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2011/09/22

人類の軌跡その202:歴史の狭間で⑰

<第二次世界大戦前夜の周辺諸国:イタリアその③>

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◎エチオピア侵略の目的と計算

 1935年10月1日、ムッソリーニは国民に向かって、「イタリアは、日のあたる場所を求める」と演説しました。
「日のあたる場所」即ち植民地を獲得する為、エチオピアに侵攻(侵略)する事を提唱したのです。
翌日、一切の宣戦布告も無しに、イタリア軍が大挙してエチオピアの領内に侵入しました。
エチオピアは直ちに反撃を開始し、同時に国際連盟にイタリアの侵略行為を即時停止する様訴えます。

 エチオピアはコーヒーと皮革の輸出国であり、更にその国土には、豊かな鉱産資源が利用されないまま眠っていると云う噂も当時広く流布していたのです。
イタリアの財界、企業はこの広大な土地を支配する事によって原料・資源を手に入れることを期待し、一方ムッソリーニには、エチオピアを侵略しても英仏を中心とする国際連盟は、強い態度に出て来ないとの計算が存在していました。

 その根拠は、1931年に始まった日本の満州侵略に対して、国際連盟が日本の行為を非難しながらも、それを阻止する為に有効な手段を一切選択しなかったからなのです。
そして前年の1934年に、イタリアはイタリア領ソマリランドとエチオピアの国境線が、未確定である事態を上手く利用して紛争(ワルワル事件)を起こしており、この陽動作戦は、英仏の反応を確かめる事にも成っていました。

続く・・・


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