歴史のお話その76:ローマ帝國の発展㉘
<ローマ市民の都市生活Ⅶ>

元老院でカティリナを弾劾するキケロ Cesare Maccari (1840-1919)
◎ローマ時代の学問分野
ローマ人は、ギリシア人のような独創的な文化を創り出すことができず、ギリシア文化・ヘレニズム文化の模倣に終わりましたが、古代文化を集大成し、後世に伝えた点では功績を残しました。
文学、哲学、歴史学などの分野はギリシア・ヘレニズム文化の影響を強く受け、これらの分野では、哲学者のエピクテトス、歴史学のポリビオス、プルタルコス、地理学のストラボン、更に天文学のプトレマイオス等多くのギリシア人が活躍しています。
文学の分野はギリシア文化の模倣という面が強く、ラテン文学はアウグストゥスの時代に黄金時代を迎え、ヴェルギリウス(紀元前70年~紀元前19年 )は古代ローマ最大の詩人で、ローマの建国伝説を謳った叙事詩「アエネイス」は彼の最高傑作です。
ホラティウス(紀元前65年~紀元前8年)は多くの叙情詩を残していますが、「征服されたギリシア人は、猛きローマを征服した」という有名な言葉も残しています。
オヴィディウス(紀元前43年~紀元後17年頃)には「転身譜」「恋愛歌」等の代表作が在ります。
キケロ(紀元前106年~紀元前43年)は政治家・雄弁家・散文家として知られ、第1回三頭政治に反対して追放され、のち帰国してポンペイウスを支持してカエサルに疎まれて引退し、彼の死後政界に復帰し、第2回三頭政治では反アントニウスの立場をとって彼の部下に暗殺されました。
彼はギリシア思想のローマへの移入・普及に大きく貢献し、その文体はラテン散文の模範として19世紀迄ヨーロッパ文学に大きな影響を与えたのです。
哲学の分野では、ヘレニズムの哲学を継承し、ストア派の哲学が上流社会の実践倫理として流行しました。
若きネロの家庭教師で「幸福論」を著したセネカ(紀元前4年頃~紀元後65年)、ギリシア人の解放奴隷で「語録」を著したエピクテトス(55年頃~135年頃)、そして哲人皇帝として有名なマルクス=アウレリウス=アントニヌス等が輩出され、彼は代表作の「自省録」を陣中で執筆したと云われています。
歴史学もギリシアの歴史学を継承発展させ、古代ローマのギリシア人の歴史家ポリビオス(紀元前203年頃~紀元前120年頃)は、ローマの国家体制の熱烈な支持者で政体循環史観に立つ「歴史」(ローマ史)を著し、ローマの発展をギリシア史との比較しながら記述しました。
アウグストゥスの恩顧を受けたリヴィウス(紀元前59年~紀元後17年)は40年を費やして大著「ローマ建国史」(ローマ史)を著し、アウグストゥスの時代を賛美したのです。
有名なカエサルは歴史家としても名を残し、「ガリア戦記」は当時のガリア(現フランス)の事情やゲルマン社会を知るための貴重な資料となりました。
原始ゲルマンについての最重要の史料はコンスルなどを歴任した政治家・歴史家のタキトゥス(55年頃~120年頃)が著した「ゲルマニア」が有名ですが、他に「年代記」(アウグストゥスからネロの時代)も同様に有名です。
プルタルコス(46年頃~120年頃)の著「対比列伝」(英雄伝)は聖書、エウクレイデスの「幾何学原本」と並び、近代迄読み継がれた名著でナポレオンを初め多くの人々によって愛読されました。
ギリシアとローマの類似の生涯を送った政治家・将軍などの伝記を対比させ、50人の伝記をまとめたものです。
地理学者としては古代ローマのギリシア人であるストラボン(紀元前64年頃~紀元後21年頃)が知られています。
彼は当時のローマ帝国全土の地理・歴史をまとめた「地理誌」を著しています。
自然科学の分野では、天文学・地理学者のプトレマイオス(2世紀)が天動説(地球中心説)を体系化しました。
彼の天動説は16世紀にコペルニスクの地動説が現れる迄、実に1000年以上にわたって人々に信じられ、又彼の作成した世界地図は15世紀まで大きな影響を及ぼしました。
プリニウス(23年~79年)は自然全般にわたる百科全書である「博物誌」(項目数2万と云われています)を著し、自然科学を集大成したのです。
最後にカエサルは、紀元前46年にエジプトの太陽暦を修正したユリウス暦を制定し、この暦法を改良したものが、今日世界的に採用されているグレゴリウス暦(1582年に教皇グレゴリウス13世が制定)なのです。
ローマ・終わり・・・

