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2011/12/07

人類の軌跡その257:アレクサンドロス大王④

<アレクサンドロス大王の遠征その④>

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アレクサンドロスのバビロン入城

◎アレクサンドロス大王BC356年~BC323年(在位 BC336~BC323年)

マケドニア王フィリッポス2世の子、母はマケドニアの西エペイロスの王族の娘でオリンピアス。
BC336に父のフィリッポス2世が暗殺されると、アレクサンドロスが20歳でマケドニア王に即位、マケドニア内部の反対者を処刑し、軍隊をコリントに進めギリシア諸都市に忠誠を誓わせると伴に、父の後を継いでペルシア遠征軍の指揮官と成りました。

 マケドニアの北方の諸部族を討伐し、ドナウ川(ダニューブ川)まで遠征、後方の脅威を排除、又、この際に生じたギリシア諸市の反乱を鎮圧し、特にテーベ市は全市を破壊され、市民は奴隷として売却されました。
BC334年の春に、ペルシア遠征を開始します。

◎アレクサンドロス大王軍の部隊編成

 アレクサンドロスの部隊は、父フィリッポス2世の計画を踏襲し、騎兵の割合が高く、投石具・攻城用やぐら・破城槌等の重兵器を装備し、訓練された兵が配置されました。
 
「斜線陣」と呼ばれる戦術(テーベがスパルタに対してレイクトラの戦いで用いた。)も取り入れられ、レイクトラの戦いでテーベ軍は左翼を強力にし、他の部隊を少し後方へずらして斜めの陣形をとり、まず左翼で敵を撃破して全体を包囲するという新戦術により勝利しました。
フィリッポス2世やアレクサンドロスもこの戦術を多用したのです。

続く・・・


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