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2011/09/05

人類の軌跡その188:歴史の狭間で③

<失われた国々その③:チェコスロヴァキア~大国の論理に蹂躙された悲劇の小国~>

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ズデーテン地方併合に伴う、国境標識の撤去

 1918年のオーストリア=ハンガリー帝国崩壊後に独立した、チェコスロヴァキア共和国は、帝国の最良の遺産とも言える、帝国最大の工業地帯で在ったボヘミア、モラヴィア地方を継承しました。
其の為、国民の経済水準と教育水準は高く、民主政体には不可欠とされる中産階級の存在があり、近隣の東欧諸国が王政、独裁政へと進む中、東欧唯一の民主政体国家を保つことが可能でした。

 しかし、ドイツ第三帝国建国を目論むヒトラーは、ドイツ系住民が多数を占めるズデーテン地方併合を画策し、チェコスロヴァキア政府に圧力を加えました。
これに対し、チェコスロヴァキア政府は、断固としてこれを拒否し、戦争をも辞さない事態と成りました。
当時チェコスロヴァキア軍は、東欧諸国の中で唯一ドイツに対抗できる軍事力を有していました。

 戦争を回避したい、英仏ヨーロッパ列強の思惑に翻弄され、ドイツの求めるままにズデーテン地方割譲が決定してしまいます。
国際支援を受けられないチェコスロヴァキアは、1938年にはズデーテン地方をドイツへ割譲をせざるを得なくなり、事実上ドイツに対抗するだけチャンスを永遠に失ったのでした。
更に翌年1939年には、武力によってチェコスロヴァキア自体が解体し、チェコはドイツ領として併合され、スロヴァキアはドイツの従属国として独立し、地図から消滅しました。

◎経済格差:東西問題

 チェコスロヴァキアにとって最大のアキレス腱とも云えるのは、東西間の経済格差問題でした。
そもそもチェコスロヴァキアは、西の工業地帯を有し経済的に恵まれていたチェコ人、東の農業を経済基盤としていた為、経済的に低かったスロヴァキア人、その他少数のドイツ系住民等で構成されていた多民族国家でもありました。

 東西間の経済格差は歴然であり、チェコ人とスロヴァキア人はお互い不満を抱いており、そこに着目したヒトラーは、スロヴァキア人の国家独立を支援するという裏工作を行います。
この策謀により、スロヴァキア人とルテニア人は1938年10月に自治政府を成立させ、翌年には自らの国家樹立を宣言します。
この混乱の中、ドイツ軍はチェコスロヴァキアの首都プラハに無血で武力制圧し、此処にチェコスロヴァキアは国家として解体消滅したのでした。

◎外交政策

 東西を二つの大国であるドイツ、ソ連に囲まれ、また潜在的敵国であるハンガリーに接し、一種剣呑な状況に置かれていた小国チェコスロヴァキアは、近隣諸国との同盟で平和を確保していました。
即ち、ルーマニアとユーゴスラヴィアとの間で三国小協商を締結しますが、この協商は、主にハンガリーと対抗する事を目的としたものでした。

続く・・・

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