FC2ブログ
2011/09/13

人類の軌跡その195:歴史の狭間で⑩

<第二次世界大戦前夜の周辺諸国:ハンガリー・失地回復に願いを託した国家>

20090803235117db0_convert_20110913212820.jpg
「双頭の鷲」オーストリア・ハンガリー帝国 ハプスブルグ家

 ヨーロッパ列強の一つで在った、オーストリア=ハンガリー帝国が第一次世界大戦敗戦によって崩壊し、帝国を構成していたハンガリーは単独国家と成りました。

しかし戦後、トリアノン条約により、敗戦国として厳しく処罰され、多数の領土を喪失します。
更にその後、旧帝国領から誕生した新生国家であるチェコスロヴァキア、ユーゴスラヴィア、戦勝国ルーマニアが三国小協商を結んで、ハンガリーに対抗した結果、国内外ともに混乱の極みと成りました。

 同じ敗戦国であるドイツで、ナチスが台頭するに従い、摂政ホルティ提督の基、ハンガリーは急速にドイツに接近し、独伊防共協定、日独伊三国同盟(1940年11月)に参加し、完全なドイツの同盟国と成り、直接ソ連とは敵対関係には無いものの、独ソ戦開始と共に対ソ宣戦布告し、ドイツとの運命共同体と成りました。

◎領土問題

 第一次世界大戦敗戦後、ハンガリーは敗戦国としてトリアノン講和条約により、2/3に上る領土を喪失しました。
領土は93,000平方キロメートル、人口850万人に迄に減少させられ、領土回復の願いはドイツと同様強ものでした。1938年のドイツによるチェコスロヴァキア解体時に多少の旧領土を回復しましたが、最大の失地回復目標はルーマニアで在り、そのルーマニアは第一次世界大戦の戦勝国で、ハンガリーから可也の領土を得ていた為、ハンガリーから強い恨みを買っていたのでした。
1939年当時には両国の関係は険悪となり、開戦も時間の問題でしたが、その都度ヒトラーの取りなしで回避を繰り返し、1940年6月にソ連が強引にルーマニア領ベッサラビア併合すると、ハンガリーも旧領であるルーマニア領トランシルヴァニアの併合を目論みます。

 しかし、バルカン地方の混乱が、ソ連に進出する余地を与えてしまう事に危機感を抱いたヒトラーは、バルカン諸国の混乱を一気に解決すべく、いわゆるウィーン裁定と呼ばれる強硬な決定によって、ルーマニア領トランシルヴァニアのハンガリー帰属を決定し、又、1941年4月のドイツの対ユーゴスラヴィア戦に参加したハンガリーは相当の旧領を回復しました。
これら領土回復はひとえにドイツの恩恵であり、ハンガリーはその後、ドイツと密接な同盟国と成りました。

続く・・・


スポンサーサイト



コメント

非公開コメント