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2011/09/06

人類の軌跡その189:歴史の狭間で④

<失われた国々その④:チェコスロヴァキア~大国の論理に蹂躙された悲劇の小国~>

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第1チェコスロバキア独立歩兵大隊の点呼をとるスヴォボダ将軍

◎国家消滅

 1938年にドイツと、戦争拡大を恐れたヨーロッパ列強によって結ばれたミュンヘン協定によって、チェコスロヴァキア政府はズデーテン割譲を強いられます。
之は、同様に領土拡張の野心を持った近隣諸国、ポーランド、ハンガリーを刺激し、チェコスロヴァキア政府に自国民が多数を占める地方、ポーランドはテッシェン地方(1938年8月併合)、ハンガリーは南部スロヴァキア(1938年11月併合)とルテニア地方(1939年3月併合)の割譲を要求されます。
これに対し、チェコスロヴァキア政府は抗する事も出来ず、唯々諾々とこれを承認してしまいます。

 1939年3月15日、ヒトラーは、チェコスロヴァキア大統領ハーハをベルリンに呼びつけ、チェコスロヴァキア政府に対し、ボヘミア、モラヴィア地方をドイツ領とする協定への署名を強要し、署名されない場合は、チェコスロヴァキアの首都プラハを空襲すると強要します。

 ヒトラーによって周到に仕組まれた国内の民族運動で国内の統一も失われ、ズデーテン要塞地帯を失い丸裸となったチェコスロヴァキア政府はこれに抗することはできず、大統領ハーハは署名し、1939年3月15日~16日、ドイツ軍はチェコに進駐し、同年5月16日にベーメン・メーレン地方はドイツ保護領に、更に9月1日にはドイツに併合されました。

◎軍備

 チェコスロヴァキアは同盟国であるフランスの軍事援助により、東欧有数の陸軍国でした。
陸軍兵力は1938年当時35個師団であり、国境防衛はフランスのマジノ線に範をとった要塞線(ズデーテン要塞地帯)がフランスの支援の下に建設され、兵士の士気も高く、戦車運用では、当時主流の分散配置ではなく、集中運用が可能な近代的編成を行なっていました。

 又、東欧最大の工業国であった事は、陸軍の機械化に大きく貢献する事と成り、オーストリア=ハンガリー帝国時代からの航空機、火砲、戦車などの名門スゴタ社、兵器メーカーとして新参ながら、やはり老舗の機械メーカーであるCKD社がおおいに貢献しました。

 しかし、ドイツと一戦交える事無く、国家解体させられた後、これら企業は、ドイツに組み込まれ、第二次世界大戦ではドイツの軍事遂行のための軍需工場の一翼を担う事と成ります。

続く・・・

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