化にさいしては全面的に改稿されました。

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2008/10/04

「火の鳥・羽衣編」

火の鳥・羽衣編

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天の羽衣伝説を題材にした短編です。

<物語>
 平将門の時代、遠州美保の松原の浜に一人の女、おときがやって来た。
おときは服を脱ぐと泳ぎ始める。
浜の漁師、づくが木にかけられている女の服を見つけ、その見たこともない衣服に見とれ、自分のものにしようとする。
それに気づいたおときは服を返してくれるよう頼む。
遠い空の国から来たというおときの話しに、づくはおときを何でも願いをきいてくれるという天女だと思いこみ、3年間だけ一緒に暮らすという願いを聞いてくれたら服を返すと言う。
こうしておときは3年の間だけ暮らすことになった。
時が経ちいつしか情も通うようになった二人の間には子供も生まれ、3年が経った。

 このまま暮らすか去るか迷うおときであったが、そんな時、いくさの徴用でづくが兵隊に取られそうになる。
おときは仕舞っていた服を都からの使いに差し出し、づくを見逃してくれるよう懇願する。
づくは、おときが止めるのも聞かず、服を取り返しに行く。
それから更に1年、おときはづくの帰りを待ち続けたがづくは帰って来なかった。

 おときは千5百年の未来から来た未来人であった。
未来の戦争で孤児となり収容所に閉じこめられていた時、目の前に火の鳥が現れ、好きな所に連れていってくれると言われたのだった。
おときは過去の人間との間に生まれた赤子は生まれてはいけないはずの子だったと、我が子を殺そうとするが、出来ず、赤子を連れてこの時代を去る事を決意する。
やがて、おときの去った家にづくが瀕死の重傷を負いながらも服を手にして帰って来た。
おときが去った事を察したづくは、最後の力で服を木の根本に埋めると息絶えるのであった。
 
<注記>
本来は、続くCOM版「望郷編」のプロローグとして発表された短編です。
しかし、内容に問題箇所(核被爆)があった為、原稿はそのままに、話しを変え再度発表されたものがこの作品です。
単行本化に際しては更にページが書き足され、づくが死ぬシーンが追加されました。
本来発表されたものとは違う形に構成しなおした事により、作品の訴える本来のテーマが失われてしまったのは仕方のないことです。

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2008/10/03

「火の鳥・復活編」

火の鳥・復活編

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科学の力で死から蘇った男の数奇な運命を通じて、生を問う作品です。

<物語>
 西暦2482年、一人の若者がエアカーから落下して死んだ。だがこの若者、レオナの物語はここから始まる。
レオナは実験段階の最新医療技術によって、死から復活する。
しかし、脳の大半を人工脳にされた後遺症から、レオナには人間や動物等の生物が、無機質の塊にしか見えなくなる。
失意のレオナだったが、彼は雑踏の中で、唯一”人間”に見える女がいる事を発見する。
女を追うレオナだったが、レオナの目には女性として映るチヒロは、実は建設会社の事務用ロボットだった。
チヒロに恋をしたレオナはチヒロの所有者の会社に出向き、チヒロを買い取ろうとするが、会社は取り合わない。
一方、チヒロもレオナに対する想いが制御出来なくなってくる。

 記憶が、少しづつ蘇るに従い、自分は陰謀で殺されたのではないかと不審を持ったレオナは、独自で調査を始め、遂には犯人と自分が殺れた理由を突き止めるが、しかしそれはレオナの心を鎮める事にはならなかった。

 レオナはチヒロを得るため、チヒロと共に逃亡する事を決意する。
追っ手を振り切り国境を越えたレオナたちだったが、山中でエアカーが事故を起こし、吹雪の中、立ち往生する。
二人を発見したのは人間の臓器密輸の一味だった。
一味の女ボスは長年の宇宙の旅で体が消耗しきっており、代わりとなる新しい体を探していた。
ボスの策略でレオナの体がボスの新しい体として供される事になった時、レオナは医師に自分の記憶を人工脳からチヒロの脳に移す事を頼む。
こうして、レオナとチヒロの意識は合体し、一つとなる。

