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2009/08/31

ギリシア神話の神々78

<アイオン・謎多き永遠の神>

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カオスよりも情報量の少ない謎めいた神、それがこのアイオンです。
永遠の時を表す、この神の誕生の次第は、良く分かっていません。
エウリピデスの悲劇『ヘラクレスの子供達』に於いては「時の神クロノス(綴りはChronos。ティタン神族のクロノス=Kronosとは別の神格)の息子」と言われていますが、しかし肝心のクロノス自体の出自が不明です。
恐らくこのセリフは、何らかの典拠によった叙述というよりも、時間を司るアイオンの性質を説明あるいは強調する為、詩人の言葉遊びと取った方が良いでしょう。

 この神は、「永遠」と言うその抽象的な名から考えて、原初神の1人であると思われます。
時間と云う物は運動変化のない処には存在しませんから、世界創造と同時に――すなわちカオスから大地ガイアが、分化するのと同時に生まれたと考えるのが、最も自然なのではないでしょうか(あるいはクロノスの方をカオスから生まれた原初神と考えれば、アイオンをその息子として落ち着かせることも可能ですが……)。

 さて、このアイオン、世界創造以後は、完全にその気配を消してしまったカオスと違い、1つ意外なエピソードを持っています。
神々の王ゼウスの乗る戦車を彼が制作したというのです。
彼が制作した、ゼウスの戦車は、金剛不壊のアダマス製で、普通の神馬の代わりに何と東西南北の風神達を頚木に繋いで走らせるという特別なものです。
黄金でなくアダマスがわざわざ用いられ、その不滅性がことさらに強調されているところに、それを制
作した神の永遠性が反映されています。

続く・・・

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2009/08/30

ギリシア神話の神々77

<ホーラ達・働き者の女神達> 

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 ホーラ達は、神々の王ゼウスとその2番目の妃である法の女神テミスの間に生まれた、三姉妹の女神です。
ギリシア語の hora は英語の hour の語源で在る為、一般には時の女神であるとか季節の女神であるとか言われますが、そんなふうに限定するよりもっと大きく捉えて「地上世界の秩序ある運行を司る女神達」であると考えた方が判り易いでしょう。

 1日の時間の経過も1年の季節の推移も、全て彼女達の監督によって規則正しくこの世に齎されています。
もしもそれらが狂ったら、人間の生活は滅茶苦茶に混乱してしまいますから、エウノミア(秩序)・ディケ(正義)・エイレネ(平和)という名は、母テミスの性質を受け継いだこの親切で正直な女神達が我々に与えてくれる恩恵を表しているのです。

 ホーラ達は、季節の運行を齎す者であるが故に、地上に於いては、女神デメテルと共に人間達の農作業に心を配ります。
又時間の巡りを司る者でもあるが故に、天に於いては、太陽神ヘリオスの馬車を仕立ててその光が世界を照らす事を助けます。
更には、地上と天界を繋ぐ門の番人をも務め、出入りする者があれば叢雲を開き、また閉ざします。

 他にもヘラやアプロディテ等の大女神に侍女として仕えたり、神々の宴席では黄金の器に盛った食べ物を運んだり輪舞を踊ったりと、まさに八面六臂の働きぶりで、恐らくイリスやモイラ達等と並んでオリュンポスで最も勤勉な女神達と言っても良いのではないでしょうか。

 なお、一般にはホーラは3人とされていますが、後代になると四季に対応させて4人とか、1年の月数あるいは1日の時間帯に対応させて12人と考えられるようにもなります(その場合彼女たちはヘリオスの娘神と見なされます)。
又、アテナイの様に生長の春と収穫の秋の2人のみと見なして崇拝する地方もありますし、9人あるいは10人などとする説もあります。

ホーラ達を簡単にまとめてみると

季節の女神達、天界と地上を結ぶ雲の門の番人、太陽の神馬の世話係、神々の女王ヘラあるいは美神アプロディテの侍女。
最も一般的なのは以下の3人説
・エウノミア(「秩序(eunomia)」)・ディケ(「正義(dike)」)・エイレネ(「平和(eirene)」)

異説としては次のようなものがある
・2人説……タロ(「開花・芽生え(thallo)」)・カルポ(「結実・収穫(karpo)」)

・4人説……エアル(「春(ear)」)・テロス(「夏(theros)」)・プティノポロン(「秋(phthinoporon)」)・ケイモン(「冬(cheimon)」)

他に9人・10人・12人説もありますが、此処では複雑になるので、割愛します。

続く・・・
2009/08/29

ギリシア神話の神々76

<光り輝く兄妹>

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 アイテルとヘメラは、夜の女神ニュクスと地下の暗黒神エレボスという闇の夫婦から生まれた、光の子供達です。
兄のアイテルは、父と正反対の光の神で、下天の淀んだ空気(アエル)の上に広がる軽くて清浄な光り輝く大気の領域を司ります。
世界の最上部であるそこは、天の神々の住居で在り、死すべき人間には全く無縁の聖域です。
下界に関わる事が無い為、一切擬人化されず、何のエピソードも持っていません。

 後の世になると、天の高みを表す神という性質すら失って、アイテルは世界を構成する諸元素の1つと見なされるようになります。
とは言っても、流石にその聖性迄は剥奪されず、月下の物質的世界を造る地水火風の四元素とは一線を画した霊妙な第五元素として、天空に輝く星々の原材料であると考えられました。
 
 他方、妹のヘメラは、母と対をなす昼の女神です。
全く活動しない兄と違って、毎日地上に現れては下天の空気(アエル)を照らし、半日経つと父エレボスの領域にある我が家に戻って母ニュクスと交代するという営みを繰り返しています。
しかし、彼女も単に昼と夜の交代という自然現象を説明するだけの存在であり、擬人化もされずエピソードも持たないのは兄と変わりがありません。

 後には世界に光を齎す彼女の役割は暁の女神エオスに奪われ、より有名なこの女神に吸収される形で同一視された事によってヘメラは神話の世界から姿を消しました。

続く・・・

2009/08/28

ギリシア神話の神々75

<ニケ・勝利の女神>

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 彼女は、ティタン神族の男神パラスとオケアニスの1人で冥府の河の女神であるステュクスの間に生まれた4人の子供のうちの1人です。
従って彼女もれっきとしたティタン神族の一員ですが、ティタノマキアが勃発した際には母や他の兄弟たちとともに父や同族を捨て、ゼウス率いるオリュンポス陣営につきました。
勝利を呼び込む力を持つニケに去られたティタン軍は、それだけで大打撃を蒙ったことになります。

 10年にも及んだ戦争がオリュンポス側の勝利に終わった後、ゼウスはステュクスとその子供達の功績を讃えて彼らに特別な褒美を与えました。
母神に対しては神々の厳粛なる誓いを司る権能を贈り、子供達にはゼウスの側近として彼の宮殿に一緒に住まう破格の名誉を与えたのです。

