<ナチス全体主義への道その8>
ドイッチュラント級装甲艦3番艦 アドミラル・グラーフ・シュペー (Die Admiral Graf Spee)
◎軍 備その3海軍 ヴェルサイユ条約によって艦艇数の大幅な制限と、潜水艦の保有禁止という厳しい条件を課された海軍でしたが、涙ぐましい努力によって、海軍力の増強を図って行きました。
その典型とも言えるのは、ポケット戦艦と云われた装甲艦であり、極論すれば、巡洋艦なみの排水量に対し、戦艦なみの攻撃力を持たせた艦でした。
1935年のドイツ再軍備に際し、保有禁止の潜水艦を保有し、また戦艦などの保有を再開します。
これに追い風となったのは、1935年に調印された英独海軍協定で、海外からの輸入に依存するイギリスが、第一次世界大戦時にドイツ海軍の通商船破壊戦によって危機に陥った過去の教訓から、ドイツの海軍大拡張を封じ込めるために調印されたものであるにも拘わらず、イギリスがドイツ再軍備を事実上容認する形と成りました。
しかし、ドイツ再軍備宣言による軍備拡張は、ヨーロッパ屈指の工業力を有するドイツでさえ、その建艦スピードに限界が在りました。
そこで、艦隊決戦を行って制海権確保するものでは無く、あくまでもイギリスの生命線とも言える通商路の破壊といういわば副次的任務であった海軍は陸軍空軍よりも再建優先順位が低かったのです。
更に問題となるのは、通商破壊作戦を如何にして行うかで有り、海軍総司令官レーダー提督は、戦艦などの水上戦闘艦による作戦、潜水艦司令官デーニッツ提督はUボートによる作戦を提唱しました。
当初レーダー提督の作戦が採用され、当面イギリスとの戦争はないというヒトラーの確約を得て、1939年、レーダー提督は、今後6年間で主力艦13隻、空母2隻、巡洋艦50隻、Uボート250隻などを建造する「Z計画」に取り掛かります。
しかし、1939年9月1日のポーランド侵攻は、レーダー提督のZ計画を御破算にするもので在り、変わって、水上戦闘艦よりも生産コストが低いUボートを使用するというデーニッツの計画が採用されたのでした。
終わり・・・
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