人類の軌跡その169:末路⑪
<ルードヴィッヒ二世 番外編>

◎ノイシュヴァンシュタイン城
中世の騎士に強い憧れを抱いた、孤高のバイエルン王ルードヴィッヒ二世の夢の凝縮した、絢爛豪華なおとぎの城。
ドイツ南部・バイエルン州の南方、森に囲まれたホーエンシュヴァンガウに建設され、緑豊かな自然の景観の中に溶け込んだ白亜の城のシルエットは、溜息が出るほどの美しさ。
バロック、ゴシック、ルネサンスなどあらゆる建築様式を取り入れられ、ディズニーランドのシンデレラ城のモデルにもなり、ロマンチック街道の終点フュッセンの近くにあり、ヨーロッパでも有数の観光地です。
ルードヴィッヒ二世は、即位から4年目の1868年に新しい城の築城を命じ、その新しい城の構想は、ホーエンシュヴァンガウ城で過ごした幼年期に傾倒を深めた、中世の騎士道の伝統に沿って、ルートヴィッヒの頭の中に生み出されたものでした。
其れにふさわしい場所としてルートヴィヒが選んだのは、生まれ育ったホーエンシュヴァンガウ城を目の前に臨む岩山の上でした。
ホーエンシュヴァンガウ城は、ルートヴィヒの父マクシミリアン2世によって、1830年代に再建したものでしたが、ルートヴィヒが新しく城の建築を考えたのは、まさに再建される前のホーエンシュヴァンガウ城があった場所でした。
その岩山に1869年9月、新たなルートヴィヒの城の建設が始められました。
初めに王宮建築主任のエドゥアルト・リ-デルに、城の建築が任されましたが、実際に城全体の設計を行うよう指名されたのは宮廷劇場の舞台装置・舞台美術を担当していた、ミュンヘンの画家クリスティアーン・ヤンクでした。
この城はメルヘン王ルートヴィヒの夢の実現の為に、作られたものなので、城全体が建築としてよりも一つの物語の舞台としてみなされ、徹底的に王の追い求めるメルヘンの世界を作り出すことが優先されました。
従って、本来王城の中心となる聖堂や礼拝堂、玉座を後回しにして、人工の洞窟を造るといった具合で、王自身が納得いくまで何回も変更を加えました。
そして、ノイシュヴァンシュタイン城は、元々、ルートヴィヒ2世が敬愛するリヒャルト・ワーグナーに捧げる殿堂として造られ、ワーグナーのオペラ「トリスタンとイゾルデ」「タンホイザー」「ローエングリン」などの世界が描き出されました。
続く・・・

◎ノイシュヴァンシュタイン城
中世の騎士に強い憧れを抱いた、孤高のバイエルン王ルードヴィッヒ二世の夢の凝縮した、絢爛豪華なおとぎの城。
ドイツ南部・バイエルン州の南方、森に囲まれたホーエンシュヴァンガウに建設され、緑豊かな自然の景観の中に溶け込んだ白亜の城のシルエットは、溜息が出るほどの美しさ。
バロック、ゴシック、ルネサンスなどあらゆる建築様式を取り入れられ、ディズニーランドのシンデレラ城のモデルにもなり、ロマンチック街道の終点フュッセンの近くにあり、ヨーロッパでも有数の観光地です。
ルードヴィッヒ二世は、即位から4年目の1868年に新しい城の築城を命じ、その新しい城の構想は、ホーエンシュヴァンガウ城で過ごした幼年期に傾倒を深めた、中世の騎士道の伝統に沿って、ルートヴィッヒの頭の中に生み出されたものでした。
其れにふさわしい場所としてルートヴィヒが選んだのは、生まれ育ったホーエンシュヴァンガウ城を目の前に臨む岩山の上でした。
ホーエンシュヴァンガウ城は、ルートヴィヒの父マクシミリアン2世によって、1830年代に再建したものでしたが、ルートヴィヒが新しく城の建築を考えたのは、まさに再建される前のホーエンシュヴァンガウ城があった場所でした。
その岩山に1869年9月、新たなルートヴィヒの城の建設が始められました。
初めに王宮建築主任のエドゥアルト・リ-デルに、城の建築が任されましたが、実際に城全体の設計を行うよう指名されたのは宮廷劇場の舞台装置・舞台美術を担当していた、ミュンヘンの画家クリスティアーン・ヤンクでした。
この城はメルヘン王ルートヴィヒの夢の実現の為に、作られたものなので、城全体が建築としてよりも一つの物語の舞台としてみなされ、徹底的に王の追い求めるメルヘンの世界を作り出すことが優先されました。
従って、本来王城の中心となる聖堂や礼拝堂、玉座を後回しにして、人工の洞窟を造るといった具合で、王自身が納得いくまで何回も変更を加えました。
そして、ノイシュヴァンシュタイン城は、元々、ルートヴィヒ2世が敬愛するリヒャルト・ワーグナーに捧げる殿堂として造られ、ワーグナーのオペラ「トリスタンとイゾルデ」「タンホイザー」「ローエングリン」などの世界が描き出されました。
続く・・・
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