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2011/10/12

人類の軌跡その215:歴史の狭間で30

<第二次世界大戦前夜の周辺諸国:ソビエト連邦その②>

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◎レーニンの死去とスターリンの権力掌握

 1924年のレーニンの死後、後継者問題から権力闘争が激化し、党内右派のブハーリンと手を組んだスターリンが次第に頭角を現し、最大の政敵であった党内左派のトロツキーを最終的には1929年に国外追放する事に成功します(1940年に亡命先のメキシコで殺害)。

又、同じく対立していたカーメネフ、ジノヴィエフを1926年まで失脚させる事に成功(後に大粛清で処刑)。
しかし、そのブハーリンも後に粛清され、1938年5月13日銃殺、非業の死を遂げます。
大粛清によってジノヴィエフは、キーロフ暗殺事件に連座したとして党を除名の上、逮捕され、1935年に禁固10年の判決を受け、ウラルの政治犯収容所に収監、翌1936年「モスクワ裁判」でジノヴィエフは1932年にスターリン等党指導部に対するテロが計画されたという「合同本部」事件で告発され、十月革命の『裏切り』の件迄、追求されました。

ジノヴィエフは、スターリンに生命の保証を約束され有罪を認めた挙句、1936年8月25日にカーメネフら15人と共に死刑判決を受け、即刻同日に、助命嘆願を拒否された末銃殺されます。

 1934年12月セルゲイ・キーロフ暗殺事件をきっかけに大粛清が開始され、カーメネフは逮捕、党を除名され1935年「モスクワ本部」事件で禁固5年の刑に、翌1936年別件で禁固10年の刑が宣告され、「合同本部」事件を処理する「モスクワ裁判」で、ジノヴィエフと同様にスターリンの奸計に嵌り、処刑を逃れる事を条件に有罪を自白したものの、1936年8月25日銃殺刑が執行されました。

続く・・・


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