 それ以来、ニケはゼウスの随神として常に彼の傍らにあるようになりました。
彼女が側にいる限り、ゼウスは不敗の王者です。
下界で戦争が起こった時には、彼女は主君ゼウスの意思を具現する者として降臨し、彼が勝たせようと思っている側に味方します。
まだ勝敗の行方が定まっていない時には、彼女もまた戦場の真ん中でどちらにもつかずにうろうろと飛び回ります。

 又、後にはゼウスの愛娘にして知と戦の女神であるアテナと親しく結びつき、この偉大な処女神の随神と見なされるようにもなりました。
特にアテナイの人々は彼らの守護女神とともにニケを熱心に崇め、アクロポリスに優美な小神殿を建てて「ニケ・アプテロス(翼なきニケ)」の像を祀りました。
有翼と決まっている女神をわざわざ翼なしの姿にしたのは、彼女がアテナイを捨てて飛び去ってしまわないようにとの願いからだといわれます。
パルテノン神殿内に安置されていた巨大なアテナ・パルテノス像の右手にもニケの小像が乗っていたことはよく知られています。
このように二者の結びつきが強くなるにつれてギリシア神話お得意の同一視も進み、やがて「アテナ・ニケ(勝利の女神アテナ)」という呼称がアテナの異名の1つとなりました。

続く・・・
2009/08/27

ギリシア神話の神々74

<ボレアス・狂暴なる冬の嵐Ⅱ>

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 ボレアスの最も有名な逸話と云えば、何と言っても妻オレイテュイアとの略奪婚です。
勿論それは、現在一般に言われているような意味ではなく、嫌がる娘を親の同意も得ずに引っさらっていって無理矢理契りを結ぶという、文字通りの「略奪」婚です。
 
 オレイテュイアは、アテナイ王エレクテウスと妃プラクシテアの娘で、それはそれは美しい乙女でした。
彼女に惚れ込んだボレアスは、自分の妻にくれと熱心にエレクテウスに頼み込みましたが、色よい返事はもらえませんでした。
実はエレクテウスには、自分の姉妹2人がトラキアの男のために破滅させられたという苦い記憶があったのです。
彼の姉妹のプロクネがトラキア王テレウスの妃となったのですが、好色で野蛮なテレウスはその妹ピロメラにも邪恋を抱き、「プロクネが会いたがっている」という誘いに乗ってトラキアへやってきた彼女を森の中に引っ張り込んで散々に犯した挙げ句、非道を口外せぬよう舌を切り落として小屋に監禁したのです。

 幸い――というべきかどうか、自分の蒙った悲運を布に織り込んで姉に届けるというピロメラの機転によって、プロクネは、全てを知り、烈火の怒りに燃えて妹を救出すると「我が子を殺してその肉を夫に食わせる」という世にも悲惨な方法でテレウスに復讐したのでした。

 過去にその様な事が有った為に、トラキアの男に対するエレクテウスの印象は最悪で、それがトラキアに生まれトラキアに住まうボレアスの格を激しく下げていたのです。
何度懇願しても全く埒があかない事を悟った神は、それまでの反動が一気に噴出しました。

 娘の父が抱いた危惧が的中していたわけですが、問題はその危惧が何の役にも立たなかったということでした。
ボレアスは、風を巻き起こす金色の翼を羽ばたかせ、恋する乙女の姿を求めて空へ舞い上がりました。
その頃、オレイテュイアは友達の泉の精パルマケイアとともにイリソス河の岸辺で踊っていました。
その姿を見つけた神は胸の歓喜を抑えきれず、獲物を狙う鷹さながらにボレアスは急降下。
突風に驚いた娘達の隙を突いてすり抜けざまにオレイテュイアの身を抱え上げると、満身の力を込めて羽ばたき、天に駆け上がりました。
遠ざかった下界からニンフの悲鳴が聞こえます。

 泣き叫ぶオレイテュイアを抱えたままボレアスはトラキアへと飛び、エルギノス河の近くにあるサルペドン岩に彼女を下ろすと、黒雲で念入りに周囲を覆ってから力ずくで彼女をものにしてしまいました。何とも荒々しい求婚ではありましたが、あのテレウスと違ってボレアスはその後もオレイテュイアを愛し、妻として大切に遇したところが救いでしょうか。
2人の間には父譲りの翼を背に生やした双子の兄弟ゼテスとカライス、そして2人の娘キオネとクレオパトラ、合わせて4人の子が生まれました。

 さて、この縁ゆえにアテナイ人とボレアスの間にも不思議な絆が生まれました。
かのペルシア戦争の際、ペルシア海軍のギリシア侵攻を知ったアテナイ人達が「どうすれば勝てますか」と神託を乞うたところ、「義理の息子を援軍として招け」という答えが返ってきました。
果たして「義理の息子」とは……?

 アテナイ人達は知恵を絞って考えた末、アテナイ王女オレイテュイアがボレアス神の妻となったという伝説から「義理の息子」とは北風のことだと解釈しました。
そこでボレアスとオレイテュイアに犠牲を捧げて「どうか敵艦隊を滅ぼし、我らを助けたまえ」と祈願したところ、セピアス岬付近に停泊していたペルシアの船団が猛烈な嵐に見舞われ、少なくとも400隻以上の船・多数の兵士・莫大な財宝を失う大打撃を蒙ったのです。
この神助に感謝したアテナイ人達は、かの略奪の現場となったイリソス河の岸辺にボレアスの聖域をもうけたそうです。

続く・・・

2009/08/26

ギリシア神話の神々73

<ボレアス・狂暴なる冬の嵐> 

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 ギリシアの冬はとても厳しいものです。
トラキア北部の山脈から吹き下ろす「トラキア颪」が猛烈な寒気と雨・雪・霜をもたらして人や家畜を震え上がらせ、凄まじい風速でもって森の木々をなぎ倒し、海上では時化を起こすという大荒れの季節。
 これらの原因となっているのが北風の神ボレアスです。
星の神アストライオスと暁の女神エオスという天空の夫婦から生まれた4人の風神の1人ですが、兄弟達の中でもダントツの暴れ者。
力が強い上に気性も荒く、始終怒ってばかりいて、何かの拍子に荒ぶりだしたら手がつけられません。

