2008/12/30

アンデスの昔話(Ⅵ)

文字を持たない文明

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 その昔、インカの人達は文字を持っていませんでした。
では、どうやってコミュニケーションを取っていたのでしょうか?
チャスキと呼ばれる伝達使の男達がいました。
彼らは、屈強な体と、鍛え抜かれた筋肉の塊のような足腰をしていました。
東西南北の険しい山道に張り巡らされた「インカ道」を、風のごとく駆け抜けていたのです。

 道のない高い山々に、土を石で削って足場を作り、さらにもう一段上の土を削っては、少しずつ登っていきました。
その土の道に石を置き、何人ものチャスキが踏み固め、頑丈な石の階段を作り上げ、今日でも多くの観光客に利用され喜ばれています。

 チャスキ達は、文字の代わりにキープという結束縄で、いくつもの紐を結んだ暗号のようなものを伝達に使用していました。
紐の結び方によって、多種多様な意味が表現できます。
大インカの命令を、そのキープを用いて、すべての民に伝えていました。

 又、人々の服や帽子、持ち物を入れる風呂敷包みにような織物には、様々なシンボルが織り込まれています。
コンドル・プーマ・ヘビ・はちどり・リャマ・太陽・月・湖・星・雪・川・海・虹・雷・花・草・人・村・・・
どれもみな男女一対で、楽しそうに踊り笑っていて、バランス良く、とても仲良く織り込まれています。人々の想像力によって、普段の生活で目にする自然界の、様々な新しいシンボルが作られていきました。
女だけではなく、男達もリャマの放牧などの合間に、糸を紡ぎ、布を織りました。そして、親から子へ、またその孫へと受け継がれました。

 村によって、使うシンボルや服の流行も違います。
今でも、チュージョ(毛糸の帽子)・シャツ・ポンチョ・ズボン・スカート・女性の肩掛け・帽子・小物入れ・袋などの模様によって、すぐにどこの村の出身か判ります。

 結婚前の若者達は、鮮やかな色とりどりの虹の7色を、たくさん身に着けているので、交際を申し込む時に、独身か既婚者か、いちいち聞く手間が省けます。

 おばあさんでさえ、野の花を飾った帽子、原色のセーター、美しい肩掛け、ひらひらの可愛いスカートを着ているので、アンデスの広大な緑のじゅうたんの中で、家畜を放牧して歩いてる姿を遠くから見ると、まるで10代の花盛りの少女のようです。
いつの時代でも、男性は可愛らしい女性を見ると、心がウキウキするものですよね。(笑)

 では、なぜインカの世界に文字が、登場しなかったのか?
アンデスには、葦や竹、木、木の実、動物の骨や皮・爪、サボテン、ひょうたんなどから作った、何千種類もの楽器があります。
ケーナ・サンポーニャ・アンターラ・キンライピトゥ・ケーナッチョ・ボンボ・チャクチャス・ほら貝などで奏でられる曲を、目を閉じて聞いていると、いろいろな情景が脳裏に浮かんできます。

 又、祖父母は、膝の上に孫やひ孫を抱えながら、遥か悠久の昔から語り継がれた物語を、様々な役柄の声色を変えて、語って聞かせてくれます。
村の長老達は、まるで巨大な図書館のように、たくさんの昔話を知ってます。
子供達は、家族や親戚、村中の人々が1つになって暖を取りながら楽しんで聞く、夜の物語が待ち通しくてたまりません。
物語は、音楽と歌によって、面白おかしく語られるので、時間の経過がわからなくなってしまうほど、登場人物達に引き込まれます。

 年寄り達が集まると、ケーナ(縦笛)から流れる低い音とともに、魂から声を絞り出すように歌い、合唱します。
何度も同じメロディーが繰り返され、マントラのような低いうなり声が響く中、周りにいる者も含めて、全員がだんだんと深い、集団トランス状態へと入っていきます。
すると、太古の時代と今の時代との境が無くなり、異次元の扉が開いて融合し、時の感覚も、空間も消え、大自然の聖霊達が、私達の体の中に宿り語り始めるのです。
文字を使わなくても、個々の魂に刻まれた創始の記憶がよみがえってくるのです。

 現在でも、クスコ近郊にある、原住民だけが住む山深い村「ケロ村」などに行くと、インカ文明以前の何時の時代のものか判らないほど大昔の、曲と歌と踊りが残っています。

 こうして、アンデスの人々は、昔の伝統的な教えを、今でも大切に守り続けているのですね。

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2008/12/29

アンデスの昔話(Ⅴ)

「コイヨリティ / 星と雪の祭り」

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 毎年6月の満月の日に、クスコ近郊の霊山で盛大に執り行われ、大昔から続く伝統的な祭りである、コイヨリティ「星と雪の祭り」について、お話しです。

 春夏秋冬の季節の移り変わり、月の満ち欠けは、神々・聖人のレベルに到達するための特別なセレモニーを始めるに際して、考慮されるべき自然界の要点です。
アンデス山脈では、クスコの山岳地域で、毎年5月、または6月の満月の日に “Qoyllorritty /コイヨリティ”「星と雪の祭り」が開催されます。
又、同様に、我々の存在に大きな影響力を持っていると云われる、プレアデス星団(日本名:すばる)の出現とも、この神聖な祭りは関連しています。

 古来よりインカの人々は、新年、太陽の父が又、新たに誕生する前に、月の母の偉大な力を借りて、体も村も大地も浄化して、新しい年を迎える準備をしていました。
クスコ地域の住民は、毎年5万人を越える人々の行列が、コイヨリティの聖なる山に、何日も前から断食をして、深い瞑想と祈りと伴って巡礼登山をし、魂、身体、心を浄化するための準備をします。

 スペイン人によってキリスト教に教化された神“WIRACOCHA/ヴィラコチャ”「アンデスの創造神」の教えを守り、太陽神でもあるヴィラコチャ神の歩いた「太陽の光の道」に続いています。
ヴィラコチャの名前が意味する「大宇宙の中心の創造主な光」へと向かう、魂からの愛と調和の聖なる智慧が、コイヨリティの祭に継承・保存されて、現在に受け継がれているのです。

 “Mamaritty /ママリティ”「聖なる雪の母」と呼ばれる、コイヨリティの聖山の氷河の氷を切り出して、背中に背負い、翌日の早朝日の出とともに、深い祈り、そして儀礼の歌と踊りを伴って村毎に下山します。
太陽や月・星に一番近いところにある、氷山の氷水は、最も純粋で透明な、大いなる浄化のシンボルです。

 その後、それぞれが自分達の故郷の村へと、氷河の神聖な氷水を持ち帰り、村全体を浄化して万全の準備を整えて、古代インカのお正月にあたる、6月21日(冬至の日)の“Inty Raymi /インティ・ライミ”「太陽の祭り」に臨むのです。

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2008/12/28

アンデスの昔話(Ⅳ)

インティライミ「太陽の祭り」

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 世界中の古代文明では、特別な日に各種のお祭りが執り行われてきました。
アンデスでも、太陽や月・宇宙の星々の運行により作られたカレンダーを元に、様々なお祭りが執り行われてきました。
その中でも重要な祭りは、名前をスペイン語名に変えられたものもありますが、今日でも守り続けられていて、古代インカのカレンダーと照らし合わせて、各地で開催されています。

 それぞれの祭りには、その祭り特有の歌と踊りが継承されています。
又、農産物や動物のお供え物なども、神々や聖霊たちに捧げられます。
アンデスのほとんどの祭りは、農耕の種植えや収穫の時期と関連しています。

その中で、インカの時代から、1年を通して最も重要な祭りが、インティライミです。

<インティライミ「太陽の祭り」>
1年で一番大きな祭りで、国中の人々がこの祭りを待ちわびています。
6月21日の冬至(日本では夏至)の日の一週間以上前からはじまり、新しい太陽が生まれるのを皆で祝いました。この祭りの後から、各村では盛大な様々な祭りが執り行われます。

 スペイン人が入植する前までは、「太陽の祭り」の一週間以上前から、村人達は一年の終わりに全ての悪い思いや後悔の念を浄化するために、火を消して待ちました。
そして、断食をして瞑想をし、太陽神に魂からの祈りを捧げました。

 6月21日(冬至)の日の出を待ち、大宇宙創造主、太陽、月、大地、海、大自然の聖霊達に、インカ王は、新しく生まれた太陽の光に翳した「とうもろこし酒」を捧げました。
新しく生まれた太陽の一番の光は、ウィラコチャ「大宇宙の中心の創造神の光」を象徴しています。
ワカイパタ「祈りの場所」/ハウハイパタ「瞑想の場所」(現在のアルマス広場の半分)で、インカ王は、日の出の朝一番の光を「金の鏡」を使って、ビクーニャやリャマの毛に「聖なる火」を点けました。

 「聖なる火」を、ワカイパタ「祈りの場所」/ハウハイパタ「瞑想の場所」の4角に灯し、その後、チャスキー(伝達使)達が「聖なる火」を、インカ王が統治する東西南北の村々へと運び届けました。
又、ワカイパタ「祈りの場所」/ハウハイパタ「瞑想の場所」では、インカ達と共に全ての村々の老若男女が、魂から愛を込めて太陽のために正午まで歌い続けました。

