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2009/05/31

夏の星座19

北極星

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 北極星は、正確には、春の星座に含まれるこぐま座にありますが、この季節、比較的観察しやすい星なので、ご紹介します。
残念ながら、私の自宅から北の方向には、市街地の中心が広がり、街の明かりの関係で大変見づらい星です。

 正式にはラテン名の『ステラ・ポラリス-Stella Polaris(極の星)』で、英語では「the Pole-Star」、 航海の目印の星であることから、「ステラ・マリス-Stella Maris(海の星)」とも呼ばれ、Stellaはカトリック教会で聖母マリアを意味するものです。
また、別名『キノスラ-Cinosura(犬の尾)』とも云われ、これは元々この星座全体の名前だったものだと考えられています。

 太陽からの距離800光年で、現在天の北極に最も近い輝星であるため、北極星という名前で呼ばれていますが、地球の歳差運動によって、この星が北極星になったのは今から約2000年前からで、 それまで古代の人々が天の北極にある星として観ていたのは、この星座のβ星コカブです。
それ以前は、りゅう座のα星トゥバンで、エジプトの大ピラミッドの北の入り口が、当時の北極星に向けて作られていたというのは、このりゅう座のα星の事です。

 日本では、「北極様」「北のひとつ星」や、十二支で北の方角を子(ね)とするので、これを「子の星」等と呼び、 中国では、北の星の意味で「北辰(ほくしん)」や、「天皇大帝」と呼ばれていました。

<ネイティブ・アメリカンに伝わる北極星の精の話>

 昔、狩人達が、遠い国迄狩りに出掛けて道に迷ってしまい、来る日も来る日も当てもなく、彷徨い歩くばかりでした。
そこで狩人達は、神々に生けにえを捧げて村の方角を教えてくれるように祈りました。
そして一同が焚火の周りで踊っていると、 何処からともなく、目をきらきらと輝かせた1人の子供が現れ、 「私は北の星の精です。あなた達の村はここから遠い遠い北にあります。私の後について来て下さい」と静かに言いました。
狩人達は喜んで北の星の精の後について行くと、無事村に辿り着く事ができました。
その後狩人達は、その北の星を「いつも動かぬ星」と名づけました。
そして、その狩人達が死んで空に昇って星となり、今でも北極星について廻っているのだと伝えられています。

<アラビアの言い伝え>

 アラビアでは、北極星を「地球の軸にはまっている穴」という意味の言葉で呼んでいました。
そして彼らの聖書であるコーランには、「神は陸にても海にても、暗き夜の道しるべとなるように、星々を与え給えり」とあって、 星々を仰いで砂漠を旅し、遠く聖都メッカを礼拝するときには、まず北極星によって北の方角を知ります。
また、北極星を見つめれば痛みが治り、目の痛みやケガをした時にも、痛むところを北極星の光にさらせば治ると信じられているそうです。


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2009/05/30

夏の星座18

おとめ座・エジプトの伝説

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 エジプトではおとめ座を、オシリスの神の后、女神イシスと見られていました。
オシリスはエジプトの第4代の王で、後に政治を后であるイシスに譲り、領土内を巡って人々に農作を教えました。
オシリスにはティフォンという弟がいましたが、ティフォンは闇の悪神(りゅう座)で、やがて兄オシリスが帰って来ると聞くと、 72人の悪者と伴に兄を迎えて、盛大な酒盛りを催しましたが、 そこには、あらかじめオシリスの身長に合わせて用意してあった箱が運び込まれていました。
ティフォンは箱を指差して、今日は御目出度い日なので、この中に入って身長の合った人にこれを献上すると言いました。

 客達は代わる代わる中に入ってみましたが、誰の身長にも合いません。
最後にオシリスが入った時、ティフォンは直ちに箱のふたを閉じ、釘付けにし、松やにで封じて、ナイル川の中へ投げ込みました。
箱は流れ流れて海に出て、シリアの国ビブロスに辿りつきました。
すると不思議な事に、その地の薮が、たちまち茂って箱をかくしてオシリスを守りました。

 后イシスは夫の死を聞くと、ひどく嘆き悲しんで髪を切り、喪服を身につけ、箱の行方を捜し歩きました。
そして神のお告げで、ようやくビブロスの地に着き、箱を発見してエジプトへ持ち帰りました。
ところが悪神ティフォンは、月の晩に狩りに出たとき偶然箱を見つけだし、王の亡骸を14に切って四方へ散してしまいました。
イシスは、それをも忍耐強く捜し歩いて、見つける度にその場所に墓を建てました。
後に、オシリスの子ホルスは、トートとアヌビス、二神の助けを借りてティフォンらと戦い、父の仇を討ちました。


2009/05/29

夏の星座17

はくちょう座

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 大神ゼウスがスパルタの王妃レダの元へ行った時に化身した白鳥だとされています。
スパルタの王、テュンダレオスの妻レダはとても美しい人でした。
大神ゼウスは、またもその美しさに魅了され、なんとかレダをものにしたいと考えて一計を案じました。
ゼウスは愛の女神アフロディテに協力を頼んで、アフロディテに一匹の鷲に化けてもらい、自分は白鳥となってスパルタに赴きました。
白鳥のゼウスはレダが窓辺にいるのを確かめると、彼女の見ている前でアフロディテの化けた鷲にわざと追い回されはじめたのです。
その様子を見ていたレダは白鳥をかわいそうに思い、胸を広げて白鳥を呼びました。
ゼウスの化けた白鳥は得たりとばかりにレダの胸に飛び込み、想いを遂げたのです。この時の白鳥の姿が白鳥座になったといわれています。

その後レダは2つの卵を生み、その卵からカストルとポルックス (双子座) クリュタイムネストラと、ヘレネの4人の子供が生まれました。



 別の神話として、太陽神アポロンの息子パエトンが太陽を曳く馬車からエリダヌス川 (エリダヌス座) に落ちた時、その亡骸を探し続けた親友キュグナスが白鳥に変化した姿だとされています。

 太陽神アポロンの息子にパエトンという子供がいました。
パエトンはアポロンの息子であることに誇りをもっていましたが、友人の誰もがそれを信じようとしないので、パエトンはそれを確かめる為にアポロンの住む宮殿を訪ねました。
アポロンはパエトンが自分の息子であることを認め、その証拠に願いを何でも1つは叶えてやろうと言いました。
するとパエトンは友人達に自分がアポロンの息子であることを証明する為に太陽を曳く馬車を操させて欲しいと頼みました。

