42アジアの情勢⑤
4国共の合作と分離(その2)
蒋介石 孫文の死後、国民党内で指導権を握った人物が蒋介石です。
蒋介石(1887年~1975年)は、浙江省出身、保定軍官学校を卒業後、日本の陸軍士官学校に留学し(1908年~10年)、辛亥革命に呼応して帰国、一時上海で株の仲買人となった後、広東軍政府に参加し(1922年)、孫文の信任を得てソ連に留学、帰国後黄埔軍官学校の初代校長に就任します(1924年)。国民党内で左右の対立が深まる中、中山艦事件(1926年3月)を起こして共産党員を逮捕・追放し党・軍の両権を掌握しました。
北伐を指揮する蒋介石 1926年7月、国民革命軍総司令に就任した蒋介石は北方の軍閥勢力を打倒し、中国を統一する為に北伐(1926年7月~28年12月)を開始、国民革命軍は広州から二方面に分かれ、主力は湖南・湖北を目指し、他の一軍は福建・浙江を目指しました。
国民革命軍は民衆の支持を得て破竹の勢いで進撃し、僅か3ヶ月で武漢に達し、翌年3月には南京・上海を占領します。
武漢国民政府後 しかし、北伐が進展するにつれ、国民党内での左右の対立が深まり、国民党左派と共産党は1927年2月に武漢国民政府(武漢政府)を樹立し、武漢政府は、上海クーデター後に蒋介石が樹立した南京国民政府(南京政府)と対立しますが、更に内部対立によって7月には分裂、共産党が政府から退き、9月には国民党左派が南京政府に合流しました。
上海クーデター 1927年4月12日、蒋介石は上海で反共クーデター(上海クーデター)を強行し、多数の共産党員と労働者の虐殺・逮捕を行い、15日迄の4日間に共産党員・革命的労働者300人以上が虐殺され、500人以上が逮捕され、5000人以上が逃亡または行方不明に成ったと云われています。
上海クーデターは、共産党の指導する労働者等によって上海が解放されたこと(1927年3月)に驚いた帝国主義列強と浙江財閥(上海を中心に中国経済界を支配した銀行を中心とする財閥)の求めに応じて蒋介石が起こした事件であり、これによって上海・南京地区の共産党組織は壊滅し、第1次国共合作は事実上崩壊しました。
南京国民政府 蒋介石は上海クーデター後、武漢政府に対抗して南京国民政府を樹立して(1927年4月18日)その主席となり、翌1928年4月には北伐を再開、北伐軍が山東省に入ると、日本は居留民の保護を口実に第2次山東出兵を行い、5月には北伐軍と日本軍との間に衝突が発生(済南事件)、蒋介石は日本との正面衝突を避ける為、済南を迂回して北伐を続行し、北伐軍はやがて北京に迫ります。
張作霖 当時、北京政府の実権を握っていた奉天軍閥の張作霖(1875年~1928年)は北伐軍に圧倒され、奉天への撤収を行いますが、1928年6月4日、張作霖の乗った列車が、奉天駅に到着する直前に日本軍(関東軍)によって爆破され、張作霖は爆殺(張作霖爆殺事件、奉天事件)されます。
もとに握った子の張学良(1901年~2001年)は日本の圧迫に屈せず、反日の姿勢を強めて蒋介石の統一を支持したので、国民党による中国統一は一応達成されました。
蒋介石は北伐完了後、国民政府主席に就任し(1928年8月、党・軍・政の三権を掌握。彼は浙江財閥と結び、アメリカやイギリスの支援を得て)政権の強化を図って行くことに成ります。
井崗山で人民に語る毛沢東 一方、国共分裂(1927年7月)後、共産党は華中・華南を中心に武装蜂起を試みたが失敗に終わり、こうした状況の中で毛沢東(1893年~1976年)は農村に革命の根拠地を構築する考えから、井崗山(江西省・湖南省境南部の山岳地帯)に退き、ここを紅軍(共産党軍)の根拠地とします(1927年10月)。
その後、毛沢東等は周辺の農村に勢力を拡大してソヴィエト区を構成し、更に紅軍の強化に努め、又ソヴィエト区では土地改革(総ての土地を地主から没収して農民に分配する)を進めた結果、1930年迄には15のソヴィエト区が生まれ、紅軍も約6万を数えるように成りました。
中華ソヴィエト共和国臨時中央政府大礼堂 1931年11月7日(ロシア革命記念日)、江西省の瑞金で中華ソヴィエト第1次全国代表者大会が開かれ、憲法・土地法・労働法等を採択し、毛沢東を主席とする中華ソヴィエト共和国(中華ソヴィエト共和国臨時政府)の樹立が宣言され、以後、毛沢東の共産党と蒋介石の国民党は中国の統一をめぐって激しく対立して行くことになります。
名言集
我們要求的和平是以正義公理為中心的和平,而不是通過給予強大的入侵者而獲得的和平。
我們還必須清楚地認識到入侵者和反侵略者之間沒有自由或共存的感覺,機會主義/常年主義等機會更加令人無法接受。
われわれが要求する平和は、正義公理の上に立つ平和であり、強権侵略者に対し屈服投降して得る平和ではない。
われわれは侵略者と反侵略者の間には、安易感や共存がなく、日和見・姑息主義など、なおさら存在が許されないことも明確に認識しなければならない。
蒋介石
続く・・・