 再び目覚めたレオナとチヒロだったものは、自分の体がチヒロの体ではない事に気付く。
チヒロの体ではレオナの記憶を収めるだけの容量がなかったため、こけしの様な不格好な体をしたロボットに移されていたのだった。
一方、レオナの体を移植したボスは次第に拒絶反応を起こし始め、遂には錯乱したボスによってアジトは爆発する。
瓦礫の中から起きあがった元レオナ=チヒロだったロボットはあてどもなく彷徨う。
やがて人間の家族に拾われたロボットはその家の召使いとして最後の時を過ごした。
普通のロボットとは違い、どこか人間臭さのあるそのロボットに、家族はロビタという愛称をつけて可愛がった。
かつてレオナだった記憶が、ロビタに人間の想い出をくすぐる話や遊びをさせ、それゆえ家族や子供達に親しまれていったのだった。

 何年も経ち、ロビタの回路に寿命が来たとき、ロビタはロボット業者に引き取られたが、ロビタに興味をもった業者はロビタの一切を複製し、販売する事にした。
新しいロビタが次々と生産されていったが、その全てが同じ記憶をコピーされ、同じ想い出、同じ遊びを受け継いでいった。ロビタは子供達に好かれ、人間に愛されて行くようになった。

 西暦3009年、科学技術が進歩し、もはや時代遅れの旧式となった今でもなおロビタは生産が受注に追いつかない程の人気商品だった。
しかし、この年にある事件が起る。
一人の子供がロビタを慕うあまり、ロビタの後を追って、人体に危険な区域(アイソトープ農園)に入り込み、死亡するという事件が起こったのだった。
子供を死なせたロビタはどれか、特定はできなかった。
ロビタが子供を危険区域に連れ込んだのか、子供自身の過失なのか、論議に決着はつかず、時が流れていった。
3030年、裁判所は、事件の日その場に居合わせたロビタ全員を有罪とし、溶解処分とする判決を下した。
判決にロビタの一台は「ロビタは全てが1人だ。一人のロビタが死刑になれば、全てのロビタが死ぬだろう。」と宣言する。
判決を受けたロビタたちの溶解処分が始まると同時に、各地で異変が起きた。
各地で作業に従事していた数万台のロビタ全てが作業を放棄し、自ら溶鉱炉へと死の行進をはじめたのだった。

 こうしてロビタの歴史は終わりを告げたが、1台だけ生き残りがいた。
月基地で作業していた1台のロビタはそのため行進に加わることが出来なかったが、かつて自分は人間であったという思いが心に去来していた。
ロビタは自分が人間であったという自己の証明のために主人の人間を殺害する。
そして地球へ殺害を報告し、自分が人間であることを認める事を望む。
その要求が受け入れられないロビタは、最後の手段として自ら電源を切り、「自殺」を謀るのだった。
それから300年が過ぎた3344年、あるロケットが月に着地した。
ロケットから降り立ったのは世捨て人の猿田博士であった。
猿田は月面に転がっているロビタを発見し、電源を入れ、ロビタを復活させる
ロビタはこれまでのいきさつを話し猿田に仕える事を望む。
こうしてレオナの最後の子孫は猿田博士とともに宇宙へと旅だって行くのだった。
 
<読みどころ>
第2部「未来編」で登場するロボット、ロビタの誕生を描く物語です。
レオナという人間とロビタの物語が平行して語られ、最後にそれが一つに集約されるという形式をもっています。
一端は死んだものの体の半分以上を人工的なものと取り替え、脳の大半を人工のCPUで補われて蘇った主人公は自分が果たして人間といえるのか悩みます。
主人公は「壊れた車を、半分以上が電車の部品で継ぎ足した時、それはもはや車ではなく電車だ」と語ります。
また、姿は不格好なロボットでもかつてのレオナの記憶を持ち続けるロビタは自分が人間であると主張します。
医学の進歩により、人間の存命は延びてきましたが、どこまでをもって治療というのか、これは手塚治虫の持ち続けた疑問だったのでしょう。

