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2011/08/16

人類の軌跡その172:末路⑭

<ルードヴィッヒ二世 番外編その4>

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◎バイエルン王国の歴史

 現在ドイツ連邦共和国を構成している16州の中で、最大の面積をもつバイエルン州は、神聖ローマ帝国を構成するひとつの公国として1180年からヴィッテルスバッハ家という一族が治めてきました。
1806年から王国に昇格し、1918年迄バイエルン王国(Königreich Bayern/ケーニックライヒ バイエルン)と呼ばれていました。

 ヴィッテルスバッハ家(Wittelsbach)は、ドイツのバイエルン地方を発祥とするヨーロッパの有力な君主、諸侯の家系、バイエルンの君主の家系として有名ですが、その他にもプファルツ選帝侯(ライン宮中伯)、ブランデンブルク辺境伯(選帝侯)、スウェーデン王の家系として続いており、又神聖ローマ皇帝やボヘミア王、ハンガリー王、ギリシャ王も一族から輩出しています。

 1329年以降はバイエルン系とプファルツ系に分かれ、分割統治と成りますが、1777年バイエルン選帝侯マクシミリアン3世ヨーゼフが世継ぎを残さず崩御した為、バイエルン系は断絶してしまいます。
そこで遠戚でプファルツ選帝侯カール4世フィリップ・テオドールが、バイエルン選帝侯も継承することにより、再統合されました。(バイエルン選帝侯としてはカール・テオドール)

 しかし、カールも世継ぎがないまま1799年崩御したため、その遠戚にあたるマクシミリアンがバイエルン及びプファルツ両選帝侯を継承する事になりました。(バイエルン選帝侯としてはマクシミリアン4世ヨーゼフ)

 1800年のナポレオンの侵攻により神聖ローマ帝国が崩壊すると、選帝侯マクシミリアン4世ヨーゼフは、ナポレオンの承認を得て近隣の領土を併合した上で、ライン同盟に加盟、バイエルン王国を興し、1806年1月1日、自らマクシミリアン1世として即位しました。
バイエルン王国は、ライン同盟に加盟していた王侯国々の中でも最も重要な国で、ナポレオンとの同盟をライプツィヒの戦いの直前まで維持しましたが、オーストリア帝国に地位と領土が保証された事で反ナポレオン側に回り、1815年には一時手放していた旧ライン・プファルツ選帝侯国を回収・併合した後、ライン同盟を脱退し、ドイツ連邦に参加しました。

 1871年1月18日、プロイセンのホーエンツォレルン朝のドイツ帝国が成立する際にも、バイエルン王国は維持したまま、帝国の一領邦となりました。

 1918年、ドイツが第一次世界大戦で敗北すると、混乱の中で勃発したドイツ革命により、ドイツ帝国皇帝ヴィルヘルム2世はオランダ亡命し、ドイツ帝国は11月9日をもって崩壊しました。
バイエルン王国も混乱に陥り、11月13日、国王ルートヴィヒ3世が退位・亡命し、バイエルン王国も終焉を迎えます。
王権を手放し、共和制のドイツの一州となったバイエルンで、ヴィッテルスバッハの家系は現在も続いています。

終わり・・・

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