人類の軌跡その227:地中海文明の曙①
<エーゲ文明その①>

エーゲ海周辺を中心とする一帯では、エジプト文明やメソポタミア文明の影響を受けて文明化が進み、その範囲は、クレタ島、ギリシャ本土、小アジア(アナトリア)等のエーゲ海周辺及び、イオニア海に面する地域でした。
この地域は石灰岩の山々が、海中に没して入り組んだ複雑な海岸線を形成し、多くの島々が点在しており、陸上は、小さな地域に分断され、農耕に適する平地が少なく、雨量も少ないことから、オリーブ、ぶどう、イチジクなどの乾燥に強い果樹が代表的な作物と成りました(地中海性気候)。
又、陸上交通が不便な為、海上交通が発達して、シリア方面へも達し先進文明と接触していました。
◎エーゲ文明の発生
新石器時代に、エジプト方面、シリア方面、東ヨーロッパ方面等、夫々独自の文化を持った人々が、此の地域へ渡来し、BC2600年頃、青銅器時代が到来、エーゲ海地域の全体にほぼ共通の文化が普及しました。
之を総称してエーゲ文明と呼びます。
◎エーゲ文明の時代区分
☆クレタ文明(ミノア文明)
最初に、ギリシャ人が南下する以前の先住民により、クレタ島を中心とするクレタ文明が繁栄します。
クレタ島はエーゲ海の南側に位置し、エジプトやシリアの文明地域に近い位置に近く、BC2600年頃に青銅器時代を迎え、海上貿易も発達しました。
BC2000年頃にはクノッソスの宮殿が造営され、BC1700年頃以降には、ファイストス、マリア、ザクロにも宮殿が相次いで造営されました。
宮殿を中心とする都市が発達し、ギリシャの伝説では、クノッソスのミノス王は、強大な海軍を擁してエーゲ海の島々を支配したと伝えられる事から、ミノス王の名前を冠してミノア文明とも呼称されています。
明るく平和的な海洋文明と推定されています。
既に文字が使用され、初期の絵文字から、線文字(A種)へと進歩した事が判明しています。
クレタ文明は、BC1450年頃、忽然と姿を消してしまいます。(注:BC1400年頃とする文献も多い。)
この滅亡は、ギリシャ本土へ侵入し、ミケーネ文明の担い手と成っていた、ギリシャ人によって滅ぼされたとする説と、クレタ島の北30キロにあるテラ島の噴火による地震・津波・火山灰によるものとする説が存在しています。
続く・・・

エーゲ海周辺を中心とする一帯では、エジプト文明やメソポタミア文明の影響を受けて文明化が進み、その範囲は、クレタ島、ギリシャ本土、小アジア(アナトリア)等のエーゲ海周辺及び、イオニア海に面する地域でした。
この地域は石灰岩の山々が、海中に没して入り組んだ複雑な海岸線を形成し、多くの島々が点在しており、陸上は、小さな地域に分断され、農耕に適する平地が少なく、雨量も少ないことから、オリーブ、ぶどう、イチジクなどの乾燥に強い果樹が代表的な作物と成りました(地中海性気候)。
又、陸上交通が不便な為、海上交通が発達して、シリア方面へも達し先進文明と接触していました。
◎エーゲ文明の発生
新石器時代に、エジプト方面、シリア方面、東ヨーロッパ方面等、夫々独自の文化を持った人々が、此の地域へ渡来し、BC2600年頃、青銅器時代が到来、エーゲ海地域の全体にほぼ共通の文化が普及しました。
之を総称してエーゲ文明と呼びます。
◎エーゲ文明の時代区分
☆クレタ文明(ミノア文明)
最初に、ギリシャ人が南下する以前の先住民により、クレタ島を中心とするクレタ文明が繁栄します。
クレタ島はエーゲ海の南側に位置し、エジプトやシリアの文明地域に近い位置に近く、BC2600年頃に青銅器時代を迎え、海上貿易も発達しました。
BC2000年頃にはクノッソスの宮殿が造営され、BC1700年頃以降には、ファイストス、マリア、ザクロにも宮殿が相次いで造営されました。
宮殿を中心とする都市が発達し、ギリシャの伝説では、クノッソスのミノス王は、強大な海軍を擁してエーゲ海の島々を支配したと伝えられる事から、ミノス王の名前を冠してミノア文明とも呼称されています。
明るく平和的な海洋文明と推定されています。
既に文字が使用され、初期の絵文字から、線文字(A種)へと進歩した事が判明しています。
クレタ文明は、BC1450年頃、忽然と姿を消してしまいます。(注:BC1400年頃とする文献も多い。)
この滅亡は、ギリシャ本土へ侵入し、ミケーネ文明の担い手と成っていた、ギリシャ人によって滅ぼされたとする説と、クレタ島の北30キロにあるテラ島の噴火による地震・津波・火山灰によるものとする説が存在しています。
続く・・・
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