 彼を意のままに従わせる事が出来るのは、極少数の神々に限られています。
まずは風神達の王であるアイオロス、次は母親であるエオス、そして3人目は言わずとしれた神々の王ゼウスです。
ボレアスは他の兄弟ゼピュロス・エウロス・ノトスと一緒にゼウスの戦車を牽く役目を担っており、神馬のようにくびきに繋がれ、御者を務めるイリスの導きに従って猛速で天を駆け抜けると云います。
風の神はその足の速さから馬と関わりを持つことが多いのですが、ボレアスも例外ではなく、エリニュスの1人と交わって軍神アレスの戦車を牽く4頭の神馬を生ませたとか、トロイア王エリクトニオスの飼う雌馬たちと交わって海上をも駆ける12頭の神馬を生ませたなど、馬に縁深いエピソードを持っています。

続く・・・

2009/08/25

ギリシア神話の神々72

<レト・夜の女神 地の女神>

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 神々の王ゼウスと交わって、光明の双子神アポロンとアルテミスを生んだことで名高いレトは、ティタン神族の一員です。
父は天の極を司ると思われる神コイオス、母は月の女神ポイベ、妹は星の女神アステリアという天空一家の娘として生まれました。
この家系から考えると、つい当然のように「レト本人も空や月などに関係のある女神だったのだろう」と見なしたくなりますが、残念ながら必ずしもそうとは言い切れず、レトの権能についての見解は割れています。
神話中でその権能を明確にされていない神が何を司っていたのかについては、その神の名前などから推測を重ねて行くしか無い訳ですが、レトの場合はその名についての有力な解釈が2つ存在し、何れとも定め難いのです。

■夜の女神説
→Leto を Letho の変形と見なし、「注意を逃れる、気付かれない」という意味の動詞 lanthano より派生した名として「気付かれぬ者、見えざる者、隠された者」と解釈する説。
この場合、レトはその名が示す静謐さや不可視性、また先程挙げた家系や「優しく穏やかでオリュンポスの神々の中でも一番柔和な、黒衣をまとう女神」というヘシオドスの記述などから夜の闇を司る女神ではないかと考えられ、ゼウスと交わって双子神を生んだ事については「天空と夜闇から光明が生まれた」という解釈がなされます。

■リュキアの地母神説
→Leto をリュキア地方の言葉で「女」を意味する lada の変形と見なし、レトの本来の姿はリュキアで崇拝されていた豊饒の地母神であるとする説。
「レトが双子神を生んだのはデロス島ではなくリュキアである」という伝説などから、レト・アポロン・アルテミスは、元々小アジアで崇拝されていた神格がギリシアに持ち込まれて定着した外来神であると考えられ、ゼウスとの交わりは世界に様々な恵みをもたらす「天と地の聖婚(hieros gamos)」として解釈される。

 恐らく正解等見つからない話なので、どちらでも好みの説をお採りになれば宜しいかと存じます。
系譜的にすっきりするのは前者ですが、総合的に見てより妥当性が高いのは後者という処でしょうか。

 レトが夜の女神であれ地母神であれ、はたまた別の何かを司る神であれ、神話を楽しむ上では何の影響もありません。
彼女にとって大切なのは、「アポロンとアルテミスの母である事」、なのです。

続く・・・

2009/08/24

ギリシア神話の神々71

<ディオネ・高貴なる麗しの女神Ⅱ>

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 ディオネは、ドドネにある神託所をゼウスと一緒に司る女神でした。
このドドネの神託所はギリシア最古の神託所で、基はギリシアの先住民族ペラスゴイ人が建てたものであると言われています。
祠の傍らには聖木とされる大きな樫が1本生えており、巫女達はこの葉のさやぎに耳を澄まして神意を占ったのだそうです。

 ここでディオネはゼウスの配偶神として彼と一緒に祀られていました。
そもそも「ディオネ」という名前自体が「ゼウス」を女性形にしたもので、訳すならば「ゼウスの妻」あるいは「女版ゼウス」という意味なので、完全に一対の存在と見なされていたのでしょう。
ペラスゴイ人にとっての偉大な地母神、ドドネの神託の根幹をなす聖なる樫の女神であったと思われます。
 
 時代が下るにつれて、新たにヘラス民族(ギリシア人)を中心とした文化が栄えるようになり、ドドネの神託所もデルポイの神託所に取って代わられるようになると、ディオネの重要度は低下し、ゼウスの配偶神としての地位もヘラに奪われてしまいました。
しかし、それでもやはりゼウスと神託所を共有する程の女神が完全に忘れ去られる事は無く、大神の高貴なる愛人として神話にその姿をとどめたと言う訳です。

 余談ですが、かの有名なアルゴ船が金羊毛皮獲得を目指してコルキスに出航する際、アテナの手によって船の舳先に付けられた「人語を話す樫の船首像」は、このドドネの聖木から伐りだされたものです。
ディオネのご神体(?)の一部を切り取って持っていくとは随分豪勢な話ですが、刃を入れられ無理矢理長旅に同行させられた挙げ句、何度も沈没の危険にさらされて散々な目に遭ったご神体にはさぞいい迷惑だったことでしょう。

続く・・・
2009/08/23

ギリシア神話の神々70

<ディオネ・高貴なる麗しの女神>

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 一般には、去勢され海に投げ捨てられたウラノスの男根より、自然発生的に誕生したと言われている美と愛の女神アプロディテ。
しかしホメロスによれば、アプロディテはゼウスの娘で、女神ディオネという母親がいるとされています。
このディオネという女神については、断片的な情報が幾つかあるばかりで、はっきりした全体像が今ひとつ掴みきれません。

 そこで、具体的にどのような女神だったのか、推察してみることにしました。
 
■アポロドーロス『ギリシア神話』より
→ウラノスとガイアの娘の1人、あるいはネレイスたちの1人。ゼウスと交わってアプロディテを生んだ。
■ヘシオドス『神統記』より
→オケアニスたちの1人。「美しい(kale)ディオネ」「愛らしい(erate)ディオネ」と呼ばれている。
■ホメロス『イリアス』より
→アプロディテの母。娘とともにオリュンポス在住。「女神たちの中でも一際美しい」と謳われている。人間であるディオメデスに手首を傷つけられて泣きながら怒るアプロディテを慰め、傷口から流れ出る霊血(ichor)を優しく拭って怪我を癒す慈母。
■『ホメーロスの諸神讃歌』より
→レトの出産に立ち会った数多の女神たちの中でも主要な存在として、レア・テミス・アンピトリテなどの錚々たるメンツとともに名を連ねる。

 では、これ等を基にして「ディオネ」に似つかわしい姿」を考察すると・・・。
まず、ゼウスの母レアや妻のテミス、海王の妃アンピトリテらと肩を並べられるところからして、ディオネの身分は相当に高いものであるようです。
とすると、彼女の出自に関する3つの説のうち、最も妥当と思われるのはアポロドロスが挙げた「ウラノスとガイアの娘(ティタニスの1人でレアやテミスの姉妹)」説になります。
 
