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2011/10/13

人類の軌跡その216:歴史の狭間で31

<第二次世界大戦前夜の周辺諸国:ソビエト連邦その③>

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◎キーロフ暗殺と大粛清の始まり

 セルゲイ・キーロフは、党幹部で在ると共に政治委員で在り、その弁舌力と真摯な態度で民衆に大きな人気が在りました。
そして、共産党幹部で唯一スターリンに正面切って諫言を述べる事が出来た人物だったのです。
1934年12月1日にキーロフは、レオニード・ニコラエフという青年によって暗殺さます。
キーロフ暗殺については、キーロフの名声に嫉妬(!)したスターリンが命じたとする説も存在しますが、確証は無く、何れにしても、スターリンは容疑者として、嘗てスターリンが党から追放したジノヴィエフ、カーメネフとその支持者を逮捕し、その背後にトロツキーが国内に組織したテログループが存在するとの捏造工作を行います。

 以後、そのテログループ殲滅を口実に、後に「大粛清」と呼ばれる嵐がソ連に吹き荒れ、大粛清の犠牲者は党幹部から党員そして一般市民、軍人にまで拡大し、諸説入り乱れ、裁判によって処刑された者は約100万人、強制収容所での強制労働や農業集団化により死亡した者は一般的に2,000万人と云われています。
又同時期に行われたシベリアへの農民強制移住は悲惨を極め、その正確な犠牲者数は未だに不明なのです。

☆ドイツのスパイ容疑

 事件の発端は、チェコスロバキア大統領ベネシュが、トゥハチェフスキー元帥をドイツのスパイと立証し得る資料が存在すると、ソ連の在プラハ公使に通報した事に始まります。

 真相はソ連を攪乱する目的で、ドイツ保安機関が該当する資料を捏造し、自然な姿でベネシュに流れる様に仕向け、ベネシュは自国の安全保障の為、ソ連在プラハ公使を通じてスターリンに通報させた事は保母間違いない事実と判明しています。
更に、ドイツを上記行動に仕向ける様、ソ連保安機関が工作を行ったと云う有力な見解も存在しますが、この事象を証明する証拠は現在迄発見されていません。

続く・・・


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