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2011/09/08

人類の軌跡その191:歴史の狭間で⑥

<失われた国々その⑥:ポーランド~過去の栄光に驕り、時代の趨勢を見誤った国家の末路~>

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ポーランド侵攻・1号戦車

 中世以来、中欧最大の強国を誇ったポーランドは、18世紀末のヨーロッパ列強のポーランド分割による国家消滅(最終的には、19世紀初頭にナポレオンによって成立したワルシャワ大公国の消滅)を経験した後、永らくロシア帝国による苦痛に満ちた支配が続きました。

 しかしロシア革命によるロシア帝国の崩壊、第一次世界大戦後のヴェルサイユ体制の民族自決の精神に基づいて悲願の国家復活を遂げますが、復活して間もない1920年に勃発したソ連=ポーランド戦争が今後のポーランドの進む道を決定しました。
ポーランド騎兵を中心とした軍部の働きによって大国ソ連に勝利を収めた結果、軍部の政治介入を増大させ、特にピウスツキ元帥の独裁体制(大佐政権とよばれた)の確立によって、軍部独裁が事実上行われる結果と成りました。

 外交的には、過去の国家消滅という悲痛な経験をした為、神聖な国土を再び失いないたくないとの意識から、また軍部独裁政権下に有って、近隣諸国に対しても、問題が発生した場合、まず話し合いでの解決ではなく、武力での解決という高圧的な態度で対処したのでした。
その結果、対ソ共同防衛協定を結んだルーマニア以外とは敵対状態であり、有事に於いて、近隣諸国との共同歩調をとることは不可能であり、ドイツのチェコスロヴァキア解体後に結ばれた英仏との同盟も実効性を持たない空文であったにも拘わらず、ポーランドはこれに縋り付き、ドイツとの戦争に突入したのです。

1.国防方針 

 ポーランド軍の体勢は、1939年9月の開戦時に不十分であり、動員もその途上に在りました。
更にその少ない軍(23個師団)をさらに7個軍団に分散させ、其すべてを国境に配置したのですが、この部隊展開は、一度国境を突破された場合、侵略軍を防御出来ない、欠点を有していました。
又、ドイツ侵攻を行う為に、ポーゼン突出部に兵力を集中させましたが、この配置は、ドイツ軍により容易に分断包囲される危険性を有していました。
事実、ポーランド軍は、ドイツ軍の圧倒的な機動力の前に、国境の至る所で突破され、混乱した指揮系統を整えるだけの時間を得ることはできず、包囲・殲滅、撃破されていきました。

続く・・・

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