余談
この物語では実験段階として登場する人工脳ですが、現実の世界では実用化はともかく技術的には後30年程の内に可能となる見込みとの見解を研究チームが表明しているそうです。
「復活編」は400年先の未来という設定ですが、もしかしたら私達が生きている内に現実の物となるかもしれないですね(^_^;)

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2008/10/02

「火の鳥・鳳凰編」

火の鳥・鳳凰編

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東大寺建立を背景に二人の若者の生きざまを描くシリーズ屈指の傑作です。

<物語>
 聖武天皇の時代。ある漁村の青年、我王(がおう)は、村人から虐げられていた。
ある日我王は、村人からの嫌がらせに怒りが爆発し、復讐の為、村人を殺してしまう。
追っ手から逃れる我王は森で茜丸(あかねまる)という仏師と出逢うが、茜丸の衣服を奪い、更には茜丸の仏師としての腕をねたみ、茜丸の利き腕を斬りつける。

 茜丸はやっとの思いで近くの寺にたどり着き、腕の手当をして貰うが、その腕はもう治らないと言われ、仏師としての将来に絶望するものの、住職の生き方に心を打たれ、1から再出発をする事を誓う。
 
 行く先々で人を殺し続ける我王は何時しか盗賊に身を落とすが、ある時誤解から自らの手で最愛の女性を殺した事により、生き甲斐を失う。
捕らえられた我王は僧の良弁に引き取られ、良弁の諸国行脚の共をするようになる。

 一方、修行を積む茜丸のもとに、ある日、朝廷から橘諸兄(たちばなのもろえ)が訪れ、その姿は誰も見たことがないという鳳凰の像を彫る事を命じられる。
3年という期限以内に出来ない場合は死罪、断っても死罪という無理難題であった。
茜丸は鳳凰の姿を求めて旅にる。
旅の途中、茜丸は良弁に伴われた我王に出逢う。
恨みを晴らせと詰め寄る我王に、茜丸は我王を恨んではいないと言い残し去る。
我王に腕を傷つけられ事により、茜丸はそれまでの自分の慢心を戒められた事を我王に感謝すらしていたのであった。

 3年の期限が過ぎても結局鳳凰を彫れなかった茜丸は橘諸兄に殺されそうになるが、橘の政敵、吉備真備(きびのまきび)に救われ、彼の元、正倉院に収められている鳳凰の図より、鳳凰の像を完成させるのだった。

 良弁と共に旅をしていた我王は何時しか仏像に目覚め、仏師としての才能を発揮していく。
やがて、東大寺大仏殿建立が始まり茜丸は工事の責任者に選ばれ、大仏殿の鬼瓦製作を巡って、腕くらべをする事になるが、茜丸の前に現れた対決者は我王であった。
 
<注記1>
二人の仏師の生き方を描く傑作です。
虐げられた事から、悪の道に身を落とすものの、民衆の怒りと悲しみを癒す事に目覚めて行く我王。
我王の手によって、嘱望されていた将来を絶たれ、また権力に翻弄されながらも、自らの努力で未来を切り開いて行く茜丸。
善悪を越えた二人の対称的な生き方が見事は筆致で描かれます。
特筆すべきは、その表現方法で、心象風景の描写など、思想の映像表現の技術は、この時期の最高レベルのものであると言えるでしょう。
 
<注記2>
東大寺は良弁などが中心になって建てられました。
大仏は743年に桓武天皇の公布により開始され、749年に完成し、752年、盛大な開眼式が行われました。(完全に完成したのは771年)
建立の目的としては、国家の統一と、”釈迦が民衆を救済する為に100億の釈迦となって経を説く”という意味が込められています。
しかしながら、この東大寺建立は、国費の大半を消耗し、国民生活を破壊し、律令制度を破綻に導く結果となったそうです。
 
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