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2011/07/15

人類の軌跡その149:ミステリー31 歴史の狭間③

<革命を呼んだネックレスその3>

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◎王妃の激怒

 ド・ロアン枢機卿が見たのは、王妃と同じ背丈と体つきのシルエットだけでしたが、彼が跪いて敬礼すると、彼女は1輪のバラをその手に渡し、身を翻して闇の中に消えました。
枢機卿は狂気しました。
王妃は彼を許したばかりか、明らかに彼を愛してさえいたのでした。
その為、彼女の為にネックレスを買い取って欲しいと云う手紙を受け取った時、彼は喜んで承諾しました。
当然、買い上げは秘密にしなければならず、只一人の仲介人は王妃の信頼する、親友ド・ラ・モット伯爵夫人以外に在りませんでした。

 枢機卿はネックレスを買い、ジャンヌに手渡しました。
ジャンヌの夫は其れを持って、直ぐにロンドンに渡り、その地でネックレスを分解して、宝石商に売り飛ばします。
伯爵は賢明にもイギリスに残りましたが、ジャンヌはパリに住み続け、夫が送って遣した金で、自分の情夫たちを持成したのでした。

 枢機卿が勇気を奮い起こして、何故ネックレスを身に着けられないのかと、王妃に尋ねる迄に6ヶ月の期間を要しました。
当然の事ながら、マリー・アントワネットは激怒します。
事件は議会の知る事と成り、ジャンヌは有罪と成って「ボルーズ(泥棒)」を意味するVの烙印を押され投獄されました。

 事件は落着したかに思われましたが、民衆の間に嵐を呼びます。
マリー・アントワネットは民衆の人望を失っており、枢機卿を彼女の愛人で、彼女はフランスの人民が飢えているにも関わらず、高価な贈り物を要求したと、大衆は容易に信じたのです。
暴動が勃発し、無実の生贄と見なされたジャンヌは、イギリスに逃れ、自分の無実を主張する手紙を新聞に公表しました。

◎二人の女性の死

 ネックレスの事件は、疑いなくフランス革命の導火線に成りました。
1793年、マリー・アントワネットは革命裁判に引き出された時、ジャンヌとの関係も尋問されました。
王妃は彼女に会った事は、一度も無いと抗弁しましたが、その声は怒号にかき消され、大衆の人望を失った王妃は、断頭台の露と消え、ジャンヌはその2年前、ロンドンで客死していました。
債権者から逃れる為に、エッジウェア・ロードの宿の窓から転落したのでした。

終わり・・・

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