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2011/11/07

人類の軌跡その235:伝説から歴史へ④

<中国殷王朝その④>

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◎中国殷王朝の遷都

 殷は13回遷都したと考えられていますが、盤庚王の遷都は所謂殷墟への遷都で、殷の最後の遷都と成りました。

 殷の初代は契(せつ)で、第14代の湯(とう)が夏を倒して天下を治め、湯の建国から200年~300年を経過すると、殷の国力も次第に衰え、諸侯が勃興し始め、この事態を打開、再興したのが湯から数えて19代目の盤庚(ばんこう)で、都を遷都して殷を基礎から建て直しました。

 湯が開闢した王朝の国号は「商」でしたが、盤庚王の遷都した地方が殷と呼ばれていた事から、国号も「殷」と呼ばれる様に成りました。

☆殷 墟

 殷墟は、1899年に中国河南省安陽県小屯村(しょうとん村)で発掘され、此処から出土した亀甲や獣骨が、当時、熱病の妙薬として竜骨の名で取引されており、此れに古代文字が書かれている事を劉鶚(りゅうがく)(字は鉄雲)や端方等の人物が発見したのでした。

 調査の結果、この遺跡は、殷王朝最後の都である「商邑(しょうゆう)」で在る事が確実と成り、史記に記されている「殷墟」でした。

 この遺跡からは、宮殿跡、竪穴住居跡が多数発見され、王墓と推定される11個の大墓も発掘されました。
この大墓は人・獣の殉葬を伴い、更に青銅器、石器、玉器、陶器、象牙製品が多数発掘されている他、甲骨文字の刻まれた亀甲・獣骨が数多く発見されました。

 殷王朝も夏王朝と同様に伝説とされていましたが、殷墟の遺跡が発見され、実在した事が証明され、その後、中国各地から殷代の遺構が発見されています。

◎甲骨文字

 亀甲や獣骨の裏に複数の穴を空けて焼き、出来たひび割れを見て、祭祀・軍事・天文・狩猟・穀物の豊凶などを占います。
占いの結果を、ひびの入った亀甲や獣骨の側に刻んだ文字が甲骨文字で在り、象形文字が多数ですが、既に漢字として、一歩進んだものも記述されています。

 この甲骨文字の研究により、殷王朝後半期(BC1400~BC1050年頃)の政治や社会の様子が明らかと成りました。

◎殷王朝後半期の社会

☆政 治

 殷部族の長である王は、祭祀・農耕・政治・軍事など全般にわたって、占いに現れた神意に基づいて決定する祭政一致の政治を行いました。
殷は武力による征服と商業活動によって繁栄し、王は豪壮な宮殿や大規模な王墓を造営し、王都は大邑(たいゆう)と呼ばれ、此れに多くの小邑が隷属していたと考えられています。
 
☆経 済

 農業が基本産業で、木・石・貝などで作った農具を使って、きび・あわ・大麦などを生産し、牛・馬・羊・豚・犬・鶏等の牧畜や養蚕も行われました。

 この時期は中国青銅器文化の最盛期に辺り、王墓の副葬品には、「饕餮(とうてつ)文」と呼ばれる奇怪な動物の文様をもつ青銅器や、象牙細工、白陶などが確認されています。
中央アジアの玉類、南方産の子安貝・象牙等が、交易により遠隔地からもたらされ、戦争捕虜を奴隷として使役していたと推定されますが、これを否定する説も存在します。

中国殷王朝終了・・・

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