さようなら、城野町
ジロくんの散歩道
粕屋郡古賀町(現古賀市)から北九州市に両親共々引っ越して約50年。
そんな私の50年間を見守ってくれた、小倉南区城野町を8月6日に後にしました。
歴代ジロくんと毎日歩いた、城野、春ケ丘、若園、重住を記憶に留めたいと思います。
転居当日の早朝撮影なので、少々写真が暗い事をお詫びします。

写真①
自宅前の光景、前方に見える山は足立山、緩やかな坂道が続きます。
この緩やか坂道は、雪が降ると自動車は勿論、人間でも歩くことが大変な道に成ります。
足立山は、母校の校歌にも「朝日射す足立の山に、若人の歌はこだまし」と歌われた山。
写真の道は、遥か昔、竹林の中の小さな道だったそうです。

写真②
通学、通勤の時、何時も見守ったくれた道祖神金剛様、子供時代は隠れんぼの場所、ジロくんの散歩の時は、毎日手を合わせた場所です。

写真③
歴代ジロくんが、戸外に出て最初の散歩に訪れた、上城野公園です。
この公園で、匂いを嗅ぎ、マーキングをし、自動車や飛行機等、音に慣れさせる事を中心に訓練しました。
小学生時代は、朝のラジオ体操の会場、昔は子供達がいっぱいで、陣取り合戦が繰り広げれましたが、今はそれも思い出です。
昔は、鉄棒、ブランコ、メリーゴーランド、ジャングルジムも在りました。

写真④
氏神様への道です。
昔から若宮様への参道として整備されていた道で、今でもその途中には、御影石の灯篭も残っていて、秋には、毎年お祭りが行われています。
写真の左側は、平成の中半迄は、船橋池と云う大きな池があり、季節になると蛍が沢山居て、淡い光を放っていました。
でも用心しないと、大きな蛇も結構いましたね。
氏神様に向かう道も当時は、現在の半分位で、普通車の離合がやっとの道幅でした。

写真⑤
氏神様の若宮神社の鳥居です。
今は、お社の前に公民館ができましたが、平成の始め頃迄は、もっと木が多く、鎮守の森に中にひっそりと社が在る風情でした。
太平洋戦争時代、周囲は全て田畑で、遥か遠くからでも若宮様の鎮守の森が見えたそうです。
昭和40年代初期でもその様な風情が残っていました。

写真⑥
今は公民館の後ろになってしましたが、若宮様の御神体を祀るお社です。
毎日、手を合わせる方が、多い氏神様です。

写真⑦
重住公園。
ジロくんの散歩コースでは、寒い時期の長距離コースの中間地点になります。
ここも、私の中学生時代は、子供達でいっぱいの公園でした。
午前中はゲートボール、午後はサッカーと世代交代しています。

写真⑧
重住公園敬老会の花壇に植えられた、パイナップルの花です。
撮影から3週間程経っていますので、実の部分が大きくなっている事でしょう。
この公園は、有志の皆さんが日頃から整備されているので、大変綺麗な公園です。

写真⑨
ジロくんの散歩コースでは一番遠い処で、このまま進むと小倉南区から小倉北区に変わります。
写真では、見難いですが前方の築堤は、JR日豊本線と日田彦山線の分岐部分に成ります。
後ろの山は足立山を含む企救山地です。
この付近で、雨等になると雨宿りできるのは、若宮神社に戻るしか手段が在りません。
特に梅雨や、夕立の多い頃は、歴代ジロくんと神社迄、ダッシュした事も何度かありました。
最近は、特に雨宿りできる様な建物は、全く在りません。

写真⑩
JR日豊本線城野駅を下り方下曽根側踏切より望む。
子供の頃、この場所には踏切警手さんが居て、手動で遮断機を操作していました。
その間近で、行き交う列車を眺めていました。
別府・大分行きの485系特急「にちりん」、475系急行「ゆのか」、宮崎行き急行「日南」、南宮崎行き20系に始まり24系25型フル編成の寝台特急「富士」等往年の優等列車が爆進した日豊本線。
鉄路を走る車両は変わりましたが、今も別府、大分方面を結ぶ動脈です。
国鉄時代、キハ66系気動車急行「日田」、遠く本州より直通のキハ58系急行「あきよし」等の優等列車は無くなりましたが、北九州と日田方面を結ぶ日田彦山線。
こちらは、のどかなローカル線になり、2両編成のキハ47系が頑張っています。