 そしてこの生まれの高貴さに加え、ゼウスの愛人にしてアプロディテの母であるという事実からも彼女は神々に重んじられる存在であり、テミス同様にティタン神族でありながらオリュンポスに住まう栄誉を与えられています。
並みの愛人とは異なる扱いに格の違いが表れています。

 更に美神の母たるに相応しく、彼女は天界でも傑出した美貌の持ち主です。性格はといえば、人間に非礼を働かれた娘に同情しつつもその怒りを言葉巧みに宥めてしまうところや、ヘラの怒りを受けて難産に苦しむレトを哀れんでデロス島に駆けつけ、無事出産させるべく他の女神らと様々に方策を練ったところなどから、優しい中にもなかなかどっしりと落ち着いた女性であることがうかがわれます。
 
 纏めると「悠々自適の女神」というところでしょうか?
流石に正妃ヘラ程、押しも押されもせぬ身分というわけではないけれども、皆から相応の敬意を払われている自由で優雅な上流夫人。
娘と似ているとすればさぞかし魅力的な女神でしょうから、天界でサロンなどを開いたら女主人として大成功をおさめたクチかもしれません。

 以上述べてきましたが、あくまでこれは私個人の抱いている想像ですのでお間違えなきようお願いします。
別に彼女をティタニスではなくオケアニスであると考える方がいらっしゃってもまったく問題ありません。
『神統記』という資料に基づいた説であるわけですから。
こういった複数の伝承の間には、メジャーとマイナーの差はあれど、真偽・正誤はありません。
裏付けさえ在れば、何れなりともお気に召したものを選ばれて構わないので、この様な曖昧模糊とした神々にこそ思うさま想像力を駆使する余地があるというもの、あなたもどうぞ自分だけのディオネ像を作り上げて楽しんでみて下さい。

続く・・・
2009/08/22

ギリシア神話の神々69

<ムーサ・芸術の女神達Ⅲ>

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 ヘシオドス等に於いては、先に述べたとおり9人姉妹とされているムーサ達ですが、もっと古い伝承では3人姉妹であったと言われています。
パウサニアスが伝える話によると、彼女達はゼウスではなくウラノスの娘で、個人名はアオイデ・ムネメ・メレテであったとされています(異説もありますが)。

 元々ギリシア神話には3人1組で現れる女神達が、非常に多く登場します。
モイラ、ホーラ、カリス、エリニュス、はたまたゴルゴン姉妹、グライア姉妹・・・挙げだせばきりがありません。

 この3というのは「満ちゆく月-満月-欠けゆく月」という月の相、また「乙女-母-老婆」という女の相、あるいは「(再)生-生長-死」という豊饒の循環などに由来する数字であり、1人の大いなる女神の身をその3つの側面に沿って分裂させたのが上に挙げたような三身一体の女神達であると云われます。
今の場合ですと、1人の大いなる詩神ムーサがまず在り、それが三身に分裂してアオイデ・ムネメ・メレテになったわけです。
普通はそれで終わりでが、何故かムーサ達にだけはもう一度分裂が起こり、先の3人×3で今度は9人に増えてしまいました。
 
 この特殊な変化を説明する為、「もともとムーサは3人だったのだけれども、あるときマケドニア人のピエロスが自分の9人の娘にちなんで詩神の数を9人に増やし、名前も娘と同じものに変えてしまった」という伝承が作られました。
まあ、これに従うとピエロスの娘達の方が現行ムーサのオリジナルになるわけですから、後に彼女達が歌で詩神と張り合おうとしたというエピソードが生まれても不思議ではありません。

 さて、こうして数が増えた事により、ムーサ達は様々なジャンルの詩歌や学芸を分担して受け持つことが可能になりました。
一般に言われる各女神の担当分野は、カリオペが叙事詩、クレイオが歴史、ウラニアが天文、メルポメネが悲劇、タレイアが喜劇、エラトが恋愛詩、エウテルペが叙情詩、ポリュムニアが讃歌、テルプシコラが舞踏です。
もちろんこれにも諸説があり、この分け方が唯一絶対のものというわけではないのですが、どの説を見ても叙事詩がカリオペに任されていることは共通です。
雄々しい英雄たちの活躍を歌う叙事詩は詩の中でも最も高貴なるもの、なればこそ姉妹の頭である長女にのみ相応しいと云う訳ですね。

続く・・・
2009/08/11

ギリシア神話の神々68

<ムーサ・芸術の女神達Ⅱ>

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 ムーサ達の父親は、神々の王ゼウス、母親はティタン神族の1人である記憶の女神ムネモシュネです。
彼女はゼウスと9夜共寝して、律儀にも9人の娘を生んだと云う訳でした。
よってムーサ達は「記憶の娘御達」と呼ばれる事もあります。
 
 9人姉妹のうちカリオペが長女であることは判明していますが、残りの8人の生まれ順はよくわかりません。
妹達の名前はそれぞれクレイオ・ウラニア・メルポメネ・タレイア・エラト・エウテルペ・ポリュムニア・テルプシコラと伝えられています。
彼女達は、普段はオリュンポスにほど近いピエリアの山中にある、見事な舞踏場付きの立派な館に住んでいます。
近くには優雅の女神カリス達の館もあるということなので、きっとオリュンポスで神々の宴が催されたときには一緒に出かけたりもしたのでしょう。
宴席ではムーサ達は歌を歌い、カリス達は輪舞を舞って列席者を楽しませる係です。

 ピエリア以外では、ボイオティア地方のヘリコン山とポキス地方のパルナッソス山が彼女達の聖地として知られています。
パルナッソス山は彼女達の主人、アポロンの神殿があるデルポイにとても近い為、彼に仕えるにはここが一番都合の良い場所と思われます。

 神々の宴も催されておらず、またアポロンもいない自由時間には、女神達はこの3つの聖地のいずれかで俗事に煩わされることもなく、姉妹揃って歌を歌いながらゆったりと時を過ごします。
小鳥の鳴き声、水のせせらぎ、木の葉のさやぎの中に響く竪琴の音と美しい合唱・・・その晴れやかで優雅な暮らしぶりは彼女達自身を満足させるのみならず、アテナのような芸術に理解ある神々の羨望をもかき立てるものであったと云われます。
 
 しかしながら、そんな彼女達の平和を乱す不届き者もやはりときどきは現れました。
ほとんどの場合それは、トラキアの詩人タミュリスやペラ王ピエロスの9人の娘ピエリス達に代表される「思いあがった詩人達」でした。
タミュリスはデルポイで開催された競技会で優勝した事で傲り高ぶり、気でも違ったのかムーサ達に向かって勝負を求めたのです。
又、ピエリス達は、歌が得意である事や、ムーサと同じ9人姉妹である事、またピエリアに住むがゆえに「ピエリス達」と呼ばれるムーサと呼び名も同じであることなどから不遜にも女神達と張り合おうとし、やはり歌勝負を挑んで「私たちが勝ったらヘリコン山にあるヒッポクレネの泉とアガニッペの泉をください。もし私たちが負けたらマケドニアの地を差し上げますわ」と言いました。
彼女たちが欲しがった泉はどちらも詩神の聖泉です。

