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2011/10/11

人類の軌跡その214:歴史の狭間で29

<第二次世界大戦前夜の周辺諸国:ソビエト連邦>

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「我らがモットーは全人民のための自由である」「人民の英雄であるポチョムキン水兵たちに栄光あれ!」

◎成 立

 第一次世界大戦のさなか、1917年11月17日の12月革命によって、権力を掌握したボルシェビキ勢力(ソ連共産党)には、幾多の難関が存在していました。

 最初の難関は、交戦国ドイツとの関係修復で在り、当初は抗戦継続が行われたものの、1918年2月のドイツ軍大攻勢により戦線は崩壊、ドイツ軍が大挙して越境侵入する状況に陥ります。
ボリシェビキ政権は、レフ・トロツキー外相を中心に、1918年3月にドイツとの間に、ブレスト・リトフスク講和条約を締結します。
この条約には、旧ロシア領で在る現在のバルト三国(エストニア・ラトビア・リトアニア)、ベラルーシ、ウクライナを含める、西部の広大な(そして肥沃な)領土を割譲しなければなりませんでした。

 次の難関は、この屈辱的条件を課したブレスト・リトフスク講和条約を結んだボリシェビキ政権に反抗し、ロシアの内外で反政府運動が活発化し、ロシアに内戦が勃発し、更にドイツとの単独講和に反発した連合軍が、懲罰を目的に内政干渉を行い、反ボルシェビキ勢力を援助した事でした(干渉戦争、シベリア出兵)。
この様にして発生した内戦は1920年までには終結しましたが、1922年に至るまで大規模な内乱・蜂起が散発し、シベリア沿海州における白軍政権の崩壊をもって内戦は終結、1922年にソビエト社会主義共和国連邦が成立したのでした。

続く・・・

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