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2011/09/26

人類の軌跡その203:歴史の狭間で⑱

<第二次世界大戦前夜の周辺諸国:イタリアその④>

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ハイレ・セラシエ1世 エチオピア帝国最後の皇帝

◎国際連盟の態度

 1935年1月の事、フランス外相ラバルが、イタリアを訪問してムッソリーニと会談した時、ムッソリーニはラバルに「我々は、フランスがモロッコで行った行為と同様の行為を行った場合、フランスは抗議する理由があるか」と質問しました。
ラバルは暫く考えて抗議する理由はないと答えたと云います。
エチオピア侵略に対して、国際連盟の態度は及び腰でした。
其れでも、イタリア軍による全面的なエチオピア攻撃が始まると、国際世論に押されて国際連盟理事会は、イタリアに制裁を加える事を決定しました。

その内容は以下

①イタリアに武器を輸出禁止
②信用を停止
③イタリア商品を輸入禁止
④アルミニウム、ゴム、鉄、スズ等の軍用物資の輸出禁止、でした。

 しかし、国際連盟の「経済制裁」の実施は様々な口実で引延ばされ、侵略開始後1ヶ月半を経過し、しかも、イタリアへの輸出禁止物資の中から、石油と石炭が削除されます。
石油に関して「石油無くしてエチオピア戦争の継続は不可能」と迄云われた程、イタリアにとって重要な戦略物資でした。
1935年12月8日、英仏はエチオピア問題について、一つの調停案を作り上げます。

その内容は以下

①イタリアにエチオピア領の約半分割譲。
②エチオピアにエリトリアの一部を領土に加える
③南部エチオピアをイタリアの経済的独占権の下に置く

 内容は当に、イタリアの侵略の結果をそのまま認めるに等しいものであり、エチオピア皇帝は「これは、国際連盟の忠実な加盟国エチオピアを非道に解体させ、滅亡させるもの」と非難しました。
1936年5月エチオピア皇帝は終に、首都アジス・アベバを離れ、ロンドンに亡命し、首都はイタリア軍に占領され、ムッソリーニは「エチオピアを併合した」と宣言しました。
国際連盟は、7月イタリアに対する制裁を撤回したのでした。

続く・・・


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