 しかし、ムーサ達は何といっても彼らにその才能を与えた張本人なのですから負けるはずがないのです。
彼らのあまりの身の程知らずぶりに怒った女神達は「神の身で人間と競うなど恥ずかしいことだけれど、挑まれた勝負を避けるのはもっと恥ずかしいわ」と受けて立ち、公正な審判を立てての競技でどちらも打ち負かしてみせました。
詩神の罰を受けたタミュリスは視力と楽才を根こそぎ奪われた挙げ句死後タルタロスに放り込まれ、またピエリス達は「口ばかり達者な小娘ども」ということでかしましい鳥カササギに姿を変えられてしまいました。

続く・・・
2009/08/10

ギリシア神話の神々67

<ムーサ・芸術の女神達>

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 「ムーサ」と言うギリシア読みよりもむしろ「ミューズ」という英語読みでよく知られている、9人姉妹の詩歌・芸術の女神達です。
ムーサ達は、詩人の心を神的な霊感で満たし、一種の神がかり状態にして素晴らしい詩を歌わせてくれる存在です。
詩人が語る言葉は「彼が」語っているのではなく、「ムーサが」彼の口を借りて歌い聴かせているのです。

 よく文章を書かれる方なら、「伝えたいイメージが次から次へと鮮明に脳裏に浮かんできて何かに憑かれたかのような勢いで筆が進みまくり、ハッと気付くとおそらくもう向こう10年は書けないだろう名文ができあがっていた」という様な事が稀ににあると思います。
いわゆるムーサ降臨の瞬間と考えて差し支えありませんし、もし「日常的にそういう名文が書ける」という方がいらっしゃったら、その方はムーサの寵児と言うべきでしょう。

 言葉を操る女神ムーサ、彼女達に息吹を吹き込まれた者は誰でも、その瞬間から詩人です。
『神統記』や『仕事と日々』でその名を歴史に刻んだ大詩人ヘシオドスはムーサに触れる前は一介の農夫でした。
ヘリコン山麓で羊を飼っていた彼は、在る時ムーサ達に出会い、月桂樹の杖を授けられ神の息吹を吹き込まれて詩作に目覚め、王家が催した歌の競技会で優勝して賞品を獲得するほどの一流詩人となりました。
裕福ならざる父の子として生まれ、日々生きる糧を求めて畑を耕し家畜の世話をすることに追われていた(当然さほどの教養はなかったと思われる)青年をかくも輝かしい歌の道にやすやすと乗せた女神の力とは、実に偉大なものです。

続く・・・

2009/08/09

ギリシア神話の神々66

<ムネモシュネ・文化の母なる女神>



 ティタン女神の1人で記憶の女神です。
ティタン神族は、古き神として荒削りで、原始的な自然力を象徴しています。
恐らくムネモシュネの場合も、彼女単独ではただ「過去に起こった事柄を覚えておく力」というだけの存在だったのでしょう。

 しかしこの力は大いなる可能性を秘めており、これに目を付けたゼウスが彼女を愛人にして生ませた子が詩歌の女神ムーサたちです。
太古の時代、過去から未来へ記憶を継承するには、口伝によるしか方法がなく、其の為に叙事詩を始めとする詩歌とそれを歌って歩く吟遊詩人が生まれました。
更にその後、それらを書き留めてより確実な知識の受け渡しを可能とする為に文字が発明された事により、人間の文明は急速な発展を遂げました。

 そう考えると真に記憶こそが文化の母と言える訳ですから、その恩恵を享受する我々としては「マイナーな女神」と一言で斬り捨てるのではなく、この方にもっと敬意を払ってしかるべきなのかもしれません。
とは言え、残念ながらムネモシュネについて語れる事は「ムーサ達と一緒にオリュンポスに住んでいるらしい」という事くらいしかないのですが。

続く・・・

2009/08/08

ギリシア神話の神々65

<ハルモニア・不義から生まれた和の女神Ⅳ> 



 大勢の神々の好意に包まれながらも、懐に爆弾を抱え込んだ形でスタートした、ハルモニアの下界生活。
彼女の築き上げたテバイ王家の歴史は、正にその通り、祝福と呪詛の入り交じったものと成りました。
和合を司る女神だけあって夫との仲は睦まじく、4人の娘と1人の息子に恵まれ、娘達のうち、アガウエ、アウトノエ、イノの3名がそれぞれ嫁いで子をもうけたので、可愛い孫達も沢山出来ました。
カドメイアの町は「女神を娶った王の都」として、周辺諸都市からも畏敬されつつ急速に発展し、新興国であるにも関わらずボイオティアの雄として盤石の地位を得ました。
もしもこのまま生涯を全うすることが出来たなら、完全無欠の幸福として誰もが羨んだことでしょう。

 しかし、この幸福は孫の1人が些細な事で神の怒りを買ってしまい、世にも無惨な死を遂げるまでの話でした。
彼の死を皮切りにハルモニアとカドモスにとってはつらく哀しい「幸と不幸の演舞」が幕を開けるのですが、全部を詳しくご紹介するのは無理なので箇条書きで列挙してみました。

悲劇
 孫のアクタイオン(娘アウトノエの子)が狩猟中に偶然アルテミス女神の水浴を目撃し、裸を見られて激怒した女神によって鹿に変えられ、自分の連れていた50匹の猟犬に全身を噛み裂かれて死亡(異説によれば、ゼウスの愛を受けたセメレを妻に望んだためにゼウスの怒りを買い殺されたという。

悲劇
 優れた美貌ゆえにゼウスに見そめられ、その寵愛を受けて身籠もっていた娘セメレが、嫉妬したヘラの罠にかかり他界。「自分を抱く男が果たして本物のゼウスかどうか、一度神としての本身を見せてもらって確認した方がよい」という女神の口車に乗せられ、是非真の姿を拝ませてほしいとゼウスに願った結果、彼が身に纏った雷電に撃たれて焼死した。

慶事
 セメレの懐妊していた胎児がゼウスの手で母の骸から取り出され、父の太股に縫い込まれる。
月満ちた後、酒神ディオニュソスとして誕生。

悲劇
 娘イノとその夫アタマスがディオニュソスの養育を担当するが、ヘラの怒りを受けて2人とも発狂。
アタマスは息子レアルコスを殺し、イノはもう1人の息子メリケルテスを道連れにして海に身を投げる。

