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2011/08/17

人類の軌跡その173;末路⑮

<アドルフ・ヒトラーの最後>第一次世界大戦終結から第二次世界大戦開戦直前のドイツ

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 今回は、アドルフ・ヒトラーの最後から遡り、第一次世界大戦の終結からポーランド侵攻に始まる、第二次世界大戦迄のドイツの国状を国家社会主義労働者党(ナチス)の台頭を交えながら、歴史を追って行きたいと思います。


 1945年4月、第二次世界大戦も終結に近づいていました。
4月27日には、ファシスト共和国首相 ベニト・ムッソリーニが逃亡先のコモ湖畔で、パルチザンに逮捕され、ミラノ市に連行、即日銃殺刑に処された後、その広場で、愛人のクララ・ぺタッチ他数人の側近と供に逆さまにつるされ、多くの人々から屈辱を受けました。
この姿は、映画フィルムに納められ、現在でも見ることができます。
 
 しかし、この同じ月の30日午後に自殺した、ドイツ第三帝国総統 アドルフ・ヒトラーの死に関しては、曖昧な点が数多く存在し、その死亡を疑う研究者は、現在でも存在します。

第二次世界大戦が終結した、1945年秋の段階でも、ヒトラーの戦死説、暗殺説、航空機、潜水艦による逃亡説が流布し、バルト海の孤島への逃亡、スペインの修道院、南アメリカの農場等、諸説紛々になる程、彼の最後の状況は、解かり難いものでした。

 1945年4月末、ドイツ第三帝国の首都 ベルリンは、ジューコフ将軍指揮下のソビエト軍に完全包囲され、陥落は時間の問題と思われましたが、残留ドイツ軍やヒトラーユーゲントの頑強な抵抗に遭遇し、ソビエト軍は市街地の建物を一つ一つ制圧するような形で、侵攻せざるを得ませんでした。
5月2日、ベルリンはソビエト軍によって制圧され、ライヒスタークに赤旗が翻り、ソビエトは正式にベルリン占領を発表、ここにドイツ第三帝国は崩壊し、ヨーロッパの戦いは終結します。

 ヒトラーの後継者、フィヨドール・デーニッツ元帥は、ヒトラーの戦死を発表したものの、この後死亡報道が二転三転し、ソビエト側の死亡疑問⇒死体発見・解剖と歯型鑑定⇒イギリス亡命説と混乱を呈します。

 イギリス軍情報部とアメリカ軍情報部は、協力体制を取り、ヒトラー死亡の真相を調査にあたります。
この中心人物が、歴史学者で、当時イギリス軍情報部に勤務していた、トレヴァー・ローパーでした。

続く・・・


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