人類の軌跡その170:末路⑫
<ルードヴィッヒ二世 番外編その2>

◎ノイシュヴァンシュタイン城その2
城の建築には何百人もの職人が従事していましたが、この時代には革新的な社会制度も存在していました。
建設従事者が病気や傷害で働けなくても賃金を保証する「職人協会」が存在し、王自身が多額の援助をしていました。
ルートヴィヒは多額の建築資金を王室費などの私財をつぎ込んで調達しましたが、それでは十分ではなく、多額の負債を国家が背負う事になります。
ノイシュヴァンシュタイン城の築城には、約620万マルクかかった事が記録されていますが、当時の物価等を考慮して算出すると現在の250億円程の金額に相当します。
建築熱にとりつかれたルートヴィッヒは、ノイシュヴァンシュタイン城の建築中に、リンダーホーフ城とヘレンキムゼー城の築城改築も始め、お金に頓着のない彼は、その必要とする莫大な費用に当てる為、次々に多額の負債を生じさせ、王国の財政、更には国民の生活さえ圧迫させる事に成ります。
ルードヴィッヒ二世も若い頃は、国政に対する意欲もありましたが、次第に政治的にも孤立し、心の拠り所だったワーグナーもこの世を去ると、極度の人間嫌いになって何より孤独を好むように成りました。
数人の侍従以外は人を寄せ付けず、空想の世界に閉じこもり、ホーエンシュヴァンガウ城から建設中のノイシュヴァンシュタイン城を見上げ、その完成を心待ちにしました。
1880年頃には城の主な部分の建設が終わりましたが、ようやく実際に住める状態になったのは1884年頃でした。そして、城はまだ工事中だったにもかかわらず、1884年5月から6月にかけて13日間、ルートヴィヒ2世が最初の滞在をしたとされています。
それから 2年後の1886年、ルードヴィッヒ二世は失意の中、退位を余儀なくされ、謎の死を遂げましたが、その間にこの城滞在したのは計172日だと云われており、そして、王の死後もノイシュヴァンシュタイン城の工事は続けられ、工事がすべて終了したのは1892年のことでした。
注目すべきは、城は工事中だったにもかかわらず、1886年8月にはすでに城は一般公開されたという事です。
王の死から数週間後の事で、入場料は当時の生活水準からするとかなり高価だったようですが、それでも公開後半年で1万8千人もの見学者が訪れました。
やはり、現実の世界とかけ離れたメルヘン王ルートヴィヒの夢の城は、当時の人々にとっても一度は訪問してみたい夢の世界なのでした。
続く・・・

◎ノイシュヴァンシュタイン城その2
城の建築には何百人もの職人が従事していましたが、この時代には革新的な社会制度も存在していました。
建設従事者が病気や傷害で働けなくても賃金を保証する「職人協会」が存在し、王自身が多額の援助をしていました。
ルートヴィヒは多額の建築資金を王室費などの私財をつぎ込んで調達しましたが、それでは十分ではなく、多額の負債を国家が背負う事になります。
ノイシュヴァンシュタイン城の築城には、約620万マルクかかった事が記録されていますが、当時の物価等を考慮して算出すると現在の250億円程の金額に相当します。
建築熱にとりつかれたルートヴィッヒは、ノイシュヴァンシュタイン城の建築中に、リンダーホーフ城とヘレンキムゼー城の築城改築も始め、お金に頓着のない彼は、その必要とする莫大な費用に当てる為、次々に多額の負債を生じさせ、王国の財政、更には国民の生活さえ圧迫させる事に成ります。
ルードヴィッヒ二世も若い頃は、国政に対する意欲もありましたが、次第に政治的にも孤立し、心の拠り所だったワーグナーもこの世を去ると、極度の人間嫌いになって何より孤独を好むように成りました。
数人の侍従以外は人を寄せ付けず、空想の世界に閉じこもり、ホーエンシュヴァンガウ城から建設中のノイシュヴァンシュタイン城を見上げ、その完成を心待ちにしました。
1880年頃には城の主な部分の建設が終わりましたが、ようやく実際に住める状態になったのは1884年頃でした。そして、城はまだ工事中だったにもかかわらず、1884年5月から6月にかけて13日間、ルートヴィヒ2世が最初の滞在をしたとされています。
それから 2年後の1886年、ルードヴィッヒ二世は失意の中、退位を余儀なくされ、謎の死を遂げましたが、その間にこの城滞在したのは計172日だと云われており、そして、王の死後もノイシュヴァンシュタイン城の工事は続けられ、工事がすべて終了したのは1892年のことでした。
注目すべきは、城は工事中だったにもかかわらず、1886年8月にはすでに城は一般公開されたという事です。
王の死から数週間後の事で、入場料は当時の生活水準からするとかなり高価だったようですが、それでも公開後半年で1万8千人もの見学者が訪れました。
やはり、現実の世界とかけ離れたメルヘン王ルートヴィヒの夢の城は、当時の人々にとっても一度は訪問してみたい夢の世界なのでした。
続く・・・
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