人類の軌跡その254:アレクサンドロス大王①
<アレクサンドロス大王の遠征その①>

紀元前334年、マケドニア王アレクサンドロス Alexandros(アレクサンダー Alexander)は、マケドニアとギリシアの連合軍を率いて、現在のダーダネルス海峡を越えて小アジアへ渡り、ダリウス3世時代のペルシア軍と対峙し、次々と勝利を収めました。
◎紀元前334年小アジア北端のグラニコス川の戦い
ギリシア・マケドニアの連合軍は歩兵約3万・騎兵約5千人で、ヘレスポントス(今のダーダネルス海峡)を渡り、一方ペルシア軍は、約4万人(ギリシア人傭兵2万人を含む)をグラニコス河畔に待機させていましたが、アレクサンドロスは自ら騎兵隊の先頭に立って、渡河作戦を決行しペルシア軍に突撃、その間に味方が河を渡りペルシア軍を撃破しました。
◎紀元前333年シリアへの入り口に近いイッススの戦い
アレクサンドロスは、山が海に迫った狭い地形のイッソスで、ダレイオス3世率いるペルシア軍の精鋭を迎え撃ちました。
ここでも、アレクサンドロスは自ら敵陣へ突撃しダレイオス3世に肉薄し、ダレイオス3世は腿に傷を受けて命からがら逃れ、ギリシア・マケドニアの連合軍は大勝します。
ペルシアは精鋭を選りすぐった筈の大部隊が敗北を喫し、主戦力を喪失しました。
多くの捕虜と伴に、取り残された王母・王妃・2人の王女も捕虜となるも、アレクサンドロスは王族として手厚く持成したと云います。
ペルシア軍の残した多くの金銀塊を取得、又後方のダマスクス市に残された莫大な財宝を手中に収めた事は、遠征軍の財政難を一挙に解決したのでした。
◎紀元前332年ペルシアに支配されていたエジプトの解放
アレクサンドロスは、フェニキアの海岸に沿って南下しながら途中の町々を征服し、エジプト領内に進入。
紀元前525年からペルシアに支配され、サトラプの厳しい統治下にあったエジプトは、アレクサンドロスを歓迎し紀元前332年に首都メンフィスへ無血入場を果たしました。
続く・・・

紀元前334年、マケドニア王アレクサンドロス Alexandros(アレクサンダー Alexander)は、マケドニアとギリシアの連合軍を率いて、現在のダーダネルス海峡を越えて小アジアへ渡り、ダリウス3世時代のペルシア軍と対峙し、次々と勝利を収めました。
◎紀元前334年小アジア北端のグラニコス川の戦い
ギリシア・マケドニアの連合軍は歩兵約3万・騎兵約5千人で、ヘレスポントス(今のダーダネルス海峡)を渡り、一方ペルシア軍は、約4万人(ギリシア人傭兵2万人を含む)をグラニコス河畔に待機させていましたが、アレクサンドロスは自ら騎兵隊の先頭に立って、渡河作戦を決行しペルシア軍に突撃、その間に味方が河を渡りペルシア軍を撃破しました。
◎紀元前333年シリアへの入り口に近いイッススの戦い
アレクサンドロスは、山が海に迫った狭い地形のイッソスで、ダレイオス3世率いるペルシア軍の精鋭を迎え撃ちました。
ここでも、アレクサンドロスは自ら敵陣へ突撃しダレイオス3世に肉薄し、ダレイオス3世は腿に傷を受けて命からがら逃れ、ギリシア・マケドニアの連合軍は大勝します。
ペルシアは精鋭を選りすぐった筈の大部隊が敗北を喫し、主戦力を喪失しました。
多くの捕虜と伴に、取り残された王母・王妃・2人の王女も捕虜となるも、アレクサンドロスは王族として手厚く持成したと云います。
ペルシア軍の残した多くの金銀塊を取得、又後方のダマスクス市に残された莫大な財宝を手中に収めた事は、遠征軍の財政難を一挙に解決したのでした。
◎紀元前332年ペルシアに支配されていたエジプトの解放
アレクサンドロスは、フェニキアの海岸に沿って南下しながら途中の町々を征服し、エジプト領内に進入。
紀元前525年からペルシアに支配され、サトラプの厳しい統治下にあったエジプトは、アレクサンドロスを歓迎し紀元前332年に首都メンフィスへ無血入場を果たしました。
続く・・・
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