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2011/08/30

人類の軌跡その183:末路25

<ナチス全体主義への道その6>

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ドイツ4号戦車J型後期型

◎軍  備

 ヒトラーは、1935年3月16日に再軍備宣言を行い、10万人の国防軍を一気に30万人へ増強し、保有を禁止されていた戦車、航空機の再保有と云うヴェルサイユ条約に反した再軍備宣言を行いました。

陸軍

 再建の最優先順位となった陸軍は、1935年の再軍備宣言によって10万人から一気に30万人に拡張され、その後随時拡張されていきました。 
ドイツの戦闘シナリオでは、戦車と飛行機の連携作戦は、電撃戦に欠かせません。
更に戦車運用研究に熱心であった事は、現在でもよく知られています。
第一次世界大戦に初登場し、次々に塹壕陣地を突破していく戦車の姿を見たドイツ兵は、心理的恐慌状態に陥り(因みに、当時の戦車数は僅かであり、戦局を十分に左右できる程の影響力は在りませんでしたが)、ひいてはドイツ軍が敗北した遠因の一つとなった事が影響していました。
之は、戦車先進国の英仏が、戦後、戦車の有効性を過小評価していったのとは対照的です。

 この頃の英仏は、戦車を歩兵支援の為の補助戦力と位置づけし、各歩兵部隊に分散配置していました。
これに対し、ドイツ軍は戦車を主要戦力と見なし、戦車を集中配置(機甲師団)させ、空軍支援の下、敵前線を一点突破させ、敵後方を攪乱させて混乱させるという、電撃戦構想を持っていました。
その為、戦車と自動化(機械化)された歩兵で構成された機甲師団が創設されるように成りました。
開戦当時、この機甲師団の戦車兵力は、火力の弱い1号戦車、2号戦車が多数を占め、対戦車攻撃を主とする3号戦車、火力支援の4号戦車は少数であり、内情は脆弱性が指摘されていました。
事実、機動力が発揮できない市街戦となると被害が増大しましたが、空軍との強力な連携がこの弱点を補ってあまりある成果を生んだのです。

続く・・・

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