 この意外な申し出にアポロンはひどく渋りました。
馬車を曳く馬はひどく気性が荒く、アポロン以外では例え神々といえ、操る事ができなかったからです。
だがパエトンはアポロンの言葉を盾にとり、反対を押し切って馬車とともに大空へ飛び出して行きました。
馬車ははじめ順調に進むかに見えました。ところが馬達は手綱を取るのが、アポロンでないと知った途端、暴れはじめ馬車は滅茶苦茶に走りはじめてしまったのです。
馬車が近づいたものはすべて太陽の火に焼かれ、多くの森や都市が火に包まれてしまいました。
この惨状を収拾するべくゼウスは雷光を放ってパエトンを撃ち殺しました。
パエトンの亡骸は転げ落ち、遥か下方のエリダヌス川(エリダヌス座)へと落ちていったのです。

 その様子を見ていたパエトンの親友キュグナスは、エリダヌス川の中のパエトンの亡骸を必死で探し続けたのです。
いつまでも探し続けるキュグナスに哀れを感じたゼウスは、キュグナスを白鳥の姿に変えてやりました。
これがのちに天に昇り白鳥座になったのだそうです。


2009/05/28

夏の星座16

矢座

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 この星座にまつわる神話は多く、愛の女神アフロディテの息子・愛の司神エロスの持つ恋の矢であるという説や、巨神族との戦いで活躍した鷲 (鷲座) が持っていた雷電の矢であるとか、名医アスクレピオス (蛇遣座) が大神ゼウスによって殺されたとき、アスクレピオスの父である太陽神アポロンが復讐のために、ゼウスの雷光を作った工匠キュクロプスたちを射殺した矢であるともいいます。


 その中に ヘラクレス とプロメテウスの神話があります。
プロメテウスは神々の中でとくに賢く、予言者としての力もありました。
彼は人類にさまざまな知恵や文化を授けてきましたが、教えることを禁じられていた火の秘密までも人類に与えてしまった為に、ゼウスによってスキュティス山の頂に鎖で磔にされていました。
彼に与えられた罰は身動きをとれなくするだけではなく、昼間になると無数の鷲がプロメテウスの身体に襲いかかり、内蔵をついばんでひどい苦痛を与えました。
なまじ神の身体をもっているために夜になると身体は癒え、内蔵は元どおりになってしまいます。
そしてまた翌朝になると鷲がやってくるのです。
延々と繰り返されるこの苦しみにプロメテウスはじっと耐えるしかありませんでした。

 プロメテウスが磔にされてから無限の時間が過ぎたかと思われる頃、プロメテウスのそばを英雄ヘラクレスが通りかかりました。
ヘラクレスは狂気に陥って妻と子を殺してしまった罪を償うため、ティリュンスの王エウリステウスに仕えており、エウリステウスの命令でヘスペリデスの園にあるという金の林檎を取りに行く途中だったのです。
ヘラクレスはプロメテウスが鷲に襲われているのを見ると、持っていた弓矢で鷲をすべて撃ち落してしまいました。
この時にヘラクレスの射た矢が矢座になったと云われています。



2009/05/27

夏の星座15

おおかみ座

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 おおかみ座は、神話の中ではアルカディアの王リュカオンの姿であると言われています。
アルカディア地方にリュカオンという王がいました。
リュカオンは数多くの女性たちとの間に50人の息子と1人の娘をもうけましたが、50人の息子達は皆高慢で意地が悪く、アルカディアの民を苦しめていました。

 その悪評を耳にしたゼウスは、彼らがどれほどの悪人かを試すため、旅人の姿でリュカオンの神殿を訪れました。
するとリュカオンの息子達はリュカオンの孫アルカスを殺し、その臓物を抜きとり、それを料理に混ぜてゼウスを持成したのです。
この余りにも非道な行いに激怒したゼウスは正体を現し、驚いて逃げまどうリュカオンの息子達を、一番幼かったニュクティモスを除き、すべて雷光で殺してしまいました。

 ゼウスはリュカオンを捕らえ、この行いの共犯者として罰を与えました。
リュカオンの姿をその残虐で非道な性質に相応しい生き物、オオカミに変えてしまったのです。
後に、このオオカミが天に昇って、狼座になったのだと云われています。

 この事件以来、リュカオンの一族は深く神を敬うようになり、リュカイオス山にゼウスの為の祭壇が作られました。
アルカディアの民の間では、ここで生け贄となる人間を殺し、その肉を食べた者は、狼になってしまうのだと云われていたそうです。
2009/05/26

夏の星座14

てんびん座

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 正義の女神アストライアが持つ、善悪を裁く為の天秤だったとも言われています。
世界がゼウスの父クロノスによって治められていた頃、世界の総ての生き物は老いる事が無く、あらゆる恵みは地上に溢れ、如何なる労苦も煩いも知らず幸せに暮らす事がでました。
やがて、草木の枯れる冬が生まれ、 銀の時代へと入ると、人々は食物を得る為に働かねばならなくなりました。

 やがて人々の間に争いが生まれ初め、それまで神々は地上の人間と供に暮らしていたのですが、争いが広まるにつれ、神々は天上界へと去って行ってしまいました。
でも、人々は決して殺人だけは行わなかった為、正義の女神アストライアとその妹、慈悲の女神アイドスだけは、地上に残って人々に正義を説き続けたのです。

 アストライは手に天秤を持っており、争いが起こると、その当事者らを天秤に乗せて正邪を量りました。
正しい人を乗せた皿は持ち上がり、邪なる人を乗せた皿は下がったと言います。
この天秤で持って、アストライアの裁判はきわめて公正に行われたのです。

 しかし銀の時代が終わり、青銅の時代になると人々は、一層野蛮になり、親兄弟でさえも殺しあいをはじめるようになってしまいました。
青銅の時代の人々はお互いを殺し合って自ら滅びて行きました。
続く英雄の時代は神々を敬う英雄達が現れ、以前よりいくらかましな時代となりましたが、それを過ぎて鉄の時代に入ると人々は完全に脱落し、集団で武器を取って戦争をするようになってしまったのです。

 ここに至ってついにアストライアも人間を見限り、天上界へ去って行ってしまったのです。
こうしてアストライアは乙女座となり、アストライアの持っていた正邪を量る天秤が天秤座になったのだと云われています。

2009/05/25

夏の星座13

わし座Ⅱ

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 大神ゼウスが酒盛りを催すとき、杯を奉げる小姓役にとトロイアの美少年ガニメデスをさらって来た時に変身した鷲の姿とされています。

 この他、この鷲については様々な言い伝えがあり、一説には大神ゼウスといつも一緒にいて、ゼウスが打ちだす雷電の矢を携える大きな黒鷲とも言われています。
そして、大神ゼウスの使いをしながら毎日下界を飛びまわっては、その鋭い目で見聞きした色々な事柄をゼウスに伝える役目をしていたと云います。

