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2011/10/14

人類の軌跡その217:歴史の狭間で32

<第二次世界大戦前夜の周辺諸国:ソビエト連邦その④>

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◎赤軍大粛清(1937-38年)

 1937から38年までに赤軍内で吹き荒れた大粛清。
 その発端は、1937年6月、国内戦の英雄で、赤軍最高の頭脳であったトゥハチェフスキー元帥(国防人民委員代理)を始めとする赤軍最高幹部8名が、スパイ容疑で突如逮捕され、7名(1名は逮捕直前に自殺)が6月11日の秘密軍法会議で有罪判決を受け、控訴なしでモスクワのルビヤンカ刑務所で即刻銃殺されたことに始まります。

 この大粛清が起こった背景には、スターリンの赤軍への強い猜疑心と、トゥハチェフスキー元帥への個人的な恨みが背景に存在し、赤軍は、帝政ロシア軍を母胎として、スターリンの政敵であるトロツキーが創設した軍であり、スターリンから見れば、いつ自分を裏切るかという猜疑心よりも恐怖心が常に存在していました。

 又、スターリンは第一次世界大戦直後の1919年に起こったソ連・ポーランド戦争では、南西方面軍軍事委員としてワルシャワ前面のトゥハチェフスキーにブジョンヌイの第1騎兵軍を送らず敗北させた責任を問われて、革命軍事会議議員から罷免されたことを逆恨みしており、レーニンの死後、後継となったスターリンは、1926年12月の党大会でトロツキーなどの党の反対派約70名とレーニンの盟友の殆ど総てを党から除名し、主要な者達を流刑地に追放して行きました。

 これらの党内の権力争いは1934年までに、スターリンの勝利に終わりますが、それでも猜疑心の強いスターリンは不十分と考え、党と軍部の粛清(反対派の完全除去)を断行し、1934年12月、キーロフ暗殺を発端としてスターリンの粛清行動がまず党内で動き出し、次々に粛清されるべき分派活動や破壊分子が作り出され、多数の古参党員が粛清されて行きました(ほとんどが冤罪であったという)。

 しかし、軍部、特に国内戦の英雄で、国民に慕われていたトゥハチェフスキー元帥にはさすがのスターリンも手を付けることが出来ず、1937年ドイツのスパイ容疑という罪状で粛清する事に成功します。
トゥハチェフスキー元帥という後ろ盾をなくした軍は、以後1937年から38年までの間粛清という名の大虐殺が吹き荒れ、元帥5名中3名、軍管区司令官(大将相当)15名中13名、軍団長(中将相当)85名中62名、師団長(少将相当)195名中110名、旅団長(准将相当)406名中220名、大佐階級も四分の三がその対象となり、旅団長以上の幹部と政治将校の実に45%、高級将校の65%が粛清されました。
政治局員(共産党から赤軍監視のために派遣されている党員たち)も最低2万人以上が殺害され、同期間中に赤軍全体で4万名以上が粛清され、また赤軍軍人で共産党員だった者は30万人いたが、そのうち半数の15万人が1938年中に命を落とし、これら上部・中堅司令官を大量に失った赤軍は瓦解寸前の状態に陥りました。

続く・・・

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