歴史を歩く189
41ヴェルサイユ体制下の欧米④
4戦後のイギリス

第一世界大戦時、イギリスで男性職場に進出した女性
左上:応急看護部隊・右上:ウーマンズ・ランド・アーミー(女性農場労働団体)
左下:イギリス陸軍航空隊伝令・右下:ボイラー石炭補充員
第一次世界大戦後のイギリスは戦勝国ですが、戦争による損害も大きく、戦前の国際的に優越した地位を失っていました。イギリスは戦争を通じてアメリカの債務国となり、戦後のヨーロッパの購買力の減少やアメリカや日本の進出等によって輸出が大幅に減少し、もはや戦前の様な経済的地位を維持する事は不可能でした。

デイヴィッド・ロイド・ジョージ( David Lloyd George,1863年1月17日 - 1945年3月26日)
挙国一致内閣(1916年~22年)を率いて戦争遂行に尽力したロイド・ジョージは、1918年末の総選挙でも勝利し、パリ講和会議では大きな役割を果たしますが、この間、1918年には第4回選挙法改正を行い、21歳以上の男子と30歳以上の夫人に選挙権を拡大した結果、1918年末の総選挙はイギリスで最初の普通選挙による選挙と成りました。

サフラジェットの闘い:イギリスの女性参政権獲得
第一次世界大戦後のイギリスで注目される出来事は、労働党の躍進・労働党内閣の成立です。
1922年、保守党が連立から離脱したため、ロイド・ジョージ内閣は総辞職し、11月に総選挙が行われ、1920年の恐慌による失業者の増大・自由党の内部分裂という状況の基で行われたこの選挙で、労働党は142議席を獲得して保守党に次ぐ第2党に躍進し、翌1923年12月に行われた総選挙では保守党は過半数の議席を確保できず、保守党258議席・労働党191議席・自由党159議席の配分となり、
1924年1月、自由党と連立した労働党が初めて政権に就き、マクドナルドを首相とする労働党内閣が成立しました。

ジェームズ・ラムゼイ・マクドナルド(James Ramsay MacDonald、1866年10月12日 - 1937年11月9日)
マクドナルド(1866年~1937年)は農家に生まれ、小学校卒業後は代用教員をしながら学び、18歳でロンドンに出てジャーナリスト等を経て独立労働党に入党しました(1894年)。労働代表委員会が成立すると書記となり、労働代表委員会が労働党と改称した年に下院に当選 (1906年)、後に党首となります(1911年)。第一次世界大戦では非戦論を唱えて売国奴と非難され、1918年の選挙では落選しましたが、1922年には当選して再び党首に選ばれ、1924年に自由党の支持を得て最初の労働党内閣を組織します。

1924年10月、撤退のため、ドルトムント市内を行進するフランス軍
マクドナルドは外相を兼ねてソ連の承認・ドーズ案の成立やフランスのルール撤兵等国際協調に寄与しましたが、マクドナルド内閣は僅か10ヶ月の短命に終わり、1924年末に第2次ボールドウィン保守党内閣(1924年~29年)が成立し、この保守党内閣の時、1926年に開かれたイギリス帝国会議で「イギリスと自治領は、相互に平等であり、内治外交いずれの面でも互いに従属することなく、しかも王に対する共通の忠誠によって結ばれ、イギリス連邦の一員として自由に連合している。」と云う宣言が行われ、従来のイギリス帝国に代わってイギリス連邦が事実上成立しました。

株式暴落を告げる新聞紙面
又1928年には第5回選挙法改正が行われ、21歳以上の総ての男女に選挙権が与えられ、1832年の第1回選挙法改正以来約100年か経て終に普通選挙が完成しました。翌1929年5月に行われた総選挙では労働党が初めて第1党となり、第2次マクドナルド労働党内閣(1929年~31年)が成立しましたが、やがてイギリスも世界恐慌に巻き込まれる事になります。

イースター蜂起(アイルランドの誕生)
第一次世界大戦直前の1914年6月に長年に渡って審議されて来た、アイルランド自治法案が成立しましたが、第一次世界大戦の勃発によって実施が延期されます。しかし、イギリスからの独立を求めて結成されたシン・フェイン党(1905年結成)は即時独立を主張し、イギリスが対ドイツ戦に没頭していた1916年4月のイースター(復活祭)にタブリンで蜂起し、共和国樹立を宣言しますが鎮圧されます(イースター蜂起)。

イースター蜂起の中心となった中央郵便局
イースター蜂起に参加して以来勢力を拡大したシン・フェイン党は、1918年の総選挙で大勝し、翌年アイルランド議会を組織してデ・ヴァレラ(1882年~1975年、アメリカ生まれのアイルランド人)を大統領に選出してアイルランド共和国の成立を宣言しました(1919年)。この状況を目の当たりにしたロイド・ジョージ内閣は譲歩し、1922年に北部のアルスター地方を分離し、自治領としてアイルランド自由国(1922年~37年)を成立させます。しかし、デ・ヴァレラ等急進派は此れを承認せずに更に抗争を継続し、1932年に首相となったデ・ヴァレラは、イギリス国王に対する忠誠を拒んで完全独立の方策を進め、1937年に共和国を宣言して国号をエールと称し、イギリスはこれを黙認した結果、アイルランドは終に完全な独立国と成りました。
名言集
Human love is the root of all morals.
It is charity, humanism and social moral heart.
人間愛はすべてのモラルの根源である。
それは仁慈であり、ヒューマニズムであり、社会的道義心である。
David Lloyd George,
続く・・・
4戦後のイギリス