慶事
 子孫の死を哀れんだアプロディテが海王ポセイドンに嘆願し、イノを海の女神レウコテア、メリケルテスを海神パライモンとして蘇生させる。

悲劇
 カドモスの跡を継いで王となった孫のペンテウス(娘アガウエの子)が、従兄弟に当たるディオニュソスの神性を認めようとせず、「如何わしい詐欺師」と罵って迫害したため神罰を受けて死亡。酒神の霊気によって発狂した母アガウエの手で四肢を引き裂かれ殺された。

慶事
 亡き母を恋い慕ったディオニュソスが冥府に下り、冥王夫妻の許可を得て亡者たちの間からセメレを救出。セメレは神母として息子と伴にオリュンポスに昇り、名をテュオネと改めて女神達の仲間入りを果たす。
 
 この時点でハルモニアとカドモスの子は5人、孫は6人。
この2世代11名の中からディオニュソス・セメレ・イノ・メリケルテスと4人も神を輩出したのは真に驚異的栄光というべきであり、ギリシア広しといえどもこれほどの誉れを与えられた王家を他に見いだす事は出来ません。

 しかし、其れと引き替えに彼ら夫婦は一体何度愛しい者の死に涙せねばならなかったでしょう? 
しかもイノやメリケルテス、セメレが死後に神となった事など、彼らは知りません。
彼等にとって一連の出来事は「幸と不幸の演舞」と言うよりも、殆ど単なる「不幸の連続」でした。
とりわけ罪のないイノ・メリケルテス母子の死、そして後継者だったペンテウスの死は2人に大きな衝撃を与えました。
運命の非情さにすっかり打ちひしがれた夫カドモスは、唯一難を逃れた息子ポリュドロスに3代目の王位を託すと、付きまとう悲運から逃れようとするかの様にカドメイアを離れる事を決意します。
ハルモニアも黙ってそれに従い、長年住み慣れた王宮を捨てて放浪の旅に出ました。
例の首飾りと長衣を国の宝として後に残して・・・・。

 やがて北方の地、エンケレイス族の国(現在のアルバニア付近)に辿り着いた2人は、「カドモスとハルモニアを王にすればイリュリア族との戦争に勝てる」という予言を受けていた住民に歓迎され、支配者として推戴されました。
カドモスは軍勢を率いて予言通りに敵族を征服し、新しいイリュリアの王としてようやく平和で穏やかな暮らしを取り戻すことに成功します。
ハルモニアはここで末の息子イリュリオスをもうけ、この北の王家の祖神となりました。

 カドモスの最晩年、彼らの国民が何を思ったかギリシア諸都市に攻め入り、財宝に満ちたデルポイの神託所を襲撃するという事件を起こします。
当然激しい神の怒りが下って不埒者の軍勢は壊滅しましたが、国民の罪は王の罪、カドモスとハルモニアも無論ただでは済みません。
 
 しかし天罰が彼らに下るよりも早く、アレスが2人を蛇の姿に変えて救出し、エリュシオンの野(至福者の島)に身柄を移してくれました。
そこで彼らは元の姿に還り、エリュシオンの王クロノスや補佐官ラダマンテュス等と供に永遠の幸福を享受していると云われます。
長い間下界で女神にふさわしくない苦労をし続けてきたハルモニアにも、ようやくしかるべき住まいと暮らしが与えられたというわけですね。

続く・・・

2009/08/07

ギリシア神話の神々64

<ハルモニア・不義から生まれた和の女神Ⅲ>

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 カドメイア(サモトラケ島とする説もあります)にて挙行された2人の結婚式は、それはそれは豪華絢爛たるものでした。
何しろアレスとアプロディテの娘がゼウスの肝煎りによって嫁ぐのですから、これが華麗にならないわけがありません。
世界中から総ての神々が贈り物を持って集い、新郎新婦を口々に讃え、2人の末永い幸福と家門の繁栄を祈って大いに盛り上がりました。

 しかし、中にはごく少数ながら、寿ぎとは縁遠い心を抱いて宴席に連なっていた神々もいました。
その代表が、アレスの兄弟でアプロディテの夫でもあるヘパイストスと潔癖な処女神アテナです。
ヘパイストスは常日頃、妻と兄弟の密会を不快千万に思っていたのですが、どのように策を講じても一向に不行跡を改めさせることが出来ないので(何しろ濡れ場に踏み込んで死ぬ程の恥をかかせても別れようとしなかったほどですから)、鬱屈した怒りを長年胸に溜め込んでいました。
そんな彼が忌々しい不義の果実であるハルモニアの結婚に「おめでとう、お幸せに」などと言えるはずがありません。

 むしろ、「絶好の機会だ。親への恨みは子に晴らしてやる!」と奮い立った彼は、同じく2人の不倫を「有るまじきふしだら」と苦々しく思っていたアテナと供に、恐ろしい贈り物を作ってハルモニアに与えたのです。

 その1つは燦然たる輝きを放つ黄金色の長衣。
機織りの名手アテナの手になるだけあって高雅かつ優麗であり、天降った花嫁の御料としていかにもふさわしいものに見えますが、実を言うとその織物は汚らわしい「罪」によって染めあげられたものでした。「親が犯した姦通の罪の報いを受けよ」という意思表示です。

 もう1つは、ヘパイストスが技術の粋を凝らして作ったきらびやかな首飾りで、目も眩む程に眩く美しく、誰もが一瞥で心を奪われ、手に入れたいと熱望せずにはいられない魅惑的な逸品ですが、実は繊麗な宝石細工に紛れて「ゴルゴンの魔眼」「蛇のとさか」「絡み合う疫病の群れ」「エリニュスの蝮の髪」などといった凶運のシンボルが無数に彫り込まれており、その悪しき引力で所有者に破滅を招かずにはおかない激烈な呪いの品です。

 積年の恨みを刻みつけたそれに、ヘパイストスは最後の仕上げとして甘く快い「歓喜」の毒をたっぷりと注ぎかけ、そのきな臭さを完璧にコーティングしてしまいました。
美の下に隠した悪意を誰にも見破られることのないように・・・・。
何食わぬ顔で二神が差し出したこれらの贈り物を、祝福と信じたハルモニアはこの上ない喜びと共に受け取りました。
当然です、彼女自身は何ひとつ人の憎しみを買う真似などしていないのですから、どうして結婚祝いの品に呪いがかかっているなどと思うでしょう? 
 
