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2011/08/27

人類の軌跡その181:末路23

<ナチス全体主義への道その4>

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オーストリア併合

◎領土拡張

1.ザール地方併合(1935.1.13)

 ヴェルサイユ条約によって、国際連盟の管理下に置かれていたザール地方は、1935年1月13日に行われた住民投票で、圧倒的賛成によりドイツへの復帰が決まりました。

2.ラインラント進駐(1936.3.7)

 同じくヴェルサイユ条約によって、ドイツ領土でありながら、非武装地帯とされたラインラント地方に対して、ヒトラーは、1936年3月7日にドイツ軍3個大隊を進駐させる賭に出ます。
特にフランスの反発が予想され、進駐したドイツ軍将兵の緊張も可也のもので、もしフランス軍が対抗した場合、即座に撤退するように命令されていたが、フランス軍に動きは無く、進駐は成功します。

3.オーストリア併合(1938.3.12)

 オーストリアは、ドイツの失われた領土では在りませんが、同じドイツ民族の国家であり、又、ヒトラーの出生地で在る為、併合を目論みます。

 ヒトラーは、オーストリア=ナチス党を使って、ドイツへの併合気運を盛り上げさせ、時にはオーストリア首相ドルフス暗殺を行う等の(1934.7.25)反対派の封じ込めを行いました。

 1938年2月半ば、オーストリア首相シュシニクは、ヒトラーのベルヒテスガルテン山荘に呼びつけられ、オーストリア併合を強要されます。
之に対し、帰国したシュシニクは、ドイツによるオーストリア併合を回避する為、国民投票の手段に訴えようとしました。
しかし、ドイツはこの動きを封じ、3月11日に事実上の最後通告を発し、翌日3月12日午前8時、急遽オーストリアへ電撃的軍事侵攻を敢行しました。
オーストリア軍は一切の抵抗行わず、無血併合に成功、シュシニクは亡命し、代わりに首相となった親独派の内相ザイス=インクヴァルトは、この軍事進駐を要請の形で容認したのでした。
1938年3月13日に、「ドイツ帝国とオーストリア共和国の再統合に関す法律」の署名により、正式にオーストリアはドイツによって併合され、地図から抹消されました。

続く・・・

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