祈りの歌の内容は、以下の通りです。(意訳)

「太陽は、私達の祈りを聞いて、更に大きく力強く新しく生まれ変わりました。 ここに参会した誰も、私達と共に祈り魂から歌い、1つの大きな力が、祈りの声 となって、 我らが太陽神にまで届きました。もう祈りの時間は終わりです。さぁ今から兄弟姉妹皆で、今日のために心を込めて作ったご馳走を食べ、とうもろこし酒を飲んで、歌って踊って笑って、新しい一年を祝いましょう!」

と、インカ王とコヤ(女王)が宣言すると、一斉に祭りが始まりました。


 クシパタ「喜びの場所」と呼ばれていた、アルマス広場のもう一方の場所で、この日とばかりに人々は陽気にエネルギッシュに歌い踊り、神々に感謝しました。
クスコ周辺にある神殿全てを歌い踊りながら回り、祭りは2、3週間続きました。
また、クスコでの祭りの後も、村人達は歌い踊りながら、新年の喜びをそれぞれの村に持ち帰って、さらに「太陽の祭り」を祝いました。


 残念ながら、現在の「太陽の祭り」は、スペイン人によるキリスト教への改宗のために、6月24日に行われるようになり、インカの魂を持つネイティブ達ではなく、役者による劇の見世物になってしまいました。
更に現在では、各村で勝ち抜いてきた村一番のダンサーによる踊りが発表され、踊りを競い合うコンテストが行われています。

 インティライミの本来の意味は、大宇宙創造主、太陽や月、星、大地、海、川、山、植物、農産物、動物などの聖霊達が与えてくれる恵みに常に感謝する心を持ち、兄弟姉妹達と魂からの無条件の愛で助け合って生きてゆく、愛と喜びに満ちた素晴らしい、世界の感謝する祭りなのです。

魂からの愛を込めて・・・

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2008/12/27

アンデスの昔話(Ⅲ)

太陽が導いたウィラコチャンの道(下)

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 ヴィラコチャンは、再び、カナスから「太陽が導く光の道」に旅に出、太陽が通った神聖な谷にある山の頂上に座りました。
そして、自分が創造したこの世界の美しさに喜び、とても満足しました。

「私の息子、光の人達よ。この山から生まれ、谷いっぱいに広がりなさい!」と、ウィラコチャンが命じると、沢山の光の人達が山から生まれました。

「あなた達を、ケスピカンチス(輝く人達)と名付けます。」と、言いました。

 彼は、輝く人達にも、愛と喜びと調和を教え育て、又、輝く人達も、ヴィラコチャンの為に力を合わせて、多くの金と銀で飾った、大きな神殿を作りました。
今でもヴィラコチャンが座った山は、ヴィラコチャ山と名付けられてウルコスの地にあります。

 やがて、ウィラコチャンはクスコの地に辿り着きました。
その頃、クスコには誰も住んでいませんでした。
パチャトゥサン山(世界のバランスを保つ地)に
「アルカウィサス(天上世界の智慧の人達)よ。この山から生まれ、クスコの谷いっぱいに広がりなさい。」と命じると、多くの智慧の人達が生まれました。

そして、ウィラコチャンは智慧の人達に、こう命じました。

「この場所を、エンクァ(インカ「大地の太陽、純粋で調和の魂を持つ人達」)が、たどり着く地として準備しなさい。」

(長くなりますので、クスコについてのお話は、後日書かせていただきます。)

 更に、ヴィラコチャンは旅を続け、アヤクチョ(魂の地)村に着き、ワリルナ(宇宙の光の人達)を生み、愛と喜びと調和を教え育てました。
又、カハヤマルカ(雷の地)村に着き、村と同じ名前のカハヤマルカ(雷の人達)を生み、愛と喜びと調和を教え育てました。
彼等はヴィラコチャの事を、カテキリ(2つの火の杖の神、雷の神)と呼びました。
ヴィラコチャ「創造主(生命の源)」の息子ヴィラコチャンは、「太陽の光の道」を、更に北へ北へと旅し続けていきました。

 さて、何か取り止めの無い話のようですが、インカには文字がありませんでした。この話も、母親から子供へ、更にその子供へと口移しに伝えられたものです。その様な情景を想像しながら、読んでみると何か、アンデスに住む人達の精神世界の一部を垣間見る様な気持ちになりませんか?

パカリンカマ(また、次の夜明けまで・・・)

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2008/12/26

アンデスの昔話(Ⅱ)

アンデスの昔話(Ⅱ)

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<太陽が導いたヴィラコチャンの道(上)> (エンクァ(インカ)の起源の続き)

 ヴィラコチャンから受け継いだ、愛と喜びと調和の教えを守り続けたタイピカラの村の人達は、やがて大きく成長発展していきました。
ヴィラコチャンは太陽の神に、この大地の隅々まで明るく照らすようにお願いをしました。
そして、ヴィラコチャンはチチカカ湖のあるタイピカラの地から、「太陽が導く光の道」へと旅に出ました。
旅の途中で出会う、湖や川・山々に「あなたの名前は~です」と教えながら歩き、その瞬間から、私達の世界に在る物達が名前を持ち始めたという事です。

 カチャ(太陽の光線)という村の近くに、カナス(強い人達)という小さな村がありました。
カナスの強い人達は、ヴィラコチャンが村の近くにやって来るのを見つけて、戦いを仕掛けに行きました。
ヴィラコチャンは、彼らが戦いを挑んでくるのを知っていて、空から火の雨を降らせ、カナスの人達は、たくさん死にました。
彼らは武器を放り投げ、戦いを辞めて、大地に跪きました。
その姿を見たヴィラコチャンは、火の雨を止めました。

 その後、カナスの強い人達は、ヴィラコチャンの為に力を合わせ、大きな神殿を作りました。
ヴィラコチャンを象徴する「智慧を持つ長いひげの年老いた男性」の像、山々の聖霊達の像を、金・銀・石などで作り、神殿のメサ(祭壇)に祭りました。
今でも、カナスの強い人達の村は、クスコから約118キロメートルの地にあり、カンチス(「私達」の意味)県のサンペドロ デ カチャ ラクチー(セラミックを生産する地)という村に、壮大なウィラコチャ神殿(遺跡)が残されてます。

 ヴィラコチャンは、旅の途中で出会う、大きな岩々に「光の人達」になるように命じました。
すると大きな岩々は光の人達となり、彼らは「光の家族」として世界各地へと広がっていきました。
その瞬間から、世界中にはたくさんの村が生まれたのです。

 又、『大宇宙の中心の創造主(生命の源)の光』から送られた魂達は、湧き水・川・洞窟・山々・湖などから続々とこの世界に生まれ出て、「光の村々」を各地に作っていきました。
ヴィラコチャンは、現在のパタゴニア・アルゼンチン・チリ・パラグアイ等の地の光の人達に、愛と喜びと調和を教え育てました。

 そして、今のボリビア・ペルー・エクアドル・コロンビア、更に北の大地にも旅を続け、沢山の光の人達を教え育てました。

(メキシコ・グアテマラ・ホンジュラス・コスタリカ・エルサルバドル・パナマなど中米のネイティブ、カナダ・アメリカ・アラスカなど北米のネイティブの間にも、ヴィラコチャンが歩いた「太陽の光の道」と同じような伝説が残っています。)

 その後、ヴぃラコチャンは「私は、また、この世界に戻ってくる。」と、人々に言い残して、海の中へと入っていき、消えてしまいました。

以上が、ウィラコチャンが愛と喜びと調和を教え歩いた、「太陽の光の道」です。

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2008/12/25

アンデスの昔話

アンデスの昔話

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<エンクァ(インカ)の起源>  ※ エンクァ … ケチュア語で「大地の太陽」の意味

 昔むかし、エンクァ(インカ)の民達が存在する前のお話・・・
Illa Tecqsi Wiracocha (イリャ テクシ ヴィラコチャ)
『大宇宙の中心の創造主(生命の源)の光』が宇宙と世界を創造しました。
ヴィラコチャ「創造主(生命の源)」は、その息子「ヴィラコチャン(神)」と、一緒に大きな人(巨人)達を創造し、この世界に送り出しました。

 ヴィラコチャンと大きな人達は、チチカカ湖から生まれました。
その頃、太陽は今のように大地を眩しい光で照らしてはいませんでした。
大地は、何時も夜の様に薄暗く、ただ、2つの月の明かりだけがありました
ヴィラコチャンは、大きな人達が、愛と調和と喜びの、幸せな心で暮らしているのに、たいへん満足していました。

 やがて、ヴィラコチャンは安心して、その父ヴィラコチャ「創造主(生命の源)」の元に戻っていたのです。

 長い時が過ぎて・・・
大きな人達は、嫉妬や怒りの感情を持ち始め、心を汚して土地や権力のために互いに争い、愛と調和と喜びの、幸せな心をすっかり忘れて暮らしていました。
ヴィラコチャンは、大地に暮らす大きな狼達に、こう言いました。

