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2011/09/03

人類の軌跡その187:歴史の狭間で②

<失われた国々その②:オーストリア~同族ドイツ人国家に併合された独立国~>

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オーストリア併合宣言・ウィーン英雄広場にて

◎ドイツとイタリアとの衝突

 この首相ドルフス暗殺は、彼と密接な友人関係にあった、隣国イタリアのベニト・ムッソリーニを刺激してしまいます。
イタリアは、このドイツによるオーストリア併合を強硬に反対していました。
その背景には、第一次世界大戦後、旧オーストリア=ハンガリー帝国からドイツ系住民が多数を占めるチロル地方を併合しており、ドイツからチロル地方返還を要求されるのではないかとの危機感に襲われていたのでした。

 しかし、イタリアがエチオピア侵攻とスペイン内戦でのフランコ政権への支援によって、国際的孤立に陥っていた為、次第にイタリアは、同じ全体主義政権で在るドイツと親密な関係を構築する様に成り、ドイツのオーストリア併合を容認していきます。

◎オーストリア併合(アンシュルス)

 オーストリア首相シュシニクは、1938年2月12日、ヒトラーのベルヒテスガルテン山荘に呼びつけられ、ヒトラーから、オーストリア併合を強要されます。
これに対し、帰国したシュシニクはドイツによるオーストリア併合を避ける為、国民投票の手段に訴え様と画策しますが、ドイツ(ナチス=ヒトラー)はこの動きを封じる為、3月11日に事実上の最後通告を発し、翌日3月12日午前8時、電撃的にオーストリアへ軍事侵攻しました。
オーストリア軍は一切の抵抗を行う事無く、無血にうちにこの軍事侵攻は成功します。
シュシニクは亡命し、代わりに首相となった親独派の内相ザイス=インクヴァルトは、この軍事進駐を要請の形で容認し、1938年3月13日に、「ドイツ帝国とオーストリア共和国の再統合に関す法律」の署名により、正式にオーストリアはドイツによって併合され、ドイツの1州と成りました。

※参考

「ドイツ帝国とオーストリア共和国の再統合に関す法律」

1938年3月13日に、首相ザイス=インクヴァルトが作成し、大統領W・ミクラスに承認を迫ったものの大統領は署名を拒否。
大統領は辞任して、一切の大統領権限を委託する旨の親書を、首相に手交し、全権委任された首相は午後11時52分に、ヒトラーと署名し、即日発効したのでした。

第一条 オーストリアはドイツ帝国の一州である。
第二条 ドイツ帝国との再統合を確認するための秘密自由国民投票が、4月10日日曜日に行われる。
第三条 国民投票の結果は多数決による。
第四条 本法の施行に必要な準備は政令によって定められる。
第五条 (一)本法は公布の日から発効する。
第五条 (二)政府が本法の施行を主管する。

続く・・・
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