 別の神話では、幼いゼウスが自分の子を次々と食べてしまうという恐ろしい父親クロノスから逃れ、クレタ島の洞穴でニンフ達に育てられていた時、神酒ネクタルをせっせと運んできた大鷲とも云われています。
そして、成長したゼウスがオリンポス山から父クロノスを追放した時、巨神族の一味がゼウスに反抗して、10年も戦い(ティタノマキア・タイタン戦争)が続いた事がありますが、この時、大神ゼウスの武器である矢を運んだのが、この黒鷲だったとも云われています。

 更に、岩山に繋がれたプロメテスの肝臓を啄ばんだ鷲ともされ、これを見たヘルクレスがこの鷲を射ようとしたのが、鷲座のすぐ北に接する 「矢座」 の矢だったとも言われます。





2009/05/24

夏の星座12

ヘルクレス座

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 ギリシア最大の英雄ヘラクレスは、伝説を挙げれば数限りなく、また他の星座にもヘラクレスの冒険に登場するものや、なんらかの形でヘラクレスとつながりをもつものが数多く存在します。
その中でも、もっとも有名なのは12の功業についての伝説です。

 大神ゼウスはミケナイの王女アルクメネを見初め、彼女の夫アンピトリュオンに姿を変えてアルクメネと交わりました。
やがてアルクメネには、ゼウスの子英雄ヘルクレスが生まれたのです。
ヘラクレスは、子供の頃から神性をもっており、ゼウスの浮気に立腹していた女神ヘラが、揺りかごに送り込んだ2匹の毒蛇を、素手で絞め殺すほどでした。

 生まれついての強さに加え、馬人ケイロンから武術を習ってギリシア一の強い若者になりましたが、つねにヘラの呪いに悩まされ、ある時とうとう気が狂って妻を殺し、3人の子を火に投げ込んでしまったのです。
やがて正気にかえったヘラクレスは、その罪をつぐなうためアルゴス王エウリステウスに仕えて、その命令でネメアの森の化け獅子退治や、アミモーネのヒドラ退治、アルカディアの猪退治、ケリネイアの山に棲む鹿の生け捕り、エーリスの王アウゲイアスの厩を1人で1日で掃除する事、ヘスペリデスの黄金の林檎取り、ステンパロス湖の鳥、クレタ島の牡牛を連れ帰ること、トラキア王の所有する牝馬を奪ってくる事、アマゾンの女王ヒッポリュテの帯を取ってくる事、怪物ゲリュオンが持つ赤い牛を奪ってくる事、地獄の番犬ケルベロスを連れて帰る事等など。

 これら12の功業総てを成し遂げたヘラクレスは、その後も様々な伝説を残し、最後はヘラクレスが殺した ケンタウロスのネッソス が、亡くなる前にヘラクレスの妻に「浮気を防ぐ薬」として与えた毒が原因で死んでしまうのですが、その偉大なる功績をたたえて神々の一員に列せられ、天上へと昇って星となりました。これがヘルクレス座となったと言われています。


2009/05/23

夏の星座11

りゅう座

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 頭は七夕の織姫星べガに近く、しっぽは北斗七星と小熊座の間に入りこんでいます。
そして、この星座の尻尾のところにある3.6等星のアルファ星は、トゥバン(竜)というこの星座を代表する立派な名前が与えられています。
それは、この星が今からおよそ5000年前には、天の北極の役割をになう重要な星だったからです。 その頃作られたエジプトクフ王のピラミッドの北側には、この星を観測するために作られたと推測される細長いトンネルが残っています。

 りゅう座にはふたつの有名な流星群もあり、その1つは、毎年12月末日頃から1月7日頃の明け方をピークにι(イオタ)星付近から1時間平均30個以上の流星を出現させる竜座流星群です。
もう1つは13年ごとに10月9日前後、竜の目のところで輝くγ(ガンマ)星付近から飛ぶジャコビニ流星群で,周期6.6年で太陽の周りを回るジャコビニ彗星の軌道上に地球が接近する時に出現するもので、 母彗星の接近の度に期待が持たれています。

 エジプトではりゅう座の主な星を結んで、大きなカバのような形をした悪の神ティフォンの姿を描いていました。
ティフォンは兄のオシリス神(おとめ座)を殺した闇の神で、胴体がカバ、手と胸は人間の女性、足はやぎ、首から下はわに、 鼻の上にはサイのような角で、コウモリのような羽があって、へそからへびが首を持ち上げているような姿で、 デンブラの神殿にある星図に残されています。
これは半ば女性の姿なのでティフォンの妻タウルトの姿だとする説もあります。  
ティフォンに殺されたオシリスの魂は月に昇りました。
ティフォンはカバ、その他の動物の中にかくれて、 毎月15日に月を襲い、月とオシリスの魂を呑んでしまいます。
それで、月が満ちたり欠けたりするのだと伝えられています。

2009/05/22

夏の星座Ⅹ

かんむり座Ⅱ

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 エーゲ海と地中海に挟まれたクレタ島にミノスという王が居ました。
ミノスは、かつて兄弟達を退けて自分が王と生る為に、海神ポセイドンとある契約を交わしていました。
人々に自分が神に選ばれた者で在る事を示す為、牡牛を1頭遣わしてくれる代りに、その牛を生贄として捧げるというものでした。
ミノスの祈りは聞き届けられ、海中より波を分けて1頭の立派な牡牛が現れたのです。
人々はこれを見てミノスを褒め讃え、ミノスは晴れてクレタ島の王位に就きました。

 しかし、ミノスは王位についた後、ポセイドンから遣わされた牡牛が、あまりに見事だったので、これを生贄にするのが惜しくなり、別の牛を代りに捧げてその牡牛を自分の物にしてしまったのです。
約束を破ったミノスに怒ったポセイドンは、ミノスの妻パシパエがその牡牛に、道ならぬ恋心を抱くように呪いをかけてしまいました。
パシパエは日々募る想いに苦しみ、ついにアテナイから亡命してきた工人ダイダロスの知恵を借りて、恐るべき恋情を成就させてしまったのです。

 この呪われた結びつきによって生まれた息子は、牛頭人身のミノタウロスという怪物でした。
怪物とはいえ自分の息子を殺すに忍びなかったミノスは、ダイダロスに命じて島の岩盤をくりぬいた迷宮を作らせ、その中にミノタウロスを閉じ込めたのです。
更に当時クレタ島の支配下に置かれていたアテナイの町から毎年、最も美しい少年と少女を7人ずつ差し出させては、ミノタウロスの餌として迷宮に放り込んでいたのです。

