歴史を歩く167
7帝国主義の成立と列強の国情⑦
7ラテン・アメリカ諸国

ラテン・アメリカ諸国の独立
ラテン・アメリカ諸国の殆どは1810年代から20年代に独立を果たしたものの、多くの国では独立後も政情が不安定で、政変も多く、国際紛争にも悩まされ続けました。
又経済的には殆どが農業国であり、しかも封建的な大土地所有制が残った結果、貧富の差は非常に大きなものでした。

1885年当時のメキシコシティーストリートマーケット
独立後のラテン・アメリカ諸国には早くからイギリス・アメリカが経済的に進出し、特にイギリスは南アメリカの貿易・銀行・鉄道・鉱山を独占的に支配し、南アメリカをイギリスの商品市場・原料供給地としました。

シモン・ボリバル (Simón Bolívar、1783年7月24日 - 1830年12月17日)
ラテン・アメリカ諸国は、シモン・ボリバルの提唱で1826年に初めて中南米会議を開催しました。この中南米会議はラテン・アメリカ諸国の団結と共同防衛を目ざし、以後十数回開かれました。
アメリカはこの会議を利用しようとし、1889年にアメリカの主導で第1回パン・アメリカ(汎米)会議をワシントンで開催した結果、以後アメリカの影響力が強まって行きます。

米西戦争・スペイン人からキューバ人民を守るアメリカ(寓意画)
アメリカはキューバの独立運動に介入して米西戦争(1898年)を引き起こし、キューバを事実上の保護国としました(1901年)。
又1902年にはイギリス・ドイツのベネズエラ干渉を調停し、更に1903年にはパナマをコロンビアから独立させ、翌年にはパナマ運河の工事に着工し、1914年に完成させて運河地帯を支配下に置く等カリブ海政策を推進していきました。

ニート・パブロ・フアレス・ガルシア(Benito Pablo Juárez García, 1806年3月21日 - 1872年7月18日)
メキシコでは、インディオ出身の自由主義者ファレス(1806年~72年、在任1858年~72年)が自由主義革命(1855年)に参加し、法相として自由主義的な諸改革を行い、1858年に大統領に就任しました(正式就任は1861年)。
ファレスはナポレオン3世のメキシコ出兵(1861年~67年)に激しく抵抗し、アメリカの援助でこれを退けて再建に努めます。

ホセ・デ・ラ・クルス・ポルフィリオ・ディアス・モリ(José de la Cruz Porfirio Díaz Mori、1830年9月15日 - 1915年7月2日)
ディアス(1830年~1915年、在任1877年~80年、1884年~1911年)は、対フランス戦争では革命派として活躍しますが、その後は反動化し、ファレスの死後、1876年にはクーデターによって大統領の地位を奪い、一時期を除いて、長期にわたって独裁的権力を奮いました。
ディアスは、ファレス時代に接収された土地を地主に返還し、地主の支持を得てアメリカ資本を導入してメキシコの近代化を図り、それに伴って経済は発展しましたが、大土地所有制が拡大され、貧富の差が益々増大していきました。

エミリアーノ・サパタ・サラサール(Emiliano Zapata Salazar、1879年8月8日 - 1919年4月10日)
其の為、自由主義者のマデロ(1873年~1913年)や農民指導者のサパタ(1879年頃~1919年)等が1910年に革命を起こし、ディアス追放に成功しました。

フランシスコ・イグナシオ・マデロ・ゴンサーレス(Francisco Ignacio Madero González、1873年10月30日 - 1913年2月22日)
マデロが大統領に就任して(在任1911年~13年)改革に着手しますが、土地改革を実行しなかった為に農民の支持が得られず、1913年には右派のクーデターによって失脚し、まもなく暗殺され、
その後、革命派の内部で抗争が続いたが、ブルジョワ派が農民派を抑え、1917年に憲法が制定されます。
この憲法は勤労者の権利を認め、教会や外国人による土地所有を禁止し、大統領に強大な権限を与えた民主的・民族的な憲法であり、これ等一連の流れがメキシコ革命(1910年~17年)です。
メキシコ革命は、ラテン・アメリカ最初の反帝国主義・民主主義革命で、他のラテン・アメリカ諸国に大きな影響を与えると共に、メキシコの近代化の出発点となったのです。
ジョークは如何?
テキサスのドライバーは世界一フレンドリーなんだ
なんでかって? みんな酔っ払ってるからさ
続く・・・
7ラテン・アメリカ諸国

