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2011/10/04

人類の軌跡その209:歴史の狭間で24

<第二次世界大戦前夜の周辺諸国:アメリカ合衆国 繁栄の陰にその②>

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テネシー川流域開発公社50周年記念切手

◎ニューディール政策

 ニューディール政策とは、1933年3月、大統領に就任したフランクリン・ルーズヴェルトによって行われた世界大恐慌克服の為の一連の経済政策で在り、その根幹と成る物は、従来の古典的経済学的な自由放任政策による国家の経済への最小限度の介入から、ケインズ理論を中心とした、国家による経済への積極的介入への大転換でした。

 最初に、連邦緊急救済局(FERA)がつくられて、300万家族、1250万人に援助の手が差伸べられ、次第に重工業・ダム建設などの大規模公共投資が行なわれました。
民間資源保存局(CCC)は、植林事業を展開し、テネシー川流域開発公社(Tennessee Valley Authority:略称TVA)は、テネシー渓谷にダムを造り、水運と治水改善を行い、水力発電によりアメリカ南西部の広大な地域に電力供給を目的とする事業で、多くの人材が必要と成り、数多くの失業者が再雇用されました。
このニューディール政策により、政府支出のGDPに占める割合は4.5%(29~32年の平均)から9.5%(33~36年の平均)へ急拡大しています。

 このニューディール政策は、後期の1930年代後半、国内の反対派への妥協の為、規模が縮小されて景気が悪化し、特に1938年には、政府債務の累積を憂慮する財政均衡主義者の声に押されて、連邦支出を削減した結果、GNPは6.3%減少し、純投資も46億ドルのプラスから66億ドルのマイナスに転落し、失業率も1933年の25.2%から1937年には14.3%にまで下がったものの、翌年には19.1%に迄急上昇する結果と成りました。
其の為、ニューディール政策の有効性について、今でも議論が成されているものの、景気を下支えした事では見解の一致を見ているのです。
尚、本格的な景気回復は、皮肉な事に第二次世界大戦参戦によって、大量の軍需が発生してからでした。

続く・・・


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