 非道な行いを止めさせるため、アテナイの王子テセウスは、ミノタウロスを退治することを決意し、生贄の少年少女達に混じってクレタ島へと向かいました。
船はクレタ島に着き、ミノス王の前に14人の少年少女達が並ばされました。
その時物陰から、その様子を眺めていたミノスの娘、王女アリアドネは、並ばされた少年少女達の中にテセウスを見つけ一目で恋に落ちてしまったのです。
アリアドネはテセウス達がミノタウロスの餌として、迷宮に入れられることを知ってましたが、彼女では止めさせることはできませんでした。
そこでダイダロスに知恵を借り、見張りの兵士の隙を見て、こっそりひと振りの剣と麻の糸玉をテセウスに渡したのです。
迷宮に入れられたテセウスは、麻糸を入り口の扉近くに結わえつけ、剣を手に恐れることなく迷宮の奥へ進みました。
ミノタウロスは凶暴な恐ろしい怪物でしたが、テセウスは激しい格闘の末に討ち果たしました。そして、麻糸をたぐって入り口まで戻りアリアドネを連れて船を奪い取り、クレタ島を脱出したのです。

 ところが、テセウスは途中立ち寄ったナクソス島で戦女神アテナの「アリアドネを置いて直に島を出よ」という神託を受けてしまいました。
仕方なくテセウスはアリアドネが眠っている隙に船を出し、彼女を置き去りにしてアテナイへと帰って行ってしまったのです。
愛するテセウスに置き去りにされ、アリアドネは涙に暮れて海に身を投げようとしましたが、そこにナクソス島を支配していた酒神バッカスが現れ、バッカスはアリアドネを慰め、やがてアリアドネを妻に迎えます。
バッカスはアリアドネに妻の証しとして、7つの宝石をちりばめた美しい冠を贈りました。
アリアドネはその後、バッカスの妻として幸福に暮らしたそうです。

 やがてアリアドネが亡くなると、バッカスは妻に贈った冠を天に飾ったと云います。
これが夜空に美しく輝く冠座となったのです。



2009/05/21

夏の星座Ⅸ

へびつかい座

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 神話では、この男性は死者を蘇らせる程の腕をもつ名医であったと云われ、アスクレピオスの姿と云われています。

 太陽神アポロンとテッサリアの王女コロニスが恋に落ち、夫婦になりましたが、アポロンはコロニスに自分の使いであるカラスの偽証のために、コロニスを殺してしまいます。
しかしこの時、コロニスは既にアポロンの子供を宿していたのです。
アポロンは、コロニスの亡骸から赤ん坊を取り上げ、アスクレピオスと名付けました。

 更に彼は、アスクレピオスをケンタウロス族の賢者ケイロン (射手座) に預け、アスクレポオスはそこですくすくと育ちました。
アスクレピオスは頭が良く、さまざまな学問をケイロンから学びましたが、その中でもとくに熱心に学んだのが医術でした。
アスクレピオスはケイロンから様々な医術の神髄を教わり、やがて彼の右に出る者はいないほどの名医となりました。

 アスクレピオスはその後、アルゴ号探検隊にも参加するなど英雄の一人として活躍していましたが、彼の止まる所を知らぬ才能は、ついに神々の禁を破ってしまいました。
アテナイ王テセウスの息子、ヒッポリュトスを死から蘇らせてしまったのです。
この自然の秩序を乱す行為に冥界の王ハデスは激怒し、大神ゼウスに訴えました。
このまま人が死より蘇ってしまっては、地上は人であふれかえり冥界は寂れきってしまうでしょうと。
ゼウスはその訴えを受け、アスクレピオスを雷光でもって撃ち殺しました。
この事件で怒り狂ったのはアポロンで、彼は雷光を作ったキクロプス達を皆殺しにしてしまいました。
その後アスクレピオスの罪は許され、天に昇って星となり、これが蛇遣い座となったといわれます。

 そして、蛇は医術の象徴であると同時にアスクレピオスの使いであるとも言われており、紀元前293年にローマで悪疫が流行った頃、アスクレピオスは、ローマに呼ばれましたが、その時彼は蛇の姿をとって現れたと伝えられています。




2009/05/20

夏の星座Ⅷ

いて座

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 ギリシア神話では、上半身が人間で下半身が馬のケンタウロス族の1人ケイロンとされています。日本では、中国名の『箕宿』を訓読みして「みぼし」や、南斗六星全体を北斗七星と同様に「舵星」と呼ばれ、 ヨーロッパでは『ミルク・ディパー(the Milk Dipper)赤ちゃん用のミルクスプーン』という愛称で呼ばれます。

 中国では、いて座の東半分に6つの星が北斗七星によく似た形をして並んでいる星列を『南斗六星』と呼び、 太陽の通り道である黄道にあたるため北斗七星と同様に大切にされました。
中国の二十八宿では『斗宿』と呼ばれ、 又、北斗は死を司り、南斗は寿命を司る、人が生まれる前には、南斗の精が北斗の精と何歳まで生きさせるか、 その寿命を定めて帳面に記していると云われ、多くの伝説が残されています。

<中国・魏の昔話>

 魏の国に官輅(かんろ)という、天文や人相を見る人がいました。
5月のある日、偶然通りかかった畑で働いている子供を見て、 「不憫なことながら20歳までは生きることはできないだろう」と呟きました。
子供はひどく驚いて父親に知らせ、 親子で官輅の後を追いかけ、どうか寿命をのばす方法を教えて下さいと懇願しました。
官輅は初め、それは人間の力の及ばぬことと断わりましたが、あまりの懇願に「では卯の日に行くから上等の酒と、鹿のほし肉を用意しておきなさい」と言い、 その約束の日にやってきて、「お前はこの酒と肉を持って麦畑の南にある桑の大木の所へ行きなさい。そこに2人の仙人がいて碁を打っているので、 黙って酒と肉をすすめなさい。2人が気がついて何を言おうと決して口をきいてはいけない。ただ拝んでばかりいるように」と教えました。

 子供は2人の仙人が碁を打っている場所へ行き、言われた通り、無言のまま酒を注ぎ肉をすすめました。
やがて一局すんだとき、北側にいた仙人が子供に気がついて「なぜこんなところに来ているのか」と叱りましたが、 子供はペコペコと頭を下げては拝んでいました。すると、南側の仙人は「仕方がない。ただで飲み食いしたのだから何とかしてやらなくてはなるまい」と言いました。
北側の仙人は「この子の寿命は生まれるまえから定まっている。その掟を破るわけには行くまい」と怒りましたが、 「まあまあ、寿命帳を調べてみよう」といって見てみると、子供の寿命は十九歳とありました。仙人は筆をとって十九をくるりとひっくり返すと、 「これでお前は九十まで生きられるぞ」と言いました。
子供は喜んでとんで帰り、官輅にその話をすると頷いて 「南斗は生を司り、北斗は死を司度る。人が母親に宿るのはすべて、南斗が北斗と相談してのことだ」と説明したと云います。

