歴史の?その133
<翼よ、あれがパリの灯だ:後編>

夜の闇が迫り、既に離陸から12時間が経過し、位置を示す地上目標は、全く無くなりました。
是からアイルランドの海岸迄は、羅針盤と海図と鋭敏な勘の頼る他に手段は無く、しかも睡魔との闘いが続いていました。
“スピリット・オヴ・セントルイス”は今回の飛行計画で、最も危険な場所に差し掛りました。
眼下に見える海面には、氷山が浮かび、その進行方向は、濃霧に閉ざされています。
無限に広がる、一面の広い黒い海上を、風雨と霧をついて飛行した、この長い夜も漸く明けようとしていました。
ニューヨークのロングアイランドを離陸してから、19時間後、空が明るく成り始め、リンドバーグは、高度を下げて、泡立ち騒ぐ大西洋上を低空飛行して、疲労回復を図り、眠気を覚ます為、自分の頬を叩いたりしながら飛行を続けたのでした。
前方にアイルランドの海岸線が見え始め、ニューファンドランドを後にして16時間が経過し、疲労感に苛まれながら、又長い夜間の盲目飛行を行ったにも関わらず、予定のコースを僅か5km逸脱していたに過ぎませんでした。
しかも、予定よりも2時間30分も早く到達していたのです。
◎翼よ、あれがパリの灯だ!
“スピリット・オヴ・セントルイス”は終にドービル上空でフランス海岸を通過、再び夜の闇が迫っていましたが、愛機のエンジン、ライト・ホワールウインドJ5Cは、快調な響きを続け、リンドバーグの睡魔は完全に消え、行く手の柔らかな夜空に、パリの明るい灯火と紛れも無い、エッフェル搭の姿が見えたのです。
彼は、ル・ブルージュ飛行場が、パリ近郊の北東に位置する以外、詳細は知りませんでしたので、滑走路の灯火を捜しました。
しかし、リンドバーグの眼に入ったのは、ビーコンや警告灯、誘導灯でもなく、何千、何万という光の海でした。
当惑した彼は、飛行場上空をゆっくりと旋回し、是等の光が、飛行場の周辺に集まった、自動車のヘッドライトだと判ってから、初めて降下を開始しました。
リンドバーグは、飛行場の隅に在る、格納庫の方へ飛行機を移動させようとしましたが、その時、前方から無数の人間が走ってくるの見ました。
飛行機から降りながら、彼は一言だけ言いました。
「私がチャールズ・リンドバーグです」
そして、歓喜に沸き返る群衆に、あっと言う間に飲み込まれてしまったのでした。
補遺
大西洋横断飛行を最初に成し遂げた人物が、チャールズ・A・リンドバーグ2世と思われている方が、多い様ですが、この大西洋横断は1910年代から、航空機の性能の発達の指標として目標になった飛行記録なのです。
主な大西洋横断飛行記録を列記してみると下記の様になります。
1)1919年5月、カーチスNC4飛行艇により、アメリカ・ニューヨーク州ロングアイランドからポルトガルのリスボンへ着水しながらの横断。

2)1919年6月、カナダのニューファンドランド島~アイルランド無着陸横断。
飛行機は、イギリス空軍、双発複葉爆撃機ビッカース ビミー、搭乗員はジョン・オルコック、アーサー・ブラウン。
イギリスの新聞デイリー・メール紙の1万ポンドの賞金を獲得。

3)1927年5月20日、ニューヨーク~パリ単独無着陸飛行。
飛行機は、ライアン・エアラインズNYP-1、搭乗員はチャールズ・A・リンドバーグ2世。
レイモンド・オルティーグの25,000ドルの賞金(オルティーグ賞)獲得
4)1928年、アイルランド~カナダ大西洋逆横断、
飛行機は、ユンカースW33、搭乗員はギュンター・フォン・ヒューネフェルト、ケール、ジェイムス・フィッツモーリス。
5)1930年、パリ~ニューヨーク逆横断
飛行機は、ブレゲー19GR、搭乗員は、デュドネ・コスト、モーリス・ベロント
6)1932年、女性の単独横断飛行
飛行機は、ロッキード ベガ、搭乗員は、アメリア・イアハート。