「私は、もう一度、この地上に戻ってきます。その時、私と一緒に、今迄に見た事のないほど眩しい創造神の光が生まれます。その創造神の光の名前を 『太陽』 といいます。」

 大きな狼達は月に向かって、一斉に雄たけびを上げます。
大きな人達は、大きな狼達に「お前達は何でそんなに泣くのか?」と、不思議に思って聞きました。

「もうすぐ、太陽様がお顔を出すそうです。私達は、この世界から消えてしまいます。なぜなら、創造主の聖なる光が私達を焼き尽くしてしまうからです。」と、大きな狼達は答えました。

 大きな人達は、大きな狼達の言うことを信じないで、荒れた暮らしを続けました。
ヴィラコチャンは、太陽の神に空に登るようにお願いしました。
約束の日、太陽の神は空高く光々と輝き、大地の隅々まで明るく照らし出しました。
大きな人達は、太陽の光を恐れて、山や岩に姿を変えたり、洞窟や地下深くに潜ったりして太陽の強烈な光から身を隠しました。

 今でも、大きな人達や狼達は、地下深いところで生き続けているそうです。
逃げ送れた狼達は、太陽の光に焼かれそうになったので、今でも彼らの尻尾には、焼かれた後が残っていて茶色く、尻尾の先は煙のように白いのです。
彼等は、太陽を恐れて、夜にしか外に出られなくなりました。

 再び、大宇宙創造主の息子「ヴィラコチャン」は ヴィニャイマルカ(ケチュア語で「永遠の場所」の意味)と呼ばれていたチチカカ湖から、姿を現しました。
そして、タイピカラ(ケチュア語で「中心の石」の意味)と呼ばれていた、現在のボリビアのティワナクの地に、光の人達を創造しました。
又、雷、雲、虹、風、水、火、植物、動物、その他、この世界にある、すべてのものを創造して、光の人たちにそれぞれの名前を教えました。

 ヴィラコチャンは、光の人達に『太陽の光の道』を教えたのです。

タイピカラの人達はその教えを、2つの偉大な光「太陽と月」を象徴する、大きな「太陽の門」と「月の門」を作り、ウィラコチャンから受け継いだ、愛と喜びと調和を、いつまでも忘れないように後世に残したのです。

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2008/12/24

日本の神話(十五)

日本の神話(十五)

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<白鳥の陵(みささぎ)>

 ヤマトタケルの死の報せを聞いて、大和の国に居たお妃(きさき)や子供達は、能煩野(のぼの=三重県鈴鹿郡)にやって来て、陵墓をつくりました。
お妃や子供達は、嘆き悲しみながら、こう歌われました。

 「なづき田の 稲(いな)がらに 稲がらに 蔓ひもとろふ ところつづら」

(口語約)
お墓のそばの 稲の上で ところつづら(蔓草)のように這い回って、悲しんでいます。


 すると、どうでしょう。
ヤマトタケルの陵墓から一羽の大きな白鳥が、天高く翔上がって、浜の方へ飛んで行くではありませんか。
お妃や子供達は、その白鳥を追って行きました。
小さな竹を刈った後の切り株の上を通ったので、足が傷つき痛くなりましたが、その痛さも忘れて、泣きながら、ひたすら白鳥を追って行ったのです。
その時に、次のように歌われました。

 「浅小竹原(あさじのはら) 腰(こし)なづむ 空は行かず 足よ行くな」

(口語約)
小さい竹の生えた中を進むのは、竹が腰にまとわりついて進みにくい。私たちは、空は飛べず、足でゆくしかないのです。


又、白鳥を追って、海に入った時に、こう歌われた。

 「海が行けば 腰なづむ 大河原の 植え草 海がは いさよふ」

(口語約)
海の中を進むのは、歩きにくい。まるで、大きな河に生えている水草のように、海では足を取られて、ゆらゆらします。


更に、白鳥が磯伝いに飛び立たれた時に、こう歌われた。

 「浜つ千鳥(ちどり) 浜よは行かず 磯づたふ」

(口語約)
浜千鳥のように、あなたは陸の上を飛ばないで 磯づたいに飛んで行かれるのですね。


 以上の4つの歌は、ヤマトタケルのお葬式で歌われた歌で、今でも天皇のお葬式で歌われています。

 さて、その白鳥ですが、能煩野を飛び立ってから、河内(かわち)の国の志幾(しき=大阪府柏原市付近)に留まりました。
そこで、その地にも陵墓を造って、ヤマトタケルの霊(れい)を鎮(しず)められました。
このお墓を「白鳥(しらとり)の御陵(ごりょう)」又は、「白鳥(しらとり)の陵(みささぎ)」といいます。
                                             
                                              (ヤマトタケル おわり)

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2008/12/23

日本の神話(十四)

日本の神話(十四)

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<伊吹山(いぶきやま)の白イノシシ>

 ヤマトタケルは、ミヤズヒメの家に草薙の剣を置いたまま、伊吹山(滋賀県と岐阜県の境にある山)の神を退治に向かいます。
ヤマトタケルは、「こんな山の神ぐらい、素手(すで)で倒してやる。」と言ったとか。
山に登ったときに、山の辺(へ)で牛のように大きな白いイノシシと出会いました。
ヤマトタケルは、「この白いイノシシに化けた者は、この山の神の使いだろう。まあ、今倒さなくても、後で倒す事にしよう。」と山を登って行かれました。

 突然、大雨が降って来て、ヤマトタケルの行く手を阻みました。
実は、このイノシシは、神の使いではなくて、神そのものの正体であったのですが、ヤマトタケルがイノシシに向かって大きな声で威嚇(いかく)したために、邪魔をしようとしたのです。
そこで、仕方なく山を降りられ、玉倉部(たまくらべ)の清水(滋賀県坂田郡米原町の醒が井)で休まれたところ、やや正気を取り戻されました。
そこで、その清水のことを「居寤(いさめ)の清水」というのです。

 後に、ヤマトタケルは、清水を出発して、当芸野(たぎの=岐阜県養老郡)まで来た時、「私の心は、いつも空を飛んで行くような思いであったのに、今は私の足も歩けなくなって、たぎたぎ(たどたど)しくなった。」
 以来、この場所を当芸(たぎ)という名で呼ばれる様になりました。

 その地から少しいった処で、ヤマトタケルはとても疲れたと言い、杖をついてやっと歩けるような状態でありました。
そこで、その坂のことを「杖衝坂(つえつきざか=三重県四日市市采女の西石薬師に至る坂)」というのです。

以下続く

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2008/12/22

日本の神話(十三)

日本の神話(十三)

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<ミヤズヒメとの恋>

 ヤマトタケルは、甲斐の国を出て信濃の国へ行き、そこで信濃の坂の神達を平定しました。
その後、尾張の国(現在の愛知県西部)に戻り、以前結婚の約束をされたミヤズヒメの処へ行かれました。
ミヤズヒメは、ヤマトタケルと無事に再会できた事にとても感激し、彼の帰還を祝福したのです。
ヤマトタケルは、ミヤズヒメの持成しに今までの戦いの疲れも癒される思いでした。

 ヤマトタケルは、ミヤズヒメの着物の裾(すそ)に血が着いているのに気がつき、それを見て次のように歌われました。

「ひさかたの 天(あめ)の香具山(かぐやま) とかまに さ渡る鵠(くび) ひほぼそ たわや腕(がひな)を まかむとは あれはすれど さ寝むとは あれは思へど ながけせる おすひの裾に 月たちにけり」

(口語約)
天の香具山の方向へ飛んで行く白鳥の白くか細い首のようなあなたの腕をとり、私はあなたと一緒に寝たいと思うが、あなたの着物の裾には月※が見えています。 ※月と女性の月経(メンス)をひっかけた洒落。

そこで、ミヤズヒメは、これに応(こた)えて次のように歌われました。

「高光る 日の御子(みこ) やすみしし わが大君(おおきみ) あらたまの 年がきふれば あらたまの 月はきへゆく うべな うべな 君待ちがたに わがけせる おすひの裾に 月たたなむよ」

(口語約)
高く光り輝く 太陽の皇子様。わたしの大君様。新しい年が来て、新しい月がまた去って行く。そうです、そうですとも、こんなにも、あなたを待ちこがれていたから、わたしの着物の裾に月が出ているのも仕方ございません。

以下、ご想像下さいませ。

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2008/12/21

日本の神話(十二)

日本の神話(十二)

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<オトタチバナヒメ>
 ヤマトタケルの東征は続きます。
走水海(はしりみずのうみ=現在の神奈川県三浦半島と千葉県房総半島との間の水道)を渡ろうとしたところ、その海の神が波を起こした為、船は、一向に前に進むことが出来ませんでした。
すると、この船に一緒に乗っていたヤマトタケルの妻の一人のオトタチバナヒメが立ち上がり、
「私が、海の神を鎮める為に、貴方に代わり、海に入りしましょう。貴方は、天皇から命じられた勅令を立派に果たして、ヤマトの国に戻らなければなりません。」
 