 また中国の二十八宿では、いて座の西半分のさそり座に近い方を『箕宿(きしゅく)』云い、これは「γ,δ,ε,η星」が、 右に広がった台形の形をしているのを、農業に使う箕(竹などで編んだもの)の形に見たもので、 ここを風の神のいる「風伯(ふうはく)」と考え、これに対し、おうし座のヒアデス星団(二十八宿の「畢宿(ひっしゅく)」)を雨の神のいる所「雨師」としました。
それで、軍師たちは箕宿に月がかかるのを風の前兆とみたり、この星宿に風を祈って敵軍を悩ませたりしたといいます。

2009/05/19

夏の星座Ⅶ

さそり座Ⅱ

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 蠍座の中央には真紅に輝く1等星アンタレスがあり目をひきます。
ギリシア神話では、神々からオリオンにむけられた毒さそりであるとする話や、 この星座が黄道上に位置することから、アポロンの息子ファエトンの乗る 太陽の馬車の馬を刺した毒さそりとする話もあります。(さそり座でご紹介)

 中国では青竜と呼ばれたり、冠をつけ空に立っている巨人とも言われました。
これは、さそりの頭部(房宿)が巨人の口と鼻で、 その上にあるα星アンタレスと両側のσ,τ星が背中と肩で、尾にあたる9つの星が風になびく衣だと伝えられています。

 古代バビロニアでは、この星座を最も不吉なものと見ていました。
赤いアンタレスを闇の力の星として、太陽が秋分の後、次第に低くなって光と熱を失っていくのをこの星座の仕業と考えていました。

 これはエジプトでも同様で、ギリシアの歴史家プルタルコスによると、エジプト人は太陽がさそり座にあるときに闇の神ティフォンが日の神オシリスを殺したとして、 オシリス(エジプトの神話ではおとめ座)の神像を箱に入れて海に流し、3日たってから神官がそれを発見したとして祭を催したりしました。
そして、その後6ヶ月の間ティフォンがこの世を治め、春分が来て太陽が再びピラミッドの頂きに輝くのを、オシリスの復活として祝福したとも伝えられています。

 日本ではこのS字カーブは釣り針にそっくりだというので「魚つり星」などと呼ばれていました。

<ポリネシアの伝説>

 巨人マウイが大きな島を釣り上げたとき勢いあまって天にひっかかった釣り針(マウイの釣り針)というのも知られています。

 マウイは火の女神マフィカから火を盗んで来て、人間に火を用いる方法を教えたり、太陽を罠にかけてその出入りを遅くしたりしたと伝えられていて、 さそり座は、彼が空に引っ掛けた釣り針が今でも残っているものといわれています。

 マウイが兄達と一緒に釣りに出かけた時の事、兄達が餌を分けてくれないので、マウイは自分の鼻をなぐって鼻血を出しもつれた糸の玉になすりつけ、それを餌にして海へ投げ込みました。
すると、すぐ何かかかって糸が張り舟がひどく揺れたので、兄達もこれは大物がかかったらしいと騒ぎました。
マウイが力をこめて引き上げると、それは大きな島でまるで巨大な魚のように暴れまわって、マウイの手ではどうすることもできません。
そこでマウイは兄達に、網を持ってくる間そっとして置いて、決して切りつけたりしてはいけないと言って、陸へ泳いでいきました。
しかし兄達は、島があまり暴れるのでそれを静めようと、小刀で散々に切りつけました。
すると島は、その痛さに前よりも暴れて、とうとう丸木の舟は砕け兄達は死んでしまいまいした。
急いで戻ったマウイは、網で島を縛り上げてようやく大人しくさせました。
これがニュージーランドの北の島で、今でも「テ・イカ・マウイ(マウイの島)」と呼ばれています。

 兄達が切りつけた傷跡が山や谷となりあちこちに残り、マウイの釣り針は、はねて星の間に引っ掛かり、それがさそり座の尾であると伝えられています。


2009/05/19

夏の星座Ⅵ

さそり座

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 オリオンの力に恐れを抱いた、オリュンポスの神々は、姦計を用いて、その力を封じる為、女神ヘラは大サソリを彼の許へ送りこみました。
オリオンは、その大サソリに足を刺され、恐ろしいサソリの毒にかかってはいくら勇者でもどうする事もできず、たちまち全身に毒がまわって、オリオンはその場で息絶えてしまいました。

 この大サソリは、オリオンを殺した功にによって空にかけられ、黄道12星座のひとつになったそうです。
一方オリオンの方も、オリオンに好意を寄せる月の女神アルテミスの願いで、星座にあげられましたが、今でもこのサソリを恐れて蠍座が東にのぼってくると慌てて西の地平線に沈み、決して同時に顔を出すことがないのだと云います。


 もう1つの神話では、太陽神アポロンの息子パエトンが太陽を曳く馬車に乗った時、その馬の足を刺して暴れさせたサソリであるというお話です。
太陽神アポロンの息子の1人にパエトンという少年がいました。
パエトンは自分の父がアポロンであることに誇りを持っていたのですが、友達は誰も、彼がアポロンの息子であると信じようとしませんでした。
そこで、それを証明するためにパエトンは、遠くアポロンの住む宮殿まで出かけて行きました。
アポロンは、パエトンが自分の息子であることを認め、その証拠として、どのような望みでも1つだけ叶えてやろうと言いました。
するとパエトンは、太陽を曳く馬車を運転させて欲しいと願ったのです。
この申し出にアポロンは渋りました。
太陽の馬車を曳く馬は気性が荒く、アポロンでなければ、制することができなかったからです。

 しかし、パエトンはアポロンの言うことを聞き入れず、馬車に乗って飛び出してしまったのです。
天空を駆ける馬車の乗り心地は、素晴らしいものでした。
パエトンが下界に向かって手を振ると、友人達は驚いて見送りました。
しかし、すべてが上手く行くと見えたその時、異変が起こったのです。
太陽の通り道とはいうまでもなく黄道ですが、ちょうど蠍座のわきを通り過ぎたときに、サソリが、馬の足を尻尾の毒針で刺したので、馬は暴れだし滅茶苦茶に走りはじめました。
放っておいては、大惨事になるとみた大神ゼウスは、雷光を放ってパエトンを打ち殺してしました。
パエトンの亡骸は、遥か下のエリダヌス川 (エリダヌス座) に落ちていきました。