本編終了・・・

夜の闇が迫り、既に離陸から12時間が経過し、位置を示す地上目標は、全く無くなりました。
是からアイルランドの海岸迄は、羅針盤と海図と鋭敏な勘の頼る他に手段は無く、しかも睡魔との闘いが続いていました。
“スピリット・オヴ・セントルイス”は今回の飛行計画で、最も危険な場所に差し掛りました。
眼下に見える海面には、氷山が浮かび、その進行方向は、濃霧に閉ざされています。
無限に広がる、一面の広い黒い海上を、風雨と霧をついて飛行した、この長い夜も漸く明けようとしていました。
ニューヨークのロングアイランドを離陸してから、19時間後、空が明るく成り始め、リンドバーグは、高度を下げて、泡立ち騒ぐ大西洋上を低空飛行して、疲労回復を図り、眠気を覚ます為、自分の頬を叩いたりしながら飛行を続けたのでした。
前方にアイルランドの海岸線が見え始め、ニューファンドランドを後にして16時間が経過し、疲労感に苛まれながら、又長い夜間の盲目飛行を行ったにも関わらず、予定のコースを僅か5km逸脱していたに過ぎませんでした。
しかも、予定よりも2時間30分も早く到達していたのです。
◎翼よ、あれがパリの灯だ!
“スピリット・オヴ・セントルイス”は終にドービル上空でフランス海岸を通過、再び夜の闇が迫っていましたが、愛機のエンジン、ライト・ホワールウインドJ5Cは、快調な響きを続け、リンドバーグの睡魔は完全に消え、行く手の柔らかな夜空に、パリの明るい灯火と紛れも無い、エッフェル搭の姿が見えたのです。
彼は、ル・ブルージュ飛行場が、パリ近郊の北東に位置する以外、詳細は知りませんでしたので、滑走路の灯火を捜しました。
しかし、リンドバーグの眼に入ったのは、ビーコンや警告灯、誘導灯でもなく、何千、何万という光の海でした。
当惑した彼は、飛行場上空をゆっくりと旋回し、是等の光が、飛行場の周辺に集まった、自動車のヘッドライトだと判ってから、初めて降下を開始しました。
リンドバーグは、飛行場の隅に在る、格納庫の方へ飛行機を移動させようとしましたが、その時、前方から無数の人間が走ってくるの見ました。
飛行機から降りながら、彼は一言だけ言いました。
「私がチャールズ・リンドバーグです」
そして、歓喜に沸き返る群衆に、あっと言う間に飲み込まれてしまったのでした。
補遺
大西洋横断飛行を最初に成し遂げた人物が、チャールズ・A・リンドバーグ2世と思われている方が、多い様ですが、この大西洋横断は1910年代から、航空機の性能の発達の指標として目標になった飛行記録なのです。
主な大西洋横断飛行記録を列記してみると下記の様になります。
1)1919年5月、カーチスNC4飛行艇により、アメリカ・ニューヨーク州ロングアイランドからポルトガルのリスボンへ着水しながらの横断。

2)1919年6月、カナダのニューファンドランド島~アイルランド無着陸横断。
飛行機は、イギリス空軍、双発複葉爆撃機ビッカース ビミー、搭乗員はジョン・オルコック、アーサー・ブラウン。
イギリスの新聞デイリー・メール紙の1万ポンドの賞金を獲得。

3)1927年5月20日、ニューヨーク~パリ単独無着陸飛行。
飛行機は、ライアン・エアラインズNYP-1、搭乗員はチャールズ・A・リンドバーグ2世。
レイモンド・オルティーグの25,000ドルの賞金(オルティーグ賞)獲得
4)1928年、アイルランド~カナダ大西洋逆横断、
飛行機は、ユンカースW33、搭乗員はギュンター・フォン・ヒューネフェルト、ケール、ジェイムス・フィッツモーリス。
5)1930年、パリ~ニューヨーク逆横断
飛行機は、ブレゲー19GR、搭乗員は、デュドネ・コスト、モーリス・ベロント
6)1932年、女性の単独横断飛行
飛行機は、ロッキード ベガ、搭乗員は、アメリア・イアハート。

本編終了・・・
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