人類の軌跡その416:産業革命と社会運動②
<産業革命その②>

ロコモーション号
◎技術革新
1764年、同時に複数の糸を紡ぐジェニー紡績機が発明され、糸車の回転を複数の紡錘に伝え、レバーで糸と紡錘の角度を変えることによって、よりをかける作業と巻き取り作業を切り替えることができる機械です。
発明者はハーグリーブス、ジェニーはハーグリーブスの奥様の名前です。
次いで、1769年、アークライトの水力紡績機が登場します。
綿をローラーで引き延ばしてからよりを掛ける機械で、人力ではなく水車の力で動かしたので水力紡績機といいます。
アークライトはこの発明で特許を取り、水力紡績機の工場が各地で建設され大成功しました。
1779年には、クロンプトンがミュール紡績機を発明。
これは、ジェニー紡績機と水力紡績機の長所を取り入れたもので、ジェニー紡績機の糸は細いが切れ易く、水力紡績機の糸は、丈夫だが太いのですが、ミュール紡績機の糸は、細くて丈夫でした。
1785年、カートライトが力織機を発明。
ミュール紡績機の登場で、糸の供給は大幅に増加し、今度は逆に、糸の生産に織布が追いつかず、糸が在庫過多に成りました。
布を織る工程の改良が望まれ、登場したのが力織機で、力織機は織機の動作を自動化して、一人で何台もの織機を操作できるようにし、更に、動力として蒸気機関を使うという画期的な発明でした。
1793年、ホイットニーが綿繰り機を発明。
この人物はアメリカ人で、今までの発明家はイギリス人です。
綿繰り機は、収穫した綿花から種を取り除く機械で、水力を動力として、作業能率がそれまでの50倍に上昇しました。
以上、綿工業の技術革新、機械の発明を紹介しました。
産業革命は、この技術革新が、他の産業にもどんどん波及していくのです。
例えば、力織機やミュール紡績機などの機械を作る為の機械工業が発達し、又、機械の原料としての製鉄業の技術革新が始まります。
大量の綿製品を工場から港に運ぶ為に、輸送手段でも技術革新が始まるのです。
その中でも、大事なのが動力で、1710年には、ニューコメンによって蒸気機関は作られていた。これは、炭坑の地下水を排水する為のポンプとして使用されましたが、効率の非常に悪い代物で、1769年、ワットが改良を加え、以後、さまざまな機械の動力として利用されていきました。
蒸気機関を輸送手段に応用した、最初の人がトレヴィシックです。
1804年、蒸気機関車を作りますが、レールが弱く実用化には向きませんでした。
(蒸気機関車が発明される前から、イギリスには鉄道馬車が発達していました。
レールの上の車両を馬が牽引するもので、トレヴィシックの蒸気機関車は、このレールの上を走行しましが、その重量にレールが耐えきれませんでした。)
1814年、スティーブンソンの蒸気機関車が登場します。
1825年、ストックトン・ダーリントン間の鉄道開通に彼の開発したロコモーション号、1830年のマンチェスター・リヴァプール間の鉄道開通運転ではロケット号が運転され、これ以後、実用化され各地に鉄道が建設されていきます。
蒸気機関車は、まさしく鉄のかたまりで、これ以後、製鉄業など重工業も発達して行く事になります。
船では、1807年、アメリカ人のフルトンが、蒸気船クラーモント号を建造しました。
この時代には、スクリューは発明されておらず、船の両脇に大きな外輪を装備して、蒸気機関で回転させます。
続く・・・

ロコモーション号
◎技術革新
1764年、同時に複数の糸を紡ぐジェニー紡績機が発明され、糸車の回転を複数の紡錘に伝え、レバーで糸と紡錘の角度を変えることによって、よりをかける作業と巻き取り作業を切り替えることができる機械です。
発明者はハーグリーブス、ジェニーはハーグリーブスの奥様の名前です。
次いで、1769年、アークライトの水力紡績機が登場します。
綿をローラーで引き延ばしてからよりを掛ける機械で、人力ではなく水車の力で動かしたので水力紡績機といいます。
アークライトはこの発明で特許を取り、水力紡績機の工場が各地で建設され大成功しました。
1779年には、クロンプトンがミュール紡績機を発明。
これは、ジェニー紡績機と水力紡績機の長所を取り入れたもので、ジェニー紡績機の糸は細いが切れ易く、水力紡績機の糸は、丈夫だが太いのですが、ミュール紡績機の糸は、細くて丈夫でした。
1785年、カートライトが力織機を発明。
ミュール紡績機の登場で、糸の供給は大幅に増加し、今度は逆に、糸の生産に織布が追いつかず、糸が在庫過多に成りました。
布を織る工程の改良が望まれ、登場したのが力織機で、力織機は織機の動作を自動化して、一人で何台もの織機を操作できるようにし、更に、動力として蒸気機関を使うという画期的な発明でした。
1793年、ホイットニーが綿繰り機を発明。
この人物はアメリカ人で、今までの発明家はイギリス人です。
綿繰り機は、収穫した綿花から種を取り除く機械で、水力を動力として、作業能率がそれまでの50倍に上昇しました。
以上、綿工業の技術革新、機械の発明を紹介しました。
産業革命は、この技術革新が、他の産業にもどんどん波及していくのです。
例えば、力織機やミュール紡績機などの機械を作る為の機械工業が発達し、又、機械の原料としての製鉄業の技術革新が始まります。
大量の綿製品を工場から港に運ぶ為に、輸送手段でも技術革新が始まるのです。
その中でも、大事なのが動力で、1710年には、ニューコメンによって蒸気機関は作られていた。これは、炭坑の地下水を排水する為のポンプとして使用されましたが、効率の非常に悪い代物で、1769年、ワットが改良を加え、以後、さまざまな機械の動力として利用されていきました。
蒸気機関を輸送手段に応用した、最初の人がトレヴィシックです。
1804年、蒸気機関車を作りますが、レールが弱く実用化には向きませんでした。
(蒸気機関車が発明される前から、イギリスには鉄道馬車が発達していました。
レールの上の車両を馬が牽引するもので、トレヴィシックの蒸気機関車は、このレールの上を走行しましが、その重量にレールが耐えきれませんでした。)
1814年、スティーブンソンの蒸気機関車が登場します。
1825年、ストックトン・ダーリントン間の鉄道開通に彼の開発したロコモーション号、1830年のマンチェスター・リヴァプール間の鉄道開通運転ではロケット号が運転され、これ以後、実用化され各地に鉄道が建設されていきます。
蒸気機関車は、まさしく鉄のかたまりで、これ以後、製鉄業など重工業も発達して行く事になります。
船では、1807年、アメリカ人のフルトンが、蒸気船クラーモント号を建造しました。
この時代には、スクリューは発明されておらず、船の両脇に大きな外輪を装備して、蒸気機関で回転させます。
続く・・・
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