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2011/09/20

人類の軌跡その200:歴史の狭間で⑮

<第二次世界大戦前夜の周辺諸国:イタリア>

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ベニト・ムッソリーニ

 イタリアは、第一次世界大戦の戦勝国と成りましたが、「未回収のイタリア」と云われたトリエステ地方と、チロル地方を宿敵旧オーストリア=ハンガリー帝国から得たに過ぎませんでした。
更に第一次世界大戦の軍事的負担は、戦後のイタリア経済を逼迫させる事と成り、戦勝国にも拘わらず、得るものが少なかった事に対する国民の不満が増大し、ファシズムが台頭して行きます。
ベニト・ムッソリーニ率いるファシスト党による一党独裁体制が確立すると供に、古代ローマ帝国の失われた栄光の復活を目指し、軍備拡張、植民地獲得の為、当時アフリカ大陸の数少ない独立国エチオピア王国を侵攻、更にはスペイン内戦に介入したのでした。

 しかし、これ等の軍事駆動で得るものは無く、唯いたずらに軍事力を消耗させる事に成りました。
又、エチオピア侵攻は国際世論の反発を招き、更には国際連盟による対伊経済封鎖を引き起こす失態を晒したのでした。
特にこの経済封鎖は、度重なる軍事行動によって弱体化していたイタリア経済に深刻な問題を起こしたのです。
国際連盟の行動に反発したイタリアは、連盟を脱退すると共に、同じく国際的な孤立を深めていたドイツ、日本へ急接に接近して行きました。

◎イタリアの第二次世界大戦

 1939年9月のドイツの対ポーランド進行作戦時、イタリア軍はドイツ軍と行動を共にする程に整備が進んでおらず、中立を保つ更には1940年5月の独仏開戦に当たっても当初の中立を保っていました。
しかし、1940年6月10日、フランス崩壊間際に、嘗てのイタリア領であるサヴォイア、ニース地方に急遽侵攻し、対英仏宣戦布告を行ったものの、戦力的優位に在るイタリア軍が、遥かに劣勢のフランス軍守備隊に対し、敗北を期すると云う醜態を晒す事に成りました。

 この場合は、フランスの対独降伏によって、対面は保たれますが、その後、アフリカ、ギリシア、ソ連で連戦連敗を記録し、「戦えば必ず敗北する」と云う有難く無い神話を確立する事に成ります。
終には1943年にいち早く無条件降伏して、三国同盟から脱落し、更に対独宣戦布告を行い、ドイツの敵国と成りました。
全く、同盟国としてドイツの足を引っ張る事ばかりでした。

 もしも、イタリアが対独参戦をせず、中立を保ったのなら、ドイツ軍は遥かに有利に戦局を主導できたのではないかと云う研究成果も存在しています。
事実、ヒトラーはイタリア軍の不甲斐なさに何度も激怒し、イタリアが中立国であればと思った事も一度成らず有ったと云われています。

☆逸  話

 イタリアが対仏宣戦を行った時、てっきりイタリアがドイツに攻めてくると早合点したヒトラーが、国境に一個師団を派遣すれば、イタリア軍に対抗できるだろうと判断して部下に命じた処、参謀達からイタリアがフランスに攻め込んだと云う報告を受け、改めてヒトラーは、万が一イタリア軍がフランス軍に敗北し、オーストリア経由でフランス軍にドイツを南部から攻撃される事を懸念したヒトラーは、2個師団をイタリア国境に派遣して、イタリア軍援護を命じたと云います。
話の真偽はともかくとして、笑うに笑えない話なのです。


続く・・・


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