写真⑪
散歩途中で何時も出会った猫一家。
何時もジロくんを見ると、一目散にダッシュで物陰に隠れていましたが、最近はやっと慣れてくれた様です。
でも今日でお別れ。
みんな元気でね。

写真⑫
散歩道最後の道祖神様、庚申様です。
いつの間にか、道祖神様の前では手を合わせる事が習慣になりました。
庚申様は、修験の山英彦山にも祀られています。

写真⑬

写真⑭
散歩コースも終わりが近づきました。
紹介した散歩コースをゆっくり歩くと約45分の行程になります。
この2枚の写真は、昭和40年代の面影を今に残す場所です。
池は養魚池なので、鯉が沢山泳いでいます。
この池で、よくザリガニを捕まえてました。
今もカエルが沢山います。
ジロくんもカエルの大きな咆哮に驚く事が、多かった場所です。
この砂利道は、写真③の上城野公園に繋がっている道なので、小学生時代は鬼ごっこや隠れんぼで走り回った場所でした。
この付近は、道路が狭く、以前は走り回る子供達や自転車に用心していましたが、ここでも子供達の姿は、殆ど見かけません。

写真⑮
いよいよ、自宅に戻ってきました。
歴代ジロくんが歩いた道。
時代が平成に変わって約30年間、周囲は大きく変わりましたが、至る所に思い出が沢山在る、散歩道です。
この思い出を歴代ジロくんと共に大切にしたいと思います。

何時も散歩途中に、ご挨拶を交わした皆さん。
お世話になったご近所の皆さん。
それに、ジロくんのお友達のワンくん達。
これからも時々、伺いますので、忘れないでね。
平成30年8月26日 秋葉 奈津子&ジロ
粕屋郡古賀町(現古賀市)から北九州市に両親共々引っ越して約50年。
そんな私の50年間を見守ってくれた、小倉南区城野町を8月6日に後にしました。
歴代ジロくんと毎日歩いた、城野、春ケ丘、若園、重住を記憶に留めたいと思います。
転居当日の早朝撮影なので、少々写真が暗い事をお詫びします。

写真①
自宅前の光景、前方に見える山は足立山、緩やかな坂道が続きます。
この緩やか坂道は、雪が降ると自動車は勿論、人間でも歩くことが大変な道に成ります。
足立山は、母校の校歌にも「朝日射す足立の山に、若人の歌はこだまし」と歌われた山。
写真の道は、遥か昔、竹林の中の小さな道だったそうです。

写真②
通学、通勤の時、何時も見守ったくれた道祖神金剛様、子供時代は隠れんぼの場所、ジロくんの散歩の時は、毎日手を合わせた場所です。

写真③
歴代ジロくんが、戸外に出て最初の散歩に訪れた、上城野公園です。
この公園で、匂いを嗅ぎ、マーキングをし、自動車や飛行機等、音に慣れさせる事を中心に訓練しました。
小学生時代は、朝のラジオ体操の会場、昔は子供達がいっぱいで、陣取り合戦が繰り広げれましたが、今はそれも思い出です。
昔は、鉄棒、ブランコ、メリーゴーランド、ジャングルジムも在りました。

写真④
氏神様への道です。
昔から若宮様への参道として整備されていた道で、今でもその途中には、御影石の灯篭も残っていて、秋には、毎年お祭りが行われています。
写真の左側は、平成の中半迄は、船橋池と云う大きな池があり、季節になると蛍が沢山居て、淡い光を放っていました。
でも用心しないと、大きな蛇も結構いましたね。
氏神様に向かう道も当時は、現在の半分位で、普通車の離合がやっとの道幅でした。