元老院でカティリナを弾劾するキケロ Cesare Maccari (1840-1919)
◎ローマ時代の学問分野
ローマ人は、ギリシア人のような独創的な文化を創り出すことができず、ギリシア文化・ヘレニズム文化の模倣に終わりましたが、古代文化を集大成し、後世に伝えた点では功績を残しました。
文学、哲学、歴史学などの分野はギリシア・ヘレニズム文化の影響を強く受け、これらの分野では、哲学者のエピクテトス、歴史学のポリビオス、プルタルコス、地理学のストラボン、更に天文学のプトレマイオス等多くのギリシア人が活躍しています。
文学の分野はギリシア文化の模倣という面が強く、ラテン文学はアウグストゥスの時代に黄金時代を迎え、ヴェルギリウス(紀元前70年~紀元前19年 )は古代ローマ最大の詩人で、ローマの建国伝説を謳った叙事詩「アエネイス」は彼の最高傑作です。
ホラティウス(紀元前65年~紀元前8年)は多くの叙情詩を残していますが、「征服されたギリシア人は、猛きローマを征服した」という有名な言葉も残しています。
オヴィディウス(紀元前43年~紀元後17年頃)には「転身譜」「恋愛歌」等の代表作が在ります。
キケロ(紀元前106年~紀元前43年)は政治家・雄弁家・散文家として知られ、第1回三頭政治に反対して追放され、のち帰国してポンペイウスを支持してカエサルに疎まれて引退し、彼の死後政界に復帰し、第2回三頭政治では反アントニウスの立場をとって彼の部下に暗殺されました。
彼はギリシア思想のローマへの移入・普及に大きく貢献し、その文体はラテン散文の模範として19世紀迄ヨーロッパ文学に大きな影響を与えたのです。
哲学の分野では、ヘレニズムの哲学を継承し、ストア派の哲学が上流社会の実践倫理として流行しました。
若きネロの家庭教師で「幸福論」を著したセネカ(紀元前4年頃~紀元後65年)、ギリシア人の解放奴隷で「語録」を著したエピクテトス(55年頃~135年頃)、そして哲人皇帝として有名なマルクス=アウレリウス=アントニヌス等が輩出され、彼は代表作の「自省録」を陣中で執筆したと云われています。
歴史学もギリシアの歴史学を継承発展させ、古代ローマのギリシア人の歴史家ポリビオス(紀元前203年頃~紀元前120年頃)は、ローマの国家体制の熱烈な支持者で政体循環史観に立つ「歴史」(ローマ史)を著し、ローマの発展をギリシア史との比較しながら記述しました。
アウグストゥスの恩顧を受けたリヴィウス(紀元前59年~紀元後17年)は40年を費やして大著「ローマ建国史」(ローマ史)を著し、アウグストゥスの時代を賛美したのです。
有名なカエサルは歴史家としても名を残し、「ガリア戦記」は当時のガリア(現フランス)の事情やゲルマン社会を知るための貴重な資料となりました。
原始ゲルマンについての最重要の史料はコンスルなどを歴任した政治家・歴史家のタキトゥス(55年頃~120年頃)が著した「ゲルマニア」が有名ですが、他に「年代記」(アウグストゥスからネロの時代)も同様に有名です。
プルタルコス(46年頃~120年頃)の著「対比列伝」(英雄伝)は聖書、エウクレイデスの「幾何学原本」と並び、近代迄読み継がれた名著でナポレオンを初め多くの人々によって愛読されました。
ギリシアとローマの類似の生涯を送った政治家・将軍などの伝記を対比させ、50人の伝記をまとめたものです。
地理学者としては古代ローマのギリシア人であるストラボン(紀元前64年頃~紀元後21年頃)が知られています。
彼は当時のローマ帝国全土の地理・歴史をまとめた「地理誌」を著しています。
自然科学の分野では、天文学・地理学者のプトレマイオス(2世紀)が天動説(地球中心説)を体系化しました。
彼の天動説は16世紀にコペルニスクの地動説が現れる迄、実に1000年以上にわたって人々に信じられ、又彼の作成した世界地図は15世紀まで大きな影響を及ぼしました。
プリニウス(23年~79年)は自然全般にわたる百科全書である「博物誌」(項目数2万と云われています)を著し、自然科学を集大成したのです。
最後にカエサルは、紀元前46年にエジプトの太陽暦を修正したユリウス暦を制定し、この暦法を改良したものが、今日世界的に採用されているグレゴリウス暦(1582年に教皇グレゴリウス13世が制定)なのです。
ローマ・終わり・・・
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