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2011/09/09

人類の軌跡その192:歴史の狭間で⑦

<失われた国々その⑦:ポーランド~過去の栄光に驕り、時代の趨勢を見誤った国家の末路~>

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ポーランド騎兵部隊

2.動員計画 

 有事に際して、ポーランド陸軍は、予備役の大量動員による兵力増強で対処する事に成っていました。
其の為、本来の常備歩兵は30万人と少なく、近隣諸国、特にドイツの動向に対応し、二度にわたる動員を行ました。第1回目は、ドイツのチェコ併合時の1939年3月に20万人、第2回目は、ドイツとの関係悪化の1939年8月に60万人であり、開戦時の1939年9月には兵力110万人を数え、さらに200万人が動員途上でした。
しかし、動因兵力の部隊編成完了迄には12~14日を要していたのです。

 対するドイツ軍は170万人を数え、ポーランド軍は数的に劣勢であるにも拘わらず、ポーランド軍首脳は、仮に戦線が突破されても、騎兵による遅滞作戦などの時間稼ぎを行えば、部隊編成を完了できるものと考えていました。しかし実際には、ドイツ軍がポーランド軍首脳部の予想を大きく上回る機動力を発揮し、開戦1週間で戦線を粉砕、ポーランド軍は事実上崩壊し、予備役200万人の編成完了は出来ませんでした。
もし、この200万人の編成が開戦前に完了できていたら、戦況は史実と異なっていたでしょうか?

3.装  備

 19世紀後半の火器の飛躍的な進化によって優位を脅かされ、第一次世界大戦での塹壕戦によって存在意義が決定的に失われたのにも関わらず、ポーランド軍の主力は依然として騎兵でした。
この兵站思想の根底には、1920年のソヴィエト・ポーランド戦争で、騎兵が大国ソビエトに対する勝利へ貢献した為なのですが、この戦争では、機関銃等の近代兵器が戦局を左右する程には使用されず、前近代的な機動戦の様相を呈した為、伝統的機動兵力である騎兵が重要な役割を演じ得たのでした。
この成功によって、ポーランド軍上層部は騎兵を有効な戦力として評価・維持し、各国で急速に推進されていた戦車や自動車への転換(機械化)の重要性を全く理解せず、其の為、機械化が決定的に遅れてしまい、装備も第一次世界大戦当時の旧式、陳腐化したままと成っていました。

続く・・・
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コメント

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ポーランド軍について

はじめまして。
う~ん、ポーランド軍の機械化はヨーロッパではドイツの次に進んでいたようですが。
実際のところ日本陸軍よりもポーランド陸軍のほうがはるかに先進的でかつ物量も豊富でした。
騎兵部隊も実際は重機関銃、対戦車砲、小型戦車、野砲を装備した自動車部隊でした。
部内内にある伝統的な騎兵は戦闘では主に索敵や敵歩兵の掃討のために使われ、騎兵で戦車に突撃したという話もドイツ・ソ連側が作りあげた全くの嘘だということがわかっています。

ポーランドが時代を見誤ったというよりも、ドイツがメフォ手形という国際詐欺によって余りにも徹底的な軍備拡大を行ったというのが真実ではないでしょうか。
「メフォ手形」、これがこの時代の歴史のすべてを理解する鍵です。

ポーランド軍について(追加です)

また、ポーランドの戦闘計画は動員にしても所謂ルーマニア橋頭堡への戦力移動にしてもあくまで英仏による援軍を前提としたものです。
これはポーランドが自らドイツとの1対1の戦いでは物量で敵わないことをはっきりと自覚していたことを示しています。
しかし英仏はダンマリを決め込みました。
とくにチェンバレンの罪は重い。
しかも開戦後約2週間でソ連が不可侵条約を無視して東部国境からなだれ込んできます。
こうなってしまってはポーランドは何もできません。