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2011/07/05

人類の軌跡その141:ミステリー23 この厳粛な茶番劇はいつ終わるのか

<シェークスピアを創作した男>

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             ウィリアム・シェークスピア

 ドルリー・レーン劇場は、超満員の観客の熱気が渦巻いていました。
1796年4月2日、この夜、新しく発見されたシェークスピアの戯曲「ボーティガンとロウィーナ」が初演を迎えたのでした。
ブリトン族の王ボーディガンとサクソン族族長の娘ロウィーナの恋物語で、ボーディガンには当代の人気役者ジョン・ケンブルが扮していました。

 しかし、この新たに発見されたシェークスピアの戯曲は、当時17歳の少年による偽作でした。
その少年、ウィリアム・ヘンリー・アイアランドはロンドンに住む書籍装丁師の息子で、10歳の頃、ウィリアム・シェークスピアの生地、ウトラトフォード・エイボンを訪問し、深い感銘を受けて偽作の真似事を始めたのでした。

 エリザベス朝時代の書物から、何も書かれていないページを抜き取り、人工的に古びさせたインクを使用して、彼はまず、シェークスピアの署名のある賃借契約書を作りました。
其れを父に渡し、知り合いの金持ちの男性が、少年の古文書に対する関心を知って、家伝の書類をくれたのだと説明し、父は狂喜しました。

◎専門家の太鼓判

 アイアランドはこの成功に味をしめ、1795年にエリザベス朝の書体を使って、「リア王」と「ハムレット」の手稿の一部を作り出し、学者も評論家も一様に、手稿が真筆に間違い無いと証言し、サミュエル・ジョンソン(18世紀のイギリス詩人)の伝記を書いたジェームズ・ボスウェルは、手稿の前に跪いて叫びました。
「我らが大詩人の尊き形見に、今口付けん。神よ感謝す、わが命を永らえさせ、この宝物にまみえ給いし、恩寵を!」

 少年が全く新しい戯曲を「創作」しようと思い立ったのは、自然の成り行きでした。
しかし、適当な題材が見つかりませんでしたが、其の時「父の書斎の暖炉の上にかかっていた絵が、不意に私の注意を引いた。ロウィーナがボーディガンに酒をふるまっている構図だった」。

 アイアランドは、シェークスピア劇の形式や長さには、全くの素人だったので、適当に1篇を選び、その行数を数えました。
下敷きとした作品を彼は明かす事は、ありませんでしたが、気の毒な事にそれは特別長い作品で、2800行にも及ぶものでした。

続く・・・
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