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2011/11/09

人類の軌跡その237:伝説から歴史へ⑥

<朝鮮半島の歴史その②:衛氏朝鮮>

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◎衛氏朝鮮の建国

 伝説の箕氏朝鮮が実在していたか否かは、現在でも論争が続いていますが、中国の戦国時代に戦国七雄の一つ「燕」が、遼寧に長城を築き、朝鮮に攻め寄せて、「朝鮮」と「真番」が服属したと伝えられます。
また、中国を統一した「秦」は、BC214年に朝鮮に迫り、「朝鮮」は改めて秦に服属しました。

 秦が滅び、漢が成立するまでの間、激しい動乱により「燕」「斉」「趙」等から多数の中国人が朝鮮へ逃れ、司馬遷の「史記」に因れば、漢が中国を統一すると、廬綰(ろかん)を燕王とし、BC195年に燕国が漢と対立して滅亡すると、廬綰は匈奴へ亡命しました。
この時、満は一千余人を率いて朝鮮に亡命し、朝鮮の実権を奪い、朝鮮半島南部の「真番」や朝鮮半島東岸の「臨屯」も支配下に治め、衛氏朝鮮が成立しました。
(注:古代における「朝鮮」「真番」「臨屯」の位置は、必ずしも明確でなく、時代による変遷も在り、この時代の「朝鮮」については、朝鮮半島北西部とする説、中国の遼寧省あたりとする説等が存在します。)

◎衛氏朝鮮滅亡

 BC195年頃に建国された衛氏朝鮮は、中国民族による征服王朝で在り、朝鮮民族等の抵抗に悩み、数代にして衰退していきます。
BC128年に、衛氏朝鮮に反対する濊(かい)君南閭が、28万人を率いて遼東郡に迫り、漢の武帝は、「蒼海(そうかい)郡」(注:朝鮮半島の東岸?)を置いてこの地方の支配を試みますが、失敗に終わります。

 漢の武帝は、BC109年に衛氏朝鮮を攻め、朝鮮王右渠(うきょ)は5万の大軍を迎え撃って此れを破り、7千人の海軍をも撃破しました。
漢の武帝は、和戦両様の策を用い、朝鮮の大臣や将軍が相次いで漢に降り、翌BC108年に朝鮮王右渠は漢に内応した家臣に暗殺されます。
其れでも王城を死守する大臣が居ましたが、彼も内応者に殺され、衛氏朝鮮は滅亡します。

続く・・・


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