 正に親の因果が子に報いた凄まじいとばっちりですが、他ならぬあの不倫によって生を享けた彼女ですから、罪の子としてこのような非難も甘受せねばならなかったのでしょうか。
本人には非の打ち所がないだけに、どうにも理不尽に思えてなりません。
(ちなみに、この首飾りと長衣を不幸の贈り物とは見なさない説も存在します。特に首飾りについては母のアプロディテが贈った、あるいは新郎の姉妹エウロペが贈ったとする異説もあり、その場合は純粋にお祝いの品となります)

続く・・・


2009/08/06

ギリシア神話の神々63

<ハルモニア・不義から生まれた和の女神Ⅱ>



 その男の名はカドモス、東方の大国フェニキアの王アゲノルの息子です。
彼の姉妹であるエウロペが、奇妙な雄牛(正体は彼女に一目惚れしたゼウス)にさらわれてしまったので、彼女を捜して遥々ギリシアまで渡って来たのですが、デルポイの神殿でエウロペの行方を尋ねたところ、
「彼女のことはもう忘れろ。それよりおまえは腹に満月のような斑のある雌牛の後を追ってゆき、そやつが止まった場所に都市を建設せよ」
と、質問とはまるで関係ない回答を下され、大事な姉妹を泣く泣く見捨てざるを得なくなってしまいます(しかも「姫を見つけるまでは帰ってくるな!」と父王に厳命されていたので故郷にも二度と戻れなくなってしまいました)。

 仕方なく、神託に従ってそれらしき牛を追いかけ回し、疲れた牛が足を止めた場所に都を造ろうとしたところ、近くの泉に住んでいた凶暴な大蛇に部下の大部分を殺されてしまいます。
怒ったカドモスが槍を振るって勇敢に大蛇と戦い、これを倒すと、何とこの蛇はアレスの息子だったそうで父神が大激怒。
アレスに謝罪する為、都造りを一時中断し、8年間彼の奴隷として仕える羽目になってしまいました。
 
 しかし、やがてその善良で高潔な人柄を神々に認められた彼は、それまでの不運を一気に覆す破格の幸運に恵まれました。
8年の奉仕期間を恙無く満了した後、ゼウスがアレスの娘神ハルモニアとの結婚を提案してくれたのです(これは無論アレスとカドモスの仲直りを意図したものですが、ひょっとしたら自分がエウロペをさらったために故国を捨てて流離う羽目になったカドモスへの償い、あるいは寵姫の兄弟に対する個人的贔屓という意味も含まれていたかもしれません)。
アレスもアプロディテもこの縁談を了承した為、ハルモニアはカドモスの妻として与えられることに決まりました。

 さて、この話を聞かされたハルモニア自身の心境は一体どのようなものだったのでしょうか? 
と言うのも、高貴な女神にとって人間の男と枕を交わすのは恥辱この上ない事であるからです。
儚い恋に迷った末の一夜の仮寝でも恥ずかしいというのに、正式な妻となって生涯を共にせよとは前代未聞、見下げられている証といっても過言ではない屈辱的な命令です。
おまけに相手が父の奴隷であった男とは。
如何にゼウスのお声掛かりとは言え、普通の女神ならば全力で抵抗し、断固承知しようとはしなかったでしょう。

 ところがハルモニアは拒否の姿勢を示さず、至極おっとりとゼウスの命令を受け入れました。
この条件を呑めるとは、さすがは争いを好まぬ融和と協調の女神としか言いようがありません。
女神と人間の貴賤結婚という不釣り合いの極致であっても、彼女の調和力の前では問題ないものとして丸く収まってしまうのでしょうか? だとしたら大したものです。

 何はともあれハルモニア側の理解によって話は纏まり、カドモスはボイオティアの地に壮麗な都カドメイア――後にテバイと改名します――を築き終えた後、晴れて彼女を妃として迎え入れました。
以後ハルモニアは天界の女神としてではなく、地上に暮らす一国の王妃として悲喜こもごもの日々を送る事になります。

続く・・・

2009/08/05

ギリシア神話の神々62

<ハルモニア・不義から生まれた和の女神>



 「調和」という麗しい名を冠する女神ハルモニアは、その名に相応しい出自として、愛の女神アプロディテと闘争の神アレスという相反する性質の両親を持っています。
鍛冶神ヘパイストスを夫とするアプロディテにとって、このハルモニアはずばり不義の子。
しかも彼女の不倫については、天界中知らぬ者もなく、生まれた娘が夫の子でないのは誰の目にも明らかです。
流石にそんな娘を堂々と育てる事を恥じたアプロディテは、乳飲み子のハルモニアを抱いてサモトラケ島へ降ると、そこに住むゼウスの愛人で子育て真っ最中だったエレクトラの館を訪れ、養育を頼みました。
そうして自由の身になるやいなや、さっさとオリュンポスへ帰って再び浮気三昧という呆れ果てた有様。

  しかし、そんな勝手な実母から育児放棄されても、彼女の1万倍ほど愛情溢れる養母に慈しまれたお陰でハルモニアは不幸に成らずに済みました。
と言うのも、自分の3人の子が男児ばかりだったエレクトラは女の子を託された事を喜び、実の娘のごとく熱愛して懇ろに養い育ててくれたからです(そのためかハルモニアをゼウスとエレクトラの実子と見なす説も存在します)。
ハルモニアが両親のどちらにもない穏和な性格となだらかな物腰を身につけたのは、無論本人の資質もさることながら、この優しい養母の薫陶によるところも大きかったのでしょう。

 さて、幾年かの月日が流れ、母親似の匂いやかな美女に成長したハルモニアは、オリュンポスに戻り、アプロディテの随神として愛し合うカップルの和合円満を守護する仕事をするようになりました。
エロスの矢によって、結ばれた2人の間に穏やかな親愛に満ちた一体感を齎す、とても素敵な職務です。

 しかし程なく、その仕事は彼女自身の縁談によって中断せざるを得なくなってしまいました。
と言うのも、彼女の夫に選ばれた相手はオリュンポスに住まう神ではなく、何と地上に生きる死すべき人間の男だったからです。

続く・・・・

2009/08/04

ギリシア神話の神々61

<コイオス&ポイベ・天界の夫婦神Ⅱ>



 この夫婦神には、先にも述べた通り2人の娘神がいました。
そのうちの1人レトは、ゼウスに愛され、正妃ヘラの凄まじい迫害を受けながらもアポロンとアルテミスという偉大な光の双子神を生み、世界一恵まれた母として総ての女神達から羨まれる貴い身となったことで有名です。

 もう1人の娘アステリアは、従兄弟に当たるティタン神族のペルセスに嫁ぎ、これまた偉大な一人娘、闇の女神ヘカテをもうけました。
ゼウスの求愛を拒んだため貧相な浮き島に変身させられるという悲運に一度は見舞われたものの、その後アポロンとアルテミスの生地となったことでその名も「デロス(=明るい)」島と呼ばれ、世界中から崇拝される身となりました。

 不幸の果てに栄光を掴んだ娘達と、揃いも揃って非の打ちどころなく優秀な三人の孫。
コイオスとポイベもこれ程、輝かしい子孫に恵まれてさぞかし誇らしかった事でしょう。
ポイベは、孫のアポロンに1つ大きな贈り物をしました。
彼女は、有名なデルポイの神託所を母ガイアと姉妹テミスから引き継いで、3代目の神託主となっていたのですが、その役目をアポロンに譲り渡したのです。