2009/05/17

夏の星座Ⅴ

はくちょう座

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 夏の星座として、ご紹介するのは、時期的少々早いのですが、やはり無くてはならない星座と思います。
はくちょう座は夏から秋にかけて天頂付近で見られる巨大な白鳥の姿をした星座で、1等星デネブ、 白鳥のくちばしの先に輝く天上の宝石と呼ばれる美しい二重星アルビレオや、 他にも、2等星1個、3等星4個と多数の明るい星を持っている大きな星座で、 七夕伝説で有名な鷲座の1等星アルタイル(彦星)、琴座の1等星べガ(織姫)の間にある天の川に 橋をかけるように雄大な十字を描いています。
又、はくちょう座のデネブ、こと座のべガ、わし座のアルタイルをつないでできる三角形を夏の大三角形といいます。

 ギリシア神話でのこの白鳥は、大神ゼウスの化身とした姿とするものや、 太陽神アポロンの息子パエトンが太陽を曳く馬車から落ちたエリダヌス川 (エリダヌス座)で、 悲しみに打ちひしがれながらパエトンの亡骸をさがした友人キュクノスの姿だとする神話、 また、音楽の天才オルフェウスが死んでから白鳥の姿となり彼の琴 (こと座) の近くに置かれたとも伝えられています。

 日本には「十文字」と呼ぶ地方がありますが、この白鳥は「Cross of Calvary(カルヴァリの十字架)」や 「Christi Crux(キリストの十字架)」と呼ばれたこともあり、 南天の空に輝く南十字に対して「Northern Cross(北十字)」の名前で親しまれています。
 
 古代フェニキア人や、エジプト、ギリシアの人々も、この星座を翼を広げて北から南へ飛んでゆく鳥の姿と見ていました。
紀元前3世紀頃のギリシア詩人アトラスも、その星座詩「ファイノメナ(星空)」の中で「オルニス(鳥)」として表現しています。
アラビア人は、シンドバットの大冒険物語に登場する「怪鳥ルク」の原形としたり、 一般的にはアル・タイル・アル・アルドゥフ(飛んでゆく鷲)や、アル・ダジャジャー(めんどり)と呼んでいました。
中国では、白鳥の翼の部分を結んで天の川の船の渡し場という意味で「天津」と呼びました。


2009/05/16

夏の星座Ⅳ

かんむり座

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 かんむり座は、梅雨も明け、愈々暑さの本番を迎える7月頃のほぼ天頂、牛飼い座のすぐ東隣に見られる小さな星座です。
南のかんむり座と区別するために正式には「Corona Borealis(北の冠)」ですが、日本語訳では単に「かんむり」とされています。
7個の星が半円形を描く姿は、ギリシア神話の酒神ディオニュソスがクレタ島の王女アリアドネにプレゼントした 美しい宝石の冠に見たてたもので「アリアドナエア・コロナ」や「コロナ・アリアドナエ」「アリアドネの冠」と呼ばれることもあります。

 日本でも、平親王将門の侍女ききょう姫の首飾りが星になった「首飾り星」といわれたり、 「太鼓(たいこ)星」「車星」「馬のわらじ」や、丸い形を昔のかまど(へっつい)に見た「へっつい星」、 他にも「鬼のお盆」「鬼のおかま」「地獄の釜」「長者のかま」などと呼ばれていました。
又、中国ではこれを「貫策(かんさく)」といって、ろうやの形に見ていました。
アラビアではアルフェッカ(欠け皿)と呼ばれ、 オーストラリア原住民のアボリジニは、この半円形を投げて鳥をとるブーメランとしてその名で呼びました。

<ネイティブ・アメリカンの昔話>

 ネイティブ・アメリカンのある種族の中では「天の姉妹」と呼んで、星の花嫁という伝説が残されています。

 「白鷹(しろたか)」という名前の猟師が狩りに出かけたある日、いつの間にか広い草原に踏み入ってしまいました。
そこには迷路のような道があって、どんなに進んでもまたもとの場所に帰って来てしまうのでした。
白鷹が困っているところへ空から大きな銀のかごを持った12人の美しい娘達が舞い下りてきました。 そして、かごが地面にふれると娘達は迷路のような道を巡って踊りはじめました。
白鷹は、その中の一番美しい娘を捉え様としましたが、 驚いた12人の娘達はかごの中に飛び込み、そのまま空へ舞い上がってしましました。

 翌日、どうしてもあの美しい娘を捉えたい白鷹は、うさぎに身を変えて草原に行ってみました。
昨日と同じように娘達は踊っていましたが、この日も捉まえる事はできませんでした。
翌々日、今度は、はつかねずみに身を変えて行った白鷹は、ついに目当ての娘をツカマエテ家へ連れ帰り花嫁にしました。

 しかし、娘は天が恋しくて、ある日白鷹が留守の間に銀のかごを編んで魔法の歌を歌うと、たちまち空へ上ってゆきました。
他の娘達は並んでかんむり座の星になり、あとで上っていったこの娘だけは、かんむり座に近い大きな星になって輝いています。
それが、うしかい座のアルクトゥルスであると伝えられています。
他の種族では、冠の形を酋長たちが会議している姿とみて、半円の中央の星は火を焚いて料理しているしもべであるといわれていたそうです。  


2009/05/16

夏の星座Ⅲ

わし座

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 わし座は夏の夜空で琴座のべガ、白鳥座のデネブと共に、天の川の流れを挟んで夏の大三角と呼ばれる、 大きな直角形を描くのが1等星アルタイル(飛ぶ鷲)で、日本では 七夕伝説の彦星 として有名です。星座はこの星を中心にやや形の崩れた 十字形をしています。
紀元前1200年バビロニアでは既に、この星座を鳥の姿で見るようになった例があり、中近東古代文明の中でも 同様の見方をしています。
しかし当時のわし座は、現在のわし座を形成するα,β,γの3つの星で形成する小さいものであったと推定されています。

 また古くは、わし座の南の部分にある、5,6個の小さい星がカーブを描いた場所を「アンティヌス座」と呼ぶこともありました。
これはローマ皇帝ハドリアヌスを長生きさせるためには、その最も愛するものが死ぬ以外にはないという神のお告げを受けて、 ナイル川に身を投げて死んだハドリアヌス皇帝の愛した美少年の姿でした。
皇帝はあまりの悲しみに、各地に像を建て貨幣にその美少年を刻ませ、またわし座のこの部分にその名前を伝えようとしました。
初めこの星座は天文家の間では相手にされませんでしたが、17世紀にケプラーがその星図に初めてこの星座を描きました。
しかし後にはガニメデと混同されるようになり、古い星図では、わしにつかまれた美少年として描かれていました。
2009/05/14

夏の星座Ⅱ

こと座

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 この星座のべガと、はくちょう座のデネブ、わし座のアルタイルをつないでできる三角形を 「夏の大三角」と呼びますが、この3つの星の中でもっとも明るく青白く輝く星が、こと座のα(アルファ)星ベガです。