写真⑤
氏神様の若宮神社の鳥居です。
今は、お社の前に公民館ができましたが、平成の始め頃迄は、もっと木が多く、鎮守の森に中にひっそりと社が在る風情でした。
太平洋戦争時代、周囲は全て田畑で、遥か遠くからでも若宮様の鎮守の森が見えたそうです。
昭和40年代初期でもその様な風情が残っていました。

写真⑥
今は公民館の後ろになってしましたが、若宮様の御神体を祀るお社です。
毎日、手を合わせる方が、多い氏神様です。

写真⑦
重住公園。
ジロくんの散歩コースでは、寒い時期の長距離コースの中間地点になります。
ここも、私の中学生時代は、子供達でいっぱいの公園でした。
午前中はゲートボール、午後はサッカーと世代交代しています。

写真⑧
重住公園敬老会の花壇に植えられた、パイナップルの花です。
撮影から3週間程経っていますので、実の部分が大きくなっている事でしょう。
この公園は、有志の皆さんが日頃から整備されているので、大変綺麗な公園です。

写真⑨
ジロくんの散歩コースでは一番遠い処で、このまま進むと小倉南区から小倉北区に変わります。
写真では、見難いですが前方の築堤は、JR日豊本線と日田彦山線の分岐部分に成ります。
後ろの山は足立山を含む企救山地です。
この付近で、雨等になると雨宿りできるのは、若宮神社に戻るしか手段が在りません。
特に梅雨や、夕立の多い頃は、歴代ジロくんと神社迄、ダッシュした事も何度かありました。
最近は、特に雨宿りできる様な建物は、全く在りません。

写真⑩
JR日豊本線城野駅を下り方下曽根側踏切より望む。
子供の頃、この場所には踏切警手さんが居て、手動で遮断機を操作していました。
その間近で、行き交う列車を眺めていました。
別府・大分行きの485系特急「にちりん」、475系急行「ゆのか」、宮崎行き急行「日南」、南宮崎行き20系に始まり24系25型フル編成の寝台特急「富士」等往年の優等列車が爆進した日豊本線。
鉄路を走る車両は変わりましたが、今も別府、大分方面を結ぶ動脈です。
国鉄時代、キハ66系気動車急行「日田」、遠く本州より直通のキハ58系急行「あきよし」等の優等列車は無くなりましたが、北九州と日田方面を結ぶ日田彦山線。
こちらは、のどかなローカル線になり、2両編成のキハ47系が頑張っています。

写真⑪
散歩途中で何時も出会った猫一家。
何時もジロくんを見ると、一目散にダッシュで物陰に隠れていましたが、最近はやっと慣れてくれた様です。
でも今日でお別れ。
みんな元気でね。

写真⑫
散歩道最後の道祖神様、庚申様です。
いつの間にか、道祖神様の前では手を合わせる事が習慣になりました。
庚申様は、修験の山英彦山にも祀られています。

写真⑬

写真⑭
散歩コースも終わりが近づきました。
紹介した散歩コースをゆっくり歩くと約45分の行程になります。
この2枚の写真は、昭和40年代の面影を今に残す場所です。
池は養魚池なので、鯉が沢山泳いでいます。
この池で、よくザリガニを捕まえてました。
今もカエルが沢山います。
ジロくんもカエルの大きな咆哮に驚く事が、多かった場所です。
この砂利道は、写真③の上城野公園に繋がっている道なので、小学生時代は鬼ごっこや隠れんぼで走り回った場所でした。
この付近は、道路が狭く、以前は走り回る子供達や自転車に用心していましたが、ここでも子供達の姿は、殆ど見かけません。

写真⑮
いよいよ、自宅に戻ってきました。
歴代ジロくんが歩いた道。
時代が平成に変わって約30年間、周囲は大きく変わりましたが、至る所に思い出が沢山在る、散歩道です。
この思い出を歴代ジロくんと共に大切にしたいと思います。

何時も散歩途中に、ご挨拶を交わした皆さん。
お世話になったご近所の皆さん。
それに、ジロくんのお友達のワンくん達。
これからも時々、伺いますので、忘れないでね。
平成30年8月26日 秋葉 奈津子&ジロ
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