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2011/10/05

人類の軌跡その210:歴史の狭間で25

<第二次世界大戦前夜の周辺諸国:アメリカ合衆国 繁栄の陰にその③>

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日米開戦 Japan Times 


◎外 交

 第一次世界大戦に参戦したアメリカは、犠牲が多かった割に得た利益が少なく、戦後は従来のヨーロッパへの不介入の孤立主義に逆戻りし、国民の大多数も、孤立主義を支持していました。

 しかし、1933年ドイツでヒトラー政権が発足して、次第に軍備拡張・領土拡張政策をとりヨーロッパの戦雲が立ちこめる1930年代後半、次第にアメリカは外国への介入を始める様に成ります。
同様にも、アジア地域でも日本が領土拡張政策をとり、権益を巡ってアメリカと対立する様に成りました。

 ルーズヴェルトが日本との戦争を決断するのは、1940年9月の日本による北部仏印進駐、同年の日独伊三国同盟締結時と云われています。
しかし、アメリカは民主主義国家である為、大統領が戦争を決断したとしても、直ぐに戦争実行が可能では無く、国民にはアメリカが直接攻撃されない限り、宣戦布告をしないと言わざるを得ず、又、ヨーロッパ地域に於けるドイツとの戦争についても、その対応は同様でした。

 この様な対外姿勢の中で、アメリカが、第二次世界大戦勃発後の1939年11月3日、ルーズヴェルト大統領による中立法修正案に署名、1940年12月29日、ルーズヴェルト大統領による「民主主義国の兵器庫」宣言を行い、1941年3月11日には、「米国大統領が其を防衛する事が合衆国の防衛に不可欠と考える国の政府に、船舶、航空機、武器その他の物資を売却、譲渡、交換、貸与、支給し、処分する権限を大統領に与えるもの」と規定された武器貸与法が施行され、イギリス、中華民国等に飛行機、武器、弾薬、軍需物資等の供給を開始したのでした。

◎第二次世界大戦への道

 南方資源獲得を目指す日本は、その足がかりとして、1941年7月28日、南部仏印進駐を行います。
是によって、産油地帯であるオランダ領東インドやアメリカの太平洋での拠点フィリピンへ接近する事に成り、アメリカを刺激して行きます。

 1941年8月1日、アメリカは即座に対日石油輸出禁止を発表し、日本の対米資産凍結等、次々と対日経済制裁を発動し、日米関係の悪化は決定的と成りました。
原油の7割をアメリカに依存していた日本は、窮地に追い込まれ、ついに1941年9月6日、御前会議に於いて対米開戦を決意 (「帝国国策遂行要領」決定)し、12月8日、運命の日米開戦となる真珠湾攻撃へと突入します。

続く・・・


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