 オトタチバナヒメは、海の波の上に菅(すげ)で作った茣蓙を八枚、皮で作った茣蓙を八枚、絹で作った茣蓙を八枚敷いて、その上にお降りになって、次のような歌をお詠みになりました。

 「さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の 火中(ほなか)に立ちて 問ひし君はも」

(口語訳)
これも、あの相模の国の野で燃える火の中で、わたしの名を呼んでくださった愛する貴方の為ですもの。


 オトタチバナヒメが、海に身を投げると、荒波はおさまり静かになり、船は無事に海を渡ることができたのです。
それから七日後、海岸にオトタチバナヒメが身につけていた櫛(くし)が流れ着きました。
ヤマトタケルの目から、愛する妻を失った悲しみの涙があふれ出しました。
そこで、オトタチバナヒメのお墓を作り、その中に櫛を納められました。
 
 ヤマトタケルは、さらに東へ進み、ヤマトの国に逆らう蝦夷を倒していきます。
やがて、ヤマトの国へ引き返す途中の足柄(神奈川県足柄町)の坂の麓(ふもと)で、乾飯(かれいい=乾れ飯。携帯の食糧)を食べていたところ、その坂の神が白い鹿に変身して下りて来て、ヤマトタケルの前に近づいてきました。
ヤマトタケルは、鹿が近づくのを待って、すばやく食べ残したネギ(ノビル)を投げると、それが目にあたって、鹿は倒れてしまいました。
ヤマトタケルは、坂の上に登り、今来た東の方角を見て、三たび亡くなったオトタチバナヒメのことを思い出され、何度も嘆きながら、

 「ああ、我が妻よ。」

 これが、この東の国々のことを「あづま(吾妻)」の由来と言われています。

 ヤマトタケルは、相模の国を出て甲斐(かい)の国(現在の山梨県。甲州)へ入り、酒折(さかおり=現在の山梨県酒折町)の神社に行かれた時に、次のように歌を詠まれました。

 「新治(にいはり) 筑波(つくば)を過ぎて 幾夜か寝つる」

(口語訳)
常陸の国(現在の茨城県)の筑波を過ぎてから、これまで幾晩寝たのだろうか。


 すると、神社の境内でかがり火を焚いていた老人が、その後に続けてこう歌いました。

「かがなべて 夜には九夜(ここのよ) 日には十日を」

(口語訳)
夜は九夜、昼は十日の日数をお重ねになっております。


 ヤマトタケルは、その老人を誉めて、吾妻の国造に任ぜられました。

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2008/12/20

日本の神話(十一)

日本の神話(十一)

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<草薙の剣(くさなぎのつるぎ)>

 ヤマトタケルは、相模の国(現在の神奈川県)に入ります。
すると、相模の国造達が、
「この野には、大きな沼が在り、そこに住んでいる神は、とても乱暴な神です。」
 との話を伝え、妖計をめぐらせます。

 ヤマトタケルが、その神をこの眼で見ようと、その野に入ったところ、待ち伏せしていた国造達が、いっせいに野に火を放ちました。
火はたちまちのうちに、ヤマトタケルの周りを包み込みました。

 「だまされたか!」
ヤマトタケルは、叔母のヤマトヒメの言葉を思い出し、貰った袋の口を開へると、火打石が入っていました。
そこで、ヤマトタケルは、まず草を刀で切り払って、その切った草に火打石で火をつけました。
するとどうでしょう、燃え上がった火が向かい火となって、周りの火も鎮まりました。
ヤマトタケルは、その場所を逃れ、隠れていた国造どもを倒してしまいました。

 このようなことから、今では、その刀を草薙の剣(くさなぎのつるぎ)三種の神器の一つ。熱田神宮に祀られる)といい、この場所を焼津(やいづ=静岡県焼津市?)というようになったのです。

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2008/12/19

日本の神話(十)

日本の神話(十)

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<ヤマトタケルの東征(とうせい)>
ヤマトの国に戻った、ヤマトタケルに父である天皇は、
「東方の十二ある国々(伊勢、尾張、参河、遠江、駿河、甲斐、伊豆、相模、武蔵、総、常陸、陸奥)には、ヤマトの国に従わない者が多い。東方の平定を命じる。」
 天皇は、キビノタケヒコ(吉備の臣の祖先で、ミスキトモミミタケヒコ)という者をお伴に遣わし、ヤマトタケルを征伐に行かせる時に、柊(ひいらぎ)の木で作られた長い矛(ほこ)を授けた。

 ヤマトタケルは、天皇の命令を受けて、やむなくヤマトの国を出発しましたが、まず伊勢神宮を参拝し、そこで、その神殿にお仕えになっている叔母さんであるヤマトヒメに、こう訴えました。
「父の天皇は、私が一刻も早く死んでしまった方がよいと思われているのでしょうか。私は、西の国の治めて、ヤマトの国ヘ帰ったばかりというのに、すぐに父は、兵も与えてくれずに、さらに東の十二の国を征伐して来いと言われた。これは、私の事を早く死んでしまえと思われているからに違いない。」

 悲しみながらすすり泣くヤマトタケルの姿を見たヤマトヒメは、どてもかわいそうに思って、天皇家の宝である叢雲の剣(むらくものつるぎ=スサノオノミコトが、八岐大蛇を退治したときに、その尾から出て来た刀。)と一つの小さな袋を授けて、こうおっしゃいました。
「もし、あなたの身に危ないことがあれば、この袋の口を開けなさい。」

 ヤマトヒメの言葉を胸に、ヤマトタケルは、伊勢を出発し、尾張の国(現在の愛知県西部)へ入り、そこで、尾張の国造(くにのみやつこ=大化の改新以前の各地方を統治した豪族)の先祖にあたるミヤズヒメという美しい女性と恋に落ちました。
彼女の家へ行って、契りを結びたい思われましたが、東国を平定からにした方がいいと思いなおしました。
それで、ヤマトタケルは、ミヤズヒメと契りを交わし、やがて、東国を皆従えました。

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2008/12/18

日本の神話(九)

日本の神話(九)

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<出雲征伐>
 ヤマトタケルは、大和の国へ帰る途中、出雲(いずも)の国(現在の島根県東部)に立ち寄り、イズモタケルというヤマトの国に逆らう者を平定します。

 ます、ヤマトタケルは、親しげにイズモタケルに近づき、交友関係を結びます。
ある日の事、二人は一緒に斐伊川(ひのかわ)へ水浴びに行く事になりました。
ヤマトタケルは、密かに樫の木で剣を作り、それを腰に差して行きました。
二人は、服を脱いで水浴びを始め、ヤマトタケルは、先に川から上がって、イズモタケルが外しておいた刀を腰につけて、
「貴方の剣は実に見事だ。私の剣と少しの間だけ取替えて欲しい。」と、言ったのです。

 その後から、イズモタケルも川から上がって来て、ヤマトタケルの木の剣を腰に差しました。
そこで、ヤマトタケルは、「ぜひ一度、お手合わせを願いたい。」と言い、二人はお互いに剣を抜こうとしましたが、イズモタケルが持っているのは、木の剣なので、抜くことができません。

 イズモタケルが手を拱く内に、ヤマトタケルは剣をすばやく抜いて、一瞬のうちにイズモタケルを倒したのです。

 ヤマトタケルは、出雲征伐の歌を残しました。

「やつめさす 出雲建(イズモタケル)が 佩(は)ける刀(たち) つづらさわ巻き さみなしにあわれ」

(口語約)
たいへん強いイズモタケルが差していた刀は、たくさんのつづらで巻かれていて見た目は立派だが、中身がない。ああ、哀れである。

 ヤマトタケルは、ヤマト朝廷に逆らう人々を次々と征伐したのです。

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2008/12/17

日本の神話(八)

日本の神話(八)

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<オウスノミコトの征伐(ヤマトタケルの名の由来)>

 天皇の命令で、オウスノミコトは、熊襲(=現在の熊本県と鹿児島県の辺りの地域)へ出発することになりました。
その時は、オウスノミコトはまだ15歳の色白の美少年でありました。
髪の毛もその当時の子どもがするように額のあたりで結んでおりました。
そして、伊勢神宮に仕えていた叔母のヤマトヒメの着物を借り、刀を懐に隠して出発しました。

 ようやくクマソへ到着すると、さっそくクマソタケルの家を探しました。
遠くからその場所を覗いてみたところ、兵隊達が何重にもその家を囲んで警備をしていす。
家を新しく建てている様子です。
「成る程、もうすぐ家の新築のお祝いの宴会があるに違いない。その日迄待とう。」とオウスノミコトは考えました。

 幾月の後、家が完成した様子で、人々は、宴会の準備で忙しそうに、ご馳走の準備をしておりました。
オウスノミコトは、宴会の日迄、静かに待ちます。
いよいよ宴会の日、オウスノミコトは、結んでいた髪をほどいて女の子のように下に垂らして、叔母さんから借りた着物を着て、女性に変装しました。
もともと、色白で美しい顔立ちをしていましたので、これではだれも男とは気づきません。
宴会に招待された女性達に紛れ、まんまとクマソタケルの家に侵入したのでした。