 ギリシア神話では、リラの名人オルフェウスとその妻の死をめぐる切ない物語が伝えられていますが、 この神話は、紀元前6~7世紀頃から語り伝えられ、古くから多くの歌や詩が作られてきました。 現在でも上演されているオペラの中では、18世紀ドイツの作曲家クリストーフ・グルックの歌劇「オルフェオとエウリディーテ」などが有名です。

 日本では七夕の織姫べガで有名な星座で、現在では太陽暦の7月7日が七夕とされていますが、 本来は、旧暦の7月7日を七夕とします。
宵の天頂付近には、織姫(べガ)彦星(アルタイル)が輝いて、その間を天の川が北東から南西に流れ、近くの南の空には月齢7~8くらいの上弦に近い月がかかるので、 旧暦の七夕には、七夕の伝説がうまれた夜空を仰ぐことができます。
もともと七夕伝説は中国に伝えられてきた話で、1世紀から3世紀頃の文献にはじまり、 中国には織女(織姫)に関しての多くの伝説が残されています。

 またべガは、2つの4等星(ζ,ε星)と小さな三角形を描いてますが、 これを中国では「織女三星」と呼んで、詩経には「足を爪先立ている織女」とあり、2つの星を「織女の子星」ともいいます。

 日本では、織女が天から下りてきたところを漁夫に羽衣を隠されて、 泣く泣くその妻となり2人の子供を生みましたが、ある日夫に隠されていた羽衣を見つけて、 天上に帰り、今も2人の子供を側においているのだと伝えられています。



2009/05/13

夏の星座Ⅰ

ヘルクレス座

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 ヘルクレス座は真夏に天頂付近に見える全天で5番目に大きな星座です。
星図では5角形と台形を組み合わせた胴体に、広げた両手と片肘をついた足で、片手に棍棒、 もう一方の手に2匹の蛇もしくは林檎の枝をもった姿として描かれます。
現在私達の太陽系は、毎秒19キロメートルという速さでヘルクレス座の左手首あたりにある ο(オミクロン)星の方向に向かって進んでいます。

 この星座の名前となったヘルクレス(Hercules)は、ギリシア神話の中で最も有名な英雄ヘラクレスのラテン語読みで、 ペルセウスのひ孫にあたり、大神ゼウスを父に、ペルセウスの孫アルクメネ王女を母として生れました。
この間の事情を知ったゼウスの正妻ヘラによって呪われた運命を辿りますが、数々の偉業を成し遂げました。
最後には火の中に身を投じて焼け死んでしまいましたが、ゼウスはその死を惜しんで天の星座に加えたといいます。(ギリシア神話参照)

 中国では昔、この星座のα(アルファ)星を天帝の玉座として「帝座」と呼んで崇めていました。
天文学者は毎夜この星を眺めて、流星やほうき星などがこの近くに現れるのを「客星(かくせい)帝座をおかす」といって、不吉の前兆と信じられていました。
中国の古い書簡には「流星が帝座にいたれば諸候の兵起こり、臣がむほんを起す」、 「ほうき星がおかせば人民が乱れ皇居がよそに移る」「火星がおかせば、反乱があって王は一年を出でずでして他へ移される」など、その他多くの記述が残されています。
2009/05/12

三美神

三美神

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<天上の舞姫> 

 美しき水の女神エウリュノメがゼウスと愛を交わして生んだ、世にも優しく愛らしい三姉妹です。
彼女達は美や愛嬌、優雅といった性質の体現者であり、当然のなりゆきとして美と愛の大女神アプロディテに忠実な侍女として仕えています。

 女主人の世話以外の主な仕事は、ゼウスの宮殿で神々の宴会が催された際に舞姫となり、アポロンの竪琴やムーサ達の歌に合わせて優美な輪舞を披露して列席する神々の心を楽しませること。
この輪舞の姿がいわゆる「三美神」として知られる図像で、両端の2人が前を向き、中央の1人は鑑賞者に背を向けたポーズで描かれます。
よく「3人で理想的女性の徳目である愛・純潔・美を象徴する」などと言われますが、それはあくまで芸術作品の中だけの話で、ギリシア神話のカリス達にはそのような区別はありません。
 
<異説の女神達>

 ギリシア神話に「矛盾する異説」は付き物ですが、カリスの人数や個人名、その両親についてはとりわけたくさんの伝承が在ります。
一応「ゼウスとエウリュノメの娘で、人数は3人、名前はアグライア・エウプロシュネ・タレイア」というヘシオドス説が最もよく知られていますが、いくつかの叙事詩ではカリス達はヘラの娘であるとされています。
ホメロスの『イリアス』ではカリスの1人としてパシテアの名前が挙げられており、クイントゥスの『トロイア戦記』ではこのパシテアと結婚したことで眠りの神ヒュプノスはヘラの娘婿となったと歌われています。
又、コルートスの『ヘレネー誘拐』においてもヘラはカリス達の聖なる母であると言われています。


2009/05/11

創造の女神達Ⅲ

ムーサ達Ⅲ

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<女神達の数> 

 ヘシオドス等において紹介される女神達は、9人姉妹とされているムーサ達ですが、もっと古い伝承では3人姉妹であったと言われています。
パウサニアスが伝える話によると、彼女たちはゼウスではなくウラノスの娘で、個人名はアオイデ・ムネメ・メレテであったとされています(異説もありますが)。

 元々ギリシア神話には3人1組で現れる女神達が非常に多く登場します。
モイラ、ホーラ、カリス、エリニュス、少々意味が異なりますがゴルゴン姉妹、グライア姉妹・・・と本当に多いですね。

  この3というのは「満ちゆく月-満月-欠けゆく月」という月の相、また「乙女-母-老婆」という女の相、あるいは「(再)生-生長-死」という豊饒の循環などに由来する数字であり、1人の大いなる女神の身をその3つの側面に沿って分裂させたのが上に挙げたような三身一体の女神達であると言われます。
今の場合ですと、1人の大いなる詩神ムーサがまず在り、それが三身に分裂してアオイデ・ムネメ・メレテになったわけです。
普通はそれで終わりですが、何故かムーサ達にだけはもう一度分裂が起こり、先の3人×3で今度は9人に増えてしまいました。

 数が増えた事により、ムーサ達は様々なジャンルの詩歌や学芸を分担して受け持つことが可能になりました。
一般に言われる各女神の担当分野は、カリオペが叙事詩、クレイオが歴史、ウラニアが天文、メルポメネが悲劇、タレイアが喜劇、エラトが恋愛詩、エウテルペが叙情詩、ポリュムニアが讃歌、テルプシコラが舞踏です。
もちろんこれにも諸説があり、この分け方が唯一絶対のものというわけではないのですが、どの説を見ても叙事詩がカリオペに任されていることは共通です。
雄々しい英雄達の活躍を歌う叙事詩は詩の中でも最も高貴なるもの、なればこそ姉妹の頭である長女にのみふさわしいというわけなのです。