ラテン・アメリカ諸国の独立
ラテン・アメリカ諸国の殆どは1810年代から20年代に独立を果たしたものの、多くの国では独立後も政情が不安定で、政変も多く、国際紛争にも悩まされ続けました。
又経済的には殆どが農業国であり、しかも封建的な大土地所有制が残った結果、貧富の差は非常に大きなものでした。

1885年当時のメキシコシティーストリートマーケット
独立後のラテン・アメリカ諸国には早くからイギリス・アメリカが経済的に進出し、特にイギリスは南アメリカの貿易・銀行・鉄道・鉱山を独占的に支配し、南アメリカをイギリスの商品市場・原料供給地としました。

シモン・ボリバル (Simón Bolívar、1783年7月24日 - 1830年12月17日)
ラテン・アメリカ諸国は、シモン・ボリバルの提唱で1826年に初めて中南米会議を開催しました。この中南米会議はラテン・アメリカ諸国の団結と共同防衛を目ざし、以後十数回開かれました。
アメリカはこの会議を利用しようとし、1889年にアメリカの主導で第1回パン・アメリカ(汎米)会議をワシントンで開催した結果、以後アメリカの影響力が強まって行きます。

米西戦争・スペイン人からキューバ人民を守るアメリカ(寓意画)
アメリカはキューバの独立運動に介入して米西戦争(1898年)を引き起こし、キューバを事実上の保護国としました(1901年)。
又1902年にはイギリス・ドイツのベネズエラ干渉を調停し、更に1903年にはパナマをコロンビアから独立させ、翌年にはパナマ運河の工事に着工し、1914年に完成させて運河地帯を支配下に置く等カリブ海政策を推進していきました。

ニート・パブロ・フアレス・ガルシア(Benito Pablo Juárez García, 1806年3月21日 - 1872年7月18日)
メキシコでは、インディオ出身の自由主義者ファレス(1806年~72年、在任1858年~72年)が自由主義革命(1855年)に参加し、法相として自由主義的な諸改革を行い、1858年に大統領に就任しました(正式就任は1861年)。
ファレスはナポレオン3世のメキシコ出兵(1861年~67年)に激しく抵抗し、アメリカの援助でこれを退けて再建に努めます。

ホセ・デ・ラ・クルス・ポルフィリオ・ディアス・モリ(José de la Cruz Porfirio Díaz Mori、1830年9月15日 - 1915年7月2日)
ディアス(1830年~1915年、在任1877年~80年、1884年~1911年)は、対フランス戦争では革命派として活躍しますが、その後は反動化し、ファレスの死後、1876年にはクーデターによって大統領の地位を奪い、一時期を除いて、長期にわたって独裁的権力を奮いました。
ディアスは、ファレス時代に接収された土地を地主に返還し、地主の支持を得てアメリカ資本を導入してメキシコの近代化を図り、それに伴って経済は発展しましたが、大土地所有制が拡大され、貧富の差が益々増大していきました。

エミリアーノ・サパタ・サラサール(Emiliano Zapata Salazar、1879年8月8日 - 1919年4月10日)
其の為、自由主義者のマデロ(1873年~1913年)や農民指導者のサパタ(1879年頃~1919年)等が1910年に革命を起こし、ディアス追放に成功しました。

フランシスコ・イグナシオ・マデロ・ゴンサーレス(Francisco Ignacio Madero González、1873年10月30日 - 1913年2月22日)
マデロが大統領に就任して(在任1911年~13年)改革に着手しますが、土地改革を実行しなかった為に農民の支持が得られず、1913年には右派のクーデターによって失脚し、まもなく暗殺され、
その後、革命派の内部で抗争が続いたが、ブルジョワ派が農民派を抑え、1917年に憲法が制定されます。
この憲法は勤労者の権利を認め、教会や外国人による土地所有を禁止し、大統領に強大な権限を与えた民主的・民族的な憲法であり、これ等一連の流れがメキシコ革命(1910年~17年)です。
メキシコ革命は、ラテン・アメリカ最初の反帝国主義・民主主義革命で、他のラテン・アメリカ諸国に大きな影響を与えると共に、メキシコの近代化の出発点となったのです。
ジョークは如何?
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なんでかって? みんな酔っ払ってるからさ
続く・・・
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