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2011/10/29

人類の軌跡その229:地中海文明の曙③

<エーゲ文明その③>

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◎クノッソス等の宮殿

☆クノッソス Knossos

 クノッソス宮殿は、クレタ島中央部より北側に位置し、イギリス人アーサー・エヴァンズにより、1900年から発掘を開始し、発見されました。

 クノッソス宮殿の下には、BC6000年頃の物と推定される、初期の集落遺跡が発見されており、BC3000年頃には大きな集落に発展していました。
BC2000年頃に最初の宮殿が造営され、後に地震で倒壊し、BC1700年頃に再建された推定されています。
その大きな特徴は、どちらの宮殿も、城壁を持たず、宮殿の中央と西側に中庭が在り、中央の中庭は神聖な宗教儀式に用い、西側の庭は見物人の集まる競技(例えば牛跳び)等に使用していたと考えられます。

 玉座の間は中央中庭の西側にあり、グリュプス(鷲の頭・翼とライオンの胴を持つ怪獣)のフレスコ画が描かれ、彫刻の施された石膏石を用いた玉座が置かれていました。

 王族の住居は宮殿の南東部で、夏には山からの涼しい風が入る場所に在り、3階から4階建て構造であり、大階段で繋がり、採光用の吹き抜けや本格的な水道と排水設備が整備されていました。
穀物・オリーブ油・ワイン等の貯蔵に使用した大規模な貯蔵室が在り、宮廷職人の仕事場も在りました。
宮廷職人は、青銅細工、宝石や象牙・金・銅などの細工、陶工、羊毛の織物、フレスコ画家、戦車や武具の製作者等が居住していたと推定され、宮殿が地域経済の繁栄に重要な役割を果たしていた事が分かります。

☆ファイストス Phaistos、マリア Mallia、ザクロ Zakro

 クノッソスから300年程遅れたBC1700年頃以降になると、ファイストス、マリア、ザクロにも宮殿が造営され、何れの宮殿にも王族の部屋が在り、諸国家が並立する様に成ったものと考えられます。
これ等の宮殿は何れも、クノッソス同様、城壁を持ちません。

 ファイストスはクレタ島南側の中央に位置し、マリアはクノッソスの東方に、ザクロはクレタ島の東端に位置しています。

続く・・・


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