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2011/10/25

人類の軌跡その225:中国王朝伝説⑤

<伝説の中国夏王朝その⑤>

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◎帝顓頊(ていせんぎょく)

 黄帝の孫で、共工(きょうこう)が、顓頊と帝位を争って敗れたという説話が存在します。(注:共工は、女媧の時にも名前が見えます。)

◎帝嚳(ていこく)

 黄帝の曽孫、顓頊の曽孫の重黎(ちょうれい)は、帝嚳に仕え、共工(きょうこう)の反乱討伐に失敗して誅殺されたとされ、後任に弟の呉回(ごかい)が任命されました。

◎堯(ぎょう)

 堯のとき、十の太陽が並んで出て、五穀を焦がし、草木を枯らし、人民は食べるものがなく、さまざまな魔物が出現したと云います。
この時、弓の名人であった羿(げい)は、堯に命じられて九つの太陽を射落とし、魔物を退治しました。
之により、堯は天子と成ったと云います。

 堯は、鯀(こん)に命じて治水を行なわせたが、9年たっても成功せず、舜が禹(う)を推薦して、禹が成功させた。(注:禹は、後に夏王朝の始祖となる。)
 堯が帝で、舜が摂政のとき、共工を幽陵に流して北狄に変え、驩兜を崇山に追放して南蛮に変え、三苗を三危に遷して西戎に変え、鯀を羽山に殛して東夷に変えると云う処分を行ないますが、四夷は、中原から追放されて辺境へ落ちていきました。

 堯には丹朱(たんしゅ)という嫡男が居ましたが、帝位を舜に禅定し、丹朱は諸侯として封じられ、現在の山西省の東南部辺りを領地としたと思われます。

◎舜(しゅん)

 舜は東夷の人とされ、庶民の出身でした。
父は盲人で、実母が早く死に継母が家に入り、継母・異母弟・父に辛く当たられたと云う説話が多く残っています。
其れでも、舜は孝行を尽くして二十歳で名をはせ、三十歳で堯に登用され、五十歳で摂政となり、五十八歳の時堯が死に、六十一歳で帝位に就いたと云います。

 堯の二人の娘を妻としましたが、この二人と結婚する迄、舜は独身で在ったとする説話と、その前に登比(とうひ)氏という妻があり宵明(しょうめい)と燭光(しょくこう)という二人の娘を得たという説話が存在します。

 舜は39年間帝位に在り、南方を巡察の際に、蒼梧(そうご)の野(現在の湖南省南部あたり)で崩御し、葬られた所は零陵と呼ばれました。
舜の死を知った二人の妻は急いで南へ向かったが、湘水まで来て水死します。
身を投げたとも、船が沈んだとも云われ、姉の娥皇を湘君と呼び、妹の女英を湘夫人と呼ぶ様に成りました。
後の儒者は、堯と舜を聖王として称えています。

続く・・・


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