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2011/12/08

人類の軌跡その258:アレクサンドロス大王⑤

<アレクサンドロス大王の遠征その⑤>

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☆東西文化の融合

 アレクサンドロスは、東西文化の融合を図り、占領地のペルシア人にも、マケドニア人やギリシア人と対等の地位を与えた他、ギリシア・マケドニア人とペルシア人の結婚を奨励し、自らもバクトリアの郷士の娘ロクサネと結婚した他、スーサに凱旋したBC324年には、ペルシア王の娘を第二婦人とし、兵士達にもペルシア女性との合同結婚式を行わせました。

 又、アレクサンドロスは、さかんにペルシアの衣装風俗を取り入れ、臣下にプロスキュネシスの礼(ペルシア式に跪いく拝礼)や、オリエントの宗教や国家感を尊重しています。
エジプトではアレクサンドロスにファラオの称号が贈られており、ギリシアへも自分を神の様に崇拝するよう指示しました。

☆アレクサンドリア市の建設

 アレクサンドロスは各地にアレクサンドリア市を建設し、ギリシア人の移住を促進しました。
その数は、「プルタルコスの英雄伝(対比列伝)」では70カ所と伝えていますが、現代の研究では20~30カ所と推定されています。

☆エジプトのアレクサンドリア(アル・イスカンドリア)

 エジプトのアレクサンドリアは、その後、プトレマイオス朝の首都となり、学園(ムーセイオン)・図書館・天文台・動物園・灯台などが造られ、オリエント文化・商業の中心地として、繁栄しました。
ムーセイオンは「学芸の女神ムーサ達を祭る場所」を意味し、各地から学者が集い、物理学のアルキメデス、天文学のアリスタルコス、幾何学のエウクレデス等を輩出しています。

 図書館にはパピルスの無数の蔵書が集められ、ホメロス以下のギリシア古典も此処から後世に伝えられました。
灯台は高さ約100m(一説には180m)を誇り「世界の7不思議」に数えられる程、巨大な建造物でした。
アレクサンドリアは、ローマ時代やイスラム時代にも繁栄を続け、現在にその名を残していますが、近年、古代アレクサンドリアの一部が海中に没している事が判明し、調査が進められています。

☆アフガニスタンのアイ・ハヌム遺跡

 アフガニスタン北部のタジキスタンとの国境付近にあるアイ・ハヌム遺跡が、ギリシア人の造営したアレクサンドリアではないかと推定され調査が進行しています。
 
ギリシア様式の建造物遺跡や、ペルシア式の宮殿様式跡など、東西文化の交流が顕著で、神殿に祭られた神の像も、ギリシアのゼウス神と中央アジアのミトラ神(太陽神)が融合した像と推定されています。

アレクサンドロス大王終了・・・


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