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2011/11/14

人類の軌跡その241:邪馬台国③

<魏志倭人伝その③>

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◎神武天皇の東征

 神武天皇(この名前は後世からの諡(おくりな)ではないでしょうか?)の東征は実際に起った出来事と思われます。
従って、大和政権の祖先は九州に在り、其の地から一部の者が近畿地方へ移動し、後の大和政権の基礎を築いたと考えられます。

 一部の研究者の中には、『古事記』『日本書紀』に記述されている内容が、大和政権の都合のよいように作り上げられた内容を含んでいると云う意見も在りますが、公式の歴史書の中に虚偽を記載する事は容易では在りません。
伝世のうちに誤りが生じたり、幾つかの解釈が可能なものについて一番都合の良い解釈をしたり、都合の悪い事に触れないと云う事は可能でしょうが、政権にとって都合のよい記述を作為する事は、そのメリットよりも、作為した事が明らかに成って、政権の信用を失墜させるデメリットの方が遥かに大きいと思います。

 そして、もう一つは、国の成り立ちの根本に係わる出来事を、個人的なレベルで書き換えてしまう等と云う事が簡単に可能とは思われません。
昔の出来事を可能な限り、正確に後世へ伝え様と考えるのが普通ではないでしょうか?
辻褄の合わない箇所を正しく補正しようとして誤りを犯した可能性も在りますが、当時の人も現代の人と同様に厳正な気持ちで取り組んでいたに違い在りません。

 ドイツのシュリーマンが、ホメロスの記述が過去の出来事を正確に伝えている事を、遺跡の発掘によって証明したように、何時の日か、『古事記』『日本書紀』の記述が正確に事実を伝えている事が明らかにされるであろう事を、信じて疑いません。

 神武天皇がなぜ東征を実行したのかについては、必ずしも明確では在りません。
そして、政権全体が東へ遷都したのか、一部の者が東へ向かったのかも明記されていません。
 
推測されるのは、政権の中心にあった血筋(天皇家の始祖ともいうべき血筋)を引く者の一人が九州から東征し、その子孫と家臣達が近畿地方で一大勢力を作り上げたものと解釈しています。

 例えば、天照大御神の下から飛び出したスサノオ(日本書紀では「素戔鳴」、古事記では「須佐之男」)の様な存在ではないでしょうか?
又、『古事記』『日本書紀』には、神武天皇自身が東征の途中で、同じ高貴な血筋の者(天神の御子で饒速日命(にぎはやひのみこと))と出会うという話しも記載されており、当時から他にもそのような者が居た事が伺われます。

魏志倭人伝終わり・・・


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コメント

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神武天皇(この名前は後世からの諡(おくりな)ではないでしょうか!

その通りです!神の名が付く天皇は全て後世の人が名前をつけたもので、実在は不明と思慮します!