 クマソタケルの兄弟は、大勢の女達や下々の者に囲まれて、上機嫌で酒を飲んでいました。
其の内、美しい娘に気づき、
「あの娘は、たいへん美しいではないか。此方で、酒のお伴をしてくれないか。」と言いました。
 クマソタケル兄弟は、このような美しい娘は、この辺では見かけないと不思議に思いながらも、その娘を間に挟み、飲めや歌への大騒ぎを続けました。

 宴会も酣の頃、娘に変装した、オウスノミコトは、おもむろに懐から短刀を抜き、兄のクマソタケルの襟を掴みながら、その胸へ突き刺しました。
刀は、クマソタケルの体を貫き、余りにも一瞬の出来事に兄のタケルは何が起きたかわからないうちに息絶えたのです。

 悲鳴やざわめきと共に、喜びの宴は、一瞬にして修羅場となり、弟のタケルも驚いて逃げ出しましたが、オウスノミコトは、これを追いかけ、背中の皮をぐっと掴むと、尻から刀を突き刺したのです。
断末魔の、弟のタケルが言いました。
「どうか、その刀を抜かないでくれ。我は、お前に言いたいことがある。」
「よし、話せ。」
 オウスノミコトは、弟のタケルをしばらく、押し伏せておきました。
「お前は、何処の国の者か。」
「我は、ヤマトの国(纏向(まきむく)の日代(ひしろ)の宮(現在の奈良県桜井市あたりにあった皇居))で天下を治められている景行天皇の皇子で、名前は、ヤマトオグナという者だ。我が父の天皇が、お前達クマソタケルは、ヤマトの国に従わない無礼者であるから征伐をご命令になったので、やってきたのだ。」
「なるほど、お前の言う通りだ。西の国には、我等以上に強いものは、居らぬ。しかし、ヤマトの国には、我等以上に強い者が、居る事が判った。我が名をお前に授けよう。そなたは、今日からヤマトタケルと名乗られるがよい。」

 弟のクマソタケルは、絶命し、このようなことから、オウスノミコトは、ヤマトタケルと呼ばれるようになったのです。
更に、ヤマトタケルは、大和の国へ帰る途中、西の国の山の神、川の神、海峡の神をもみな従わせたのでした。

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2008/12/16

日本の神話(七)

日本の神話(七)

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<荒くれ皇子>

 遥か遠い昔(今からおよそ2000年前?)に、日本の近畿地方(現在の奈良県の辺り)にあった大和の国の皇子の愛と勇気の物語です。

 ある日、天皇(ミカド)は、毎日の食事の席に皇子のオオウスノミコトが出席しないことを不思議に思って、弟のオウスノミコト(のちのヤマトタケル)を呼んで、こうおっしゃいました。
「お前の兄は、どうして毎朝と毎晩の食事に来ないのか。悪いが、お前から兄さんに食事の席に来るようによく話してみてはくれまいか。」
「はい、わかりました。」と弟は答えました。

 しかし、それから幾日経っても、オオウスノミコトは、一度も食事の席に現れません。
そこで、天皇は再び弟のオウスノミコトを呼び出して、尋ねました。
「わしがこの間、兄さんに食事に来るように伝えてくれとお前に頼んだが、どうなっているのだ。幾日経ってもこの席に来ないではないか。」
「兄には、伝えています。」
「如何に伝えたのじゃ。」
「兄を少し懲らしめてやろうと思って、朝、厠に行くところを待ちかまえていました。兄が来たので、掴まえて、むしろに包んで投げ込んでやりましたよ。」

 それを聞いた天皇は、自分の息子ながら、このオウスノミコトの乱暴さに恐れを感じました。
「この子は、小さい頃から気性も激しく乱暴だったので心配していたが、自分の兄までも殺してしまうとは、何という恐ろしい心を持っているのだろう。末恐ろしい限り。このままでは、父親の自分さえも殺されてしまうのではないか。若くて力もあり余っているようだし、少し試練を味合わせた方がよかろう。」と考えて、
「九州にクマソタケルという二人の兄弟がいる。これは私達に逆らう無礼な者達である。お前が行って、この者達を征伐するのだ。」と告げたのです。

以下、明日に続く!

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2008/12/15

日本の神話(六)

日本の神話(六)

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黄泉の国
 イザナキの神とイザナミの神は、二人で力を合わせて多くの国や神を生んだ、「日本の父と母」とも言える人達。
ところが、イザナミは火の神を生んだ時に、火傷を負って死んでしまったのです。
どうして神様なのに、火が危ないという事を予測できないんでしょうね?

 さて、イザナキはたいそう嘆き悲しみ、黄泉の国まで妻に会いに行きました。
すると、イザナミは言いました。
「私はもう黄泉の国の食べ物を食べてしまったので、戻ることはできないのです。でも、せっかく貴方が来てくださったのですから、何とか戻れないものかどうか、黄泉の国の神様に尋ねてみます。但し、どうかその間、私の姿を見ようとは、しないでください」
もちろん、イザナキは待てません。

 神話にかぎらず、物語で「見るな」と言うのは、「どうかこっそり見てください」と言うのと同じ事です。
イザナキは黄泉の国の御殿に入って行き、そこで、体中に雷の神が纏わりついた恐ろしい妻の姿を見てしまったのです……。
イザナキは一目散に逃げ出し、追ってきた妻のイザナミを遮る為、大きな石を置きました。
それがこの世とあの世を隔てる石になったという事です。


<妻を追って黄泉の国へ>

 ギリシャ神話のオルフェウスとエウリディケの話に似ています。
オルフェウスも、死んだ妻を追って黄泉の国へ行きます。
実はこれは偶然の一致ではなく、ギリシャやオリエントの神話が、大陸を伝わって日本にやって来たという説があります。

<黄泉の国の食べ物>

 イザナミが何を食べたかは判りませんが、ギリシャ神話では、黄泉の国でザクロを食べたペルセポネーが、やはり地上の世界に戻れなくなっています。

<なぜ神様から火が生まれるのか?>

 その後少し判りました。
古代では、木の台の穴に棒を差し込み、それで木を擦って火を起こしました。
それがイメージ的に性行為と結びつき、「女性の膣から火が生まれる」という発想になったようです。女性が火を生むという神話は、オセアニアの方にも在るとか。

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2008/12/14

日本の神話(五)

日本の神話(五)

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<八俣のオロチ>

 乱暴な神スサノオは、天界から追放されて出雲の国に降りてきました。
其処では、毎年八俣のオロチがやってきては、若い娘を一人ずつ食べているとの事。
その年食べられる運命にあったのは、クシナダヒメ。
スサノオは、クシナダヒメの両親に、娘を助ける代わりに彼女を嫁にしたいと申し出、承諾を得ました。

 スサノオが考えたオロチ退治の方法は、垣根に八つの棚を取り付け、それぞれに強い酒の入った器を置いておくこと。
オロチが遣って来ると、案の定酒を飲み始め、やがてぐっすり眠り込んでしまいました。
スサノオはそこを襲い、オロチをずたずたに切り裂いたのです。
こうしてオロチを退治したスサノオは、クシナダヒメと結婚し、出雲の国に宮殿を建てて住み始めたそうな。

<スサノオは誰か・・・?>

 スサノオは姉アマテラスオオミカミに乱暴を働いた事から、ギリシャ神話のポセイドン(やはり姉のデーメテールに乱暴を働いた)と比較されますが、この大蛇退治の話は、9つの頭を持つ竜を退治したヘラクレスの話を思い出させます。

 因みに、ヘラクレスが退治した竜は、潅漑を邪魔する水の流れの象徴とされていますが、八俣のオロチも、人間を襲う洪水の水、または溶岩の流れを表したものという説があります。

<八つの頭>

 古代で「八」というのは「たくさんの」という事で、このオロチの頭も実は八つではなく、もっとたくさんあったのかもしれません。

<怪物退治>

 怪物に襲われる娘を助けて、その娘と結婚すると聞くと、ペルセウスの話を思い出すでしょう。
彼はゴルゴンを倒したことで有名な英雄ですが、その帰り道、海の怪物に捧げられたアンドロメダを救い、彼女を妻にします。

どうも、怪物の話になると、力が入ります。(困ったもんだ・・・・)

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2008/12/14

日本の神話(四)

日本の神話(四)

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<天の岩戸>

 天界から追い出される前、スサノオは天界を治める姉のアマテラスに散々嫌がらせをしました。
水田をメチャメチャにしたり、御殿を糞で汚したり、それでもアマテラスは優しい人だったので、怒ろうとしなかったとか。
所がある時、アマテラス達が機織りをしていると、スサノオが屋根の上から死んだ馬の皮を投げ入れて、驚いたアマテラスの侍女の一人が死んでしまったのです。
さすがのアマテラスも、「もうイヤだ」と言って、岩戸の中に引きこもってしまいました。
何しろアマテラスは太陽の神だったので、彼女が居なくなって、天も地も真っ暗になってしまったのです。

