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2011/08/18

人類の軌跡その174:末路⑯

<アドルフ・ヒトラーの最後その2>
第一次世界大戦終結から第二次世界大戦開戦直前のドイツ

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 ローパーは、1945年4月30日、ヒトラーの死に至る時迄、彼の側に居合わせた人々を入念に調査し、彼らからの聞き取り調査を繰り替えし、ヒトラーの最後を克明に知る事ができました。
ローパーは後に、この時の調査結果を「ヒトラー最後の日」と題して出版し、我国でも翻訳された事から、私達は、1945年4月30日ドイツ第三帝国総統官邸における、ヒトラーの最後の様子を知る事ができます。

 1945年4月29日、アドルフ・ヒトラーは、盟友ベニト・ムッソリーニ死亡報告を受けます。
その時、彼はベルリンに在る総統官邸の地下防空壕に踏み止まり、戦闘指揮を続けていました。
しかし、ベルリンはソビエト軍によって、殆んど制圧占領され、戦闘の勝敗は既に絶望的な状況でした。
その日、ヒトラーは、愛人エヴァ・ブラウンと結婚式を挙げ、明けて4月30日、彼は側近の者を集めて昼食の後、その会席者一人一人と握手を交わして、別れを告げます。
その後、ヒトラーは自室に入り、後にエヴァ・ブラウンが続き、間もなく一発の銃声が轟きました。
ヒトラーは、ピストルにより自殺を遂げ、エヴァは毒薬を飲んで、彼の側で事切れていました。
銃弾は、ヒトラーの口から、頭部を貫通しており、ソファと背後の壁は、紅く染まっていたと云われています。
ヒトラー夫妻の遺骸は、総統官邸の庭で、180リットルのガソリンをかけて荼毘に伏されました。

 その時、既にソビエト軍の先遣部隊は、総統官邸の直ぐ近く迄接近しており、機関銃弾や砲弾は、標的を誤らずバラバラと官邸周辺に降り注ぎます。
その極めて危険な状況の中で、夫妻の火葬は遂行されたのでした。
ヒトラーはムッソリーニの悲惨な死に様を聞き、昔から独裁者の最後を知っていた彼は、自分の遺骸を跡形も無くする事で、はずかしめを受けない事を望んだのだと思います。
そして、後継者フィヨドール・デーニッツ元帥は、ヒトラー総統の戦死を発表するのです。

続く・・・

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