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2011/08/02

人類の軌跡その162:末路④

<ロマノフ家最後の1年番外編>

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◎番外編

 帝政ロシア最後の皇帝「ニコライ2世」の名誉回復が成されました。
ロシア連邦最高裁は、2008年10月1日、ニコライ2世とその家族の名誉を回復しました。

 一家は、ロシア革命初頭の1918年7月、エカテリンブルクでボリシェビキ(のちのソ連共産党)のメンバーにより、裁判も罪状もないままに軟禁されていた家で、医師、従者共々銃殺されたのです。
殺害されたのは、ニコライ2世、アレクサンドラ皇后、そして5人の子供達。
すなわち長女オリガ、次女タチアーナ、三女マリア、四女アナスタシア、皇太子アレクセイ。
末の皇女アナスタシアだけが生き延びとの噂もあり、「私は、アナスタシア・ニコライヴナ」と名乗る女性が出現した為、依然、特定する事は困難な様に思えますが・・・。

 さて皇帝ら5人は、処刑されたエカテリンブルク郊外で1991年に遺骨が発掘され、1998年、時のエリツィン大統領主導で、歴代の皇帝が眠るサンクトペテルブルクのペトロパブロフスク大聖堂に移され、埋葬されました。
更に、マリアとアレクセイとみられる遺骨もその後発掘され、此れまでに本人である事が、ほぼ確認されています。
皇帝一家は2000年にロシア正教会の聖人にも列せられ、「ロシア社会の和解の象徴」とされ、「事実上の名誉回復は終えている」と冷静に受け止める市民も多いのです。

 一家について、最高裁判所はロマノフ王家の子孫達の上告に対し、「根拠無しに迫害された」「政治弾圧の犠牲者」と判断し、名誉回復するとの裁定を下したのでした。

 ニコライは皇太子時代、1891年4月27日、ロシア海軍軍艦アゾフ号で長崎に来航し、各地を訪問した後、5月11日、琵琶湖遊覧から京都の宿舎に戻る為、滋賀県大津市内を通過中、警備の津田三蔵巡査による襲撃に遭い、怪我をしました(大津事件)。

 この事件の重大さに、時の松方正義首相は無論、明治天皇も急遽、京都の常磐ホテル(現京都ホテルオークラ)に滞在していた皇太子ニコライをお見舞いした程で、当時の国際情勢下で日露開戦となれば、日本が惨敗していた可能性が強いとされています。

終わり・・・
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