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2011/08/01

人類の軌跡その161:末路③

<ロマノフ家最後の1年その3>

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                  皇帝一家

◎密  約

 住民のうち革命主義者28人が、皇帝一家殺害に加担した罪に問われ、5人が処刑されました。
しかし、決定的な証拠は何一つ発見されず、今日尚、ロマノフ家の末路の真相は疑惑に包まれたままなのです。
廃坑の坑道から発見されたのは、歯、眼鏡、衣類の断片だけで、後に眼鏡はボトキン博士の所持品と判明しまし、衣類は使用人のものと推定されました。
革命政府には、皇帝を生かしておかなければならない理由が在ったのです。
彼らは、ドイツと既に皇帝を無傷で亡命させる密約を結んでおり、前皇帝を釈放すれば、革命派の方針が西欧世界を始め多くの国の共感を呼ぶはずでした。

◎イギリス国王の不可解な態度

 地下室で銃殺されたのは、果たして誰なのでしょう?
この部分は、現在、ロシア政府の正式発表と言う形では、皇帝一家であるとされていますが、大きな疑問でもあるのです。
白軍が発見したのは、ボトキン博士と使用人のものだけだったと推察する、研究者も存在し皇帝一家の殺害を偽装し、秘密の亡命を知る人物を抹消する必要から、彼らが殺害されたとも解釈されるのです。

 アメリカとイギリスが革命政府と協定を結んだとの噂も、根強く伝えられ、余談に成りますが1919年に「皇帝救出作戦」と題する書物が出版されましたが、本文において、その著者が皇帝一家を革命政府から救い、亡命させたと述べました(?)。
当然ですが、この本の内容を本気で信じた、研究者や歴史家は皆無です。

 しかし、時代が下るに従って、皇帝一家が生き延びているのではないかと思われる、不思議な出来事が幾つか発生します。
ロンドンで皇帝の追悼式典が執り行われた時、時のイギリス国王 ジョージ5世は自らの出席も代理人の派遣も断りましたが、イギリス国王は、皇帝一家の生存を知っていたのではないか?との憶測を呼び、又アメリカ国務省は、現在尚、ロマノフ家のオープンファイルを保持しているとの事です。

 1961年、ポーランドの情報機関員、ミハウ・ゴレニエフスキーがアメリカに亡命しますが、自分は皇帝の長男アレクセイであると主張し、3年後、ニューヨークで行われた彼の結婚式に出席した2人の女性が、オリガとタチアーネの名前で署名しました。
ゴレニエフスキーはその後、長い間、ロシア皇帝継承権を主張し続けます。

 しかし、ゴレニエフスキーにも、血友病患者ではない自分が、なぜ最後のロシア皇帝の子息で在り得るのか、説明する事は出来ませんでした。
アレクセイは、周知の事実として、遺伝する血友病を患っていたからです。

 エカテリンブルグで起きた事件の証人は、すでに存在しておらず、ロマノフ家の秘密は、彼らと共に葬られたのでしょう。

終わり・・・
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