 困った他の神様達は相談し合い、アマテラスをひっぱり出すため岩戸の外でお祭り騒ぎを始めました。
不審に思ったアマテラスが岩戸の中から「何事か」と尋ねると、神たちは「あなたより立派な神が現れたので、お祝いをしている」と答えました。
アマテラスが好奇心にかられて外を覗こうとすると、そこはさすが他の神様達の賢いところ、岩戸の外に鏡を用意しておいたので、アマテラスが見たのは自分自身の姿。彼女がびっくりしているすきに無理矢理岩戸から引っぱり出し、世の中に光が戻ったとか。

 お察しのとおり、これは日食を基にした話ではないかとされています。


<スサノオの乱暴>

 この侍女は機織りの道具で陰部を突いて死んだという、不思議な話になっています。
これは、スサノオがアマテラス自身に乱暴したという話の変形なのではないかという人もいます。
因みに、ギリシャ神話のポセイドンは「馬に姿を変えた姉のデーメテールを追い、自分も馬になって無理矢理犯した」そうなので、「姉と弟」「馬」というモチーフが、酷似しているのです。

<岩戸に隠れる太陽>

 太陽神が岩戸に隠れるという話は、インドや中国にもあります。
そこでも太陽神は女性ですが、因みに、アマテラスを呼び出すきっかけとなったのは、アマノウズメという女神がヘンな踊りをしてみんなを笑わせたせいで、よその国の話では、ニワトリの鳴き声が、太陽神の気を引くという話になっています。
夜が明けると鳴くニワトリが、「太陽を呼ぶ」というイメージになったのでしょう。

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2008/12/12

日本の神話(三)

日本の神話(三)

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<生き返るオオクニヌシ>

  オオクニヌシはその名「大国主」のとおり、地上を治める偉い神様になったのですが、なぜか兄弟達に酷く嫌われ、色々仕打ちを受けます。
旧約聖書のカインとアベル、ヨセフとその兄弟の例にも有る様に、どうも兄弟というのは昔から余り仲の良くないものだったようで。

 オオクニヌシの場合、美人のお姫様が結婚相手にオオクニヌシを選んだので、怒った兄弟たちが何と殺害計画を企てます。
まずは、「我々が山から赤いイノシシ追い出すから、麓でそれを受止めろ」というもの。
兄弟たちは赤く焼けた巨石を転がし、それをしっかり受止めたオオクニヌシは焼け死んでしまいます。

 ところが、オオクニヌシは生き返ります。
母親が天上の神に頼んで、生き返らせてもらったのです。
兄弟は再び殺人計画を企てます。
大木に割れ目を作ってクサビで止め、オオクニヌシを中に入れると、クサビを抜いてバン!と割れ目をふさいでしまったわけです。
当然、オオクニヌシは潰れて死んでしまいます。
ところが今度もまた母親がオオクニヌシを生き返らせます。

 その後オオクニヌシは地下の国に行ってスサノオの娘を嫁にもらって来たそうです。

なんでオオクニヌシがこんなに簡単に生き返ったりするかというと、別に古代の妙薬や魔術が有った訳ではなくて、彼が農業の神様だから。
生えては枯れ、枯れては生える植物を見ていると、「復活」だの「再生」だのというのは、ごく自然なことに思えてくるのかも。


<生き返る神>

 有名なのがエジプトのオシリスです。
彼も兄弟のセトに憎まれて殺されますが、妹で妻のイシスに助けられ、蘇って死者の国の王となります。
オシリスの遺体が入った棺はビブロス(現在のレバノン)に流れつき、1本の大木が棺を包み込んで成長し、その大木が棺ごと神殿の柱に使われたという、不思議な話もあります。


<農業の神>


 ギリシャには1年のうち3分の1を地下で、また3分の1を地上で、残りの3分の1を自分の好きなところで暮らしたアドニスという神がいます(ちなみに彼は、イノシシに襲われて死んでいます)。
このアドニスも、植物の再生を象徴する農業の神様だったのです。
エジプトのオシリスも死者の王であると同時に、農業の神様だったとの事。

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2008/12/11

日本の神話(二)

日本の神話(二)

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<海幸彦と山幸彦>

 海で漁をする海幸彦のホデリと、山で狩りをする山幸彦のホオリは兄弟。
ある日、弟のホオリは自分の狩りの道具を兄のホデリの釣り針と取り替えてもらって、海へ行きます。
ところが、一匹の魚も釣れなかったうえ、兄の釣り針を失くしてしまいます。
ひどく怒ったホデリは、ホオリが何をしても許してくれません。
困ったホオリはシオツチという老人の教えに従い、海の神の宮殿に行きます。
ホオリは海の神の娘トヨタマビメと結婚し、なんと陸であったことをすっかり忘れ、3年の間幸せに暮らします。
やがて、ホオリはようやく兄の釣り針の事を思い出し、海の神の助けを借りてそれを見つけだしました。

 陸に帰るにあたって、ホオリは海の神から兄をやっつける方法を聞き、結局兄ホデリを自分の家来にしてしまいます。
元はと言えば釣り針をなくしたホオリが悪いのだし、それを忘れて遊んでいたというのに、最後にはホオリの方が偉くなってしまう。
どうしてこんなひどい話がまかり通るかというと、これはホオリが日本の天皇の祖先で、ホデリが海を越えて遣って来た移民の祖先だからなのです。

<海の神の宮殿>

 言うまでもなく、これは昔話の浦島太郎と殆ど同じです。
ちなみにトヨタマビメは出産をするとき、小屋にこもって「決して私の姿を見ないでほしい」と言ったとか。
ホオリが好奇心を抑えきれずに除いて見ると、其処には巨大な鰐の姿をしたヒメの姿があったそうです。
これなどは、「ツルの恩返し」にそっくりです。

<海を越えて遣って来た移民>

 この話は九州南部で起こった事とされていますが、古代、其処には「隼人族」と呼ばれる、日本人とは異なる風習を持っている人達が住んでいました。
彼等はインドネシアから遣って来たのではないかと言われ、この海幸彦と山幸彦の話自体、インドネシアの神話ととても似たところがあるそうです。

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2008/12/10

日本の神話

日本の神話

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冬の星座のお話もそろそろ、ネタ切れです。
ギリシャ神話一辺倒で、突き進んできましたが、ここで、日本の神話をご紹介です。

<花の姫と石の姫>

 地上を治める神オオクニヌシは、自分の国を最高神のアマテラスに任せる事にしました。
そこでアマテラスは、ホノニニギという神を地上に送ります。
一応この神が、現代に迄繋がる天皇家の祖先と言うことになっています。

 ホノニニギは、コノハナノサクヤヒメ(木花之佐久夜姫)という美女に一目ぼれし、彼女の父オオヤマツミに結婚を申し込みます。
オオヤマツミは、「それならば姉のイワナガヒメ(石長姫)も一緒に」と言って、姉妹をホノニニギのところに送ります。

 ところが、このイワナガヒメが非常に醜い女性だったので、ホノニニギは彼女だけ親許に送り返してしまうのです。(神様もやっぱり顔で選ぶんですね・・・)。
そこで怒ったのが、父親のオオヤマツミ。
「あなたの命が石のように長く続くようにとイワナガヒメを送り、木の花のように栄えるようにとコノハナノサクヤヒメを送ったのに、あなたはイワナガヒメを拒絶してしまった。あなたの命は、咲いては枯れる花の様に儚いものになるだろう」。

 こうして、本来不死だったはずの神様にも、寿命が出来てしまったと言う訳です。

 この話は、一見「外見で判断してはいけない」という教訓のように思えますが、実はコノハナノサクヤヒメは「植物」の象徴、イワナガヒメは「石」の象徴で、永遠に残る「石」を捨ててしまう物語によって、人間に寿命がある理由を説明したものだとされています。


<解説・コノハナノサクヤヒメ>
 彼女は、後に海幸彦(ホデリ)と山幸彦(ホオリ)を生みます(海幸彦と山幸彦)。
一晩だけの性行で妊娠してしまったため、夫ホノニニギから「自分の子ではないのではないか」と疑われるという話までついています。

<解説・人間に寿命がある理由>
 インドネシアも似たような話があります。人間が神から与えられた石を「食べられない」といって拒絶し、次に来たバナナを喜んで受け取ったことから、人の命はバナナのように短い話になってしまったというものです。石と植物の対比から人間の寿命を説明する神話は世界各地にあり、学問の世界では「バナナ型」と呼ばれているそうです。

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2008/12/09

おおいぬ座のお話

大きつねを追きつねを追いかけた猟犬レラプス

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 おおいぬ座として描かれている犬は、こいぬ座の犬と共にオリオンの連れている猟犬という説がありますが、それともう一つ、快速の猟犬レラプスであるという説も伝わっています。
レラプスとは、月と狩りの女神アルテミスがお気に入りの侍女に与えた犬の事で、「どんな獲物をも必ず捕らえる」という能力を持っていました。

(注:レラプスをめぐる登場人物には、様々な説があり、レラプスを与えたのはミノス王で、与えられたのはミノス王の寵愛を受けたプロクリスであるとも言われています。)

