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2011/08/22

人類の軌跡その176:末路⑱

<ドイツ史の流れを変えた議事堂炎上>
ナチス全体主義への道

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 1934年1月10日、オランダ人マリニュス・フォン・デル・ルッペが死刑執行を受けました。
罪状は、ベルリンのドイツ国会議事堂下院(ライヒスターク)への放火でした。

 しかし、ナチスを憎んだ共産主義者のフォン・デル・ルッペは本当に有罪だったのか?
ヒトラーとナチス支持者の生贄になったのか?
他にもこの陰謀に加担した人物は存在しなかったのか?

 議事堂炎上事件は、近代ドイツ史の流れを変えた事件で、ヒトラーはこの事件を契機に、権力の座に着いたのでした。
事件に最初に気付いたのは、ハンス・フロッターという神学生で、彼は1933年2月27日午後9時過ぎに、議事堂の側を歩いていました。
ガラスの割れる音につられて顔を上げると、2階バルコニーに燃えるものを手にした男が居ました。
フロッターは警官に急を告げ、警官達が議事堂に向うと、2階の窓から窓へ、松明を翳して走り回る男に、銃を向けたのでした。

 午後9時40分頃には、60台程の消防車が現場に集まりましたが、議事堂は火炎に包まれ、更に燃え広がっていました。
ビスマルク・ホールで警官の1人が、上半身裸の汗まみれになった男を逮捕し、所持していた身分証明書から、名前は、マリニュス・フォン・デル・ルッペ、24歳という事が判明します。
検察官に犯行の動機を問われた時、彼は「抗議する為だ」と答え、更に「他の公共建造物3棟にも放火しようとしたが、果たせなかった」とも自白しました。

 火災の政治的影響は大きく、当時ドイツ首相に就任して僅か27日目だった、アドルフ・ヒトラーは、この事件を契機に第三帝国総統の地位迄登りつめる結果となるのです。
放火事件とフォン・デル・ルッペの逮捕をヘルマン・ゲーリングから報告された時、ヒトラーは次の様に語ったと伝えられています。
「天の知らせだ。是はコミュニスト蜂起の前兆である」

続く・・・
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