 以後、アポロンは彼女の名をも引き継いで「ポイボス」と呼ばれる様に成り、それに応じて姉のアルテミスも「ポイベ」という別名を持つようになりました。
光輝赫々たる双子神に如何にも相応しい呼び名ですが、これもまた祖母からのささやかな贈り物と言えなくもないでしょう。

続く・・・・


2009/08/03

ギリシア神話の神々60

<コイオス&ポイベ天界の夫婦神>



 コイオスとポイベは12人のティタン神族に5組(イアペトスの妻をテミスとしない場合は4組)誕生した兄弟姉妹夫婦の1組で、神話における彼らの影は薄く、何を司る神々であったかをそのエピソードから読み取ることは不可能です。
こういう場合は、彼らの名前の意味から権能を推測するしかありません。

 まず妻のポイベ女神については、「輝く女」というその名の意味、また2人の娘のうち1人が「星の女」という名を持つアステリアである事が重要な手がかりとなり、星々の母である輝けるものといえば、月。
ポイベが月神の性格を持っていたことはほぼ間違いないだろうと考えられます。

 次に夫のコイオスについてですが、その名の意味については2通りの解釈が存在します。
1つ目は、「気付く、知覚する、理解する」という意味の動詞 koeo を語源と見なす説で、この場合コイオスは「悟る者」というような意味になりますが、この名前からは「賢い神だったのかな?」という程度の推測はできますが、具体的に何を司っていたのかを推し量ることは困難です。
 
 2つ目は、カール・ケレーニイが指摘するように「天球」という意味の単語 koia を語源とする説です。この解釈に従うならば、コイオスはほぼ100%天空神であると断定して問題ないでしょう。
更には、彼の別名と思しき「ポロス」という名もこの天空神説を後押しします。というのも、ヒュギヌスがその著書『ギリシャ神話集(Fabulae)』の中で、ポイベの夫にしてレトとアステリアの父である男神のことをポロスと呼んでいるのですが、このポロス(polos)とはギリシア語で「天球の回転軸、天の極、天球そのもの」などを指す言葉なのです。

 これをも踏まえて考えると、コイオスは天空神の中でも特に天球の回転運動などを司る神であった可能性が高くなります。
「天空の神が月の女神を娶って星の女神を生んだ」というのは系譜的にも美しく整合しますし、十分妥当な解釈であると言えます。
無論、総ては、後世の推測に過ぎず、古代ギリシアに於いて真実そう考えられていたかどうかを証明することは誰にもできません。

続く・・・・


2009/08/02

ギリシア神話の神々59

<テュケ・気まぐれな富の恵みⅡ>

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 ところで、皆様は「幸運の女神には前髪しかない」「幸運の女神の前髪を掴め」という言い回しを耳にしたことがおありでしょうか?
前髪しかないと言う事は、すなわち後ろ髪が無いと言う事、後ろ髪が無いと言う事はすなわち背後からは掴め無いと言う事。
この言い回しは「チャンスというものは自分に近づいてくるそのときにすかさず掴み取らなければならない。通り過ぎてしまってから慌てて捕まえようとしてももう手遅れなのだ」という真理を表しているのです。

 実はこの話、元々は幸運の女神テュケのものではなく、別の神格である好機の神カイロス(Kairos)のものだったのでした。
カイロスは足に翼を持つ俊足の少年で、光り輝く花盛りの美貌の持ち主であり、長い髪を風になびかせた姿をしていると言われますが、その髪は彼の頭の前半分にしか生えておらず、後頭部は見事なつるっぱげなのです。
輝かしい姿で近づいてくるけれど、決して長居はせずあっという間に駆け去ってしまい、振り向いたときには既に取り戻すすべはない……「好機」というものの本質を実によく捉えた擬人化です。
 
 では何故、本来は男神カイロスのものであったこの姿が女神テュケの姿であるとされるようになってしまったのでしょう? 
特に裏付けがある訳ではありませんが、恐らくは単に kairos(opportunity)と tyche(chance)という単語の意味の類似から両者が混同され、知名度の低い男神カイロスからより有名な女神テュケへのすり替えが起こっただけの話であると思われます。

 しかし、いくら何でも女神に対して後頭部がつるっぱげという設定はいただけませんよね。
ここはやはり、前髪は解き流しにしているけれども後ろ髪はきりりとまとめ上げているとか、前髪は長いけれども後ろはショートだとか、是非ともそういう感じで想像しておきたいものです。

続く・・・・

2009/08/01

ギリシア神話の神々58

<テュケ・気まぐれな富の恵み>



 人々に思いがけない幸せを齎してくれるギリシア神話の幸運の女神テュケ。
この名前は知らなくても、fortuneの語源であるローマ神話の運命の女神フォルトゥナの名はご存じでしょう。
テュケはこのフォルトゥナと同じ神格です。

 彼女は大洋神オケアノスとその妻テテュスから生まれた3000人のオケアニス達の1人ですが、水の女神として神話に登場することは殆どなく、その名のとおり運の神・福の神として人々の尊崇を受けました。
絶頂から谷底へ急落したかと思えば再び高みへ舞い上がる、千変万化の人間の運勢を司る女神として、テュケは車輪(タロットの大アルカナ10番目のカード「運命の輪」といえばおわかりですよね)を携えた姿、あるいは球体に乗った姿で描かれます。
球の様に絶えず流転する不安定な運気の渦に人間を巻き込んで弄ぶ、気まぐれな女神というわけです。
 
 しかし、運気上昇中の人間に対しては惜しげもなく恵みを注いでくれる為、特に幸運の女神と見なされ、富の象徴である「豊饒の角」を持った姿か、または幼い富の神プルトスを抱いた姿で表現されることもあります。
その際、相手が不正・邪悪な者であったとしても頓着せずに富をバラまくので、
「正直者が貧乏なままなのにあんな連中が肥え太るなんて、テュケ様の目は何も見てないね!」
と考えられ、しばしば盲目の女神として目隠しをした姿で描かれます。
この善悪・正邪関係なしに恩恵を垂れるという点で、テュケは因果応報の女神ネメシスと対をなします(ネメシスは善には賞で、悪には罰で正当に報いる女神です)。

 更に、テュケは舵や帆、小さな船などを手にした姿で描かれることもあります。
これは船乗りたちが「嵐に遭うも遭わぬも、助かるも助からぬも運次第」と考え、絶対服従すべき女王として彼女を畏れたところから来ているようです。
彼女が水の女神達の1人に数えられているのも、もしかしたらこの辺りの事情からかもしれませんね。

続く・・・・