 ある日の事、ある国で「決して捕まることがない」という能力を神から授かった狐が畑を荒らし回っていました。
農民や狩人達が何人がかりでもその狐を捕らえることができず、最後の手段としてレラプスが放たれました。
しかし、「決して捕まらない狐」と「必ず獲物を捕らえる犬」の追いかけっこは、一向に勝負がつきませんでした。

 この様子を天から見ていた人物(神)がいました。
大神ゼウスです。ゼウスは「この優れた両者のどちらかが負けてしまうのはもったいない」と思い、勝負がつく前に両者を石へと変えてしまいました。

そして、レラプスだけを天に上げ、星座にしたという事です。

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2008/12/08

ふたご座のお話

ふたご座

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<ギリシャ神話でのふたご座>

 双子の名前は、カストルとボルックスといい、カストルは人間として生まれ拳闘の名手、 ポルックスは神として生まれ馬術の達人とされています。
彼らは、何時も仲良くつれ立ち、白馬に跨る青年として、考えられています。
数々の冒険をし、二人は互いに協力して難関を越えていきました。
アルゴ船の冒険の際に嵐に遭遇しますが、海の神であるポセイドンが、双子の強い友情に感動し嵐を収めてくれます。
其の為、暗い夜や暴風雨の際に、船の舳先に立ち船人を導く神霊として祭られるようになりました。
嵐の夜にセントエルモの火と呼ばれる船のマストからの放電がみえることがありますが、これを古代ではカストルとポルックスの双子の火と呼んで、これが見えれば、どんな嵐も静まると信じられていました。

 双子の冒険は、カストルが人間であり、死す運命であることから終わりになります。
最後の冒険でカストルは射殺されてしまいます。
ポルックスはゼウスに自己の不死の齢をカストルと分ち合う事を願いました。
ゼウスは、一日おきにオリュンポスと冥界で暮らせるように計らい、二人の友愛を記念して星座にしたとされています。

<星座のふたご座>

 双子の兄弟の頭の部分に、それぞれ明るい星が輝いています。
向かって右が兄のカストル、左が弟のポルックスです。
星の名前も同じ名前がついています。
このブロクでも、以前紹介しましたが、カストル付近では、毎年12月13日頃をピークに多くのの流れ星を見ることができます。

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2008/12/07

オリオン座のお話

月の女神アルテミスに、誤って殺されたオリオン

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 オリオンは、海神ポセイドンとミノス王の娘エウリュアレーとの間に生まれた、類い希な美青年でした。
オリオンは優れた狩人の腕前をもち、また海の上を歩く能力も備わっていました。
ある時オリオンは、月と狩りの女神アルテミスと出会います。
ふたりはお互いの狩りの腕前を認め合い、やがて恋に落ち、共に暮らすようになります。

 しかし、その事を快く思っていない人物(?)がいました。
太陽神アポロンです。
アルテミスの兄であるアポロンは、アルテミスが処女神であるにもかかわらず、半分人間のオリオンと恋に落ちることを許せませんでした。
(ちなみに当のアポロンは、100%人間の娘と恋に落ち、子どもまで作っています。)
何度説得しても聞き入れないアルテミスに対し、アポロンは一計を案じることにしました。
ある日アポロンはアルテミスを海に呼びだし
「いかに狩りの女神のお前と言えども、海の彼方に見えるあの金色に光る的を射抜くことはできい。」と言い,それを聞いたアルテミスは「そんなことはございません。見ていらして下さい!」と言い、持っていた弓に矢をつがえると、見事一発で的を射抜いたのです。

 数日後、海岸には、頭を矢で打ち抜かれたオリオンの亡骸が漂着してきました。
アルテミスが的だと思って射抜いたのは、実はオリオンだったのです。
アポロンは、それを知っていてアルテミスに矢を射させたのでした。
それを見ていた大神ゼウスは、アルテミスとオリオンを不憫に思い、空の月の通り道にオリオンを上げ、星座にしたということです。

 オリオンの死については、別の神話も残されています。
自分の狩りの腕前にうぬぼれ、高言をはばからないオリオンに対し、神々が怒り、大サソリを遣わして殺してしまうという話です。
これは「さそり座」の神話にもなっています。

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2008/12/06

ぎょしゃ座のお話

ぎょしゃ座のお話

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 木枯らしが町を吹き抜け、そろそろ冬の訪れを感じさせる夕暮れ。
夕焼けに染まる空の反対側、夜がその帳を大地に降ろす境目に目を移すと、たったひとつ、チカチカと妙に目を引く明るい星が目にとまります。
この星はぎょしゃ座の1等星カペラで、ふだんは黄色味をおびた穏やかな輝きの星ですが、この頃は地平線近くにいるという事と、北風などが吹いているおかげで、何時になく瞬いて見えています。

 カペラは師走の頃から人目に付くような高さにのぼってきますが、この頃はまだ忙しなくチカチカ瞬いて見え、まるで年の瀬になると忙しくなる人々の心に合わせているように見えるので、個人的にはこのカペラの瞬きを見ると「いよいよ年末だなぁ」と、季節の到来を教えてくれる星として注目している星のひとつです。

 このカペラの穏やかな色は、表面温度が太陽とほぼ同じ事に由来しているのですが、実体は大違いで太陽の直径14倍もある0.9等星の巨星と、9倍もある1.0等星のふたつの巨星が太陽-地球間ぐらいしか離れていない場所で、わずか104日の周期でお互いを回り合っている連星なのです。
距離は50光年という比較的近くにある星なので、干渉計を使って見かけの直径を測る事のできる数少ない貴重な星なのです。

 さてこのぎょしゃ座、将棋の駒のように並ぶ五角形が印象的な星座のため、中国では“五車”、日本では“五つ星”“五角星”などと呼んで親しんでいました。

 この星座はプトレマイオスの48星座として知れ、すでに紀元前9世紀の壁画に記されている歴史の古い星座ですが、ギリシア語でこの星座の五つの星の並びを“ヘニオクース(手綱を取る者)”とよび、α星のカペラを“御者”、残る4つの星を“車”、カペラの脇で小さな星が形作る三角形を“手綱”と見て、その名のとおり、馬車を走らせる御者の姿を星空に描いていました。

 しかしヘヴェリウスやフラムスチードなどの制作した星座絵図を見ると、名前こそ“ぎょしゃ座”ですがその姿はなく、そこには母山羊と二匹の子山羊を抱く老人の姿で描かれています。
これはギリシア時代よりももっと古く、バビロニアで描かれた頃の姿だけがそのまま残り、神話と結びついても絵姿だけが昔のままだったことが原因のようです。
 
 ぎょしゃ座の中央には、秋からつづく天の川がひっそりと流れています。
そのまま南の地平線まで辿ると、オリオンの東を抜け、おおいぬ座やはと座の間を縫っていきます。目立たない冬の天の川ですが、そこに双眼鏡などを向けると、ため息が出るぐらい美しい微星が散りばめられていることに気がついて、ビックリする事でしょう。

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2008/12/05

こいぬ座

こいぬ座のお話

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 こいぬ座として描かれている犬は、猟師アクタイオンが最も可愛がっていた猟犬メランポスであると言われています。
アクタイオンは、半身半馬の姿をしたケンタウロス族の賢者ケイロ-ンの教えを受けた、狩りの名手でした。
ある日もアクタイオンは、愛犬メランポスと数十匹の猟犬を連れ、獲物を求めて森へと入って行きました。

 ところがその日は獲物が全く現れず、アクタイオンは諦めて帰ることにしました。
そんな帰り道の途中、森の泉で水浴びをしている女性にばったりと出くわしてしまいました。
その女性はあろうことか、月と狩りの女神アルテミスだったのです。
自分の裸を人間に見られてしまったアルテミスは激しく怒り、「私の裸を見たと言いふらせるものなら、言いふらすがよい!」と言い、アクタイオンに向かって泉の水をはねかけました。
その水を浴びたアクタイオンは、見る見る打ちに鹿の姿へと変えられてしまいました。

 そこへ、獣の匂いを嗅ぎつけた猟犬たちが集まってきました。
猟犬たちは、目の前にいる鹿が自分の主人とは気づかずに一斉に襲いかかり、アクタイオンを噛殺してしまったのです。
獲物を仕留めた猟犬たちは、来るはずもない主人アクタイオンをずっとその場で待ち続けました。
中でもメランポスは何日も何日も、お腹が空いても、鹿のそばを離れず、ずっとアクタイオンを待ち続け、そしてついに力つきて倒れてしまいました。

 それを天で見ていた神々は、そんなメランポスを哀れみ、天に上げ星座としたと言う事です。

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2008/12/04

12月はイルミネーションが美しい

12月はイルミネーションが美しい

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 12月になると夜は、空よりも地上の光の方に注目されるのがこの頃で、それは、クリスマスシーズンのイルミネーションですが、北九州市でも、紫川に沿った木々や、商業施設付近のイルミネーション、更に各地のショッピングセンターや個人のお宅でもイルミネーションを輝かせている処が多く見られるようになりました。