第一世界大戦時、イギリスで男性職場に進出した女性
左上:応急看護部隊・右上:ウーマンズ・ランド・アーミー(女性農場労働団体)
左下:イギリス陸軍航空隊伝令・右下:ボイラー石炭補充員
第一次世界大戦後のイギリスは戦勝国ですが、戦争による損害も大きく、戦前の国際的に優越した地位を失っていました。イギリスは戦争を通じてアメリカの債務国となり、戦後のヨーロッパの購買力の減少やアメリカや日本の進出等によって輸出が大幅に減少し、もはや戦前の様な経済的地位を維持する事は不可能でした。

デイヴィッド・ロイド・ジョージ( David Lloyd George,1863年1月17日 - 1945年3月26日)
挙国一致内閣(1916年~22年)を率いて戦争遂行に尽力したロイド・ジョージは、1918年末の総選挙でも勝利し、パリ講和会議では大きな役割を果たしますが、この間、1918年には第4回選挙法改正を行い、21歳以上の男子と30歳以上の夫人に選挙権を拡大した結果、1918年末の総選挙はイギリスで最初の普通選挙による選挙と成りました。

サフラジェットの闘い:イギリスの女性参政権獲得
第一次世界大戦後のイギリスで注目される出来事は、労働党の躍進・労働党内閣の成立です。
1922年、保守党が連立から離脱したため、ロイド・ジョージ内閣は総辞職し、11月に総選挙が行われ、1920年の恐慌による失業者の増大・自由党の内部分裂という状況の基で行われたこの選挙で、労働党は142議席を獲得して保守党に次ぐ第2党に躍進し、翌1923年12月に行われた総選挙では保守党は過半数の議席を確保できず、保守党258議席・労働党191議席・自由党159議席の配分となり、
1924年1月、自由党と連立した労働党が初めて政権に就き、マクドナルドを首相とする労働党内閣が成立しました。

ジェームズ・ラムゼイ・マクドナルド(James Ramsay MacDonald、1866年10月12日 - 1937年11月9日)
マクドナルド(1866年~1937年)は農家に生まれ、小学校卒業後は代用教員をしながら学び、18歳でロンドンに出てジャーナリスト等を経て独立労働党に入党しました(1894年)。労働代表委員会が成立すると書記となり、労働代表委員会が労働党と改称した年に下院に当選 (1906年)、後に党首となります(1911年)。第一次世界大戦では非戦論を唱えて売国奴と非難され、1918年の選挙では落選しましたが、1922年には当選して再び党首に選ばれ、1924年に自由党の支持を得て最初の労働党内閣を組織します。

1924年10月、撤退のため、ドルトムント市内を行進するフランス軍
マクドナルドは外相を兼ねてソ連の承認・ドーズ案の成立やフランスのルール撤兵等国際協調に寄与しましたが、マクドナルド内閣は僅か10ヶ月の短命に終わり、1924年末に第2次ボールドウィン保守党内閣(1924年~29年)が成立し、この保守党内閣の時、1926年に開かれたイギリス帝国会議で「イギリスと自治領は、相互に平等であり、内治外交いずれの面でも互いに従属することなく、しかも王に対する共通の忠誠によって結ばれ、イギリス連邦の一員として自由に連合している。」と云う宣言が行われ、従来のイギリス帝国に代わってイギリス連邦が事実上成立しました。

株式暴落を告げる新聞紙面
又1928年には第5回選挙法改正が行われ、21歳以上の総ての男女に選挙権が与えられ、1832年の第1回選挙法改正以来約100年か経て終に普通選挙が完成しました。翌1929年5月に行われた総選挙では労働党が初めて第1党となり、第2次マクドナルド労働党内閣(1929年~31年)が成立しましたが、やがてイギリスも世界恐慌に巻き込まれる事になります。

イースター蜂起(アイルランドの誕生)
第一次世界大戦直前の1914年6月に長年に渡って審議されて来た、アイルランド自治法案が成立しましたが、第一次世界大戦の勃発によって実施が延期されます。しかし、イギリスからの独立を求めて結成されたシン・フェイン党(1905年結成)は即時独立を主張し、イギリスが対ドイツ戦に没頭していた1916年4月のイースター(復活祭)にタブリンで蜂起し、共和国樹立を宣言しますが鎮圧されます(イースター蜂起)。

イースター蜂起の中心となった中央郵便局
イースター蜂起に参加して以来勢力を拡大したシン・フェイン党は、1918年の総選挙で大勝し、翌年アイルランド議会を組織してデ・ヴァレラ(1882年~1975年、アメリカ生まれのアイルランド人)を大統領に選出してアイルランド共和国の成立を宣言しました(1919年)。この状況を目の当たりにしたロイド・ジョージ内閣は譲歩し、1922年に北部のアルスター地方を分離し、自治領としてアイルランド自由国(1922年~37年)を成立させます。しかし、デ・ヴァレラ等急進派は此れを承認せずに更に抗争を継続し、1932年に首相となったデ・ヴァレラは、イギリス国王に対する忠誠を拒んで完全独立の方策を進め、1937年に共和国を宣言して国号をエールと称し、イギリスはこれを黙認した結果、アイルランドは終に完全な独立国と成りました。
名言集
Human love is the root of all morals.
It is charity, humanism and social moral heart.
人間愛はすべてのモラルの根源である。
それは仁慈であり、ヒューマニズムであり、社会的道義心である。
David Lloyd George,
続く・・・
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