終わり

2009/05/10

創造の女神達Ⅱ

ムーサ達Ⅱ

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<ムーサ達の生活>

  ムーサ達の父親は神々の王ゼウス、母親はティタン神族の1人である記憶の女神ムネモシュネで、彼女はゼウスと9夜共寝して、律儀にも9人の娘を生んだというわけでした。
よってムーサ達は「記憶の娘御達」と呼ばれる事もあります。

  9人姉妹のうちカリオペが長女である事は判明していますが、残りの8人の生まれ順はよくわからず、妹達の名前はそれぞれクレイオ・ウラニア・メルポメネ・タレイア・エラト・エウテルペ・ポリュムニア・テルプシコラと伝えられています。

  彼女達は普段はオリュンポスに程近いピエリアの山中にある、見事な舞踏場付きの立派な館に住んでおり、近くには優雅の女神カリス達の館も在るという事なので、オリュンポスで神々の宴が催された時には一緒に出かけたりもしたのでしょう。
宴席ではムーサ達は歌を歌い、カリス達は輪舞を舞って列席者を楽しませる係です。

  ピエリア以外では、ボイオティア地方のヘリコン山とポキス地方のパルナッソス山が彼女達の聖地として知られています。
パルナッソス山は彼女達の主人アポロンの神殿が在るデルポイにとても近いため、彼に仕えるにはここが一番都合の良い場所と思われます。

  神々の宴も催されておらず、またアポロンもいない自由時間には、女神達はこの3つの聖地のいずれかで俗事に煩わされることもなく、姉妹揃って歌を歌いながらゆったりと時を過ごします。
小鳥の鳴き声、水のせせらぎ、木の葉のさやぎの中に響く竪琴の音と美しい合唱……その晴れやかで優雅な暮らしぶりは彼女達自身を満足させるのみならず、アテナのような芸術に理解ある神々の羨望をもかき立てるものであったと云われます。

続く・・・
2009/05/09

創造の女神達

ムーサ達

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<芸術の源泉>

  「ムーサ」というギリシア読みよりもむしろ「ミューズ」という英語読みでよく知られている、9人姉妹の詩歌・芸術の女神達です。

  ムーサ達は、詩人の心を神的な霊感で満たし、一種の神がかり状態にして素晴らしい詩を歌わせてくれる存在で、詩人が語る言葉は「彼が」語っているのではなく、「ムーサが」彼の口を借りて歌い聴かせているのです。

  よく文章を書かれる方なら、「伝えたいイメージが次から次へと鮮明に脳裏に浮かんできて何かに憑かれたかのような勢いで筆が進みまくり、ハッと気付くとおそらくもう向こう10年は書けないだろう名文ができあがっていた」というようなことがたまーにあると思います。
あれをいわゆるムーサ降臨の瞬間と考えて差し支えありません。
もし「日常的にそういう名文が書ける」という方がいらっしゃったら、その方はムーサの寵児と言うべきでしょう。

  ことばを操る女神ムーサ、彼女達に息吹を吹き込まれた者は誰でも、その瞬間から詩人です。
『神統記』や『仕事と日々』でその名を歴史に刻んだ大詩人ヘシオドスはムーサに触れる前は一介の農夫でした。
ヘリコン山麓で羊を飼っていた彼はあるときムーサ達に出会い、月桂樹の杖を授けられ神の息吹を吹き込まれて詩作に目覚め、王家が催した歌の競技会で優勝して賞品を獲得するほどの一流詩人となりました。
裕福ならざる父の子として生まれ、日々生きる糧を求めて畑を耕し家畜の世話をする事に追われていた(当然さほどの教養はなかったと思われる)青年をかくも輝かしい歌の道にやすやすと乗せた女神の力とは、実に偉大なものです。
2009/05/08

デメテル・豊穣の大地Ⅳ ペルセポネの帰還

豊穣の大地Ⅳ

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<ペルセポネの帰還>

 豊穣の大地Ⅲで、紹介したその掟とは「一度でも冥府の食物を口にした者は以後冥府の住人となる」というものでした。
ハデスはヘルメスの目を盗んで、ペルセポネが母の許に帰りっぱなしにならないよう、喜びはしゃいだ彼女の口元がほころんだ瞬間に小さな石榴の実を1粒押し込んだのです。(豊穣の大地Ⅲとは状況が異なります)
何も知らないペルセポネはそれを飲み下し、其の事の意味も判らないまま、ヘルメスの駆る戦車に乗って地上へ帰っていきました。

  やっとのことで娘を取り返したデメテルは涙ながらにペルセポネをかき抱いて狂喜しましたが、彼女から「冥府で石榴を1粒食べた」と聞かされて愕然としました。
当然この事は神々の間でも問題視されます。
揺るがぬ掟がある以上、彼女の完全な地上帰還はこれで不可能と決まった訳ですが、さりとてこれ以上デメテルを絶望させるのは何としても避けたいもの。
結局ゼウスは姉と兄の双方を満足させるため、「ペルセポネは1年の三分の二を地上で母とともに暮らし、残り三分の一を冥府で夫と共に暮らすこととする」という決定を下しました。

  ペルセポネ本人も含めると何やら三方一両損のごとき結末になりましたが、まあ1年のうち三分の二も一緒にいられるのならデメテル母娘も我慢できるでしょう。
ハデスだけは期間が短くて損をしているように見えますが、望み通りペルセポネを妃として繋ぎ止められた分を考えれば決して悪くはありません。

  母神レアの最終的な説得もあってゼウスの調停を受け入れたデメテルは、死に絶やした植物を甦らせ、再び大地に実りをもたらして、許された期間を娘と一緒に楽しく過ごしました。
しかし、やがてペルセポネがまた冥府に下らなければならない時期が来ると、淋しさと悲しみに打ちひしがれて引き籠もってしまうのでした。
以後毎年この営みが繰り返され、二神がともに暮らす8ヶ月間は花咲く春・実りの夏となり、娘神のいない4ヶ月間は不毛な冬となるのです。
ギリシアの季節の移り変わりを説明する美しい神話です。

  なお、ペルセポネの冥府下りの期間については諸説あり、文献によっては半年とも3ヶ月とも言われます。
又、その結果齎されるデメテルの悲しみの季節は冬ではなく、炎暑で大地が乾燥し草が枯れ果てる夏であるとする説もありますが、デメテルの賜物たる小麦が実るのは夏であるため、個人的には、この説に疑問があります。

終わり・・・