 星の愛好家にとってイルミネーションは大敵?とも考えられますが、星の仲間達も生活が全てスターウオッチングで埋め尽くされている訳ではありませんし、光から感じられる暖かさは、心をいやしてくれる効果も大きく、決してイルミネーションを否定するものではありません。
さまざまな工夫をこらしたイルミネーションを見るとき、むしろ感激とか感動といったことばが出てきますし、その美しさは、イルミネーション自身が「見て見て!」と私達ギャラリーに見てもらう事で喜びを感じているかのようにも捉えられます。

 省エネに反するとか植物に悪い影響があるとか、さまざまな見方があり、それを否定はしませが、そうしたことを差し引いても、心を和ませてくれる美しさや感動は、豊かな文化のひとつと捉える事ができ、私は大好きです。

 では、イルミネーションが有っても星見はできるのか、じゃまにはならないのかといった意見もありそうですが、光害(ひかりがい)全般でいえば、星見の大敵はイルミネーションよりも、足下や地面を主に照らせばいいはずの街灯が空や街路樹の高木の枝葉まで照らしたり、あるいは空に照射される回転サーチライト(北九州空港が海上に移設された為以前より良好)といったものの方がよほど夜空の星を見えにくくしているのです。

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<12月の星座案内(おうし座)>
  冬の到来を告げる星空というと、私はおうし座をあげます。
おうし座には有名な星団「すばる」があり、この季節になると夕闇が迫りくる頃、東から昇ってくる姿がとても印象的で、木枯らしによって落葉した木立の向こう側から昇りくる様は、冬の到来を告げているように感じられます。

 すばる(星団)を先頭に、続いてアルデバラン(一等星)を含むヒアデス星団も昇ってきておうし座の全容が見えてくると、「ああ、冬の到来だ」と実感してしまうのです。

すばるについて少し詳しく説明すると、すばるは肉眼で見ると、羽子板のような形に6個の星が集まった星団のように見えます。
これを双眼鏡などで見てみると30個以上の星の集団に見え、さらに天体望遠鏡を使えば100個以上の星の集団であることがわかります。

 「すばる」ということばは日本の古い古語で、清少納言の枕草子にも登場します。
すばるは、地方によって様々な呼び名があり、その一部を紹介すると、むつらぼし、ろくじぞう、すまる、すばり、はごいたぼし、むじなぼし等があります。
昔から人々に知られ、親しまれてきた様子が呼び名からも推察されます。
西洋では7人姉妹にたとえられ、プレアデス星団と呼ばれていました。
日本では6個、西洋では7個に見えたこの星団、約120個くらいの誕生してまだ若い青白い星々で構成されています。

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2008/12/03

クリスマスシーズンに星を見る

クリスマスシーズンに星を見る

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クリスマスの頃の星は・・・

 12月に入ると、商店街ではクリスマス関連の音楽が流れ、また、最近では住宅街で窓辺をイルミネーションでデコレートする家庭が多く見られます。
寒い冬の到来ではありますが、街明かりやイルミネーションは見る人達の心を暖かく包んでくれます。

 木枯らしの吹くこの頃は、イルミネーションに負けないような冬の星空が見られます。
秋の星座が割と地味で、1等星もみなみのうお座のフォーマルハウト只一つだったのに比べて、冬には七つもの1等星が見られるのです。
ぎょしゃ座のカペラ、おうし座のアルデバラン、おおいぬ座のシリウス、こいぬ座のプロキオン、ふたご座のポルックスそれにオリオン座のベテルギウスとリゲルです。

<星座を探す>

 まず、夕方、6時頃に、西空を見てみましょう。
まだ夏の名残のはくちょう座が十字架を立てたような姿に見ることができます。
キリスト教信者の多いヨーロッパなどでは、クリスマスの頃に十字架を星空の中で見ることができますので、このはくちょう座は大変、親しまれています。
余談ですが、南半球のオーストラリアなどは十字架の形は南十字座(南十字星)がありますが、残念ながらこの季節には南の空の低空にあって、見つけるのは大変難しい時期といえます。

 次に、午後9時頃、東の空から南の空を仰いでみましょう。
有名なすばる(星団)のあるおうし座が天高く昇りつめようとしているところです。
後を追うオリオン座、さらにおおいぬ座と東の空から昇ってきているのが見られます。
星の動きはゆっくりしていて、地球の自転により日周運動をしている訳ですから、1日に1回転する速度で動いているわけです。
星空を見上げていて動いているようには見えませんが、1時間位してもう一度同じ星座の位置をたしかめてみますと、動いていることに気づきます。

<冬の大三角形>
          
 春の大三角形、夏の大三角形、秋(ペガスス)の四辺形、そして冬の大六角形(ダイヤモンド)と同じように、冬の星座探しの見印となる星の並びがあります。
オリオン座のベテルギウス、こいぬ座のプロキオン、そしてひときわ明るい星がおおいぬ座のシリウスで、この3つの星を結んでできる正三角形が「冬の大三角形」と呼ばれる星の並びです。

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2008/12/02

凍てつく夜空のスターウオッチング

凍てつく夜空のスターウオッチング

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 冬空に輝くオリオン座の三ツ星やおおいぬ座のシリウスなどを眺めることによって季節感が感じられるようになるとこれはもう、星座通というか、星見のファンになった証拠。
星見の楽しさは四季を通じていろんな星座が季節感を感じさせてくれるところにもあります。
冬のこの時期西高東低の気圧配置の日が多く、空気が乾燥して夜空が奇麗に見えます。
星もきらきらと瞬きながら輝き、本当に美しさを感じる時期といえます。

 上空は、ジェット気流の影響で、マイナス数10度Cの冷たい空気が流れていますので、その影響から冬場の星々はきらきらと(あるいはチカチカと)瞬いて、美しさを引き立たせてくれます。
よく見ていると、明るい星は、瞬きと共に色の変化も楽しめ、スペクトル光線の色、あるいは虹色というか、赤だったり青だったり黄色だったりと変化しながら輝いて見られることがあります。

 オリオン座の星々やおおいぬ座のシリウスなどは特に目立って見え、特に私は、シリウスの青白い輝きを眺めるのが好きです。

<閏年のお話>

 今年はうるう年のため、2月は通常年の2月28日に1日加えた29日迄ありました。
これは、地球の公転周期が365.24219日である為に1年を365日としたことにより、1年間に約4分の1日ほどの誤差が出ます。
それを修正するために4年に一度、うるう年をもうけるというのは、皆さんがご存じのことでしょう。

 では、質問!「西暦2100年はうるう年でしょうか?」この質問に対しては、たいていの人が「うるう年」と答えてしまいます。

ところが答えはNOです。
 
 えっおかしいのでは?と疑問を投げかけるのは当然なのですが、実はうるう年の定義は単に4年周期のルールだけではないのです。

 閏年の定義は次のとおりです。
「閏年は西暦の年を4で割って、割り切れる年とします。ただし、100で割り切れる年は閏年としません。しかし、100で割り切れても400で割り切れる年はやはり閏年とします」というものです。

 最近経過したきりの良い年としては、2000年がありました。2000年は4で割り切れるだけでなく、100でも割り切れますが、400でも割り切れるために、閏年でした。

なんとなく、面白いと思いませんか?

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2008/12/01

太陽と月の始まり物語

太陽と月の始まり (シベリア・ケト民族)

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 ちょっと珍しい、ロシア(シベリア)の太陽と月の始まりのお話(神話)のご紹介です。

 シベリヤで、3人兄弟で暮らしている家が在った。
着る物の事、食べ物の事、全てを自分達で賄って暮らしていた。

 ある時ムィラクと云う魔物が、3人兄弟の家に現れ、「死人が出るから棺桶を作っておけ」と言って帰った。
3人は言われた通り棺桶を作った。翌朝、長兄が亡くなっていた。
又、同じようにムィラクが来て、同じように次兄も亡くなった。

 又、同じようにムィラクが来たが、末の弟だけは何故か死ななかった。
ムィラクは死んでいないのを知り、「棺桶に横になっていろ」といって立ち去り、また来たが生きているのを知ると襲い掛かってきた。

 末の弟は、争っていたが、ムィラクが弱ってきたので棺おけに突き落とした。
するとひとりでに蓋がしまり、2匹の蛇が着て巻きついた。

 その後家をでた末の弟は、あるチュム(テント)に住んでいた、女性と家庭をもった。
しばらくして兄やムィラクのことが気になり、様子を見に帰った。
全てそのままだったが、棺桶を蹴ると蛇の縛めが解け、ムィラクが飛び出してきた。
妻にもらった櫛等で防戦しながら逃げてきたが、最後は妻とムィラクが、末の弟をひっぱりあい、其の体は真っ二つに裂けた。

 ムィラクは左半分を持ち去ってしまい、妻は心臓の有る左側を持っていかれた事を悔しがった。
これでは夜の間しか生きられないのだという。
仕方がないので、昼の間は自分が人びとを照らすから、夜は夫が照らすことにしようといった。
これが太陽と月の起源だという。

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